山行日:2019.12.28
コース:JR中央線笹子駅(8:10)~船橋沢~道迷い~上部林道~宝越東方鞍部(10:30)~(11:30)鶴ヶ鳥屋山(11:50)~林道横断(12:30)~下山路分岐(12:40)~丸太沢(13:20)~車道(13:45)~JR中央線初狩駅(14:15)

昭文社の地図に、鶴ヶ鳥屋山山頂:南側展望よし、の記述あり。
これは富士山の展望がよいのではないかと思い、でかけてみた。今回は、先週の反省からチェーンスパイクを携行した。
しかし、道に迷うは、積雪で道は失うわ、ヤレヤレハイキングとなってしまった。取り敢えず、無事に帰ってこられて、ホッとした次第。


笹子駅では、数人の人々が下車した。
俺は、タバコを吸って、缶コーヒーを飲んで呑気にしていた。数人が滝子山の方へ、数人が笹雁山の方へ向かった様子。南側の山に向かう者はいなかった。

林道をユルユルと登り、舟橋沢に沿った山道に入る。小さな土砂の押し出しが何箇所かあり、道は分かりずらい。渡渉点もまた、分かりずらい。


渡渉して右手の沢に入った。この先で迷った。
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右手の沢に入り沢を辿り、枝沢を渡渉。この枝沢に沿って道型があり、これを辿る。だいぶ登った所で、道が柔らかい事に気がつく。不安になり枝沢分岐に戻る。辺りを見回すと、本流上流にピンクリボンが見えた。ピンクリボンは秩父では完全に山仕事の目印で登山道とは無関係。どうやら、ここではピンクリボンが登山道の案内のようだ。ここよりピンクリボンを信じて歩く事にする。

ピンクリボンを信じて沢筋から離れる。尾根山腹の急登となる。
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次第に、雪が現れてくる。
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尾根に出て、雪が増えてきた。
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上部林道を横断。雪面に一人の足形あり。かなりの急斜となるも、雪は湿気の無いジャリジャリで滑り止めは不要。しかし、歩いても歩いても稜線に着かない。
道型は完全に見えない。尾根に沿って登るだけ。急斜面で先行の足跡が乱れる。俺もバテる。
ようやく主稜線らしきものが見えた。先行の足形は、左方向へトラバースに入った。俺は不安を感じ、もう少し尾根を登り、小鞍部と同じ標高となってから左へトラバース。


ようやくにして、主稜線に這い上がった。本来はここより西側の宝越に出るはずであったが、道型は全く分からず、ここに出た。富士山が樹間から僅かに見えた。手前は三ツ峠山の張り出し尾根か。
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鶴ヶ鳥屋山に向かう。
登下降多く、ここでもバテる。
向こうから青年がやってきた。初狩駅から北面ルートを辿ったそうだ。道型はでていなかったそうだ。俺は、そのコースを辿る予定だったので青年に「足跡を利用させて頂きますよ」と言うと、青年は「かなり危うい所を辿ってしまったので、アブナイかも」との事。ムムムッ・・・。まずいねぇ~。青年は三ツ峠まで行くと言っていたが、この雪で不安そうであった。

青年とスライドしてからも、なかなか鶴ヶ鳥屋山に着かない。
しかし、悪い事だけでは無かった。主稜線の南側には全く雪が無かったのだ。鶴ヶ鳥屋山の先に南面を下るコースがあったからだ。そうだ、そうしよう。


なんとか鶴ヶ鳥屋山に到着。いや~、疲れた。
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山頂から、秀麗。
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山頂付近を歩き廻って、枝の少ない所を捜す。
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アップで。
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西に、なんとか南アルプス。
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もう一丁。
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食欲は失せて、菓子パン1個を食ってオサラバ。
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そして、分かりにくい尾根分岐を先行者の足跡とピンクリボンを信じて何とか下る。


たまに、樹間から富士山が見える。
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一旦林道に出て、少し先より再び山道へ。



下山ルート分岐。左は、青年が苦労して登ったルート。俺は南向きの右のコースに進んだ。
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振り返って、鶴ヶ鳥屋山。
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フフフッ、予想通り雪は無く、歩きやすい。
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これが最後の富士山。
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広場から道志の山。
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丸田沢に下り着くと、林道が上下に2本、中間に土道1本。いずれもピンクリボンあり。ムムムッろ・・・。何処へ行けばいいのだろう。勘で土道を選ぶも、やがて方向違いに。戻る。
下の林道状を行く。
やっぱり、このピンクリボン、登山者のためのものではないかもしれんなぁ~。たまたま、作業用のピンクが登山道と一致している場合があると考えたほうがよいかもしれない。


車道に出て、滝子山。雪は見えない。あの裏側にごっそり雪がありそうだねぇ~。
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無事、初狩駅に到着。

今回は、滑り止めは携行したが、ハイキング気分で2.5万図を携行しなかった。こんな時季、やはり昭文社の地図だけではマズイ事を思い知ったのでした。