行った日:2023.12.29
コース:JR横浜線橋本駅=バス=城山登山口バス停(8:15)~十兵衛山(8:35)~鷹射場~宝ヶ池~飯縄神社・飯縄曲輪~太鼓曲輪~(9:40)城山・本城曲輪(10:00)~十字路・女坂左廻(10:10)~城坂~御屋敷跡~(10:50)パークセンター(11:05)~津久井湖観光センター前バス停(11:30)~城山高校前バス停(11:40)=バス=橋本駅


津久井城もまた、行ってみたい城だった。後北条氏本国にもかかわらず、何度も甲斐武田氏に侵入されたのが津久井城周辺の地域だった。
戦国期の城主は元扇谷上杉氏の被官内藤氏で、特異な存在だった。それは内藤氏が北条氏だけでなく武田氏からも支配を受けていたことだ。そういった例は皆無ではない。西上州の小幡氏の例が挙げられよう。そんなこともあってか、内藤氏は津久井衆筆頭として、非常に多い貫高を有していた。


JR橋本駅に来たのは、40年ぶりくらいだろう。塔ノ岳から丹沢山、蛭ヶ岳、焼山と縦走して、バスで橋本駅に出たと思う。その時の記憶では、橋本駅近くでチョコパフェを食ったはずである。今回橋本駅に降り立って思ったことは、なんと大都会なのだろうと。これほどの大都会は埼玉では大宮くらいだろう。神奈川と埼玉では都会度がまるで違うということを思い知った。かといって、都会度が高いから、いい所とも思っていない。いずれにしても、関東において、東京と神奈川は別格なのだと思う。


そんな思いを感じつつ、朝のクソ寒い中、バス待ち30分はつらかった。


城山登山口で降りたものの、どこへ行ったらよいやら。なにせだだっ広い車道があるだけで、人の気配がまるで無い。民家も商店も畑も見当たらない無機質な所だった。小さな「城山→」を見つけホッとする。なんだか見た事のない作りの歩道橋を渡ると、本当の城山登山口らしき所に出たが、正面の本道と思われる方は「私有地につき立ち入り禁止」となっていて、どうすればよいのか。立ち入り禁止を無視して数m進むと、先に案内が見え、今いる道の右に並行して道があることに気が付いた。戻る。なんだ、こんな風に道があったのか。


堀底道かと思うような所をユルユルと登る。やがて、分岐があり男坂を選択。
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急坂を登りきると、右手に小詞が見え、
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十兵衛山に登り着いた。見えている景色は相模川の下流方向と思われるが、地理不案内でよくわからない。
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尾根筋を西へ辿る。けっこうな急坂。
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鎖が出てくる。鎖が冷たくて、手袋をはく。
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樹間から城山ダム。
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多くの「ナラ枯れ」の木がありました。
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女坂を合わせて、傾斜が緩む。
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鷹射場とあった。ここは郭のように見える。
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鷹射場から南方向の景色。
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鷹射場から一旦下る。
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写真では分かりにくいが、明瞭な堀切。
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堀切の先に宝ヶ池。城域には複数の水場があるという。
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ムムッ・・・、横矢か!
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上から見ると、まさに横矢のように見えるが、いかがなものか。
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その先に、狼煙場とも鐘撞堂跡とも。付近の解説版によると、小仏城山、景信山なども狼煙場だったとのこと。
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狼煙場から東方向の風景。
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そのすぐ先が飯縄社・飯縄曲輪。
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飯縄曲輪の廻りには、いくつもの帯曲輪が続く。
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津久井城のご神木杉。2013年8月に落雷で焼失とのこと。樹齢900年。
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飯縄曲輪を一周。
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十字路。
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十字路を尾根伝いに真っすぐ進むと、家老屋敷跡。
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太鼓曲輪。
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太鼓曲輪の先には、明瞭な堀切。
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堀切を越えると、土蔵の表示が。
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土蔵の削平地の一段上に、本曲輪群。
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右手に回り込むと、「筑井古城記碑」が。元内藤氏家臣島崎氏の子孫が江戸事時代に建立。
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筑井古城記碑より本曲輪を見下ろす。
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本曲輪の一段下の帯曲輪より津久井湖を見る。
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津久井城本城曲輪群というだけあって、帯曲輪が多数見受けられる。


本城曲輪から少し戻って、十字路へ。ここから本城曲輪・太鼓曲輪中腹にある女坂を反時計回りに廻る。下の写真の「小網」の方向へ。
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途中にあった帯曲輪。この下に連続した小曲輪があるはずである。二つ目までは見えた。
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女坂。木が生えているけど、右手はかなりの断崖。
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女坂を回って、男坂と合流。ここより「御屋敷」に向かって下る。
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ポンと開けた所に出た。ここらより公園化していた。
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見晴台にあった展望図⓵
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展望図②
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有名な「三増峠の戦い」のあった三増峠をはじめて確認して、意味も無く感慨に更ける。
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鉢形城、滝山城付近を蹂躙された北条氏邦、氏照は、小田原城を包囲する武田信玄を三増峠で待ち伏せた。小田原城包囲を解いた信玄は、三増峠で氏照、氏邦と激突し、数千人の損害を出しながらも峠を突破し甲斐へ帰還した。北条氏政の追撃は及ばなかった。そして、津久井城からの出撃も無かったのである。詰めの甘い北条氏政・・・。



開けた所を下ると、
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御屋敷跡。内藤氏の居館があったとされる。
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が、ここが御屋敷跡なのか。
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隣にあるこちらが御屋敷跡なのか、分からなかった。
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城板橋。下を流れるのは「牢屋の沢」
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すぐその先が、パークセンター。
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江戸時代の陣屋跡。今は研修センター。本日はお休み。正月休みかな。
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トイレ脇を登ると、お子様向けの公園が。
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お子様向け公園から西を見ると。つい先だってに行った石老山とプレジャーフォレストの観覧車が見えた。
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そして、湖畔展望園路に出て、
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津久井城最大と言われる竪堀「トバボリ」を見て、
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津久井湖観光センター前バス停に到着。
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道路を横断しようとしたところで、「橋本行」のバスが通り過ぎて行った。ムムムッ・・・。バスの時刻表を見ると、なんと15分に1本はバスが来る。そうだ、ここは一見山の中のようなのだが、実は大都会だったのだ。
一つ先の「城山高校前」バス停で、バスに乗車。途中、お客さんが乗るわ乗るわ。満員で橋本駅に到着。

津久井城はソコソコ遺構が残っており、期待以上のものだった。


今回歩いた所。見にくいが、ピンクでマークした所。
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