盆休みに入ったというのに、はっきりしない天気。
山に行くのはやめて、埼玉古墳群へ行った。
山に行くのはやめて、埼玉古墳群へ行った。

埼玉県立さきたま史跡の博物館入り口。ここは、行田市埼玉。埼玉の中の埼玉(さきたま)なのだ。
まずは、「さきたま史跡の博物館」でお勉強。稲荷山古墳より出土した金錯銘鉄剣の発見により、多くの遺物が一括して国宝に指定されたようだ。この手の小型博物館にしては、異様に国宝の展示が多い。
金属系の鉄剣・馬具・装身具の国宝指定が多い。江上波夫先生の「騎馬民族征服王朝説」が思い起こされる。学会からは、否定されているようだが、素人のおいらにとってはいまだに魅力的な学説です。
金属系の鉄剣・馬具・装身具の国宝指定が多い。江上波夫先生の「騎馬民族征服王朝説」が思い起こされる。学会からは、否定されているようだが、素人のおいらにとってはいまだに魅力的な学説です。

博物館を出て、古墳を巡る。いまだに発掘調査が行われているようだ。
瓦塚古墳、鉄砲山古墳、奥の山古墳、中の山古墳の脇を歩く。

じっとりした怪しげな小道から密林を抜けると浅間塚古墳にでる。浅間塚古墳は、塚なのか古墳なのか?
古墳にしては物凄い急傾斜だ。山頂に前玉(さきたま)神社がある。延喜式にも記録されているらしい。
最近、古墳説に傾いたそうだ。

前玉神社を飾る彫り物は凄い。

こちらは、天馬と亀。

車道を渡り、二子山古墳の脇を抜ける。小学生の遠足で訪れた時は草ぼうぼうだったが、今はスッキリしている。

そして、将軍山古墳へ。ここは、古墳後円内部へ入れる。
お次は、いよいよ、稲荷山古墳だ。

一度整備されスッキリしていたのだが、夏草が生い茂る。

稲荷山古墳前方部より後円部。

稲荷山古墳後円部礫郭。この周辺から多くの埋葬品が出土したそうだ。粘土郭もあったが盗掘されていた。お宝は、どちらに多かったんでしょうか?

稲荷山古墳より、将軍山古墳を望む。

丸墓山古墳は、最大級の円墳だそうだ。比高19mをあえぎながら登る。
子供らが丸墓山の山頂で、「ヤッホー」と叫んでいる。一応登山としておこう。

丸墓山古墳を南側に下った取り付き道。ここは、石田光成が築いた堤防跡でもある。
豊臣秀吉は、ついに小田原征伐に向かった。全国の大名が関東に乱入した。行田市忍にある忍城には石田光成を総大将とする軍勢が殺到した。攻城方の本営は丸墓山に陣取られた。意外にも忍城は粘りを見せなかなか落城しなかった。一計を案じた石田光成は忍城を囲む大堤防を築き、水攻めを敢行した。城兵は大いに苦しんだが、ある日堤防が決壊し攻城方に多くの死傷者がでた。忍城はついに落城しなかった。しかし、小田原城開城の報を受けた忍城も開城。北条方で、落城しなかったのは忍城のみと云われている。
後に、忍藩浪人、丹下佐膳を生む。
後に、忍藩浪人、丹下佐膳を生む。

水城と云われた忍城を想起させる蓮池。

少しばかり蓮の花が咲いていた。
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