山行日:2024.12.25
コース:栃木駅=栃木市営バス=村桧神社入口バス停(8:40)~大慈寺~大慈寺奥の院(9:05)~村桧神社・諏訪岳分岐・200m付近(9:20)~(9:45)諏訪岳(9:55)~京路戸峠(10:10)~鳩の峰(11:10)~唐沢山城本丸・唐沢山神社()~土矢蔵(12:35)~東武葛生線田沼駅(13:05)


諏訪岳から唐沢山城は何度か歩いたが、今回は登りを村桧神社ではなく大慈寺とした。また、前回唐沢山城で、唐沢山神社作成の「唐沢山城跡 山頂縄張図」を入手していたので、その縄張り図を手にして城跡を詳しく歩いてみたいと思った。




栃木市営バスを村桧神社入口で下車。バス停の目の前は村桧神社ではなく、大慈寺。大慈寺は栃木県で最も古い寺とのこと。
IMG_5358



慈覚大師堂。
IMG_5359慈覚大師堂



慈覚大師堂の左脇に奥の院への石段があった。
IMG_5361



相輪橖。 
橖の字の変換に手間取る。
IMG_5362



小野寺稲荷。この近辺は小野寺地区というらしい。
IMG_5363



上へ上へ歩く。観音堂。
IMG_5366



オッ。
IMG_5369



岩峰へ廻りこんで登って、奥の院。大慈寺探訪はここまで。
IMG_5371



奥の院から東北自動車道と晃石山らしき山並み。
IMG_5374



シダの生い茂る道を登る。
IMG_5377



シダと階段道。辛いっす。
IMG_5378



村桧神社からの道に合流。
IMG_5379



京路戸峠への道を見送ると、落ち葉が堆積した急斜面。足が滑って進まないよう。ロープを掴んでなんとか。
IMG_5380



急坂が終わって、扉付きの石祠。
IMG_5382



わずかで諏訪岳に到着。
IMG_5386



オバチャン二人が先着。地元の方で、週に3回登ってくるのだと。凄いこってす!


日光連山は、ここ数年では最も白くなっているのではないか。
IMG_5387



同上。
IMG_5388



諏訪岳からは、八ヶ岳も見えました。オバチャンにも教えてあげたのだが、めずらしい事ではないらしい。
オバチャンたちは、先に下山。俺はプチ菓子パン休憩。



京路戸峠手前でオバチャンに追いつく。
IMG_5391



京路戸峠で爺さんが上がってきた。爺さんは、毎日登山だそうだ。オバチャンらとは顔見知りとのこと。この後、80ウン歳の爺さんが登って来ると。凄いっす。


俺は、この階段にゲンナリ。爺さんも階段はイヤだと言っていた。
IMG_5392



今回は、徹底的に巻いた。体力温存。
IMG_5393



でも、「唐沢山0.6km→」の標識から尾根筋を丹念に辿った。



すると、土橋じゃねーの! 
IMG_5400


そして竪堀じゃね~の!
IMG_5401



オッ、石垣か?
IMG_5402



平坦地。これ曲輪跡じゃね~の?
IMG_5403



オッ、堀切としか思えんよ。
IMG_5404



唐沢山神社の縄張り図。
IMG_5471




堀切を越えると、こんな状態の所が現れ、たぶん「鳩の峰」の曲輪と思われる。
IMG_5406



その先に、炊事場があった。キャンプ場になっているみたい。
IMG_5409



そして、切岸が。
IMG_5412北城北側の切岸



北城の平坦地に到着。
IMG_5414北城



北城の南側の堀切と虎口。
IMG_5415堀切



「杉曲輪」別名「姫御殿」
IMG_5416杉曲輪



杉曲輪の土塁。横矢掛かりにも見える。
IMG_5417杉曲輪の土塁



「金の丸」 建屋は青年の家か。
IMG_5419金の丸・青年の家



「長門丸」
IMG_5423長門丸




おおっ、まだ残っていたか!
IMG_5425



「引局(武者詰)」と土塁。
IMG_5426引局



ここにも紅葉が。未練がましく写真を撮る。
IMG_5428



「二の丸」 お正月の準備中。
IMG_5429二の丸



唐沢山城「本丸・唐沢山神社拝殿」 
IMG_5435



本丸の高石垣。豊織期のもの。北条氏に本丸近くまで攻め込まれたことがあるが、彼らはこの石垣は見ていない。
IMG_5434




1564年、上杉謙信の軍勢により攻められ、佐野氏は降伏し越後上杉氏の傘下に入る事になる。唐沢山城は上杉氏において、関東経営の重要拠点となる。しかし、1567年には北条氏に攻められ城をあけわたした。この時、佐野昌綱が城主に復活したが、1569年には越相同盟が結ばれ再び越後の色部氏が佐野城に入った。この越相同盟は太平山・晃石山の麓の大中寺がかかわったとも言われている。越相同盟は長くは続かす、破棄される。いろいろあって、佐野昌綱が復帰するも、その子宗綱は足利・館林長尾氏との戦いで戦死。北条氏康の子氏忠が佐野氏を受け継ぐことになる。小田原征伐後、氏忠は高野山へ送られた。



「南局(引局)」
IMG_5437南局



「南城」 お決まりのポーズ。
IMG_5441



「南城」
IMG_5442南城



南城から三毳山。
IMG_5443



南城下の「一つ目堀」
IMG_5446



南城の切岸(左側)と帯郭(右側)。
IMG_5448



帯郭のモミジは信じられないくらい美しかった。
IMG_5449



帯郭から南城を見上げる。
IMG_5451



「三の丸」
IMG_5456三の丸



「帯曲輪」となっているが、横堀が確認できず現状は腰曲輪に見える。
IMG_5458帯曲輪



ヒヒヒッ・・・、未練がましい黄葉。
IMG_5461



ここにも。未練、未練・・・。
IMG_5462



「神橋」と「四つ目掘り」
IMG_5466神橋・四つ目掘り



「大炊の井」
IMG_5467



「くい違い虎口」 中世の城でこれほどわかりやすいくい違い虎口は珍しいと思う。石積は中世のものかはわからない。
IMG_5472



「天狗岩」から三毳山。
IMG_5476



「土矢蔵」 平時の御殿や根小屋があった田沼方向を見渡せる。
IMG_5482土矢蔵



土矢蔵から田沼駅に向かって下る。
IMG_5483



城見物が面白くて、長居をしすぎた。
電車の時刻に間に合うように、全力で歩く。
電車の都合で根小屋付近の見物を割愛。

電車にギリギリ間に合って、居眠りをしながら帰宅。