山行日;2017.1.19
目的地;皆野町妙音廃寺跡
コース:秩父鉄道親鼻駅~ガスト親鼻店(8:40)~強石集落~戻る~戦場地区~戦場公会堂~三沢を渡る~妙音廃寺跡徘徊~千馬山城(龍ヶ谷城・321m峰)北尾根の支尾根~千馬山城北尾根合流~琴平神社~耳山・261.9m峰~琴平山~前山コースを下る~皆野スポーツ公園~国道140号~秩父鉄道上長瀞駅(12:50)



今年に入って皆野町龍ヶ谷城に行った際、妙音廃寺に寄ろうとして成し得なかった。場所は「戦国の境目秩父谷の城と武将」という本で特定できていた。この本によると、千馬山城(龍ヶ谷城・321m峰:以後千馬山城と称す)の根小屋の可能性が高いとされていた。
後日ネットで調べてみると、城関係のHPで千馬山城の項目で「妙音寺跡」が記述されているものがいくつか見られたが、内容は「戦国の境目~」と同様の文章が主体であり、写真の掲載も見られなかった。

もう一度、妙音廃寺跡を目指してみよう。

前回は三沢川下流から妙音廃寺を目指したのだが、うまくいかなかった。
今回は、遠回りではあるが、強石地区から千馬山城に登り、北尾根の途中から沢筋を下る予定で出発した。


どういう訳か、羽生駅から大量の登山者が秩父鉄道に乗り込んだ。宝登山の蝋梅見物かなと思っていたが、長瀞駅で降りたのはごく少数。俺は閑散とした親鼻の駅で降りた。多くの登山者はを乗せたまま列車は去っていった。


前日に雪が降ったようだ。
国道の歩道はテリンテリンに凍っていた。
いやだなぁ~、と思って、県道との交差点にあるガストに入店した。こういった店ににはほとんど入った事がない。注文システムなども判らない。いつになっても店員が来ない。呼び鈴でもあるのかと、テーブルを捜すと、透明なタマゴ型の何かがあった。押してみたが、何の反応もない。透明のタマゴを手に取ると、小さな文字が書いてあるようだ。メガネを額の上に載せ、よくよく見ると、やはりこのタマゴのどこかを推して店員を呼ぶらしい。何回か力いっぱい押してみると、ようやくピンポーンと音がした。
ピザトーストなんぞを注文する。やがてピザトーストが一枚だけやってきた。パパッと食ってお終い。喉が渇いたが水ももってきやしない。廻りの客を眺めていると、勝手にコーヒーだのジュースだのをツイでいる様子。俺の注文で、こういったものを勝手に飲んでいいのか判らない。店員に聞くのも恥ずかしく、店を出て、ペットボトルのお茶をガブ飲みした。


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こういった所を歩いてみた。


日陰が怖い。相変わらずテリテリしている。雪の上の方が滑らない。雪の上を歩く。日向は全く問題無し。

県道から強石地区への道に入る。橋の上など凍っている。千馬山城への登り口に着いた。登り口には一軒の民家がある。折しも、爺さんが家から出てきて、「城跡に行くのかぁ~」と言ってきたので、「ええ、お城から廃寺へ下ろうと思っているんですよ。妙音寺ってご存知ですかぁ」と聞くと、何とこの爺さん、妙音廃寺について、非常に詳しいお方だった。

俺の予定ルートを話すと、「それで良い」らしい。俺の予定ルートは、千馬山城に登り千馬山城北尾根を琴平神社に向かい、途中から左手の沢筋を下るというもの。爺さんによると、沢筋の下部で崩落が数ヶ所あるので、注意するように言われた。崩落個所は少しだけ山腹を登れば大丈夫との事。
そして、最後に爺さんは、「もっと簡単に行ける方法がある」と言いだした。それは、今来た道を戻り、長瀞霊園の案内のすぐ先で右折し、戦場公会堂と民家の間を下ると、簡単に三沢川が渡れ、渡った所が妙音寺跡の一角だと。


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爺さんに教えられたルートに変更。なお爺さんによると、琴平神社のある山は「耳山」との事。赤斜線が妙音廃寺跡の領域。



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爺さんお手製の妙音廃寺の配置図。㊉:沢崩落、・:江戸時代の道しるべ、宝:宝篋印塔、石積、井戸、家(屋)敷跡、人骨:妙音寺洞窟遺跡(縄文時代)


強石の爺さん、ありがとう。

俺は、爺さんの「もっと簡単に行ける方法」にとびついた。
来た道を戻る。
そして、爺さんに教えてもらった道に入る。戦場公会堂発見。

爺さんは、「戦場公会堂と民家の間の道に入るべし」と言っていたが、その間の道とは、完全に民家の私有地に見える。先日栃木県茂木町で不審者の嫌疑を受けたばかりである。躊躇した。
その時、軽トラがトロトロとやってきた。中には爺さんBが乗っていた。

ヤベー。ど~すんベ~。

俺は腹をくくり、片手を上げて軽トラを止めた。
「この辺で川を渡れますかねぇ~」とシラジラしく聞いてみた。
爺さんBは、「ここを下れば渡れるよ」と教えてくれた。
俺は「でもここは、民家の敷地ですよね。大丈夫ですかね」と尋ねると。
すると爺さんは「お宅、だぁ~れ、何処からきたの」ときたもんだ。
「いゃ~、妙音寺を捜しているのですヨ。強石で、この辺りから妙音寺に行けると聞いたものですから」
すると、爺さんは車から降りてきて、千馬山城の解説をしてくださるは、坂道を先導して三沢川渡渉点に案内してくださるは。大変お世話になった。どうやら爺さんはここの民家の住人の方のようだ。

戦場の爺さんありがとう。


(とりあえず、ここを渡る際は、民家の方の承諾は必要だろう。)


というわけで、


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民家の敷地を通らせて頂いて、三沢川の護岸に付けられた階段を下った。



強石の爺さんが言っていたように、今の時季水量が少ないので簡単に飛び石で三沢川を渡れた。



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三沢川を渡る。



すると、すぐに強石の爺さんが言っていた「江戸時代の道しるべ」のような石柱が目に入った。


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道しるべかどうかは判らないが「天明」の文字が入った石柱があった。



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そして、かなりの規模の石積み。



杉林の中の平坦地を進む。



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綾の入った石積み。これはたくさんあった。ピンボケ写真が一枚だけ。無念。


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強石の爺さんが言っていた家屋敷跡か。



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同じく、井戸跡。


「戦国の境目秩父谷の城と武将」によると、さらにこの先にも遺物があるように記述されていたので、進んでみたが、篠竹藪と倒竹で思うように歩けなくなる。



つづく。