山行日:2024.2.11
コース:つくばTXつくば駅=つくバス=小田東部バス停(8:30)~宝篋山小田休憩所~(中世城の道)~太子堂~要害展望所~舟ヶ城跡~富岡山・前山城?(9:20)~(小田城コース)~下浅間~(10:25)宝篋山(10:45)~宝篋城跡~(極楽寺コース)~極楽寺跡付近~宝篋山小田休憩所~小田東部バス停(12:10)~小田城跡歴史ひろば案内所~小田城跡~小田中部バス停(13:10)


先週は雪が降った。家の近くでもまだいくらか雪が残っている。高い所からは、武甲山や大持山、小持山あたりが白く見える。あっちの方の山は嫌だな。
という訳で、茨城の低山でまだ行ったことのない宝篋山に行くことにした。

10年くらい前だと思うが、小田城に行った際、できたばかりの小田城案内所の係員から宝篋山の城についてレクチャーを受けたことがある。その時に教えてもらったのが、つくば市の「宝篋山トレッキングマップ」に記載の「中世城の道」の途中にある城跡だった。詳細は全く覚えていない。宝篋山に登る前に改めてネットでつくば市の「宝篋山トレッキングマップ」を検索してみたら、「中世城の道」の記述は無くなっていた。ムムムッ・・・、廃道か。取り敢えず、古い「宝篋山トレッキングマップ」を持って、「中世城の道」を目指してみることにした。現地で出たとこ勝負ということで。

つくば駅には、登山者とおぼしき人々がかなり居た。小田シャトル(つくば市北条行)には、めずらしくも登山者風が三名も乗った。しかも、全員俺と同じ小田東部バス停で下車した。


小田東部バス停で降りて、まず目に入ったのが「三村山極楽寺復元図」だ。小田城と極楽寺の間にある小山が「中世城の道」と重なるのではないか。
IMG_0581



そして、こちらの図には、小田城の背後に「前山城」が見える。そして、つくば市はどうやら小田城を囲む外郭として前山を含めて、総構えと捉えているようだ。フムフム・・・。
IMG_0582



上の案内板に気を取られて出遅れた。小田宝篋山休憩所付近。車が多い!
IMG_0584



休憩所に立ち寄り、クソをして再出発。


駐車場を横目に少し直進すると、すぐにこんな看板が。「中世城の道」を発見。
IMG_0586



イノシシよけの柵を開けて侵入すると、篠竹に囲まれた広い道が続いていた。
IMG_0587



廃屋のような民家(今思うに、太子堂だったかも)を通り過ぎて。
IMG_0589



さらに進むと、ロープが垂れた急斜面が現れた。
IMG_0591



急斜面は長くは続かず、下からも見えた急崖に近づきつつある。
IMG_0594



展望地に到着。多分トレッキングマップにある「要害展望所」だろう。
IMG_0597



展望所から霞んだ富士山が見えた。
IMG_0598


少し進むと、素人目には堀切ではないかと思わせる地形が現れた。
IMG_0604



樹間から小田城が見えた。
IMG_0602



そして、「舟ヶ城跡」の案内が。舟ヶ城跡に向かう。
IMG_0607



舟ヶ城跡展望所。小田城が見える。つくば市の見解ではここが小田城総構えの北限である。
IMG_0609



舟ヶ城は実の所、現地に来て知った城跡であった。そして残念ながら、城跡を思わせるものは、先ほどの堀切状と平坦面一面のみであった。他にもあるのかもしれないが、素人目には判らなかった。


さらに進むと、連続した削平面が現れて富岡山山頂に達した。山頂部は平坦面は見られず、本郭と言えるのか分からない。ネットなどによると、ここを前山城とするものが多いが、現地には「前山城」の案内は無かった。ただ、連続した削平面は、城跡を思わせるに充分であった。
IMG_0612



富岡山東面。写真では分かりにくいが、平坦面が少なくとも二面は見られた。
IMG_0614



「小田城コース」にここで合流し、宝篋山の登りにかかる。
IMG_0616



城のことばかり考えていると、土橋を思わせる風景が。でも、そうではないだろう。
IMG_0617



「硯石」を目指して歩いていた。ここが硯石かと思ったが、読めない字が書いてあった。
ここから尾根上に上がると、
IMG_0620



下浅間神社があった。このあたり、尾根の上下に複数の道がある。どうやら硯石は通過しているようだ。
IMG_0625



最後の最後で、撫粋な車道が現れて、
IMG_0627



忍性立像。
IMG_0630



宝篋印塔のある宝篋山に到着した。大勢の人々がいらっしゃいました。
IMG_0634



筑波山。
IMG_0635



霞ヶ浦。
IMG_0643



東京スカイツリー。
IMG_0644



ここで、早めの昼飯を食った。



宝篋山を下って、バイオトイレの所にあった宝篋城の案内。どこへ行くのか分からないが、予定変更で宝篋城に向かう。
IMG_0645



なんだ、5分とかからず宝篋城跡に到着。宝篋城は南北朝時代の足利氏方の城。関東の代表的南朝勢力の小田城に対する付け城のようだ。しかし、同じ尾根上に敵対する勢力の城があるというのもめずらしいのではないか。まてよ、前山城と宝篋城では時代が違うのか?
IMG_0648



広めの平坦面があるのみ。
IMG_0650



と思ったら、土塁がでてきた。
IMG_0652



その先は、かなり広い平坦面。人工物とは思えない。
にしても、ここに軽トラが停まっていた。こういうのを見るとチョットしらけるねぇ~。
IMG_0654



「常願寺コース」の分岐に気づかず、いつのまにか「極楽寺コース」に入っていた。
IMG_0662



小滝が何ケ所かにあった。
IMG_0670



あっさりと、広い景色が広がり、
IMG_0671



五輪塔を見る。
IMG_0675



ここらあたりが極楽寺の比定地のようだ。梅の背後に登りに使った前山の尾根が見える。
IMG_0682



極楽寺比定地付近から宝篋山を振り返る。
IMG_0689



昨晩、ブラタモリで鎌倉極楽寺をやっていた。鎌倉の極楽寺は、奈良の興福寺、東大寺、室生寺、和歌山の熊の大社などを伽藍に配置したお寺だったとう説が唱えられていた。
忍性は、律宗布教のため奈良から筑波にやってきて極楽寺にかかわったらしい。10年後、忍性は鎌倉で改めて極楽寺を開山したとのこと。
筑波極楽寺は小田氏の財力でなしたものであろう。一方で鎌倉極楽寺は北条氏=鎌倉幕府の財力でなしたものであろう。両方の極楽寺に忍性がかかわっていた。また、筑波小田のすぐ隣が筑波北条なのも面白い。


小田東部バス停に着くと、なんとバスは10分前に出ていた。そして1時間10分待ち。という訳で、すぐ近くの小田城に寄った。



小田城からの筑波山。
IMG_0693



小田城からの宝篋山。
IMG_0697



小田城の復元整備は完全に終了したようだ。城域は復元整備された領域をはるかに凌ぐものだったようだ。