行った日:2018.1.6
コース:JR八王子駅北口バス停⑫=バス=滝山城祉下バス停(9;10)~滝山城~古峯園地~国道16号線(11;30)~尾崎バス停(中央高速八王子IC入口)=バス=JR八王子駅


滝山城は16世紀に山内上杉氏重臣の大石氏により築城されたとされるが、詳細は詳らかにはなっていないようだ。大石氏が北条氏照を婿養子に迎え入れた頃、越後上杉氏の越山・関東乱入がはじまった。小田原~鉢形~上野の「山の辺の道」の強化の一翼を荷ったのが滝山城だそうだ。上杉謙信が没っし、越山が途絶えるとその重要性は失われ、南西の八王子城の築城へと推移していく。


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滝山城に実際に行ってみると、規模の大きさ、良好な遺構状態は、目を見張るものがあった。あまり手をかけずに自然な状態で保存されているように見えた。発掘調査なども最小限にとどめられているそうだ。



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大手口・天野坂より入城。




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小宮曲輪の切岸。




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三の丸の切岸。




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千畳敷の馬出。これは判りやすい。




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千畳敷。



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二の丸の横掘。



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中の丸。



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中の丸から多摩川。



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中の丸と本丸を繋ぐ木橋。



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木橋の上から腰曲輪。



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木橋を渡ると本丸。目の前に升型虎口。突き当りを右に曲がらされる。



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升型虎口。振り返る。



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升型虎口。もう一度曲がらされて。この辺りに城門があったのだろう。ここで引っかかって、横矢でお陀仏。



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升型虎口。上から見た所。見事に横矢形状(クランク)。スゲー。



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本丸下。他の郛に対比して小振り。大石氏時代の城郭を上杉氏越山に備えて広大な城郭に拡張されたらしい。なにせ、第一回越山時には小田原城が包囲され、且つ、鎌倉で関東管領職の禅譲の儀式まで正々堂々とされてしまったのだから。


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本丸から多摩川。



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本丸と中の丸を遮断する大堀切。



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二の丸付近の土橋。


信濃屋敷、刑部屋敷、カゾノ屋敷を通過し、



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ハイキングコースに入って、少林寺を目指したが、分岐で勘がハズレ・・・。




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尾根通しに歩き、現代の大堀切国道16号線に降り立った。
最寄りのバス停では、2時間位の待ち時間。仕方ない歩こう。
尾崎バス停まで歩くと、バスの本数が増えていた。30分待ちである。すぐそばに、ソバ屋を発見。天ぷら蕎麦大盛りを注文。かきこんで、バスに乗った。



埼玉県嵐山町に杉山城がある。
「中世山城の最高傑作」とか「築城技術の教科書」とか言われている城である。
そんな中で「杉山城問題」なる論争があった。築城者が後北条氏かどうかと言う論争である。
縄張り論者はその築城技術の高さから後北条氏の築城とし、考古学者は後北条時代の遺物無しと言う。

現在、文献史学者による「足利高基書状」の再検討により「椙山の陣」が杉山城に比定され、考古学と文献史学の結論が一致した。現状、杉山城問題は、山内上杉氏時代の築城説で決着したようである。

素人ながら滝山城を見てスゲー城だと思い、つい杉山城を想起してしまった。それほど滝山城は凄かった。