カテゴリ: 過去の記録

今年の一月、いつものように晩飯前に500mlのピールを飲み始めて。半分も空かないうちに飲めなくなった。以来、酒は全く飲めないし、それ以前にメシが食えないのである。病院に行って血液検査をしたり、胃カメラを飲んだり、全身のCTを撮ったりしたが、異常は無いとの事。だが、この半年、メシは食えないし体重は減ってしまった。体重が減って免疫力が低下したのか、始終風邪気味である。

てな訳で、山には半年以上は行っていない。コロナもあるし、体調不良が無くても山には行っていないのかもしれないが、やはり山の事は気になる。他人様のブログ記事を覗いては、ため息をつくのである。

確か、串田孫一が「忘れえぬ山」という本を出版していたと思うが、俺にも忘れられない山の思い出がある。さしたる思い出でもないかもしれないが。そして、古い思い出話をするようになっては、人生も終りに近いのだろうか。




①燕岳で昼寝
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20代前半、テント泊で燕岳から槍ヶ岳へ縦走した。若い頃から山でゴロリと寝転がるのが好きだった。暖かい白砂の上で寝るのはとても気持ちが良かった。




②黒部源流の山々
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20代の夏は、黒部源流の山々にしばしば出かけた。特に三俣蓮華岳付近からの槍ヶ岳の眺めが好きだった。


DSC04375雲の平
雲の平にテントを張って。夜遅くまでテントから首を出して月灯りで水晶岳を見ていた。もちろんクワエタバコを吹かしながら。


DSC04370烏帽子岳付近
烏帽子岳付近にて。



③人のお世話になった山。金峯山。
DSC04376金ぷ山
なんか、カッコつけてるねぇ~。
「新宿23:55発普通長野行き」は大混雑だった。通路に座り込んで、あちこちで宴会が始まった。その中でひときわ騒がしいオッサンGがいた。
翌日、登山口の梓山の山中百貨店(ヨロズヤ)で食糧を買い込んで店を出ると、オッサンから声をかけられた。あらら、、、昨晩列車の中で騒いでいたオッサンじゃぁないの。オッサンはどうやら金峯山小屋の関係者らしく、「開山祭があるのでトラックが出る。乗って行くか」とのお言葉。「ハイハイ」と返事をし、林道終点までトラックに乗せて頂いた。成り行き上、金峯山小屋に泊まり、開山祭に参加。呑めヤ、食えヤのどんちゃん騒ぎ。翌日は二日酔いで計画変更。最短の増富温泉に下った。
ここで、昨晩一緒に騒いだ御兄さんとお姉さんに遭遇。貧乏学生の自分たちに昼飯を食わせてくれた。国鉄では普通で帰るという我々に急行券を買って頂いた上、列車内ではまたしてもピールでどんちゃん騒ぎとあいなった。



④敷居の高かった南アルプス
④-1鳳凰三山
DSC04371鳳凰三山
初めての南アルプスは、鳳凰三山だった。素人の俺と山岳部の副主将との山行だった。この時も大混雑の23:55の夜行で行った。午前3時頃、窓から列車を降り、バスで夜叉神峠に向かった。夜叉神峠から鳳凰小屋まで遠かったなぁ~。そして、副主将の歩く速度の早い事。バテました。初のツェルト山行。ここで、南アルプスとはバテる山であると知った。副主将からは、「越後三山はもっとキツイ」と教わった。


④-2南アルプス縦走
DSC04380赤石岳百閒平
南アルプス南部(塩見岳~光岳)を8泊で縦走。赤石岳の南の百閒平が美しかった。光岳から戻って、易老渡に下山。バス停まで一日歩きを覚悟していたが、易老渡にて見知らぬ人に車に乗せて頂き、飯田駅に。上河内岳付近から完全にバテて、後半はかなり辛かった。



④-3甲斐駒ケ岳
DSC04397摩利支天
甲斐駒魔利支天にて。楽しい山行も希にある。



⑤池のある風景
⑥-1トムラウシ山のヒサゴ沼
DSC04395ヒサゴ沼
大雪山から縦走し、ヒサゴ沼避難小屋に泊まった。登山者同士の会話もそろそろオヒラキという頃合いに、小屋の扉が開いて外人さんが入ってきた。誰かが、「何処から」と聞くと、「美瑛富士から」と。小屋にどよめきが・・・。外人さんですごいなぁ~、とつくづく感じいった次第。


⑥-2妙高・火打。高谷池
DSC04396高谷池
俺が訪れた時には高谷池畔がキャンプ指定地だった。なんと美しい所だろうと思ったと同時に、環境破壊が心配だと思った。



⑥紅葉
⑥-1裏剣
DSC04368仙人池
裏剣仙人池畔。35歳の時、リフレッシュ休暇の制度を利用し、訪れた。雨の中仙人池ヒュッテに着くと先代の奥さんが陽気に迎えてくれた。腹が減っただろうと昼飯を御馳走して頂いた。寒かろうと風呂に入るように勧められた。夜にはI沢翁から立山・剣のスキールートのレクチャーを受けた。
翌朝は乳白色で全く景色無し。が、突然ガスが切れ出し、あっという間に晴れあがった。御健在だった志鷹新正氏も小屋から出てきてシャッターを切っていた。


DSC04382裏剣仙人小屋
紅葉にまみれた仙人池ヒュッテ。
この後、一気に欅平を目指して下った。まだ雲霧新道は無かった。だが関電歩道大太鼓手前で猿の群れに道を塞がれた。足元は絶壁だ。猿を追い払うどころか、こちらが威嚇される。結局欅平の最終トロッコの汽笛を鉄塔台地で聞いてしまった。猿飛山荘に宿泊をお願いしたが、「本日貸し切り客あり」との事で宿泊を断られた。駅で寝ようかと、トボトボと歩いていると、後ろから少年が追いかけてきて「泊まれるようにしました」との有難いお言葉を頂いた。


⑥-2雨飾山
DSC04377雨飾山布団菱
雨飾山布団菱。
この写真には、チョットがっかりしている。古い写真をデジカメで写したもの。もっと赤かったのに、残念。



⑥-3四阿山
DSC04378四阿山
四阿山の的岩。
初めて行った時、見事に紅葉していた。その記憶があって数十年後に再び訪れたのだが、この写真のアングルの位置に立つ事はかなわなかった。ルートが変わってしまったようだ。



⑥-4二ツ岳(四国。法皇山脈)
DSC04384二つ岳鯛の頭付近
二ツ岳鯛の頭付近。
この写真も色褪せてしまった。もっと赤かった。



⑥-5三国山北嶺(鳥取県)
DSC04385三国山林道
三国山林道にて。
岡山鳥取県境に恩原三国山がある。そこから僅かに北に尾根を辿ると三国山北嶺がある。
恩原三国山は根曲がり竹に埋没しており、俺は無雪期には登れなかった。所が、鳥取県側に聳える三国山北嶺は、岡山県側から伸びる三国山林道を利用し登る事ができた。そこには素晴らしい紅葉の森が広がっていた。


DSC04386三国山林道
三国山林道にて。


⑥-4会津駒ヶ岳
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会津駒ヶ岳の下部には、カエデ帯があり、当たると真っ赤な紅葉に出会える。


⑥-5乗鞍岳
DSC04391乗鞍岳
乗鞍岳位ヶ原付近。
一時、10月の第一週は、乗鞍岳に通った。間違えなく毎年見事に紅葉するから。さて、温暖化が著しい近頃はどうなのだろう。


⑦モルゲンロート
⑦-1白馬三山
DSC04366八方尾根
八方尾根から白馬三山。
悪天候で2日間八方池山荘に沈殿した。3日目の朝。三段染めの後立山連峰と朝日に輝く白馬三山が美しかった。



⑦-2明神岳?
DSC04394徳沢
徳沢にて。
焼岳から下って、徳沢にテントを張った。朝の一瞬の出来事だった。



⑧深酒の小屋
DSC04372青年小屋
編笠山の青年小屋にて。
40年位前の写真。源治ハシゴの源治さんが御健在だった。何故か酒がただで振る舞われていた。現在、青年小屋は「居酒屋小屋」になっているようだが、当時からその雰囲気があったようだ。小屋にギターがあり、何かを歌った。翌日は二日酔いで、小淵沢まで長かったこと。



⑨スキー登山
⑨-1八甲田山
DSC04390高田大岳
高田大岳。
八甲田山は、俺のスキーの原点。GWに数年に渡って訪れた。


⑨-2燧ケ岳
DSC04392尾瀬沼
3月。朝6時に尾瀬戸倉から燧ケ岳に向かった。6人で交代ラッセル。ようやく尾瀬沼に到着。継続して燧ケ岳に向かう。


DSC04393戸倉~燧ケ岳
日没直前に燧ケ岳から尾瀬沼に下山。当時、越冬者がいた長蔵小屋に宿泊。仲間の一人は夜を徹して戸倉に戻った。
燧ケ岳は、俺がスキー登山で最も多くお世話になった山である。



⑨-3恩原三国山
DSC04389恩原三国山
恩原三国山山頂。
岡山県北部から鳥取県境は背丈を越える根曲がり竹が密生し、容易に登れない山が多くある。特に恩原三国山の笹の密生は尋常ではなかった。無雪期に一度トライして諦め、雪が降るのを待った。少なくとも俺が恩原三国山に向かった頃(2000年以前)には、ネット情報は皆無だったので地図をよくよく見て、コース設定した。写真でもおわかりのように大した山ではないが、山頂に達した時の喜びはひとしおだった。



さてネタも尽きた。このへんで終わりにしよう。




雨が降っておる。
明日の天気は、どうなんだろう。
なぜか、四国の山の事を思い出した。


四国には、実にいい山がたくさんあった。
深田久弥氏の「日本百名山」は山好きの人ならば読んだ方が多いと思う。その「後記」に百名山選定の苦悩がしるされている。北海道、東北、関東、上信越・・・と地域ごとにその選定の経緯が述べられている。ところが、四国の山に関しては、「石鎚山と剣山の二座は異議のないところと思う。」と、わずか半行の記述で終わっている。
おいらとしては、大いに異議あり!である。まぁ、選定当時と現在とでは諸般の事情が異なるので一概には言えないが。

現在感覚での、おいらの思いである。





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イザり峠からの三嶺(みうね・さんれい)。奥に剣山と次郎ギュウ。

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三嶺山頂。

一押しは、三嶺である。名頃から登るよりも、高知県側の久保影(影)からカンカケ谷経由が楽しい。稜線に出るすぐ直前にオカメ岩避難小屋があり、脇に水が湧いている。近くのイザり峠、天狗塚も美しい草原が広がっているので立ち寄るとよい。西熊山を経て三嶺までの尾根道は実に気持ちがよい。





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西赤石山。

愛媛県の法皇山脈にはいい山が目白押しである。
中央構造線のすぐ南側にあるためか、瀬戸内海から一気に1400~1700mの標高差が立ちあがっている。稜線を西に向かえば、石鎚山系につながる。

西赤石山は、アケボノツツジの名所。春は下からでもピンク色の山嶺が確認できる。山の北側、南側の山中には別子銅山の遺跡が多く残っている。足尾のような公害の痕跡は判らなかった。

東赤石山は岩がちな山。こちらもよい山であった。

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二つ岳よりエビラ山の稜線。

法皇山脈の二つ岳とエビラ山は岩稜の山。瀬戸内側から二つ岳に登った。鯛の頭付近は素晴らしい紅葉だった。エビラ山に向かったが、難路に阻まれ引き返した。



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伊予富士付近より寒風山、笹ヶ峰方面を遠望。

法皇山脈を西に進むと、平家平から笹ヶ峰にかけてすばらしい笹原の尾根が広がる。さらに西に行くと、寒風山、伊予富士、瓶が森が連なる。







さらに、さらに西に行くと石鎚山である。






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石鎚山系二の森より堂が森を振り返る。

石鎚山は、確かにいい山だった。特に保井野からのルートがすばらしかった。
保井野~堂が森~二の森~石鎚山で、累積標高差は2000mを越えるかもしれない。多分、現在の体力では日帰りできないと思う。

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二の森からの石鎚山。





とにかく、四国にはいい山が多かった。深田氏には、もう少し選定に迷って欲しかったなぁ。特に三嶺、赤石山、笹ヶ峰は何度も行ってしまった山である。
そして、今、多少の後悔があるとすれば、石立山の存在に気が付かなかった事である。多分、もう行く機会はないだろう。

今日は、朝から曇天。
昔の山の写真などを見ていた。


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立山 テント場に向かう。

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立山 時には大雪で足止めを食らうときもある。雪下ろしを終えた後は、トランプに興じる。

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立山 翌日は別山乗越しへ。剣岳が美しく迎えてくれる。


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立山 御山谷を下る。これまでのスキーで最も至福の滑りだった。

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立山 真砂谷を下る。

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立山 真砂沢・剣沢出会いにて。極楽の滑りも、剣沢出会より1000mの上り返しで別山乗越しへ戻る。


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八甲田 箒場岱コースを滑る。おいらの山スキーの原点。

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八甲田 南八甲田横岳付近より北八甲田を望む。八甲田横岳はすばらしいブナの林間滑降が楽しめた。沖上岱の集落より登った。

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八甲田 北八甲田より櫛が峰を望む。櫛が峰へは睡蓮沼の他、横岳からも行ける。横岳からのコースには人はいない。


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岩木山 弥生コース。大黒沢の源頭部はこれまで見た斜面の中で最も大きかった。仲間の一人は日本一大きな斜滑降・キックターンで降りてきた。

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岩木山 山麓の桜林公園は絶好のキャンプ地。桜と岩木山が美しい。ここをベースに長平コースなどにも出かけた。

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鳥海山 鳥海山の山頂付近はガリガリの急斜面。次いでモナカ、ザラメ、ドグサレと雪質がめまぐるしく変わった。大満足で下山後祓川ヒュッテ付近より山頂を振り返る。

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裏岩手連峰 三石山付近より岩手山を望む。この年は雪が少なく、下部で藪に苦しんだ。
小粒な滑りだったが、天気に恵まれ、八幡平周辺を徘徊した。

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秋田駒ケ岳 道に迷い夕方近くにようやく女目岳に到着。バテバテで帰還とあいなった。

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森吉山 山頂近くの小屋をでるとガスっていた。登りシュプールが消えないうちにあわてて下山。

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会津駒ケ岳 通称アイコ。仲間に置いていかれる。帰りも重い雪に悩まされる。いつも人を悩ませる。でも美しいのだ。


そろそろ写真の容量が一杯のようなのでこの辺で終わりにします。

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