2018年09月

行った日;2018.9.24


安行中毒者は、どうしても気になってしまうのだ。

なにか、変化があるかもしれないし。

結局、大きな変化なし。先週と同じような写真を撮って、帰ってきた。



弁財天では、以前からあったスズメバチの巣の影響で、一部通行止めとなっていた。

彼岸花は、終盤かもしれない。新しい花芽はほとんど無かった。



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秩父鉄道波久礼駅から陣見山に登って、



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榎峠まで下ってきた。


通常はここから山道を秩父鉄道樋口駅に下るようだが、俺は車道を児玉方面に下った。児玉の「百体観音・さざえ堂」を見たかったからだ。

車道は、湿気と高温で雑菌が繁殖したのか、とても滑って歩きにくい。ソロソロ歩きとなる。



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たくさん咲いていた。



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沢の方に「無借金地蔵」なるものがあるらしいが、幸い俺は無借金なのでスルー。



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この花が、



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群落をなしていた。




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やがて、民家が現れる。ネギと彼岸花。



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道しるべと彼岸花。



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石神神社。



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ど根性彼岸花。




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道々にて。



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百体観音入り口。




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お寺の石段と彼岸花。




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百体観音案内板。




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百体観音・さざえ堂。肝心の百体観音堂は修復中のうえ、本日休業との事。



以前、群馬県太田市のさざえ堂を訪れた際も、修復中で公開停止だった。どうも、さざえ堂とは縁が無さそうである。



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道々にて。季節外れか。



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白い花が、一面に咲いていた。



時計を見ると、八高線の列車の時刻が迫っていた。早歩きに切り替える。


駅舎で濡れた服をパパッと着替え、列車に乗った。

車窓の景色がボヤけていた。

メガネを外すと、網の目のように蜘蛛の糸がレンズを覆っていたのだ。

山行日:2018.9.23
コース:秩父鉄道波久礼駅(8:10)~虎ヶ岡城(9:10)~大槻峠(10:00)~陣見山(10:40)~榎峠(11:40)~石神神社(12:30)~百体観音~JR八高線児玉駅(13:50)


「次は~ハグレ~、波久礼~」の案内で、網棚からリュックを降ろそうとしたが、何かが引っかかって降ろせない。メガネを外してよ~く見ると、雨蓋のチャックの頭が網棚の金属の間に挟まれていた。力いっぱい引いてみたが外れ無い。そうこうしているうちに、波久礼駅到着。ムムムムッ・・・・。チャックが壊れてもいいワイと思い、リュックの胴体ごと思いっきり引いてみた。外れん!電車のドアは閉まってしまった。クソッタレ!その後も力いっぱい引いたが、外れ無い。このまま三峰口か、とあきらめかけた所で、ようやく外れた。樋口駅直前であった。

取り敢えず、樋口駅で下車。時刻表を見ると、幸い10分後に登り電車が来るようだ。波久礼駅に戻る。


気を取り直して出発。
「簡保の宿」の案内に導かれて、陣見山登山口の標識を発見。山道に入る。
簡保の宿の基礎部分の下を進む。オッサンが佇んでいた。この先、榎峠まで、出会ったのは、このオッサンだけ。

とにかく、凄い蜘蛛の巣だ。目が悪い上に、この曇天では、蜘蛛の巣に引っ掛かるまで、蜘蛛の巣が見えない。5mごとに蜘蛛の巣に引っ掛かっているのではないか。それもデッカイやつに。顔面に蜘蛛の巣を感じ、バックし手で蜘蛛の巣を払う。全然前に進まん。


展望も無い薄暗い森の中を蜘蛛の巣にまみれて歩いた。
目に着くのは、キノコのみ。


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うまそうだ。キノコに対する知識0。




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これもウマそう。



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これはチョット。



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こんな森を歩いた。蜘蛛の巣が張り巡らされている。



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これは食いたくない。



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これは絶対食いたくない。



やがて、超急斜面の木段道となる。大汗かいて登りきると、小さな平坦部。もう一段登ると、



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虎ヶ岡城に到着。



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虎ヶ岡城山頂にあるアズマヤより美里方面。


普段なら、周辺を歩き廻るのだが、この蜘蛛の巣ではそんな気も起らない。


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虎ヶ岡城にて。



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虎ヶ岡城にて。



菓子パンを食って、煙をバキュームしてオサラバ。



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その先に、尾根を切った堀切が2箇所。先へ進もう。



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キノコは続く。



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大槻峠到着。



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陣見山の登り。竪掘りかと思うようなエグレ。



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何とも無愛想な陣見山に到着。愛想も無いが、展望も0。山名のイメージとは異なる。あったのはテレ玉の電波塔。



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陣見山にて。



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陣見山にて。



ここでも、菓子パンを食って、タバコを2本吸ってオサラバ。



つづく。

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行った日:2018.9.16




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弁財天。



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弁財天。



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弁財天。



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弁財天。



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興禅院。



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興禅院。




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興禅院。



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興禅院。



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興禅院。



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興禅院。



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興禅院。



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興禅院。



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行った日:2018.9.9
コース;東武日光線栃木駅=ふれあいバス=皆川郵便局前バス停(8:30)~皆川城(法螺貝城)~金剛寺(皆川氏菩提寺)~県道栃木田沼線(10:10)~琴平神社入り口~琴平神社(11;30)~県道・栃木田沼線(11:50)~東武佐野線葛生駅(12;45)


皆川城は遺構状態もよく、一風変わった城跡との事で行きたい城の一つであった。
城主皆川氏もまた、周辺の実力者小山氏、結城氏、佐野氏などと同じく藤原秀郷流の一族であった。皆川氏の歴史は、宇都宮氏の内訌、古河公方と上杉氏の対立、山内上杉の内部抗争、山内・扇谷の対立、後北条氏の侵攻、等々の混乱に翻弄された歴史が綴られている。

栃木駅南口より「ふれあいバス・皆川樋ノ口線」のマイクロバスに乗った。乗ったのは俺だけ。運転手に何処まで行くのか聞かれたので、「皆川中学校」と言うと、「200円だよ」との事。念のため「城跡は皆川中学校でいいのですか?」と聞くと、「城跡ならば、皆川郵便局のほうがいいよ」とのご返事。その後、城跡までの道順のレクチャーを受けた。



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皆川公民館前より皆川城を見上げる。



公民館前の便所でクソをして、城に登る。



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いきなり現れた竪掘り。かなりの規模で圧倒される。



草刈り機の音がけたたましい。かなりの大人数で草刈が行われていた。城跡保存会の皆様との事。ありがたいこってす。


道が山の斜面を廻り込むように着けられていた。緩傾斜の道を選択しながら登った。



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西の丸。



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あれが、本郭であろう。



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本郭下にて。



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本郭より、大平山~晃石山。大平山城も皆川氏の持城との事。



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本郭の櫓に登って。左右の谷戸地は、あまりにも中世的。左は佐野。右は葛生に通じる。城の斜面には法螺貝城の異名となった段々の腰郭?帯郭?が連続している。



櫓から降りると、草刈り機を背負った城跡保存会の方々がやってきて山城談義となった。西方城を推薦して頂いた。俺は、嵐山町杉山城を推薦しておいた。長話となった。



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凄い急斜面と腰郭。



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土塁と帯郭。



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虎口。


中世城郭跡としては、すばらしい遺構の状態であった。城跡保存会の皆様に感謝です。




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皆川城下の金剛寺。皆川氏当主の全てのお墓があるという。



ここから県道栃木田沼線に出て、



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皆川城を振り返る。




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何故か晴れてきやがった。奥の山を越えねばならぬ。



吹きだす汗を拭き拭き、ひたすら歩く。



両側に山が迫りはじめると、サーキット場があるらしく激しいエンジン音が聞こえだした。

左手に「琴平神社→」が現れ、石段の道に入る。ここから琴平神社まで約200mの標高差。石段が尽きると、ムキ出しの赤土の急斜面となる。倒木多し。蜘蛛の巣多し。恐ろしいほどの汗が噴き出す。




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再び、超急斜面の石段。これを登りきると、



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琴平神社に到着。栃木市と佐野市の境界尾根かな。


明治時代の絵を見ると、かなりの賑わいがあったようだが、今は誰も居ない。この神社、博打の神様だそうで、その筋の方はとうぞ。



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神社の裏から葛生側。葛生らしい風景ではある。


神社の裏手から歩きやすい道が続いていた。一旦下って登り返すと鉄塔のあるピークに達した。そこから平坦な尾根筋を歩くと、再び県道栃木田沼線に出た。ここからクネクネの県道を延々と葛生の町に向かって下った。


葛生駅前のラーメン屋で冷やしラーメン大盛りを掻き込んで、館林行きの電車に飛び乗った。

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