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行った日;2018.10.14
コース:東武日光線金崎駅(9:10)~長徳寺~西方城本丸(10:20)~西方城東丸~本丸~北丸~長徳寺(11:20)~西方総合公園~東武日光線金崎駅(13;15)~思川畔~東武日光線家中駅(14:15)



朝3時に雨音で目が覚めた。けっこうな降りっぷりである。今日も山はだめだな。
寝た。

6時に起きると雨は小降りとなっていた。朝飯を食い終わる頃には雨はあがったようだった。
ど~すんべ~。

今年行った皆川城の皆川城保存会の方から推薦されていた西方城にでも行ってみっか~。



乗った電車の中で、西方城に関するお勉強。

栃木市西方町本城地区の西側丘陵上に築かれた山城。伝承によれば宇都宮景綱三男武茂泰宗の子烏丸景泰が鎌倉後期に築城と伝わる。しかし、近年の研究によれば、築城は南北朝期以降となるそうだ。古文書によれば、天正元年後北条氏に攻められるも堅固に持ちこたえている記録があるという。


東武日光線金崎駅で降りたのは二人だけ。なんと青空の向こうに男体山と女峰山が見えるではないか!地団駄を踏んでも後の祭り。取り敢えず、西方城を目指そうではないの。


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多分、あの丘のような山が西方城であろうと見当をつける。


2.5万図中宿地区の民家のオッサンに西方城への行き方を聞く。
「お寺の所に目印があっから~↑、そこから上がれるへ~」とのお言葉。お寺がどこか判らん。地図を見る。なるほど、東北自動車道をくぐった先にお寺記号があり、その近くから城山221.2m峰に向かって小道記号がある。お寺を目指す。

お寺を目指していると「西方城祉→」が現れ、これに従う。ヤレヤレ。

東北自動車道をくぐって、少し登るとすぐに西方城祉駐車場を発見。隣の民家の大型犬に吠えられる。民家の上にお寺あり。


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西方城址駐車場にあった案内板。


結果から言おう。
西方城祉は、ほぼ案内板に描かれたような遺構が見事に残っていた。特Aクラスの山城遺構であった。たいがいの場合、こう言った案内板に描かれた状態を現認する事は難しいのだが、ここは違った。さりとて、大きく遺構の整備がされているわけでもない。が、薮がキツイわけでもない。ゴルフ場により一部が破壊されているそうだが、超お勧めの中世山城跡だった。



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お寺(長徳寺)の脇から山道となる。



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すぐに竹林となる。帯郭と思われる削平地が重層的に現れる(もしかして近年のものかもしれないが)。



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竹林が尽きて、ヘンな穴。



ヘンな穴の写真を撮っていると、「ブフォ」と獣の音。姿は見えない。大きく手を叩く。派手なガサガサ音。大声を出して追い打ちをかける。獣は去った。シシか!


倒竹、倒木を乗り越えて、登る。



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登城ルートが深い堅堀跡となる。こんな所で横矢を射かけられたらひとたまりも無いワ。




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尾根に出ると、いきなりの「保塁跡」。




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尾根上の広い削平地北の丸。向こう側に土塁も見える。




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二の丸との間の空堀。



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二の丸より東側。遠く筑波山や石切山脈と思われる山並みがかすかに見えた。



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二の丸。




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二の丸。




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本丸。



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本丸に落ちていた焼き物。瓦かなぁ~。




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本丸のさらに上に神社。




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「升型虎口」と言われても、絵で見るような形はさすがに確認できなかった。




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南の丸。



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東の丸。


東の丸を少し下ってみた。まだ遺構はありそうだったが、この辺までにしておこう。戻る。


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井戸跡付近。


本丸、北の丸と戻り、長徳寺への道を辿る。途中の帯郭と思われるような所を巡ってみた。蜘蛛の巣に絡め捕られ退却。



長徳寺から、西方総合公園によってみた。



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野球場のほうからグルと廻って、西方総合公園。東北道を走っていて、横目で何度も見ていて、一度来てみたかった。



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思い川から横根山を見る。この時間、日光の山は見えなかった。




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近津神社による。やはり西方氏ゆかりの神社であった。



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近津神社にて。駒犬の先に城山・西方城。



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道々にて。



金崎駅手前でソバ屋を見つけ、ソバをすする。



金崎駅手前で踏切が鳴り出した。金崎駅に電車と俺は同時到着。ホームには階段を駈けあがらなければならない。諦めよう。

電車は1時間待ち。
桜祭りのある金崎の思川畔に出てみた。この時季、特に何も無し。時間を持て余し、隣の家中駅に向かう事にした。

家中駅手前で、時計を見てアセル。もうすぐ1時間経過。小走りで帰りの電車に乗り込んだ。



それにしても「西方城祉」は見所満載で楽しかった。ここを紹介して下さった、「皆川城」保存会の方に感謝である。



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行った日:2018.9.9
コース;東武日光線栃木駅=ふれあいバス=皆川郵便局前バス停(8:30)~皆川城(法螺貝城)~金剛寺(皆川氏菩提寺)~県道栃木田沼線(10:10)~琴平神社入り口~琴平神社(11;30)~県道・栃木田沼線(11:50)~東武佐野線葛生駅(12;45)


皆川城は遺構状態もよく、一風変わった城跡との事で行きたい城の一つであった。
城主皆川氏もまた、周辺の実力者小山氏、結城氏、佐野氏などと同じく藤原秀郷流の一族であった。皆川氏の歴史は、宇都宮氏の内訌、古河公方と上杉氏の対立、山内上杉の内部抗争、山内・扇谷の対立、後北条氏の侵攻、等々の混乱に翻弄された歴史が綴られている。

栃木駅南口より「ふれあいバス・皆川樋ノ口線」のマイクロバスに乗った。乗ったのは俺だけ。運転手に何処まで行くのか聞かれたので、「皆川中学校」と言うと、「200円だよ」との事。念のため「城跡は皆川中学校でいいのですか?」と聞くと、「城跡ならば、皆川郵便局のほうがいいよ」とのご返事。その後、城跡までの道順のレクチャーを受けた。



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皆川公民館前より皆川城を見上げる。



公民館前の便所でクソをして、城に登る。



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いきなり現れた竪掘り。かなりの規模で圧倒される。



草刈り機の音がけたたましい。かなりの大人数で草刈が行われていた。城跡保存会の皆様との事。ありがたいこってす。


道が山の斜面を廻り込むように着けられていた。緩傾斜の道を選択しながら登った。



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西の丸。



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あれが、本郭であろう。



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本郭下にて。



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本郭より、大平山~晃石山。大平山城も皆川氏の持城との事。



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本郭の櫓に登って。左右の谷戸地は、あまりにも中世的。左は佐野。右は葛生に通じる。城の斜面には法螺貝城の異名となった段々の腰郭?帯郭?が連続している。



櫓から降りると、草刈り機を背負った城跡保存会の方々がやってきて山城談義となった。西方城を推薦して頂いた。俺は、嵐山町杉山城を推薦しておいた。長話となった。



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凄い急斜面と腰郭。



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土塁と帯郭。



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虎口。


中世城郭跡としては、すばらしい遺構の状態であった。城跡保存会の皆様に感謝です。




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皆川城下の金剛寺。皆川氏当主の全てのお墓があるという。



ここから県道栃木田沼線に出て、



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皆川城を振り返る。




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何故か晴れてきやがった。奥の山を越えねばならぬ。



吹きだす汗を拭き拭き、ひたすら歩く。



両側に山が迫りはじめると、サーキット場があるらしく激しいエンジン音が聞こえだした。

左手に「琴平神社→」が現れ、石段の道に入る。ここから琴平神社まで約200mの標高差。石段が尽きると、ムキ出しの赤土の急斜面となる。倒木多し。蜘蛛の巣多し。恐ろしいほどの汗が噴き出す。




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再び、超急斜面の石段。これを登りきると、



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琴平神社に到着。栃木市と佐野市の境界尾根かな。


明治時代の絵を見ると、かなりの賑わいがあったようだが、今は誰も居ない。この神社、博打の神様だそうで、その筋の方はとうぞ。



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神社の裏から葛生側。葛生らしい風景ではある。


神社の裏手から歩きやすい道が続いていた。一旦下って登り返すと鉄塔のあるピークに達した。そこから平坦な尾根筋を歩くと、再び県道栃木田沼線に出た。ここからクネクネの県道を延々と葛生の町に向かって下った。


葛生駅前のラーメン屋で冷やしラーメン大盛りを掻き込んで、館林行きの電車に飛び乗った。

行った日:2018.8.15
コース:JR小山駅(9:00)~須賀神社~小山御殿~祇園城~天翁院~思川畔~鷲城~JR小山駅(13:00)



祇園城・鷲城・中久喜城は、「小山義政の乱(1380)」に関連し、一括して国指定史跡となっている。「小山義政の乱」は、複雑すぎてよくわからないのだが、関東公方足利氏満が関東の有力者小山氏の勢力削減を狙った陰謀に端を発しているらしい。結果、小山氏嫡流は滅亡、小山氏の管轄地下河辺荘(下総国)・太田荘(武蔵国埼玉郡)が鎌倉府領となる。その後、小山若犬丸の反乱に続いて行く。



小山駅を出ると、今日もギンギラギン。
まずは、須賀神社に向かおう。


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須賀神社。


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須賀神社は、藤原秀郷の創建と伝わる。



藤原秀郷は平将門退治で功を成し、その子孫が各地に繁茂した。

その中に埼玉郡太田荘を領有した太田氏がいる。その庶流が下野小山氏である。宗家大田氏は神人との争いが原因で鎌倉幕府より地頭職を剥奪され、歴史の舞台から消えて行った。小山義政の時代には下野南部以外にかつての宗家大田氏領太田荘(武蔵国)・同族の下河辺氏領下河辺荘(下総国)までも領有していた。


小山市役所の前を通ると、隣接して、


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小山御殿。


後北条氏の時代には。ここも城郭の一部となっていたらしい。その後は、徳川氏日光参詣に折りの施設となっいたそうだ。



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小山御殿解説板。



小山御殿から県道を渡ると。



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祇園城入り口。



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祇園城。



「小山義政の乱」では、はじめに本拠鷲城が落城、後祇園城に撤退。祇園城も落城。その後小山若犬丸により、数度にわたり祇園城を奪回するも、関東公方軍に接収される。
ややあって、結城氏流小山氏が祇園城に入り、第二次小山氏として受け継がれていった。



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祇園城。本郭付近は公園化されていたが、明瞭な土塁などが残されていた。



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祇園城。深い空掘り。



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祇園城。深い空掘りを隔てて平坦面。



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祇園城。再び、深い空掘り。



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祇園城。高い土塁の脇を廻り込むと、




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天翁院があった。どうやらここも城郭の一角を占めているいるように感じられる。



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天翁院。小山氏墓地。小振りの五輪塔があった。



天翁院墓地の脇から奥に進むと、蜘蛛の巣だらけの平坦面となった。ここが北郭か?土塁が現れロープが張られていた。ロープに沿って進むと天翁院の裏に出た。ここにもロープが。人のいないのを確認し、ロープをくぐって脱出。ヤベ~、ヤベ~。


思川畔に出て、鷲城に向かう。



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思川畔から祇園城を振り返る。写真中央付近。


国道50号を渡って、迷い気味に、



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鷲城の案内板を発見。


鷲神社の参道と思われる小道を進むと、


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鷲神社があった。どうやら鷲城内に入っているようだが、城跡の感じは皆無。



小山氏の宗家大田氏は鷲宮神社(埼玉県旧鷲宮町)を奉祭していた。下野小山氏も旧鷲宮町の鷲宮神社の修復に協力していた。してみると、ここの鷲神社も鷲宮神社の別宮的な神社ではないのか?下野南部には多くの鷲神社、大鷲神社の存在が確認できるが、小山氏領との関連が認められるとおもしろいのだが。

取り敢えず、鷲神社から伸びる小道を発見し、進んでみるも、蜘蛛の巣多し。やや、藪城の感覚を覚える。

「横矢」の標識を発見するも、草深くなんとも判りずらい。


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鷲城。「横矢」の先にあった土塁?堀切?



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鷲城。「虎口」とあるが、ここも草ボーボーで、よく判らず。


ここを下ると、藪から解放されて、綺麗に整備された小山総合公園に出た。多くの若者たちがバーベキューを楽しんでいた。

ものたらん!

と思い、再び藪道へ。

違う小道を発見し、進む。空掘りのような土塁のような所を乗り越すと、民家のある舗装道に出た。喉が渇いていた。う~ん、ここらでオヒラキとしようか。

国道50号に戻り、JR小山駅に向かった。

途中で発見したソバ屋で、お冷のガブ飲み、冷やしたぬきソバ大盛りを食って帰途に着いた。


やっぱり、城見物は冬の方がいいかなぁ~。

行った日:2015.11.21
目的地:織姫神社・モミジ谷、浄因寺、鑁阿寺



体調が思わしくなく、山の紅葉は見ていない。
そうは言っても、やっぱり紅葉は見てみたい。
そこで、昨年すばらしい紅葉に出会った足利に行く事にした。本来ならば、行道山浄因寺から織姫神社の尾根を歩きたいところだが今は無理なので、車ででかけた。


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織姫公園・モミジ谷。

う~ん、昨年よりも宜しくないのぉ~。
赤いのや青いのや、落葉もあるのぉ~。




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織姫神社参道。

赤い所だけ写す。



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織姫神社参道。




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浄因寺。

こちらは、なかなか良いのぉ~。ムヒヒヒッ・・・。



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浄因寺。



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浄因寺清心亭。



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浄因寺清心亭より。



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浄因寺清心亭。



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浄因寺。



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浄因寺。




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鑁阿寺。

ここも、いいねぇ~。ただ、人が多過ぎるワ。



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鑁阿寺。



織姫神社や浄因寺の坂道はキツかった。
なんとか、紅葉を見られて、気が晴れた。

行った日:2015.8.14

栃木県那珂川町に所用があり、出かけた。用事は午前中の早い時間に済んだので、周辺の神社仏閣を訪れた。


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まずは、那珂川町中心地にある武茂城。静神社でもある。



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静神社への長い階段。



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山上にある静神社。



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静神社の裏手の湿った道を200mほど進むと、武茂城本丸跡。



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武茂城跡。


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武茂城跡。


武茂城の遺構は、非常に良く残存していた。
本日は、城跡に繁茂する草が湿っており、十分に歩き廻れなかった。


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武茂城跡に咲く。


城を下って、すぐ左手に武茂氏ゆかりの乾徳寺がある。



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乾徳寺。



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乾徳寺にて。


乾徳寺はモミジが多く、秋に訪れてみたい。


乾徳寺から道を戻り、県道を少し登ると、馬頭院がある。


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馬頭院。


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車で移動し、鷲子(とりのこ)山上神社に向かった。



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鷲子山上神社。


鷲子山上神社は栃木・茨城県境にある神社。参道中央が県境らしい。
参道をはさんで、社務所が2つある。賽銭箱は中央に1つだけあった。


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鷲子山上神社。



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鷲子山上神社本殿。



確か、鷲子山上神社のさらに先に鷲子山があると思っていたのだが、先に進んでもそれらしき山頂は見当たらなかった。もう少し先なのか?まぁ、いいか。


もう、お昼だ。雨が降り出す前に帰るとしよう。

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