カテゴリ: 山の怖い話

アブの大群に襲われた事がある。
平成12年(2000年)のお盆休みに飯豊連峰を縦走した最終日であった。


2000.8.11早朝、祓川無人小屋を出発。瘤岩山の急登に喘ぎ、さらに雨が降り出し切合小屋付近でテント泊。翌日もガスの中飯豊本山を越え御西小屋付近にテントを張り、大日岳を往復。

御西付近でようやくガスが切れ大日岳が見えた。
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翌朝、御西小屋より北上。梅花皮岳付近からガスがたなびき始め、彩雲が現れる。
彩雲は移動し、ブロッケンの妖怪となる。彩雲がブロッケンに変化したのを見たのはこの時だけ。
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あらまし、ブロッケンは悪天候の予兆。門内岳付近から猛烈な風雨となった。雨風がひどいので、この日は頼母木小屋泊とした。やがて女子大ワンゲル部が転がり込んできて賑やかな夜となった。女子大生が天気図を描いていたので、わざとらしく明日の天気を聞いたりした。明日は晴天との事。


翌朝。最終日。頼母木小屋付近から杁差岳を望む。女子大生の予報通り、今回の縦走中一番の好天となった。
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非常に暑い一日となった。杁差岳からは西股川の道が崩落との情報で、千本峰経由で下山した。ジリジリとした暑さで、水を飲み過ぎた。千本峰付近で水が無くなってしまった。軽装のオッサンが、軽快に下っていった。喉の渇きに苦しみながらようやく東股林道に辿り着いた。が、脇を流れる沢になかなか近付けない。草叢を掻き分け沢水にありついた。ガブ飲みだ。その時、首筋にチクンと痛みが走った。首筋を叩くと胴長、トラ縞のアブだっだ。
東股林道に戻る。すると、アブの大群に襲われた。尋常な数ではない。首筋、腕とは言わず、Tシャツの上からもカジリ付いてきやがる。かなり痛い。アブを叩き潰しながら、走って逃げた。しかし、長くは走れない。荷物は重いし、体力はほぼ使いきっていたし。また、アブに襲われる。走って逃げる。でも、もう限界だ。バンテリンを顔、首、腕、腹に塗ったくってみた。ムムッ、アブが去った。効果あり。しかし、5分もするとまたアブがカジリ付いてきやがった。また、バンテリンを塗る。5分程効果あり。またカジリ付かれてバンテリン。しつこいアブ達であった。大石ダムのバス停まで、2時間かかる。バンテリンはついに尽きた。タオルをブン廻しつつ潰しつつ歩く。最早、走れない。激痛に耐えながら歩くしかあるまい。
と、前方から車がやってきた。俺はタオルを頭上で廻しながら、「助けてくれぇ~」と叫んだ。車は俺の前で止まって、ウインドゥを開けて「どうしました?」「アブの大群に襲われまして・・・」と。するとクダンの運転手が「痛ぇ!」
運転手さん、状況を飲み込めたようで。「乗って、乗って!早く、早く!」と。俺は後部座席に転がり込んだ。すでにアブは車内に大量に入り込んでいた。俺は車内でタオルをブン廻し続けた。運転手さん、「痛ぇ~!」と叫びながら車をUターンさせ、急発進。窓を全開にしてようやくアブを全て追いだした。潰れたアブが窓にヘバリ付いていた。
顛末を説明、車を汚してしまった事をわび、助けてもらった事にお礼をした。しかもJR越後下関駅まで乗せていただいた。

川筋にアブが大量発生するとのウワサは聞いたことがあったが、これほどしつこく怖いものとは知らなかった。二度と出会いたくないものだ。

今日は、久しぶりに新宿へ行った。都庁が移転した頃から一度も新宿なんて行った事が無かったので、その変容ぶりに驚いた。お仕事は早くに終わり、直帰。

時間があるので、雪崩の体験を綴ってみよう。


春先など、谷筋を歩いていると、デブリなどを見て、オオッ~と思う事がある。岩溝なんかから、ザザッと音をたてて流れ下る雪に驚く事もある。

おいらが、雪崩を体験したのは2度ほど。いずれもスキー登山で、自らが雪崩の引き金を引いてしまったのだ。それも、典型的なやつだった。ただ、幸い埋まった事は無い。


一度目の体験は、2001年2月、岡山県の花知ヶ仙に向かう途中だった。三子原川から妹山鞍部に達し、花知ヶ仙への尾根に乗った。途中、尾根上が密藪となりスキー操作がままならず、山腹に回避した。ベタ白の伐採跡をスキーで横断中に、足下から雪が盛り上がり一気に崩れて行った。幅5m、距離50m位いの小規模なものだったが、震え上がった。雪崩は真冬であったにもかかわらず、全層で、その痕は見事に青い根曲がり竹の原が出現した。スキーを脱いで、一目散に尾根に上がった。そして、藪尾根を掻き分け、敗走した。

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花知ヶ仙へ向かう。この先で、雪崩た。


2度目の体験は、約10年後の2010年4月、宝川上流の布引山の帰りだった。宝川から布引山に登り、雨ヶ立山の鞍部から菊石沢上部を快適に滑り、雨ヶ立山の尾根に乗ろうとしていた。朝硬かった雪は気温の上昇で急激に緩んでいたのが判った。尾根の腹を斜滑降気味に進むも、滑りが悪くどんどん高度を落としてしまった。その間、モサモサしていた雪が大量に谷に流れ落ちていった。雨ヶ立山の尾根には復帰できず、急な尾根の末端に出てしまった。

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布引山近くより。

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山腹の斜滑降で、すでに大量の雪が谷に落ちて行った。


ふと見ると、広い谷の向こうに予定の尾根が見えた。無木立斜面で200m位のトラバースで行けそうだ。斜度は30°位だろうか。トラバースせずとも、支尾根を少し登り返せば辿りつける事は確実であった。

おいらは、楽な道を選んだ。そして、谷に入って直ぐに。
足元から泡が立つように雪面が膨れだした。そしてみるみる泡立ちが下へ、横へ広がり、谷全体が膨れた。そして、全体が一体となり流れ出した。流れは下の方で収斂し、谷に沿って右へカーブして行った。
おいらは、ただ唖然として見ていた。気がつくと足がワナワナと震えていた。足元を見ると、足元からナイフで切れ込みを入れたような段差が出来ていた。我に帰り、ソ~オっと後づさりし、谷から脱出した。
大変な事になったと思い、「誰かいるかぁ~」と大声で叫んだ。なんの返事も無かった。いいのか悪いのか判らない。気が動転しブナの茂る急な尾根を逃げるように下った。

雪崩の規模は幅約100m(いや、そんなにあるはずはない、その1/3程度か。兎に角気が動転していたので。)、距離は止った位置が確認できなかったが300m超だと思う。まさか、こんなに広がるなんて。帰ってから数日間うなされた。


2回の雪崩とも、スキーで山腹を横断中にスキーのシュプールがきっかけで発生したものである。山スキーヤーがヤラれる典型的な事例である。そのような例は充分承知していたにもかかわらず、やってしまった。

2011.10.16

紅葉を楽しもうと4時に家を出たが、激しい雨だった。即、帰宅。今は、雨降りの日には山に行かないのだ。
秋は短い。困った。


これまで、何度か秋の山で雪に降られて難儀したことがある。

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谷川岳 11月25日 雪が深く、この時はコースを天神尾根に変えた。ジェットコースターのようなラッセル跡が踏み固められ、苦労する事無く山頂へ達した。アイゼン・ストック携行。楽しい事もある。


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八方尾根 10月10日頃 2日間悪天候で八方池山荘に沈殿。3日目に快晴。三段染めが美しかったのだが、余りの雪の深さに、丸山ケルンで撤退。冬装備なしで出かけていた。


山小屋で朝起きてビックリというケースが多い。

11月、那須の坊主沼避難小屋で朝起きたら雪が積もっていた。雪山装備なし。甲子山の下まで雪が続いた。急斜面の下りが怖かった。

11月、会津田代山の太子堂で朝起きたら雪が積もっていた。山上湿原は完全に雪原と化していた。木道が全く見えず、雪まみれで下山口を捜しまくった。冬山装備なし。

9月末、一の越山荘で朝起きたら小雨。雄山の登りの途中より激しい雪となった。強風を伴い、顔面を雪礫に叩かれ、雄山神社に転がり込んだ。


十勝岳の時が一番ひどかったかもしれない。
工場立ち上げの応援で、室蘭に半年ほどいた事がある。北海道の山を楽しめると内心ホクソ笑んでいたが、忙し過ぎてそれどころではなかった。ようやく休日が取れて、9月末日十勝岳凌雲閣に泊まった。風呂に入り、山の上部を見ると雪が見える。紅葉もいい具合だった。呑気なものだった。夕方より小雪がちらついていた。

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十勝岳温泉付近。朝。富良野岳を見る。

朝起きると、雪は凌雲閣にも積もっていた。ジーパンに軽登山靴で来ていたが、行ける所まで行こうと出発。小雪は、やがて吹雪に変わった。なおも上に向かって歩いた。お一人下山してきた。その方の話では、上はとても歩ける状態ではないと言っていた。

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おバカなおいらは、冬装備無しでさらに登った。

雪は益々激しくなった。気が付けば、膝下の雪だったのが股まで達していた。視界が無いワイ。顔面が耐えがたくカミホロカメットク山手前で、ようやく撤退を決意した。遅すぎるワ。
視界が極端に悪く、自分の踏み跡もどんどん埋まっていく感じ。ようやく、アセリを感じた。アセリを感じるのが遅すぎた。下り始めたが、自分の踏み跡など全く消えてしまった。やがて樹木の切れ目が現れ、ホットした。下るに従い道型が現れた。安心すると足が異常に冷たい事に気が付いた。凌雲閣で冷えた体を温めて、車に乗り込んだ。
そして、深夜、吹雪の日勝峠を越えた。こちらも怖かった。まさか、9月にこれ程の雪に出くわすとは思わなかった。


さて、窓の外を覗くと、青空が覗いているじゃぁないの!さっきまでの雨はなんだったのよ。
やっちまったかな。

山で人に迷惑をかけたくない。

一度だけ、山で人に助けてもらった事がある。この話、前置きが長い。


1996年夏、お盆休みに有給休暇をくっつけて、11日間北海道を徘徊した。

寝台列車で北海道に行き、初日はニセコアンヌプリに登った。翌日は羊蹄山に登り、移動し新装の十勝岳温泉に泊まった。以前大雪にでくわし敗走していた十勝岳は霧の中ではあったが三段山経由でアッサリ登れた。

十勝岳山頂から下りはじめてすぐに、登ってきた品のいいオッサンに声をかけられた。何処へ下るのか?
明日の予定は?その後の予定は?など、次から次へと質問攻めにあった。
上ホロカメットク山の避難小屋で昼飯を食っていると、クダンのオツサンがやってきた。オツサンはなおも質問してきた。おいらは、旅行の詳細な予定を話すはめになった。。おいらの今後の予定は、明日芦別岳方面へ移動、その後クラブの事務局長殿と斜里駅で合流、斜里岳、羅臼岳に登る事になっていた。オツサンの予定は芦別岳ではなく、阿寒岳であった。後は一緒。オッサンは車移動との事。オッサンから阿寒岳に行かないかと誘われた。初対面ではあるが、今後のバス、列車の乗り継ぎは頭の痛いところであったし、車移動の気楽さを考え合わせ、オッサンと同行する事にした。白金温泉で汗を流し、阿寒岳に向かった。
長距離運転は全てオッサンまかせ。大名旅行に変わった。オッサンは某有名ゼネコンの社員だった。今回の予定の山からして百名山狙いは容易に推察できた。なぜ、おいらに白羽の矢が当たったのか?聞きたいところだったが、やめておいた。ただ、温厚なオッサンであった。
翌日は、霧の雌阿寒岳にアッサリ登り、オンネトウの湯につかった。湖畔のキャンプ場にテントを張った。夕暮れのキャンプ場では、トボラー(徒歩旅行者)・登山者・チャリダー(自転車旅行者)・ライダーが三々五々集まり、静かな時を過ごしていた。なぜかおいらたちのテントに若者が集まり、何かを語り合った。語った内容は全く覚えていない。

摩周湖などを見ながらのドライブ。そして清里町駅到着。クラブの事務局長殿と美人隊員を迎えた。車付きの出迎えに事務局長殿は大いに喜んだ。途中、炎天下の車道を歩くジイサンを拾う。今夜の宿、清岳荘には昼前に着いた。昼飯を食い終わっても、やる事が無い。ここから山頂まで2時間30分。誰からとも無く、今日斜里岳に登っちゃおうと云うことになった。
天気は快晴。出発は13時頃だったと思う。山腹の登山道は沢に降り、沢沿いに登る。小滝が連続する。一般コースではあるが、北海道らしくワイルドな道であった。ワイルドさに男連中は嬉々として喜んでいたが、美人女性隊員には歩きにくいだけの道だったようだ。女性隊員がやや遅れ始め、事務局長殿が付き添う形になる。オツサンとおいらは、馬の背で大分待った。

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予想よりも遅れて、斜里岳に到着。16時に近かった。眺めはよかった。気持ちの良い山頂であった。長居はできないので、すぐに下山。下山は尾根コースとした。ずんずん下る。女性隊員と事務局長殿との距離が離れる。振り返りつつ下った。いつしか二人の姿は見えなくなった。やがて尾根を離れ、沢に下る。
沢に着いて一服する。オッサンと長話となった。時計を見ると18時。まだ、明るいが、オッサンには先に下ってくれと懇願する。渋るオツサンに、事務局長殿は山の大ベテラン、万一の事はあるまいと言い含め、下っていただいた。
18:30頃まで、待った。登り直すかと、歩きかけたところで二人が下ってきた。特にトラブルがあった様子は無い。ただ、疲れたのだろう。一休み後、沢に足を入れジャブジャブと下りはじめた。大分薄暗くなってきた。沢身から登山道へ復帰しなければなせない。右側を見ながらの歩きとなった。沢の石に赤いペンキが塗られていた。右に道は無い。まだ下か。とうとうヘッデンを灯す事になる。不思議とアセリはなかった。辺りは真っ暗になってしまった。こんなに沢を下るはずは無い。おいらは事務局長殿に休憩を懇願し、許された。タバコを吹かせ気を落ち着かせた。時間は20時頃だった。おのおの岩に腰を掛け休んだ。皆に動揺はなかった。天気も良さそうだし気温も低くない。最悪、ビバークしても大事には至らないだろうとの安心感があった。
上流に戻り、偵察でもしてこようかと思ったとき、右岸の山腹にライトの小さな光が見えたような気がした。光は上流側に移動していた。しばらくして、「オーイ、オーイ」と人の声が小さく聞こえた。3人で上流に向かった。
やがて光が見え、こちらも「オーイ」と声をあげた。オッサンが心配して迎えに来てくれたのだった。これで、助かった。途中で見た赤いペンキの石のさらに上流に登山道はあったのだ。オッサンに礼を述べ、清岳荘に向かった。

翌日、オッサンは羅臼岳に登ると言う。我々は本日の一件で意気消沈、羅臼岳登山は延期した。ならばと、オッサンは宇土呂から羅臼岳を横断し羅臼に下りたいので、車を回してくれないかとの要望。ココロヨク引く受けさせて頂いた。

翌日、宇土呂に車を廻しオッサンを見送った我々は、しぶとくもカムイワッカ湯の滝に行き滝壷の湯につかった。午後、羅臼側登山口に車を廻し、オッサンを出迎えた。その夜は、羅臼の町に繰り出し、トド肉、熊肉、鹿肉で、オッサンへの礼を尽くした。

一夜明け、オツサンと握手し、長い道連れの旅に終止符を打った。そして、おいらと、事務局長殿は羅臼岳に向かった。そして、またしてもひどい目にあってしまったのだ・・・。

どうやら、道迷いの常習者のようだ。
これまでの道迷いを振り返ってみると、いくつかの共通点があるように思える。

①下りで道を失う。
②枝尾根に入り込む。
③里山などで、地図に無い道や林道に出くわし、何がなんだかわからなくなる。
④その山をナメていた。
  ・25000図を持って行かなかった。
  ・地図を良く見ず歩いてしまった。

本格的に道に迷ったのは2回。
今回は、その内の「迷い狂った」時の事を記録しておこう。


山の名前は、天柱山。岡山県総社市にある標高330mの山である。付近に「豪渓」というチョッとした景勝地があるが、あくまでチョットした規模である。

2001.12.22。11時に「平成8年度版 岡山の山 百選」だけ携えて豪渓を出発した。山頂まで、僅か40分の山とはいえ、出発時間からして「山をなめきっていた」事がうかがわれる。

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豪渓付近。

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急坂を登ると、すぐに休憩舎に着いた。

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なかなかの眺めであった。

この後、太い鎖にしがみ付き登り、傾斜が緩むと奥の院。ユルク下り、少し登り返すと展望の無い天柱山に着いた。1時間足らずの歩きであった。
「岡山の山 百選」では、豪渓寺へ下るコースがガイドされていたが、下り25分。あまりにも短い。サブコースとして僅かに記述のある豪渓北端への道を行く事にした。

道は藪に覆われはっきりしないが青いテープがぶら下がっており、これを追う。「岡山の山 百選」によれば、次のピークで北進し下る事になっているが、それらしい道は見つからない。ピークには空き缶、酒瓶などが散乱していた。西方向に青いテープを見つけかすかな踏み跡を辿る。北進するはずだが、その様子は無い。1/25000図を持っていなかったので、踏み跡を辿るしかない。
やがて、肝心な踏み跡を見失ってしまった。起伏の少ない雑木林の中だ。少々アセッタ。が、近くに有刺鉄線を見つけ再びかすかな踏み跡に戻る。これを辿る。すでにどこにいるのか全くわからない。
やがて、車の音が聞こえてきた。車の音は聞こえるが、なかなか車道に出ない。ようやく林道状の道に出る。目の前には岡山自動車があった。すでにガイド本の概念図の範囲から大きく逸脱している事がはっきりした。土地勘が全く無く、ここが何処だか全く判らないのだが、林道に出た事から取り敢えずはホットした。
高速道路沿いの林道を北上すれば、豪渓上流の県道に出られると考え、北進する。しばらく歩くと断崖に出てしまい、林道はここで途絶えていた。脇の高速道路の桁下は100m近くもあるように感じる。とても下れないと思った。
思案の結果、天柱山に戻る事を決断した。林道を戻り、薄い踏み跡、有刺鉄線、と辿るもその先でルートを失う。アガキ、歩きまわってしまった。

「迷い狂った」。

傾斜の無い森でロクな地図も無しに天柱山に戻る事は不可能であると悟った。再び高速道路を捜しに戻ろうとした。磁石だけがたより。北西へ進むしか無い。
心なしか薄暗くなった頃、車の音が聞こえ高速道路脇の林道にようやく復帰。再び断崖の所に行ってみた。
最早ここを下るしかない。あたりをうろつき、下れそうな所を捜しまわった。すると薄い踏み跡のようなものを発見。断崖を大きく迂回して繋がっているように見える。草を掴みながら踏み跡(のようなもの)を辿る。冷や汗が吹き出した。そしてついに下りきった。助かった。
見上げると高々と高速道路の桁が聳えていた。目の前に舗装道路があった。脇の川が豪渓に繋がる川だろう。下流側に歩いた。県道の標識。賀陽町の標識を見る。
川沿いに花崗岩の露出が見えてきた。16:30に豪渓に帰着。12月の渓谷の底。すっかり薄暗くなっていた。

結局、ガイド本で2時間足らずのコースに5時間30分も費やしていた。アセリのせいか、殆ど休み無しで歩き続けていた。これまでの道迷いで最悪の迷い方であった。
標高330m。里山恐るべし、を肝に銘じた。

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