行った日: 2014.8.24
目的地:村国久伊豆神社、南下新井久伊豆神社、真福寺久伊豆神社、柏崎久伊豆神社
コース:東武スカイツリーライン越谷駅=バス=上飯塚バス停(7:00)~村国久伊豆神社~渋江鋳金遺跡~飯塚神社~法華寺~南下新井久伊豆神社~福厳寺~真福寺久伊豆神社~正蔵院~柏崎久伊豆神社~円福寺~東武野田線岩槻駅~浄安寺~愛宕神社~東武野田線岩槻駅(13:20)
目的地:村国久伊豆神社、南下新井久伊豆神社、真福寺久伊豆神社、柏崎久伊豆神社
コース:東武スカイツリーライン越谷駅=バス=上飯塚バス停(7:00)~村国久伊豆神社~渋江鋳金遺跡~飯塚神社~法華寺~南下新井久伊豆神社~福厳寺~真福寺久伊豆神社~正蔵院~柏崎久伊豆神社~円福寺~東武野田線岩槻駅~浄安寺~愛宕神社~東武野田線岩槻駅(13:20)
天候が安定しないので、本日も山歩きはやめた。変わって、さいたま市岩槻区の久伊豆神社巡りにでかけた。
岩槻の久伊豆神社と言えば、多分宮町の久伊豆神社がメジャーなのだろうが、今回岩槻の中南部の久伊豆神社を巡ってみた。
ところで、旧岩槻市は大宮、浦和、与野などとさいたま市と合併した。岩槻は、東に元荒川、西に綾瀬川が流れ、正に久伊豆神社分布圏の真っただ中にある。その意味からするとさいたま市との合併には違和感を感じるのである。しかし、地元の住民に聞くと、大宮との行き来が主体で、蓮田、白岡、越谷などの久伊豆神社圏はあまり眼中にないご様子であった。香取神社圏の春日部も同様の扱いのようだ。即ち、現在、久伊豆甚社による広域の紐帯感は全く失われてしまった。
越谷駅でクソをして、コンビニで塩入りジュースを購入しデイパックに突っ込んだ。曇り予報に反して、青空が広がる。岩槻行きのバスは結構な頻度で出ていた。10分待ちでバスがやってきた。乗客は俺を含めて4名。他の客は水上公園前で下車。俺は岩槻区上飯塚バス停で下車した。地図を見て、⑦の裏手の道を進んだ。突き当りを右に曲がると、

村国久伊豆神社。
村国久伊豆神社は畑地と民家が点在する元荒川にほど近い右岸台地上にあった。なお「久伊豆神社」の前に冠した「村国」は、当地区の町名であり、便宜上、俺が勝手に冠したものであり正式のものでは無い。(以降、同じ)
神社の脇のベンチでオッサンが、タバコを吸っていた。朝の挨拶をした。何故か会話がはずみ、「久伊豆神社の宮司を紹介してあげる」と言うのであるが、素人の俺がお話を伺ってみた所で失礼にあたる。丁重にお断りした。なお、宮司は、近隣の神社の宮司を複数兼ねていらっしゃるとの事。俺が「近所に鋳物師の碑はないか?」と尋ねると、「知っているのでこれから案内しましょう」との有難いお言葉を頂いた

おおっ、あった、あった。渋江鋳金遺跡。

渋江鋳金遺跡の碑。

渋江鋳金遺跡の案内板。
渋江鋳金遺跡の場所は村国久伊豆神社から5分程の距離であるが、オッサンとしゃべくりながら歩いたので、殆ど不詳。オッサンによると藪の向こうは岩槻文化公園であるとの事。
渋江鋳金遺跡は、遺跡とは言えポールと石碑と案内板があるだけで、遺跡めいたものは全く見えなかった。
「渋江」とは、武蔵七党の野与党の渋江氏の事と思われる。村国久伊豆神社付近に渋江氏の館があったのではないかと言われている。
オッサンに導かれ畑地を横断して、バス通りに出た。オッサンと出会わなければ、渋江鋳金遺跡には辿りつけなかっただろう。オッサンに感謝してオサラバ。
さて、次なる南下新井久伊豆神社への経路は複雑怪奇である。上飯塚バス停まで戻り、「黒谷落し」の水流を捜した。小さな流れを発見。地図によると、黒谷落しに沿って道が描かれているのだが、現地で見たら草ボウボウの荒れた小道だった。藪蚊に射されるのがイヤで、遠回りをした。
道すがら、飯塚神社、法華寺などに出くわした。
あまりの暑さに、早くも頭がクラクラしてきた。クラクラだが、地図から目が離せない。
あまりの暑さに、早くも頭がクラクラしてきた。クラクラだが、地図から目が離せない。

そして、南下新井久伊豆神社。
ここも他の久伊豆神社と同じく、長めの参道が残っていて、脇に町内会の建屋があった。
違うのは、
違うのは、

神楽殿が現存していた事である。
神楽殿なんて俺が知っているワケが無い。神楽殿の前でオッサン連中が5,6人タムロしていた。オッサン一人が俺に話しかけてきて、レクチャーしてくれたのだ。
他のオッサンによると、オッサンが小学生の時に神楽が奉納されたが、以来見たこと無しとの事。50年以上前に当地での神楽は断絶したようだ。
そう言えば、久伊豆神社の親分の玉敷神社にも同じような舞台があったなぁ~。
なお、近年地元住民により瓦の葺き替えが行われたそうだ。村社としての機能はまだまだあるのかな。
他のオッサンによると、オッサンが小学生の時に神楽が奉納されたが、以来見たこと無しとの事。50年以上前に当地での神楽は断絶したようだ。
そう言えば、久伊豆神社の親分の玉敷神社にも同じような舞台があったなぁ~。
なお、近年地元住民により瓦の葺き替えが行われたそうだ。村社としての機能はまだまだあるのかな。
さて、次のターゲットは真福寺久伊豆神社である。日当たりの良過ぎる車道をフラフラ歩くしかなかった。

途中にあった、福厳寺。

福厳寺に残る北条家印判状。
途中の庚申塚に「多ヶ谷」さんの文字をみる。ムフフッ・・・。

やっと着いた真福寺久伊豆神社。(真福寺は町名。真福寺がいかなるものか不詳。)
ここにも長い参道と地区公民館がある。

真福寺久伊豆神社本殿の屋根。水をガブ飲みして、オサラバ。
お次は、柏崎久伊豆神社である。
途中、正蔵院に寄る。住職からお茶を勧められたが、逃げるように去る。
柏崎小学校の裏手の小道を歩いていると、前方に大型車が止まり付近の森の枝払いを実施中。通行不可。目の前に「公民館→」の道標あり。これまでまず間違いなく、久伊豆神社と公民館はセットになっていた。今回もそうだろうと、公民館に向かうと案の定神社の鳥居が見えた。
柏崎小学校の裏手の小道を歩いていると、前方に大型車が止まり付近の森の枝払いを実施中。通行不可。目の前に「公民館→」の道標あり。これまでまず間違いなく、久伊豆神社と公民館はセットになっていた。今回もそうだろうと、公民館に向かうと案の定神社の鳥居が見えた。

柏崎久伊豆神社。
柏崎久伊豆神社にも長めの参道と公民館のセットがあった。加えて、ここには塚のようなものが2基あった。社域は比較的広く本殿の裏手には平坦地があった。平坦地の先はガクンと下がり、ここで岩槻の台地が尽き、その先に国道122号線と東北自動車道が見える。さらにすぐ先に綾瀬川が流れているはずである。
柏崎久伊豆神社付近は、武蔵七党の野与党の柏崎氏の本拠と言われている。
柏崎久伊豆神社付近は、武蔵七党の野与党の柏崎氏の本拠と言われている。
本殿横の公民館にペール缶の灰皿があったので煙を吸う。藪蚊に刺されまくられ、オサラバ。
近くの円福寺に立ち寄り、岩槻駅に向かう。
長い一直線の道を進む。国道16号線を渡り、なおも真っ直ぐ進み、ようやく駅前の県道に出た。駅に行くまでに食い物屋を捜さねば。結局、岩槻駅まで来てしまった。ど~しよう。仕方ない、浄安寺に向かおう。
途中ようやくソバ屋を見つけた。冷やしたぬきソバ大盛りを注文後、お冷のガブ飲み。
ソバ屋から浄安寺に向かう。

浄安寺門前の「渋江町」の石柱。
浄安寺の所在地は、岩槻区本町であるが、以前は渋江町(郷)だったらしい。
浄安寺は渋江氏との関連があるのかと思っていたのだが、そう言った案内は一切無し。チョット、がっかり。して、オサラバ。
浄安寺は渋江氏との関連があるのかと思っていたのだが、そう言った案内は一切無し。チョット、がっかり。して、オサラバ。
もう、暑くて歩けんワイ。曇りどころか直射日光に射されまくり。本日も予定縮小でお帰りモードへ。
途中、大竜寺、愛宕神社に寄って、東武野田線岩槻駅から電車で帰宅。
越谷、岩槻の久伊豆神社を巡って思ったのは、野与党武士団の本拠地近傍の久伊豆神社が、いずれも付近で一番高い場所にある事である。また、公民館、または自治会館を併設している事。畑に囲まれながら長い参道を保持している事。などの共通点があった。
市民の意識の中には久伊豆神社による紐帯感などはとうの昔に失せているようだが、地区での久伊豆神社
を拠り所とする感覚が垣間見れたような気がした。
を拠り所とする感覚が垣間見れたような気がした。
それと、現地での案内板がほとんど見られないのは残念であった。
コメント