カテゴリ: 中川

行った日:2013.4.20
コース:東武日光線幸手駅(9:10)~権現堂堤~中川~道迷い~中川起点~東武伊勢崎線羽生駅(16:20)


なかなか山に行けないでいる。年初の予定は大狂いである。休日出勤やら天気が悪かったりして。

昨日も帰りが遅く、早起きは無理。まぁ、どのみち天気予報が悪いので山に出かける気分は失せていた。しかし、そろそろ長距離歩きをしないと腰がヤバイ事になりそうだ。
朝起きると、曇天ながら雨は降っていなかった。お手軽に川歩きにでかけてみよう。


幸手駅で下車。五霞町行きのバスは20分後の発車だ。う~ん、仕方ない、歩くとしよう。
権現堂堤の手前でバスに抜かれた。


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権現堂堤到着。

権現堂堤は桜の名所であるが、当然葉桜のみ。菜の花だけが迎えてくれた。


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権現堂堤より、対岸の水門。水門の先は権現堂川。その先は利根川のはずである。


権現堂堤の上にパン屋があった。何を勘違いしたのか、桜アンパンなるものを購入してしまった。温かいアンパンとはこういったものなのか!


権現堂堤が終わった所に警察官が大挙しておる。草叢の堤防を歩いておったら警察官に呼び止められた。

「何処へ行くのでありますか」
「特段、何処と言う事もないのですが・・・」
「・・・・」
「川に沿って歩いているだけでが」
「そうですか。河原には降りないように」
「は、はいっ」

てな感じで、あったのだが、すぐ先に東武日光線があり、これをくぐるのに河原に降りなければならないのである。ムムムッ。振り返ると、警察官が厳しくこちらを見ている。仕方ない、少し戻り、畑の中を通り車道に出た。


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幸手市高須賀。高須賀池。
浅間山の噴火堆積物で利根川の川底が上がった事、その後の大雨の影響で出現した池だそうだ。


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久喜市八甫。菜の花は続く。

東北本線をくぐれなくて、車道に出た。ここで、急速に便意を催す。街中であるがコンビニなどは無い。アセッタ。公民館を見つける。誰もいないのを確認し敷地に侵入すると、運良く外付けの便所を発見。事なきを得た。

久喜市川口付近で、中川と葛西用水が10数mに最接近。よく見ると中川は葛西用水から水を供給されていた。かつて中川は栄光の利根川本流であったが、立場は完全に逆転しているかのようだ。


加須市に入ると、何本もの河川が合流してくる。昭文社の「でか字まっぷ埼玉」を見ながら歩いているのだが、ここら辺からどれが中川か判りずらくなってきた。

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加須市下樋遣川。左中川、右槐掘川の標識があった。「でか字まっぷ埼玉」では右が中川のはずである。ムムッ・・・、どうしよう!

行政の標識を信じ、左の川に沿って歩く。


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開けた所に出た。


少し進んで橋の欄干を見たら、「天神掘川」の銘板がはめ込まれておった。クソッタレ。
加須市松永新田で、右折。中川を探した。途中旧槐掘川他いくつかの流れを渡った。県道84号線に出たが中川は見当たらなかった。まぁいい、県道84号線を西北西に進めば、「でか字まっぷ埼玉」に記されている「中川」にぶつかるはずである。延々と県道を歩いた末に行きついたのは中川では無く新槐掘川であった。う~ん、もう「でか字まっぷ埼玉」は信用がおけん。
中川は、忽然と消えてしまったのである。

とりあえず、県道84号線を西北西に歩くしかない。
東北自動車道をくぐり、日本精工社の巨大工場の敷地が尽きる辺りで、

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おおっ、中川発見!羽生市大沼。

中川は東南東から忽然と姿を現した。
所が、中川沿いは工事中。迂回し中川縁に出た。やれやれ。

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羽生市藤井下組。中川に復帰。

しばらく行くと、また川の合流点。流れの太い方に進んだ。が、5本目位の橋の銘板に「城東掘川」とあった。コンチクショウ、戻る。なおかつ、再び便意が・・・。困った。完全なる街中である。
オオッ、「羽生市立体育館」の標識があるではないか!体育館に素知らぬ顔で侵入。そそくさとトイレを探し事無きを得る。う~ん、ついているのか、いないのか?取り敢えず、ついているとしようではないか!


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羽生市東。細くなった中川。


中川源流が羽生市東にある事は、いかにズボラなおいらとて事前に調べていた。源流は近いな。


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羽生市東。中川起点。

そして、中川源流ではなく、「中川起点」についに到着した。

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中川起点。

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起点から河口まで81kmとある。4回かけて歩いたので、20km/日しか歩いていない。


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そして、目の前にある高みに登ると、なんとそこには葛西用水が流れていた。


葛西用水のすぐ下が、中川の起点とは全くの想定外だった。ツイ先だって葛西用水を歩いた時には全然気が付かなかったもの。

しかし、葛西用水をくぐって中川(と思われる)はドブ川と化し、続いていた。これを追う。


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しばらく歩くと、中川は暗渠に埋没した。


なおも暗渠の上を辿る。雨が落ちてきた。
暗渠のコンクリートの蓋が羽生駅と反対方向に曲がった所で、「もういいや」と思う。

傘もささずに羽生駅に向かった。

行った日:2013.3.3
コース:北越谷駅=茨急バス=松伏町・第一保育所(7:05)~中川・豊橋~幸手市・権現堂堤~幸手駅(13:50)


昨日は大風が吹いておったので、おもてに出るのはよした。今日は少しは風が収まるだろうと中川歩きに出かけた。


北越谷駅で「茨急バス・野田市駅行き」のバスに乗った。バス停の前の⑦で飲み物などを仕入れて出発。
今日も冷たい向かい風が吹いているじゃぁないの!松伏町・田島の豊橋より中川に沿う。


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松伏町・大川戸。向かい風キツイ。


あまりの寒さにタオルでほっかむりして、その上から帽子をかぶる。少しイカレタ感じがするかもしれないが、人通りは全くないので、まぁいいか。

少し行くと神社が現れ、スワ、香取神社かと思いきや金杉神社だった。しばらく歩くと、期待通りに香取神社が現れた。
「元荒川以東に香取神社が色濃く分布する」を実感する。


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旧庄和町・庄和。対岸は春日部市・豊野町の清掃工場か。向かい風が断続的に吹き、すでにバテていた。
この辺り、1km以内西方を大落古利根川が並行しているはずである。


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お決まりではあるが、春を感じる。その割には寒すぎる。


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春日部市・藤塚。東武野田線をくぐる。


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春日部市・新川。香取神社。


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国道16号線を渡って。


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現在の中川は、かなり直線化されているように見受けられるが、大昔の名残であろうか。


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杉戸町・大塚。なかなか興味深い庚申塔。

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なるほど。


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幸手市・上宇和田。宇和田公園。今は使われなくなった土手が公園化されている。ここで、菓子パンを食う。


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幸手市・上宇和田。対岸は茨城県五霞町。


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幸手市・上吉羽。なんと中川土手内の3/4を占めて吉羽園という釣り堀があった。緑色の網の向こうで中川が狹っ苦しく流れていた。こういう事もアリですか!


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茨城県五霞町・土与部より幸手市・権現堂を見る。


気が付くと、風は収まっていた。が、またしても足裏が痛い。またまた、水泡ができたな。ゆうべ、古い皮をむしり取ったばかりだと言うのに。
潮時であろう。ここで、本日の歩き留めとしよう。権現堂堤は桜の名所なので、桜の頃にまた来よう。

行った日:2013.2.24
コース:八潮団地バス停(6:50)~八潮水門~元荒川合流点~新方川合流点~大落古利根川合流点~松伏町田島・敗走~松伏町第一保育所バス停(10:30)=北越谷駅

どうやら、強い冬型の気圧配置になりそうだ。風に吹かれたくないし、まして吹雪の洗礼などまっぴらなので山歩きはやめておこう。平地の川歩きに逃げた。取り敢えず、週一の割合で、そこそこの時間を歩かないと腰痛が再発するのである。今日は、中川を北へ辿ってみよう。

いつもの時間に起きて、松原団地の駅から八潮団地行きのバスに乗った。


バスの終点八潮団地から歩きはじめる。


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バス停そばの八條清勝院は1400年代の開山。


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綾瀬川放水路に出る。正面は八潮水門。ここで、旧旧荒川と旧利根川が繋がっている。


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八潮市鶴ヶ曽根飛び地。八潮水門と中川。

対岸は三郷市。ここいらの三郷市の地名には彦の字がつく。三郷市彦江、彦沢、彦倉、彦野、彦川戸、上彦川戸、上彦名、彦成、彦音、彦糸。


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八潮市八條。八條橋。八條橋は、草加・八潮と三郷をつなぐ古い橋。現在補修工事中。


地図を見ると対岸の三郷には、いくつかの香取神社がある事がわかる。
これまで、見沼代用水、綾瀬川、元荒川、大落古利根川・葛西用水と歩いてきたが、神社の分布に特徴がある事が判った。綾瀬川と元荒川の流域には久伊豆神社が多かった。元荒川東岸と古利根川では香取神社が多かった。ネットで調べてみると、神社の分布は見事に河川を境に色分けされていた。

即ち、
綾瀬川以西が氷川神社。
綾瀬川と元荒川間が久伊豆神社。=旧荒川流域。
元荒川以東が香取神社である。

しかし、神社の分布に多少の例外がある。例外は現在の川の流れでの区分から発生しているようにも思える。そもそも、江戸時代以前の河道ははっきりしないそうだ。河川の付け替え、河道の直線化や、自然の河道の変化が影響しているかも。
また、草加市・八潮市以南も例外に入る。草加市・八潮市以南では、氷川神社・久伊豆神社・香取神社が混然としている。

面白い事に久伊豆神社分布地域と武蔵七党の野与党の分布域が一致している。
江戸川管理事務所のホームページに1000年前の河道の位置が示されているが、詳細は判らなかった。武蔵七党の分布と河道の位置関係をもう少し詳しく知りたいねぇ~。

そして、中世、鎌倉から常陸国への通行が、現在の水戸街道筋ではなく、利根川を渡河するために群馬、栃木を経由していた事も今では想像できない事なのだが、その頃の利根川とは、今の中川なのである。

などと、妄想を繰り繰りしながら歩くのはなんとも楽しいのである。


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吉川市高久。この辺り、堤防の工事中。対岸は草加市柿木。対岸には女体神社があるが、もしかして氷川女体神社と関係がありやなしや?


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吉川市高富の導水管。人も渡れる。対岸は越谷市東町。


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吉川市平沼。元荒川合流点。旧荒川(左)と旧利根川(右)が合流。1000年前もここで合流していたのか?


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吉川市吉川。吉川市役所前。新方川合流点。


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松伏町下赤岩。大落古利根川(左)合流点。中川と古利根川はどっちが元祖利根川なのか???
あとで、調べよ~っと。

大落古利根川合流点付近より、景色が開け田園地帯とる。と同時に強風に煽られる。


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松伏町上赤岩。強風で中川の川面が波立つ。


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猛烈な北西風が吹きつけてきた。関東平野低湿地帯のど真ん中。


前かがみで歩く。時折、耐風姿勢を強いられる。
しばらくすると寒気で左腕がしびれてきた。ムムムッ。手がカジカミ手帳への書き込みもできんワサ。向かいからやってきた大型犬に吠えられた。

前方はるか遠くに見える橋の上をバスが通った。
今日はあそこまで。凍死してしまうよ。


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本日の歩き留め。強風で地図も見られないので何処だか判らなかった。


西に向かうと、「第一保育園前」というバス停があった。行き先は北越谷駅。う~ん、たいして歩いていないが、致し方なし。
バスに乗り込み少し体が温まったところで、地図を広げると、本日の歩き留めは松伏町田島のようた゜った。

また、次の機会に歩きましょう。

中川は、綾瀬川合流点から東へ進路を変え荒川・綾瀬川筋から急速に離れる。


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葛飾区東四つ木。単独になった中川。このあたりより、猛烈な蛇行を繰り返す。



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葛飾区東立石。ようやく東京スカイツリーが後方に去る。



京成本線青砥駅が至近となる。腹が減ったので青砥駅に向かう。
駅のそばのラーメン屋でラーメンと餃子を食う。


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葛飾区青砥。高砂橋より振り返る。新中川分流点。左新中川。右中川。


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葛飾区亀有。この辺りから中川は東京都の管轄から国交省の管轄へ変わった。雰囲気がガラリと変わった。



足立区中川。葛飾区清掃工場の煙突が見えてくる。


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足立区中川。飯塚橋。旧わたしば跡。いつの時代の渡し場かは不明。


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足立区六木。花畑運河。中川と綾瀬川を結ぶ。この辺り、葛西用水が至近となる。


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足立区六木。対岸は大場川水門。左八潮市古新田。右葛飾区西水元。大場川の先に三郷公園と水元公園。そのすぐ先が江戸川。


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足立区六木。垳川(がけかわ)排水機場。対岸は、埼玉県八潮市。


垳川を渡るとついに埼玉県八潮市に突入。


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八潮市大瀬。川筋と堤防が離れる。堤防内に畑や怪しげな倉庫が現れる。


なんだか知らない橋が出来ていた。


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堤防の内側に新しい堤防が出来ていたので、そちらに移る。



つくばエクスプレス橋梁付近で江戸川と至近となるが、土手と川筋が離れ確認できず。江戸川と結ぶ三郷放水路があるはずであった。


八潮フラワーパークの質素な花畑を通過。
足の裏が痛い。水泡がまたできたな。

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八潮市八条。八潮水門が見えてきた。


足の裏の痛みが耐えられん。もう少し歩くつもりであったが、自宅への近道を選んだ。



八条水門から綾瀬川放水路の桜並木に入る。ここいらは何回か来た事がある。


外環道側道に入り、八条用水、葛西用水、古綾瀬川、綾瀬川放水路、綾瀬川を渡る。


綾瀬川を渡れば、自宅はすぐだ。


最後は、足裏の痛みに耐えかね、ガニ股でギクシャクと帰還となった。

行った日:2013.2.3
コース:JR京葉線・葛西臨海公園駅(7:50)~東京湾~荒川・中川河口~中川~京成本線青砥駅~八潮市八条水門~綾瀬川放水路~草加市自宅(15:40)


特に考える事も無く、中川を辿ってみる事にした。中川は、おいらの町の東端を流れる大河である。中川は、その昔利根川本流だったそうだ。また、最下流部では荒川を合流し、東京湾に注いでいたとの事。現在の地位は随分低下してしまったが、おいらの町で一番の大河である事に違いは無い。

鎌倉時代、鎌倉から常陸国への通行は現在の八高線沿いから群馬県東部にでて、西進・南下する大迂回ルートがメインロードとなっていたそうだ。きっと現在の中川・モト利根川が、人々の通行を妨げていたに違いない。


JR葛西臨海公園駅の朝は閑散としていた。取り敢えず南下、東京湾を見てみよう。


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江戸川区臨海町。おおっ、富士山がみえるじゃぁないの!


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そして、海沿いの遊歩道を西に歩くと、荒川・中川の河口に着いた。おおっ荒川ではなく、中川の標識ではないか!


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荒川・中川の河口付近より。


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強い向かい風の中、出発。

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ビルの谷間の富士山。何枚も撮ってしまった。富士山好きなので。(登るのは嫌い。)


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江戸川区清新町。先に見えるのは、荒川・中川合流点。左荒川、右中川。


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下流方向を振り返る。高速道路の向こう側を荒川が併流。


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江戸川区船堀。都営新宿線の向こうに東京スカイツリーが見えてきた。


この後、中川は東京スカイツリーを中心に円を描くように流れるので、いくら歩いても東京スカイツリーの見える位置が変わらないと言う、珍現象に悩まされる。

途中、江戸川競艇所が現れ、迂回。アレ、ここは中川ですけど?


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おまえはカモメか?


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葛飾区西新小岩。上平井水門が見えてきた。


上平井水門の向こう側に中川・綾瀬川合流点があるはずである。


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上平井橋を渡り、綾瀬川を確認。モト綾瀬川の土手の向こうは現荒川が流れる。


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今だ、東京スカイツリーは同じ角度で見えるのだ。



つづく。

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