行った日:2019.8.31
コース:JR石岡駅=バス=新小幡バス停(9:10)~小幡城跡駐車場・小幡城北面(9:40)~小幡城~小幡城南面~新小幡バス停~茨城小幡バス停(11:00)
茨城県茨城町にある小幡城は、戦国期の状態が保存された巨大な遺構との事。茨城県の中世城郭としては、真壁城や小田城が有名であるがいずれも平城であるのに対して、小幡城は台地上に築かれた平山城である。
小幡城の築城は、伝承があるものの信憑性が薄いとの事。15世紀頃小幡氏の名が見えるが、16世紀には水戸の江戸氏の支配となり、常陸大掾氏、小田氏との境目の城であったと。1590年佐竹氏により水戸城が落城し、水戸城主江戸重道が逃亡。小幡城も廃城となる。
JR石岡駅に降り立つ。20年前まで住んでいた石岡駅は様変わりしていた。
まずは、クソをして一服。
すぐに「水戸行き」のバスがやってきた。そこそこの人々が乗車。
バスの車窓から石岡の街を見る。鹿島鉄道が廃線となり、巨大なジャスコが無くなっていた。バスは国道6号線を走る。旧美野里町は小見玉市に変わった。茨城町に入り「新小幡バス停」で下車。何も無い所だった。
横断歩道も無いので、車の切れ目で6号国道を渡る。細い舗装された小道に入る。森の中にラブホテルが3件もあった。十字路に出ると「小幡城→」があり、それに従う。

広い畑地に出る。
一本道を進むと、高速道路に出て跨線橋で渡る。高速道路建設で小幡城は一部が破壊されたそうで、してみるとすでに道の左手はⅦ郭付近と言う事か。
さらに進むと、「小幡城跡駐車場」が現れて、

小幡城跡に到着。

小幡城跡入り口。おおっ、予想以上に整備されているのか。

小幡城解説板。

のっけから深い堀の底が順路となっていた。

深い掘りは複雑に交錯していた。枝ルートは侵入禁止になっていた。順路に従うしかない。

空堀は深く、複雑に折れ曲がる。これも枝堀。

順路の堀。

なるほど、「堀底道」というのか!

堀底道は、何度も屈曲する。

俺は今、どちらの方向に向かっているのだろうか。方向感覚を麻痺させる作りだ。

櫓跡に登ってみよう。

「変形武者走り」解説。

櫓跡付近の武者走りから堀底道を見下ろす。こんな所から狙われたら、たまらんよ。

堀底道に戻る。なおも堀底道は屈曲する。

土橋の解説。

土橋。左は堀底道。往時、この土橋は、もっと高かったのではないか?

堀底道をグルグル廻しに辿って着いた本丸付近。解説板の絵よりも、もっと複雑に屈曲しているような。

本丸。

本丸にいたハグロトンボ(?)。

羽を広げたハグロトンボ。トンボとは思われん。

本丸は、しっかりした土塁で囲まれていた。

本丸の土塁。

本丸にある井戸跡。

本丸の土塁は、とにかくしっかり残っている。

本丸。

本丸を出て。またしても堀底道に入る。

複雑な堀底道。
そして、堀底道は元の入城口に戻った。
どうやら、本丸を囲う堀が順路だったようだ。それにしても堀底道だけでも満足できる景観だった。城の保護のためなのか、色々な所へは自由に出入りできないようになっていた。俺のような素人には充分な見学コースであった。

城の南側に廻り込んでみよう。右に進む。

小幡城を見上げる。多分Ⅱ郭付近を見ているのかと思う。民家の上の裸地に地元の方が腰を降ろしていた。

城の南面を歩いていて、道を発見。Ⅱ郭の平場に達した。蜘蛛の巣多し。
Ⅲ郭に向かう。

Ⅲ郭付近に達し、底堀道を俯瞰。右の切岸上は本郭。

Ⅲ郭。月の彫刻が施された石祠があった。
土塁がユルイので、遺跡破壊になると思い、退散。

南面の道に戻る。往時の大手門を捜すも分からず。ここらあたりかなぁ~と思いつ、一応シャッターを押してみる。
道は、やがて草に埋もれはじめ、農作業中の婆さんに「この道行けますか?」と聞くも、「分からない」との事。

取り敢えず、前進。城郭近辺の谷戸地を見ると、つい「中世的風景」と思ってしまう。
やがて、高速道路をくぐる。してみると、上の写真の右側はⅦ郭付近なのだろうか。

そして、いきなり開けた畑地に出て、往路に合流。
付近に、外堀遺構もあるとの事ではあるが、素人の俺はそこまで深入りはすまい。
国道6号線に出て、バス停1つ分を戻り、「山田うどん」で、冷やし中華大盛りを注文した。もちろん、お冷のガブ飲みである。
小幡城は、予想以上に素晴らしい城跡であった。
深く複雑な堀は特筆ものである。空堀を味わうには(現況においては)滝山城に優るかもしれない。土城ファンには必見の城であると思った。
コース:JR石岡駅=バス=新小幡バス停(9:10)~小幡城跡駐車場・小幡城北面(9:40)~小幡城~小幡城南面~新小幡バス停~茨城小幡バス停(11:00)
茨城県茨城町にある小幡城は、戦国期の状態が保存された巨大な遺構との事。茨城県の中世城郭としては、真壁城や小田城が有名であるがいずれも平城であるのに対して、小幡城は台地上に築かれた平山城である。
小幡城の築城は、伝承があるものの信憑性が薄いとの事。15世紀頃小幡氏の名が見えるが、16世紀には水戸の江戸氏の支配となり、常陸大掾氏、小田氏との境目の城であったと。1590年佐竹氏により水戸城が落城し、水戸城主江戸重道が逃亡。小幡城も廃城となる。
JR石岡駅に降り立つ。20年前まで住んでいた石岡駅は様変わりしていた。
まずは、クソをして一服。
すぐに「水戸行き」のバスがやってきた。そこそこの人々が乗車。
バスの車窓から石岡の街を見る。鹿島鉄道が廃線となり、巨大なジャスコが無くなっていた。バスは国道6号線を走る。旧美野里町は小見玉市に変わった。茨城町に入り「新小幡バス停」で下車。何も無い所だった。
横断歩道も無いので、車の切れ目で6号国道を渡る。細い舗装された小道に入る。森の中にラブホテルが3件もあった。十字路に出ると「小幡城→」があり、それに従う。

広い畑地に出る。
一本道を進むと、高速道路に出て跨線橋で渡る。高速道路建設で小幡城は一部が破壊されたそうで、してみるとすでに道の左手はⅦ郭付近と言う事か。
さらに進むと、「小幡城跡駐車場」が現れて、

小幡城跡に到着。

小幡城跡入り口。おおっ、予想以上に整備されているのか。

小幡城解説板。

のっけから深い堀の底が順路となっていた。

深い掘りは複雑に交錯していた。枝ルートは侵入禁止になっていた。順路に従うしかない。

空堀は深く、複雑に折れ曲がる。これも枝堀。

順路の堀。

なるほど、「堀底道」というのか!

堀底道は、何度も屈曲する。

俺は今、どちらの方向に向かっているのだろうか。方向感覚を麻痺させる作りだ。

櫓跡に登ってみよう。

「変形武者走り」解説。

櫓跡付近の武者走りから堀底道を見下ろす。こんな所から狙われたら、たまらんよ。

堀底道に戻る。なおも堀底道は屈曲する。

土橋の解説。

土橋。左は堀底道。往時、この土橋は、もっと高かったのではないか?

堀底道をグルグル廻しに辿って着いた本丸付近。解説板の絵よりも、もっと複雑に屈曲しているような。

本丸。

本丸にいたハグロトンボ(?)。

羽を広げたハグロトンボ。トンボとは思われん。

本丸は、しっかりした土塁で囲まれていた。

本丸の土塁。

本丸にある井戸跡。

本丸の土塁は、とにかくしっかり残っている。

本丸。

本丸を出て。またしても堀底道に入る。

複雑な堀底道。
そして、堀底道は元の入城口に戻った。
どうやら、本丸を囲う堀が順路だったようだ。それにしても堀底道だけでも満足できる景観だった。城の保護のためなのか、色々な所へは自由に出入りできないようになっていた。俺のような素人には充分な見学コースであった。

城の南側に廻り込んでみよう。右に進む。

小幡城を見上げる。多分Ⅱ郭付近を見ているのかと思う。民家の上の裸地に地元の方が腰を降ろしていた。

城の南面を歩いていて、道を発見。Ⅱ郭の平場に達した。蜘蛛の巣多し。
Ⅲ郭に向かう。

Ⅲ郭付近に達し、底堀道を俯瞰。右の切岸上は本郭。

Ⅲ郭。月の彫刻が施された石祠があった。
土塁がユルイので、遺跡破壊になると思い、退散。

南面の道に戻る。往時の大手門を捜すも分からず。ここらあたりかなぁ~と思いつ、一応シャッターを押してみる。
道は、やがて草に埋もれはじめ、農作業中の婆さんに「この道行けますか?」と聞くも、「分からない」との事。

取り敢えず、前進。城郭近辺の谷戸地を見ると、つい「中世的風景」と思ってしまう。
やがて、高速道路をくぐる。してみると、上の写真の右側はⅦ郭付近なのだろうか。

そして、いきなり開けた畑地に出て、往路に合流。
付近に、外堀遺構もあるとの事ではあるが、素人の俺はそこまで深入りはすまい。
国道6号線に出て、バス停1つ分を戻り、「山田うどん」で、冷やし中華大盛りを注文した。もちろん、お冷のガブ飲みである。
小幡城は、予想以上に素晴らしい城跡であった。
深く複雑な堀は特筆ものである。空堀を味わうには(現況においては)滝山城に優るかもしれない。土城ファンには必見の城であると思った。