山行日:2015.3.21
目的地:館岸城、難台山城
コース:羽梨神社(8:00)~館岸城跡~館岸山~383.2m~加賀田山410m峰(9:30)~364.6m峰(10:00)~373.8m峰(10:30)~305m峠(11:00)~428.6m峰(11:20)~(11:50)難台山(12:40)~難台山城分岐を下る~難台山城跡~小田五郎碑~道迷い~駒場集落~羽梨神社(14:30)
目的地:館岸城、難台山城
コース:羽梨神社(8:00)~館岸城跡~館岸山~383.2m~加賀田山410m峰(9:30)~364.6m峰(10:00)~373.8m峰(10:30)~305m峠(11:00)~428.6m峰(11:20)~(11:50)難台山(12:40)~難台山城分岐を下る~難台山城跡~小田五郎碑~道迷い~駒場集落~羽梨神社(14:30)
セとナさんの本拠地、旧岩間町の館岸山、加賀田山、難台山を周回した。本コース、セとナさんが益子勢の皆様をご案内した記事により知ったコース。その後、yamasanpoさんのブログに地図とコースが掲載され具体的な歩き方を知った。
コース上には二つの城跡の他にも、西山廃寺跡や式内社羽梨神社など、古い時代の遺跡や神社仏閣が散在する、まことに興味深い一帯なのである。
カーナビなど持ち合わせていないもので、岩間ICから羽梨神社までは、車をたびたび止めては地図を確認し、ようやく着いたと言った次第で、歩く前からかなりゲンナリしていた。
羽梨神社前の少し道幅が広くなった所へ車を停めた。神社裏手の大きな屋敷からご婦人が出てきたので、車を停めておいてよいか聞いた所、「大丈夫でしょう」との事でそのまま置かせていただいた。

延喜式記載の郷社羽梨神社。
羽梨神社を見学し、大通りを渡り西寺口ハイキングコースに向かう。この辺はyamasanpoさんが赤線を引いてくれた地図がたよりである。西寺口ハイキングコースの案内標識を見つけて一安心。2.5万図には無いコースなので。
どんより雲のもと、しっかりした登山道を上がると、いきなり西寺廃寺跡が現れた。ただし、お寺雰囲気は無し。緩傾斜地に雑木と笹が茂っているだけであった。案内によると、土器や瓦などがかなり出土しているとの事。
さらに登ると、土塁状の切岸が見えた。ムムッ・・・。館岸城跡の一角に着いたのだ。僅かな削平地と堀切、土塁跡などが見えた。

館岸城跡の平坦面。

なるほど。小田氏の対抗の城と言う事か?
小田氏(元八田氏)は下野の国からやってきて常陸の守護に収まっている。東国の南朝方の中心として奮闘していた。
そこいら辺を歩き廻っているうちに時間が過ぎていた。まずいね。先へ急ごう。
波石なる、波模様の入った奇岩を通過。

ホド無く館岸山に着いた。
館岸山に展望は無く、タバコを一本吸ってオサラバ。
加賀田山へ急ごう。館岸山を下ってすぐに狭い林道のような道になった。そして林道がT字路になっていた。標識無し。ムムムッ、どっちに行こう。
結局どちらにも行かず、中央突破で道の無い尾根上を歩いた。杉林で下草無し。歩くに問題なし。やがて、左手から上がってきた山道と合流。すぐに右からの金毘羅山からの道とも合流。加賀田山へ向かおう。
結局どちらにも行かず、中央突破で道の無い尾根上を歩いた。杉林で下草無し。歩くに問題なし。やがて、左手から上がってきた山道と合流。すぐに右からの金毘羅山からの道とも合流。加賀田山へ向かおう。

加賀田山に到着。ここも展望無し。タバコをまたまた吹かしてオサラバ。
加賀田山から結構な急斜面を下る。その後、364.6m峰、373.8m峰、その他のピークを小刻みに登り降りする。標高305mで、道祖神峠に向かうも、その先に地図に無い道が現れる。どうやら主脈への短絡路のようだ。道祖神峠に向かうよりもてっとり早い。なので、ここを登る。ここもけっこうな急斜面であったが、ほどなく傾斜が緩み、思った通り主脈上428.6峰に辿り着いた。

吾国山からの道と合流。ここより行き交う人々に出会うようになる。

小ピークを幾つか越えて、難台山着。

難台山から、加波山~足尾山~筑波山。
山頂に居たご夫婦と話しがはずんだ。地元笠間にお住まいだそうだ。yamasanpoさんの事をご存じだった。デイダラボッチさんを知ってますか?と聞かれ、知ってますよと答える。当然事故の話しに及んでしまう。う~ん・・・・。
ご夫婦が山頂を去り一人となる。しばらくここに佇んでおった。いつの間にやら青空が広がっていた。
山頂を辞し、まもなくで「難台山城→」が現れ、これに従う。
やや急な下りが少し緩むと。岩石の露出が多くなる。古びて読めない案内板があった。難台山城跡とある。え~っ、こんな傾斜地に城跡があるのかね?藪を掻き分け、歩き廻ってみたが、城跡の雰囲気は微塵も感じられなかった。
やや急な下りが少し緩むと。岩石の露出が多くなる。古びて読めない案内板があった。難台山城跡とある。え~っ、こんな傾斜地に城跡があるのかね?藪を掻き分け、歩き廻ってみたが、城跡の雰囲気は微塵も感じられなかった。

難台山城跡付近。何も無かった。
何も発見できないまま、山を下ると、

良く読める案内板があった。傍ら標識には「難台山城跡入り口」とあった。
結局、難台山城跡は通過したようだが、城跡らしきものは何一つ見つける事ができなかった。
「小田五郎の碑」に寄った。その後は、道に迷い迷い林道を迷走した。やっと団子石峠からの林道を合わせ、駒場に到着した。
駒場は早春を謳歌していた。

駒場付近。

駒場付近。

駒場付近。

駒場付近。

羽梨神社付近。
残念ながら、城跡見物としては、今一歩であった。が、付近の景観はとても美しいものであった。古代中世の人々にとって、とても魅力的な土地であった事は間違いなかろう。おだやかな山に囲まれた広い平坦地はきっと一等地であっただろうな。
そして、デイダラボッチさんのお見送りに向かった。