カテゴリ: 元荒川

行った日:2014.4.5


スキーに行きたかったが、日本海側の雪予報でアッサリ諦めた。


越谷・元荒川の花見にでかけた。



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越谷駅から歩きだして。 左逆川。右の土手の向こうが元荒川。




元荒川を渡って、




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越谷・久伊豆神社。




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元荒川・文教大学付近。




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奥の林は、宮内庁鴨場。



少し食い足りんなぁ~。


綾瀬川に向かった。

埼玉東部の川歩きをしていて、気付いた事がある。綾瀬川、元荒川の岸辺に久伊豆神社があり、中川に香取神社が多くあった。ネットで調べてみたら、正にその通りの事がいくつもヒットした。即ち、

   ①氷川神社は綾瀬川以西に分布。
   ②久伊豆神社は綾瀬川東岸~元荒川西岸に分布。
   ③香取神社は元荒川以西、千葉県、茨城県に分布。
  そして、久伊豆神社分布域と武蔵七党(鎌倉時代の血縁的集団)の野与党の勢力範囲が一致する。
  さらに野与党は久伊豆神社とのかかわりが深いらしい。

なるほどと思った。なぜなら、草加市内では①がピタリと当てはまり、②は綾瀬川東岸で一致するから。


ところが、現在(に限る)の久伊豆神社で相当でかい越谷の久伊豆神社は②に反して元荒川東岸べりにある。ムムムッ。
よく調べると、久伊豆神社の分布は埼玉南部では例外的に中川西岸にも僅かながら存在し、中部地域では、かなりの数が古利根川西岸にも分布している事が判った。
これらの久伊豆神社の例外的分布は、元荒川(荒川)の流路の変遷(自然的、人為的)により元荒川東岸に取り残されたものと納得していたのだが。

なんとなく気になり、越谷へでかけてみた。


越谷に御殿町なる町名がある。徳川家康が江戸城に移った後に狩りを楽しむためにしばしば越谷の地に赴いたらしい。そこに御殿を建て1カ月ほども滞在したした事があるという。


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越谷市御殿町。御殿町は逆川と元荒川に囲まれた中州のような所。背後は逆川。


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明暦江戸大火の修復資材として御殿は取り壊された、とある。


元荒川の少し上流北越谷に宮内庁の鴨場(猟場)がある。家康も鴨猟をしていた可能性大である。
この50m先に古い板碑があるらしい。


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あった、あった!


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古い板碑。

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鎌倉時代のものだ!



江戸時代以前の旧利根川、旧荒川の河道位置特定は困難なんだそうだが、家康の御殿があり鎌倉時代の板碑があるとなると古くから元荒川(荒川)がこの地点を流れていたと推察してもいいような気がする。

すると、久伊豆神社の分布は元荒川西岸に限らなくなると言う事になるのである。困った。


鎌倉時代の板碑から元荒川を挟んで樹間越しに越谷久伊豆神社の参道入り口が見える。



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元荒川・宮前橋から。左天嶽寺。右久伊豆神社。


久伊豆神社と天嶽寺の入り口は並んでいる。間に庚申塚があり、「北 いわつき  南 ~ 」などと書かれている。


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越谷市越谷。長い参道を歩いて、久伊豆神社。



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久伊豆神社。



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久伊豆神社由緒。


ムムッ、なんと越谷久伊豆神社は野与党ではなく、「武蔵七党の私市(きさい)党の崇敬を受ける」とあるではないか!


久伊豆神社に関して、「元荒川西岸に分布」と「野与党との深い関係」の二つが脆くも崩れ去った。
私市党が信仰したのは、玉敷神社。玉敷神社を調べてみると、久伊豆神社の元締めのような感じ。なんだか、良く分からなくなってきた。
私市党と野与党の本拠地は旧騎西町と加須市。騎西町は加須市に吸収されている。


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越谷市越谷。天嶽寺。


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天嶽寺由緒。


天嶽寺は、後北条氏の砦との事であるが、元荒川を背にした位置は初めから背水の陣でとても信じられなかったのであるが。

調べてみると、
  上杉方の岩槻城主太田資正が国府の台の戦いで里見方で参戦。戦いに敗れ帰還の途に着くも、嫡子
  氏資が北条氏康と謀り帰城を拒まれ、岩槻城は乗っ取られた。1564年。
  次いで、関宿城が1574年に陥落。後北条氏は一気に常陸南部、下総、上総に版図を広げた。

天嶽寺が北条の砦となったのは、岩槻城乗っ取り~関宿城陥落の間の出来事かと想像しているが定かではない。
ちなみに、草加市柿木町の東漸寺の文書1571年に「岩附奉行は柿木川戸の年貢未進分を取り立てるように」が残されている。草加市域もこの頃北条の版図に入ったのだろう。石高は、微々たるものだったろうな。



川歩きからはじまった疑問は、なにからなにまで中途半端な答えしか見つかっていない。
山歩き同様、ボチボチ調べ歩いてみよう。

行った日:2012.12.9
コース:JR高崎線鴻巣駅(8:50)~熊谷市佐谷田・荒川の土手(14:40)~JR高崎線熊谷駅(15:10)

金曜日が忘年会、土曜日がお仕事。山は寒そうだ。川歩きに逃げた。

歩きだしは鴻巣駅。免許センターを左折。元荒川に出る。

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鴻巣市安養寺。土手とも言えない、柔らかい土の上を歩く。

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旧川里町屈巣。なんか目つきの悪い犬が現れる。畑に回避。

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行田市野。

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旧吹上町袋。武蔵水路が元荒川を伏せ越え。

三ツ木の堰を通過。JR高崎線が至近となる。

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旧吹上町下忍。ここらより美化された川ベリとなる。

腹が減って食堂を探すも無し。

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旧吹上町本町。水鳥を見ながらベンチで⑦の握り飯1個を食う。食料はこれだけ。

すぐ先でJR高崎線をくぐる。

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旧吹上町榎戸。春の小川の風情。

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榎戸の堰

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旧吹上町北新宿。おおっ荒川の土手だぁ~。

元荒川は荒川土手の東側に沿うように伸びていた。荒川土手に登りたかったが、最後の楽しみとして登らないでおいた。
親分、子分の関係は完全に逆転しておるねぇ~。

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行田市清水町。

JR行田駅が至近となり、食堂を探しに駅に向かった。JR行田駅は意外なほど殺風景で、西口に食堂なし。駅を越えようやくラーメン屋を見つけた。秩父鉄道行田市駅の方がよほど賑やかである。

腹を満たして、元荒川に戻る。

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ついに熊谷市久下に入った。街中ではあるが、清流であった。

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熊谷市佐谷田。ん、どっちが元荒川なのだろう。近くを歩いていたオッカサンに聞いてもハッキリしない。右にヤマをはって歩きだす。

やがて、川ベリを歩けない所が増えてきた。
長福寺らしき寺が後方に見えた。川が車道沿いとなる。どうやらヤマは当たったようだ。
大雷神社に到着。大雷神社は予想に反して、サビレきっていた。もうわずかで荒川と合流するはずである。

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熊谷市佐谷田・久下。ムサシトミヨの生息地。ムサシトミヨは元荒川のこの付近にのみで生息しているとある。

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大雷神社から先、民家が迫り先に進めんワ。

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反対側にはこんな施設があり、元荒川に近づけない。あとチョットなのに!

仕方なく、少し西に迂回して進んだ。すぐに荒川の土手が現れた。


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そして、荒川の土手に登る。なんと広い川幅か!水の流れが見えん。

荒川の水の流れが見えないが、元荒川の取水口もいくら探しても見えん。

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どうやら、ここが元荒川の起点近くのようだ。埼玉県だか、熊谷市だかの研究施設によって元荒川の起点は占拠されているのか?

なんとも締まらない終着点であった。4日間かけて何十kmも歩いたわりには感動の無いフィナーレとなってしまった。

さ~て、次はどこへ行こうかな。

行った日:2012.12.3
コース:JR宇都宮線蓮田駅(8:30)~元荒川べり~R高崎線鴻巣駅(14:00)


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歩きだしは、蓮田市宮前橋。今日の天気は快晴。とても寒い。

桜並木の先に日光連山が見えた。その左の白い山は日光白根山か。さらに左に袈裟丸連山と赤城山。その間にかすかに見える白い峰は尾瀬の山々か、はたまた武尊山か?

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ウ。

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蓮田市はデカイのか。どこまで行っても蓮田市である。

蓮田市の中心地は元荒川と綾瀬川に囲まれている。

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水鳥がたくさんいる。

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蓮田市根金。星川合流点。星川は上流で見沼代用水と交差している。

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蓮田市根金。対岸は白岡市荒井新田。元荒川は西に向かう。遠くの山は、奥武蔵の山々。両神山も望まれる。

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蓮田市高虫。対岸は白岡市柴山。見沼代用水が伏越えで交差する。

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蓮田市高虫。対岸は菖蒲町(もしかしたら久喜市)柴山。野通川合流点。奥が野通川。

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蓮田市高虫。対岸は菖蒲町下栢山。赤堀川合流点。手前が赤堀川。

ここで、ほんの少しだけ赤堀川を辿ると、

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車道右側、桶川市五丁臺、赤堀川。車道左側の森影、桶川市小針領家、綾瀬川源流部。

ここが、元荒川と綾瀬川の最接近部。時代により荒川の川筋は、現在の綾瀬川筋の近辺や元荒川筋に移動していたという。

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桶川市五丁臺。

腹が減った。桶川市五丁臺の県道に出て食い物屋を探す。うどん屋が先の方に見えた。行ってみるとお休み。他に店らしきものは無し。幸い⑦の看板が目につき、スパゲティを購入し温めてもらう。上越新幹線をくぐり、土手上で寒風にさらされながらスパゲッティーを食う。わびしいものである。気がつくと、西の空に黒雲が現れた。

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鴻巣市下谷。野球場やらなんやら立派な施設があった。

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鴻巣市鴻巣の運転免許センターが見えてきた。ここのお世話にはなりたくない所。

運転免許センター手前に国有地なる土地があり、土手歩きができなくなった。

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国有地手前の草叢にあった。


急速に曇りだし昨日の事を思い出した。道も塞がれた。鴻巣駅も近いなぁ。何となく意欲がそがれ、ここで本日の歩き止めとした。

行った日:2012.11.18
コース:東武スカイツリーライン北越谷駅(8:10)~越谷市梅林公園~岩槻城址~JR蓮田駅(13:50)

またしても、咳が止まらなくなった。右足のシビレ、右肩の五十肩の再発等々、今日は山に行くのはやめておこう。紅葉が終わっちゃいそうだが仕方がない。
平地歩きは大丈夫だろうと、元荒川歩きに出かけた。

北越谷駅で降りて、便所に入ろうとすると、清掃中。買うものもは無いのだが、近くのコンビニに入った。

先週は、宮内庁鴨場を裏側から見たが、今回は、

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正面玄関から、宮内庁鴨場を見る。当然の事ながら、この先へは行かれない。

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越谷市大林。宮内庁鴨場のすぐ先に、越谷市梅林公園がある。

梅林公園で、元荒川の土手に上がる。

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そこには、先週の歩き留め、国道④号線元荒川橋がある。


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道道に古い石像などがある。


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越谷市砂原。砂原土手。風が強いのぉ~。

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さいたま市岩槻区末田。金剛寺山門。

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金剛寺山門には、阿吽像があるのだが、ガラス越しでうまく写せない。

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なんだか、巨大建造物が見えてきた。

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さいたま市岩槻区末田、新方須賀の末田須賀堰だった。ここから末田用水路と須賀用水路が取水されているようだ。

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左岸に移り、進む。

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再び、右岸に移動。岩槻文化公園。多くの写真家諸子がいらっしゃった。銀杏臭い道を歩く。

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再び川に戻る。

岩槻区城町付近で、土手藪に阻まれ行ったり来たり。車道に出る。

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岩槻公園到着。ここは岩槻城址でもある。

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岩槻城址。岩槻城は岩槻駅から行くと判らないが、こうして川沿いから訪れると荒川との関わり合いが大きかったじゃぁないかと想像できる。

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岩槻城址が余りに綺麗だったので、想定外の所に出てしまった。

まぁ良い。この辺で昼飯を食わないと食いっぱぐれる。
道路に出て、岩槻区本丸の食堂大平屋でチャーハンと餃子を食った。店内には上高地の写真が多く飾られていた。

岩槻区宮町付近で道に迷う。以前訪れた久伊豆神社の森を見て、現在位置を知る。兎に角、この川筋には久伊豆神社が多い。


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カラスの大群。

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岩槻区掛。

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岩槻区平林寺。

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蓮田市川島。ここも久伊豆神社。関係者の方々が忙しそうにしていた。

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今日の歩き留め。蓮田市東。宮前橋。

蓮田の駅は近かった。

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