2020年05月
ツツジ&ツツジ -市内の国道298号線側道-
ひまだなぁ~。
暇を持て余すと、ロクな事を思いつかない。
市内を東西に横断する外環自動車とその下を通る国道298号線がある。その側道に植えられたツツジを見て歩こうと思った。
北関東の山ヤさんのブログを見るに、山では今年のツツジの咲き具合が不作との情報が多いような気がする。しかし、自宅周辺の街路のツツジは例年以上に花付きがよろしいのではないか。まぁ、街路のツツジなんて、誰でも見ているし、さしたる感動もなくやり過ごされているものではある。が、余りにも暇なもので・・・、あたりまえをあたりまえでは無く、よ~く見てみようではないの。
外環自動車道(右上)と国道298号線の側道脇の歩道を歩き始める。東へ向かう。

小振りのヤツ。この種は早くも終盤。

大振りの白。ツボミ多し。

大振り白。

小振りピンク。

大振り紫。一番ポピュラーなヤツ。

中振りピンク。

中振り淡いピンク。

大振りピンク。最近多くなってきた。

箸休め。ハナミズキ白。

小振り赤。

大振りピンク。

八潮市との境付近にて。ここから反転西へ向かう。

大振り紫。

小振り赤。

大振り白と大振りピンク。

反対車線に移って。

大振りピンク。

大振り白。

国道4号線を渡る。

さすがに、ツツジにも飽きてきた。

ハナミズキ。

初期の目的を忘れている。

川口市境付近。植木農家のツツジ。

植木農家のツツジ。小振り赤。

小振りピンクを見て、帰途へ。

また、初期の目的を忘れている。

昼間の半日をつぶして、帰宅。
けっこう足にきたので、よかったかも。
近年、GW頃には、街中のツツジはシオレかげんだったと思う。4月の低温が効いたのかな。
してみると、山のツツジは遅れるかもしれないなぁ~と、妄想が膨らむのである。
5月末日の「緊急事態」解除に期待しようじゃぁないの。
暇を持て余すと、ロクな事を思いつかない。
市内を東西に横断する外環自動車とその下を通る国道298号線がある。その側道に植えられたツツジを見て歩こうと思った。
北関東の山ヤさんのブログを見るに、山では今年のツツジの咲き具合が不作との情報が多いような気がする。しかし、自宅周辺の街路のツツジは例年以上に花付きがよろしいのではないか。まぁ、街路のツツジなんて、誰でも見ているし、さしたる感動もなくやり過ごされているものではある。が、余りにも暇なもので・・・、あたりまえをあたりまえでは無く、よ~く見てみようではないの。
外環自動車道(右上)と国道298号線の側道脇の歩道を歩き始める。東へ向かう。

小振りのヤツ。この種は早くも終盤。

大振りの白。ツボミ多し。

大振り白。

小振りピンク。

大振り紫。一番ポピュラーなヤツ。

中振りピンク。

中振り淡いピンク。

大振りピンク。最近多くなってきた。

箸休め。ハナミズキ白。

小振り赤。

大振りピンク。

八潮市との境付近にて。ここから反転西へ向かう。

大振り紫。

小振り赤。

大振り白と大振りピンク。

反対車線に移って。

大振りピンク。

大振り白。

国道4号線を渡る。

さすがに、ツツジにも飽きてきた。

ハナミズキ。

初期の目的を忘れている。

川口市境付近。植木農家のツツジ。

植木農家のツツジ。小振り赤。

小振りピンクを見て、帰途へ。

また、初期の目的を忘れている。

昼間の半日をつぶして、帰宅。
けっこう足にきたので、よかったかも。
近年、GW頃には、街中のツツジはシオレかげんだったと思う。4月の低温が効いたのかな。
してみると、山のツツジは遅れるかもしれないなぁ~と、妄想が膨らむのである。
5月末日の「緊急事態」解除に期待しようじゃぁないの。
難台山と南台丈 -天狗小僧寅吉-
余りに暇なもので、本棚にあった「神秘家列伝:水木しげる」を手にとって、ゴロ寝をしながら読みふけった。
その中に、「天狗小僧寅吉」があった。
それは、一応実話として扱われている。
内容は、
寅吉は文化3年12月晦日に江戸下谷池の端七軒町で、たばこ売り越中屋与惣次郎の二男として生まれる。
寅吉は、5、6歳のころから予言を始め、廻りの大人を驚かせたりする。そんな折、丸薬売りの杉山僧正と知り合うのだが、実はこの老人、天狗の親方であったのだ。
杉山僧正の背に乗り空中を飛び、常陸国南台丈に降り立った。杉山僧正は、「ここは加波山と我国山の中間だ。そこの大岩は獅子ヶ鼻だ」と言う。
寅吉は、毎日江戸と南台丈を往復するのだが、ある日杉山僧正は「おまえは天狗の素質がある。今日からは岩間山で100日の断食修行をするのだ。」といい、さらに5年間の天狗修行を積むことになる。
寅吉は、寅吉の父親が病になったのを機に家に帰り、その後幕府直参であり和学者でもある下田直矢の下僕として雇われる。下田は寅吉の不思議な能力の噂に興味を持って雇ったのだ。寅吉の存在は国学者平田篤胤の知る所となり、やがて平田篤胤に引き取られる事になる。そして、平田篤胤らによって天狗界の聞き取り調査が行われた。それをまとめたのが「仙境異聞」だそうだ。ただし、この書は門外不出とされたそうである。
やがて、寅吉は奇行を繰り返すようになり、平田家でも持て余すようになる。そして某のはからいで坊主になったと伝えられる。
水木しげるの「天狗小僧」は、ざっとこんな感じであった。
茨城の山は少しばかり歩いた程度だが、それでも「南台丈」が難台山である事は容易に想起される。もともと、難台山は南台丈と呼ばれていたのか。少しだけ引っかかるのは、「丈」が城であったかもしれないなぁとも思うのである。はたまた、後世に「丈」から連想し「城」(山頂部に城跡があったとされている。別に山腹には南北朝期の城が存在する。)となったのか。
「我国山」も現在の吾国山であろう。もう一つ気にかかるのが、南台丈が加波山と我国山の中間にあると天狗の親方である杉山僧正が述べた事だ。あきらかに位置関係がおかしいのであるが、天狗信仰のメッカである加波山の位置を誤るはずが無いのである。これは寅吉から聞き取り調査をした平田篤胤が聞き間違えたのか、水木しげるが間違えたのか、気になるところである。
また、寅吉の生家がたばこ商だった事が気にかかる。それは加波山中に「たばこ神社」と云う変わった名前の神社が存在するからだ。杉山僧正がなぜ南台丈の説明に少し離れた加波山を持ちだしたのか。もちろん天狗の親玉である杉山僧正にとって修験道の加波山は視野に入っていたに違いないのだが。実はこの物語に下地となるもっと古い物語・伝承があるのではないか?寅吉の父親は天狗族ではなかったのか?
妄想癖のある俺は、そんな事に思いを巡らしてしまうのであった。
そうした事が気にかかり、インターネットで調べてみたら、岩波文庫に「仙境異聞・勝五郎再生記」なる本が近年復刊されていた事が判った。門外不出のはずの「仙境異聞」が、現在発刊されているわけである。(かなり売れているらしい。)
暇なので、早速、自宅から二駅ほど自転車を漕いで本屋に急行した。駅ビルにある本屋なのだが、駅ビル自体がコロナ関連で食品売り場以外完全休業状態。ガクッ・・・。
ところで、「岩間山」は現在すぐに想起できる山は無いと思っていたが、どうやら愛宕山が「岩間山」
らしい。愛宕山神社(の裏にある飯縄神社)にある「十三天狗の祠」の伝承について、「岩間第二小学校のHP」に詳しく記されていた。そこには、やはり杉山僧正が出てくるのである。
ますます岩波文庫を読みたくなってしまったのである。
悶々。
その中に、「天狗小僧寅吉」があった。
それは、一応実話として扱われている。
内容は、
寅吉は文化3年12月晦日に江戸下谷池の端七軒町で、たばこ売り越中屋与惣次郎の二男として生まれる。
寅吉は、5、6歳のころから予言を始め、廻りの大人を驚かせたりする。そんな折、丸薬売りの杉山僧正と知り合うのだが、実はこの老人、天狗の親方であったのだ。
杉山僧正の背に乗り空中を飛び、常陸国南台丈に降り立った。杉山僧正は、「ここは加波山と我国山の中間だ。そこの大岩は獅子ヶ鼻だ」と言う。
寅吉は、毎日江戸と南台丈を往復するのだが、ある日杉山僧正は「おまえは天狗の素質がある。今日からは岩間山で100日の断食修行をするのだ。」といい、さらに5年間の天狗修行を積むことになる。
寅吉は、寅吉の父親が病になったのを機に家に帰り、その後幕府直参であり和学者でもある下田直矢の下僕として雇われる。下田は寅吉の不思議な能力の噂に興味を持って雇ったのだ。寅吉の存在は国学者平田篤胤の知る所となり、やがて平田篤胤に引き取られる事になる。そして、平田篤胤らによって天狗界の聞き取り調査が行われた。それをまとめたのが「仙境異聞」だそうだ。ただし、この書は門外不出とされたそうである。
やがて、寅吉は奇行を繰り返すようになり、平田家でも持て余すようになる。そして某のはからいで坊主になったと伝えられる。
水木しげるの「天狗小僧」は、ざっとこんな感じであった。
茨城の山は少しばかり歩いた程度だが、それでも「南台丈」が難台山である事は容易に想起される。もともと、難台山は南台丈と呼ばれていたのか。少しだけ引っかかるのは、「丈」が城であったかもしれないなぁとも思うのである。はたまた、後世に「丈」から連想し「城」(山頂部に城跡があったとされている。別に山腹には南北朝期の城が存在する。)となったのか。
「我国山」も現在の吾国山であろう。もう一つ気にかかるのが、南台丈が加波山と我国山の中間にあると天狗の親方である杉山僧正が述べた事だ。あきらかに位置関係がおかしいのであるが、天狗信仰のメッカである加波山の位置を誤るはずが無いのである。これは寅吉から聞き取り調査をした平田篤胤が聞き間違えたのか、水木しげるが間違えたのか、気になるところである。
また、寅吉の生家がたばこ商だった事が気にかかる。それは加波山中に「たばこ神社」と云う変わった名前の神社が存在するからだ。杉山僧正がなぜ南台丈の説明に少し離れた加波山を持ちだしたのか。もちろん天狗の親玉である杉山僧正にとって修験道の加波山は視野に入っていたに違いないのだが。実はこの物語に下地となるもっと古い物語・伝承があるのではないか?寅吉の父親は天狗族ではなかったのか?
妄想癖のある俺は、そんな事に思いを巡らしてしまうのであった。
そうした事が気にかかり、インターネットで調べてみたら、岩波文庫に「仙境異聞・勝五郎再生記」なる本が近年復刊されていた事が判った。門外不出のはずの「仙境異聞」が、現在発刊されているわけである。(かなり売れているらしい。)
暇なので、早速、自宅から二駅ほど自転車を漕いで本屋に急行した。駅ビルにある本屋なのだが、駅ビル自体がコロナ関連で食品売り場以外完全休業状態。ガクッ・・・。
ところで、「岩間山」は現在すぐに想起できる山は無いと思っていたが、どうやら愛宕山が「岩間山」
らしい。愛宕山神社(の裏にある飯縄神社)にある「十三天狗の祠」の伝承について、「岩間第二小学校のHP」に詳しく記されていた。そこには、やはり杉山僧正が出てくるのである。
ますます岩波文庫を読みたくなってしまったのである。
悶々。