山行日:2020.1.20
コース:秩父鉄道皆野駅=皆野町営バス=いろは橋折り返し所バス停(8:40)~西南集落付近取り付き~登山道合流(10:05)~車道脇(10:15)~(10:20)横隈山(10:30)~車道脇~沢戸分岐(10:40)~林道・民家・沢戸集落(11:00)~県道13号~杉ノ峠(11:25)~JA神泉支店前バス停(12:05)=バス=JR本庄駅
先週、城峯山に行った。地図を見ていると、イヤでも横隈山が目に飛び込んでくる。横隈山もまた、車道に取り囲まれた山だった。車道歩きを回避しようと、西南集落付近から西へ伸びる尾根を伝わってみようと思った。帰路は2.5万図にある小道記号を使って沢戸集落に下ろう。
この計画、歩いてみて、かなりショボイものであった。まぁ、登り尾根が城峯山と比べて杉林が少なく落葉した森が広がっていたので、その点は良かった。
今日も皆野から皆野町営バスに乗った。先週は「日野沢線」に乗ったのだが、今日は「金沢線」に乗った。バスの運転手は先週の人と同じだった。高校生が途中下車すると、やっぱり先週同様乗客は俺一人になった。「いろは橋折り返し所バス停」で下車。
県道を北上すると「いろは橋」があった。ガイド本ではここを左折するコースが紹介されていた。俺は、もう少し北の2.5万図にある「西南」集落からの小道を捜した。みつからん。戻る。
戻って、この道だろうと民家の間を西進。すると僅かで最奥民家でドンズマリとなった。民家の庭先を覗きこむも、やはり先に道らしきものは無し。戻ろうとすると、折悪くか、はたまた折良くか、当屋敷にお住まいであろうお爺さんが下から登ってきた。ムムムッ・・・、まずい、思いつつ、務めて朗らかに、「あの尾根に登りたいのですがねぇ」と声をかけた。爺さん、「横隈山なら・・・、こう行って、あぁ行って・・・」と親切に御教示下さった。しかし、それはガイド本のコースなので・・・。俺は「えぇ~まぁ~、横隈山なのですが、あの尾根に・・・」と言うと、「冒険かね、あそこの赤い屋根の家の前に電柱があるだろ、あそこから行けるけど荒れちゃっているよ」「ありがとうございます。この畑の脇通ってもいいですか」「いいけど、溝があるから気おつけてな」
と言う訳で、お爺さんの言う電柱目指して畑を進む。溝を飛び越えて、振り向くと、お爺さんはまだこちらを見ていた。電柱に辿り着くと、お爺さんは家に入っていった。
確かに小道があった。
小道を辿ると、いくつもの墓地があった。
2.5万図に小道のドンヅキに「建物記号」があったので、「ポツンと一軒屋」でもあるのかなと思っていたが、
実際には小さな社があった。

この社の先にも小道は続いていたが、分岐あり。右を選択し、隣の沢型に移動。小道が失せ、左に移動。小道復活。赤い杭を見つける。

竹林となり、明瞭な道型が続く。

石垣。

その上に平坦面。

赤い杭と道型を見失う。磁石で北に進むも、主尾根に着かんのぉ~。
400m付近で東からの尾根が合流してきて、ようやくに現在地を知る。予定とは大分ハズしたなぁ~。まぁ、赤杭を追ったので、しょうがないか。奥で枝分かれする沢筋を正しく歩くのは難しいと言う事か。
、
いつしか明瞭な切り開きが。右の杉林が鬱陶しいが、それでも左側がいいので、良しとしよう。

鉄塔から横隈山。登山道は近い。

冬枯れの小道は美しい。

一般道に合流。

すぐに伐採地となり、先週行った奈良尾峠~鐘掛城~城峯山が、遥か彼方に見える。たそがれさんは、一日であそこまで行ったのだから凄い。

一旦、車道脇を通過し、横隈山の最後の登りとなる。
太った柴犬と鉢合わせ。犬とにらめっこ。犬は登山道を登るように引き返して行った。そして、また犬が降りてきた。後ろにはオッサンがおった。本日山中で出会った唯一の一人と一匹。
石碑二体が現れて、数少ない展望地から埼玉県神泉と群馬県藤岡。

そのすぐ先に、横隈山山頂。北側のみの展望で、同じような風景。上越方面は曇りなのか見えなかった。

風が強く、寒いので煙を吸ってオサラバ。
往路を戻る。
山頂から、児玉山の会の標識「横隈山→」二本目に沢戸への小道があった。

沢戸集落への小道は明瞭だった。

すぐにヌタ場があり、時計回りに廻り込むと、再び小道は明瞭化。

一箇所、平場で小道を失うも、沢筋に近い方に明瞭な道を発見。その先で土砂の流れ出しと思われる片斜面があったが、高度差が少なく問題無く通過できた。
東電のポールあり。どうやら鉄塔巡視道のようだ。

380m付近の尾根乗っ越し地点には石積みが見られた。

明瞭で歩きやすい道をユルユルと下る。

やがて三角屋根の瀟洒な建物が現れ舗装道となり、その先が沢戸集落だった。

県道13号に出て左折。
杉ノ峠を通過。

県道13号は、ダンプ・トラック街道だった。歩道は無い。その代わり、ゴミの散乱多し。ゴミ捨て街道でもあった。日本人として恥ずかしい道であった。
道々にて。

道々にて。

県道13号。日本の山間地によくあるゴミ捨て街道。いや都市の裏道でもよく見かける。「ゴミ捨てるな」の看板が多くあったが、むなしい。

神流川に到着。神流川は白濁していた。下の写真の左側で握り飯2個を食う。「JA神泉支店前」のバス停は近かった。

本日歩いた所。

手書きで不正確です。特に「西南」集落から400m付近の間は、実際には何処を歩いたのか分かっていません。
それにしても、歩きが早く終わり過ぎた。標高差400m弱の山歩きなのだからアッサリしていても不思議は無いと考えたのは、神泉のバス停に着いてからだった。もう少し気の利いたコース取りを考えるべきだったかなぁ~。
バスの車窓から金鑚御嶽城を捜した。平安時代から牧があり、古くから栄えた地域のようだ。戦国時代には金鑚御嶽城の激しい争奪戦があった。一時は甲斐武田の占領地にもなった。金鑚御嶽城にもう一度行かなければ。
バスが金鑚御嶽城を通り過ぎると、一気に関東平野に突入した。
コース:秩父鉄道皆野駅=皆野町営バス=いろは橋折り返し所バス停(8:40)~西南集落付近取り付き~登山道合流(10:05)~車道脇(10:15)~(10:20)横隈山(10:30)~車道脇~沢戸分岐(10:40)~林道・民家・沢戸集落(11:00)~県道13号~杉ノ峠(11:25)~JA神泉支店前バス停(12:05)=バス=JR本庄駅
先週、城峯山に行った。地図を見ていると、イヤでも横隈山が目に飛び込んでくる。横隈山もまた、車道に取り囲まれた山だった。車道歩きを回避しようと、西南集落付近から西へ伸びる尾根を伝わってみようと思った。帰路は2.5万図にある小道記号を使って沢戸集落に下ろう。
この計画、歩いてみて、かなりショボイものであった。まぁ、登り尾根が城峯山と比べて杉林が少なく落葉した森が広がっていたので、その点は良かった。
今日も皆野から皆野町営バスに乗った。先週は「日野沢線」に乗ったのだが、今日は「金沢線」に乗った。バスの運転手は先週の人と同じだった。高校生が途中下車すると、やっぱり先週同様乗客は俺一人になった。「いろは橋折り返し所バス停」で下車。
県道を北上すると「いろは橋」があった。ガイド本ではここを左折するコースが紹介されていた。俺は、もう少し北の2.5万図にある「西南」集落からの小道を捜した。みつからん。戻る。
戻って、この道だろうと民家の間を西進。すると僅かで最奥民家でドンズマリとなった。民家の庭先を覗きこむも、やはり先に道らしきものは無し。戻ろうとすると、折悪くか、はたまた折良くか、当屋敷にお住まいであろうお爺さんが下から登ってきた。ムムムッ・・・、まずい、思いつつ、務めて朗らかに、「あの尾根に登りたいのですがねぇ」と声をかけた。爺さん、「横隈山なら・・・、こう行って、あぁ行って・・・」と親切に御教示下さった。しかし、それはガイド本のコースなので・・・。俺は「えぇ~まぁ~、横隈山なのですが、あの尾根に・・・」と言うと、「冒険かね、あそこの赤い屋根の家の前に電柱があるだろ、あそこから行けるけど荒れちゃっているよ」「ありがとうございます。この畑の脇通ってもいいですか」「いいけど、溝があるから気おつけてな」
と言う訳で、お爺さんの言う電柱目指して畑を進む。溝を飛び越えて、振り向くと、お爺さんはまだこちらを見ていた。電柱に辿り着くと、お爺さんは家に入っていった。
確かに小道があった。
小道を辿ると、いくつもの墓地があった。
2.5万図に小道のドンヅキに「建物記号」があったので、「ポツンと一軒屋」でもあるのかなと思っていたが、
実際には小さな社があった。

この社の先にも小道は続いていたが、分岐あり。右を選択し、隣の沢型に移動。小道が失せ、左に移動。小道復活。赤い杭を見つける。

竹林となり、明瞭な道型が続く。

石垣。

その上に平坦面。

赤い杭と道型を見失う。磁石で北に進むも、主尾根に着かんのぉ~。
400m付近で東からの尾根が合流してきて、ようやくに現在地を知る。予定とは大分ハズしたなぁ~。まぁ、赤杭を追ったので、しょうがないか。奥で枝分かれする沢筋を正しく歩くのは難しいと言う事か。
、
いつしか明瞭な切り開きが。右の杉林が鬱陶しいが、それでも左側がいいので、良しとしよう。

鉄塔から横隈山。登山道は近い。

冬枯れの小道は美しい。

一般道に合流。

すぐに伐採地となり、先週行った奈良尾峠~鐘掛城~城峯山が、遥か彼方に見える。たそがれさんは、一日であそこまで行ったのだから凄い。

一旦、車道脇を通過し、横隈山の最後の登りとなる。
太った柴犬と鉢合わせ。犬とにらめっこ。犬は登山道を登るように引き返して行った。そして、また犬が降りてきた。後ろにはオッサンがおった。本日山中で出会った唯一の一人と一匹。
石碑二体が現れて、数少ない展望地から埼玉県神泉と群馬県藤岡。

そのすぐ先に、横隈山山頂。北側のみの展望で、同じような風景。上越方面は曇りなのか見えなかった。

風が強く、寒いので煙を吸ってオサラバ。
往路を戻る。
山頂から、児玉山の会の標識「横隈山→」二本目に沢戸への小道があった。

沢戸集落への小道は明瞭だった。

すぐにヌタ場があり、時計回りに廻り込むと、再び小道は明瞭化。

一箇所、平場で小道を失うも、沢筋に近い方に明瞭な道を発見。その先で土砂の流れ出しと思われる片斜面があったが、高度差が少なく問題無く通過できた。
東電のポールあり。どうやら鉄塔巡視道のようだ。

380m付近の尾根乗っ越し地点には石積みが見られた。

明瞭で歩きやすい道をユルユルと下る。

やがて三角屋根の瀟洒な建物が現れ舗装道となり、その先が沢戸集落だった。

県道13号に出て左折。
杉ノ峠を通過。

県道13号は、ダンプ・トラック街道だった。歩道は無い。その代わり、ゴミの散乱多し。ゴミ捨て街道でもあった。日本人として恥ずかしい道であった。
道々にて。

道々にて。

県道13号。日本の山間地によくあるゴミ捨て街道。いや都市の裏道でもよく見かける。「ゴミ捨てるな」の看板が多くあったが、むなしい。

神流川に到着。神流川は白濁していた。下の写真の左側で握り飯2個を食う。「JA神泉支店前」のバス停は近かった。

本日歩いた所。

手書きで不正確です。特に「西南」集落から400m付近の間は、実際には何処を歩いたのか分かっていません。
それにしても、歩きが早く終わり過ぎた。標高差400m弱の山歩きなのだからアッサリしていても不思議は無いと考えたのは、神泉のバス停に着いてからだった。もう少し気の利いたコース取りを考えるべきだったかなぁ~。
バスの車窓から金鑚御嶽城を捜した。平安時代から牧があり、古くから栄えた地域のようだ。戦国時代には金鑚御嶽城の激しい争奪戦があった。一時は甲斐武田の占領地にもなった。金鑚御嶽城にもう一度行かなければ。
バスが金鑚御嶽城を通り過ぎると、一気に関東平野に突入した。
コメント
コメント一覧
私は横隈山という山名に惹かれて登ったのですが、あの界隈を歩くのはもういいやといった気分でいます。春になればツツジや桜がきれいに咲くといった雰囲気もないですしね。
半分がっかりして、今度は車道のごみ捨てが目に入る。だれでもいら立つでしょう。確かに日本人の醜さの一面を見る思いですね。
横隈山は車道とゴルフ場に囲い込まれた山ですね。伐採地から鐘掛城~城峯山と途中に採掘場のようなガケまで見えて、遥か遠くに感じましたです。あそこまで歩いたたそがれさんの事を思い浮かべ、俺には無理だと思いました。
私もこの界隈を山を対象に歩くのは、これでお終いかなと思っております。ただ、この辺り、かなり古くから人々が住んでいたようで、藪城見物等々で多少なりとも訪れる機会があるかもしれません。その時は、ゴミを見たくないですねぇ~。