行った日:2014.8.17
目的地:大相模氏館跡付近、大相模久伊豆神社
コース:JR武蔵野線越谷レイクタウン駅(9:20)~忍藩領石碑・大相模氏館跡付近~桜堂~大相模久伊豆神社~日枝神社~大相模不動尊大聖寺~照連院~東武新越谷駅(13:20)
目的地:大相模氏館跡付近、大相模久伊豆神社
コース:JR武蔵野線越谷レイクタウン駅(9:20)~忍藩領石碑・大相模氏館跡付近~桜堂~大相模久伊豆神社~日枝神社~大相模不動尊大聖寺~照連院~東武新越谷駅(13:20)
とうとう、お盆休みも最終日を迎えてしまった。
久伊豆神社繋がりで興味をいだいた、武蔵七党の野与氏。野与党の大相模氏が進出した越谷市相模町・大成町付近を徘徊してみよう。元荒川と中川の合流点の少し上流の元荒川右岸地域である。
出発地点はJR武蔵野線の越谷レイクタウン駅である。巨大商業施設・洪水対策巨大調整池・巨大住宅街が一挙に造成された。同時に新駅が作られた。

JR越谷レイクタウン駅 駅前の広場は、実は・・・・。

古代遺跡なのだぁ~。
見田方遺跡は、越谷レイクタウンの周辺開発に先だって、埋め戻されたそうだ。
霧雨の中、越谷レイクタウン駅前の芝生の遺跡跡を北に突っ切って、大相模調整池の大人工池を左折。一つ目の信号を右折し、そのまま真っ直ぐ北上したら、・・・・。

忍藩領の石碑が。
ここが、忍藩飛び地であり、且つ武蔵七党野与氏の大相模氏館跡付近との事。石碑背後に屋敷林がうっそうと茂っておった。屋敷が大相模氏館跡そのものなのか?余り屋敷の中を覗く事もはばかれる。屋敷の廻りを一周して移動。
ところで、草加市川柳地区も忍藩飛び地であった。越谷レイクタウン駅南西側も越谷市川柳の地名である。してみると、忍藩飛び地は結構広じゃぁないの。
大相模氏館跡付近から久伊豆神社に向かうべく、一筋西側の道に入って直ぐに、桜堂なる小さな墓地があった。古そうな墓石などが見えたのでナニゲに入ってみたら、

おおっ、野与党、大相模氏にまつわる墓地ではないか!
案内に書かれた板碑を捜した。

ムムッ、なんかいい感じ。
そして、その奥に、

小振りの板碑があった。
どれが1354年の板碑だかは判らなかった。なんせ、字が全然読めないもん。
桜堂の案内板によって、大相模氏の後裔が現住しているらしい事が判った。思ってもいなかった収穫であった。
桜堂の前の道を真っ直ぐ北上。
信号の所に鳥居があった。そしてだいぶ先にこんもりした森が見えた。
信号の所に鳥居があった。そしてだいぶ先にこんもりした森が見えた。

越谷市大成町、大相模久伊豆神社に到着。

大相模氏館跡、大相模久伊豆神社とも現地名は越谷市大成町であるが、小学校名からして、大相模小なので、古くからの地名は大相模(郷)なのだろう。
越谷の久伊豆神社と言えば、越谷市越谷の久伊豆神社が知られているが、あちらの案内では「私市氏の信仰」とある。こちらは、「野与党の~」と案内に書かれているせいか、安心感が得られるのである(意味不明)。
神社の裏手に回ると、樹間から、すぐ先に元荒川が流れているのが見えた。藪蚊に刺されまくった。

大相模久伊豆神社にて。
久伊豆神社を出ると、美少女が自転車を止め地図を見ていた。「どうしたのか?」と聞くと、「夏休みの宿題でこちらに来たが、道に迷って帰れない」と。
自宅を聞くと、瓦曽根との事。「じゃぁ、元荒川まで出れば帰れるかな」と聞くと、「帰れる」そうだ。一緒に元荒川まで歩いた。元荒川が見えた所でオサラバ。元気よく自転車をこいで行った。
自宅を聞くと、瓦曽根との事。「じゃぁ、元荒川まで出れば帰れるかな」と聞くと、「帰れる」そうだ。一緒に元荒川まで歩いた。元荒川が見えた所でオサラバ。元気よく自転車をこいで行った。
俺、無精ひげ生やして、アブナイオジさんにみられたかな?

少女は、川に沿って走り去った。
元荒川を歩いて直ぐ、こんもりした森があったので行ってみると日枝神社だった。ここも立派な神社であったが、ブログ容量の関係で写真はカット。
所で、ヤフーブログの写真掲載容量が2GBから3GBに改善されたのだが、俺の投稿はいまだに2GBを越えると受け付けてくんないのである。
日枝神社の案内に「神社近くのおしゃもじ橋」の祠に板碑が2基あり」と出ていた。俺は興味を抱き、血まなこになりながら「おしゃもじ橋」を捜した。「おしゃもじ橋」からの印象では、とても元荒川を渡るような立派な橋では無いだろうと思い、元荒川南側の地区を歩き廻った。薄日が射してきて、暑くなってきた。30分ほど捜して諦めた。
次なるターゲットは越谷市相模町の大相模不動尊大聖寺である。ちなみに町名は相模町だが、皆様「大」相模の方が馴染みがあるらしい。たとえば、大相模土建とか大相模不動産とか大相模薬局とか大相模クリニックとか大相模中学校などなど(中学以外ほとんどデタラメ)。
歩いていると、「不動尊前」と言うバス停を発見。道を挟んで、その奥にお寺らしきものが見えた。

大聖寺到着。
大聖寺は予想以上に大きなお寺であった。御本尊は不動明王。この不動明王像が相模国大山との関わりがあり、地名「大相模」の由来になっているようだ。

にわかには、信じられないような古刹である。
が、

ぴんころ地蔵なるお地蔵さんが祭られている。ぴんぴん生きて、コロっと死ぬのが良いそうだ。なるほど。

大聖寺に伝わる、「北条氏繁掟書」
上杉方岩槻城が北条氏に寝返った後に出された文書が残る。旧旧勢力が残存するこの地域と新勢力の北条氏の馴染みは簡単ではないだろうな。
ちなみに、草加地域では、同じ時期に年貢の督促状が岩槻城から出されたり、農民の逃亡があったと伝えられている。
また、徳川家康が戦勝祈願(関ヶ原の戦い)に奉納したとされる太刀が現存しているそうだ。
感心しながら寺内を巡って、立派な山門をくぐった。
歩きだしはかなり涼しかったが、今は暑い。うどん屋があったので、冷汁うどんなるものを食った。食い終わって店を出るとギンギラギンの太陽が出ていた。もう少し歩こうかと思っていたが、いつものクセで、もうイイかと思い、帰途に着いた。
そして、お盆休みもアッケなく終わったのだ。
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