2017年07月

行った日:2017.7.29
コース:半蔵門線清澄白河駅(9:10)~清澄庭園~安田庭園~隅田公園~向島百花園~千住新橋~東武スカイツリーライン梅島駅(14:00)


どうも天気が安定しない。
雨に降られてもいいように、どこからでもバスや鉄道に逃げ込める隅田川沿いを歩いてみた。



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江東区清澄庭園。



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清澄庭園。



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清澄庭園。



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隅田川。清洲橋付近。



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墨田区安田庭園。両国国技館のすぐ北側。



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安田庭園。



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墨田区隅田公園。今日は隅田川の花火大会。大勢の人々が集まっていた。



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墨田区向島百花園。大輪朝顔。



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向島百花園。



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向島百花園。



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向島百花園。



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向島百花園。



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向島百花園。


ここから千住新橋へ歩き、国道4号線で自宅に向かった。


途中、まっ黒な雲が近づいてきた。最寄りの東武スカイツリーライン梅島駅に急いだ。自宅近くの駅に降りると、ポツポツ雨が豪雨に変わった。傘を指しても役立たず。ビチョビチョで帰宅となった。

行った日;2017.7.23


岩槻城に行ったら、睡蓮が咲いていた。


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行った日:2017.7.19


年に2回の肺の検診を終えた。早くに終わったので安行へ行ってみた。



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この時季、派手に咲いているのはムクゲぐらいかなぁ~。



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サルスベリとキョウチクトウもあったか。


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目をこらせば、


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ヒッソリ咲いているヤツもいた。



梅雨明けとも思われる曇天空であった。

行った日:2017.7.16
コース:東武伊勢崎線加須駅=バス=騎西総合支所バス停(9:00)~玉敷神社~戸崎城(加須市戸崎・竜宝寺・諏訪神社)~道智氏館跡(加須市道地・成就院)~多賀谷氏館跡(加須市内多賀谷中郷・多賀谷神社・大福寺)~花久の里(鴻巣市関新田)~種垂城(加須市上種足)~上種足バス停(14:00)=バス=加須駅


古代~中世、埼玉郡を2分する日川=新川=にっかわ=騎西領用水は本当に同じものなのか?
現在消滅している日川を境に左岸が太田荘領域、右岸が通称騎西郡・野与党、久伊豆神社領域と考えられる。現在、日川筋に騎西領用水が流れているとされるが、騎西領用水左岸に「道地」などの野与党系の地名がある。また玉敷神社・久伊豆神社と関連が深いとされる「龍花院」が騎西領用水の左岸に存在する。
日川は、加須市北部域では現在の騎西領用水よりももっと北側を流れていたのではないかとの疑問をいだきつつ、騎西領用水近辺の城跡を巡ってみた。


体力温存のため、加須駅から「鴻巣駅行き」のバスに乗った。騎西総合支所で下車。多分旧騎西町の役場前なのだろう。そのまま真っ直ぐ進んで、


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まずは、久伊豆神社の総元締、玉敷神社。



玉敷神社の裏手から小道に入り、国道122号線に出た。国道を北上。


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騎西領用水。


騎西領用水を渡ってすぐに「道地交差点」。ここをなおも北上。右手の田園の奥に、


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ムムッ、あの森があやしいねぇ~。



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加須市戸崎。あったあった。竜宝寺・戸崎城跡。



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竜宝寺の案内板。


ここから南東側に諏訪神社があり、こちらに移動。


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加須市戸崎。諏訪神社・戸崎城跡。


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諏訪神社案内板。



戸崎城は竜宝寺~諏訪神社一体を含む南北400mの規模の城と推定されている。吾妻鏡に戸崎国延の事績が記載されているが、消息、子孫等については一切不明との事。野与党系図にも登場しないし、太田荘との関わりも不明である。

当地の風景は全くの田園地帯で、城跡の形跡はない。昭和の初期に田地化されたようだ。ただ、竜宝寺から諏訪神社にかけての田地が廻りより一段高い位置にあるのは容易に判った。田にはポンプでジャンジャン揚水されていた。


さて、お次は道智氏館跡に向かおう。
便意を催しながら、クソ暑い中を歩く。


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途中の道すがら、こんな標柱をみつけた。道地氏がかかわった鍛冶屋敷か。道智氏館跡は近そうだ。



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加須市道地。道智氏館跡・成就院。


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成就院の板碑。この他にも小振りなものがいくつかあった。



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成就院案内板。


野与党道智氏館跡は、騎西領用水の左岸側にあった。周辺は、この辺りにはめずらしく畑地であった。あきらかに微高地である。肝心の城跡の様子は微塵も感じられなかった。板碑の存在だけが、中世の在地領主の存在を感じさせるものであった。


騎西領用水を渡り、勘で小道に入ると、


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加須市内田ヶ谷。多賀谷神社。



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多賀谷神社案内板。



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多賀谷神社のそばから、東を見る。



多賀谷神社から東進すると、



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加須市内田ヶ谷。大福寺・多賀谷氏館跡。



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大福寺の板碑。かなり大型。


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大福寺案内板。


多賀谷氏の出自に関しては、2説ある。
一つは、鎌倉幕府御家人金子十郎家忠が源頼朝から私市(きさい)荘を与えられ、その子金子家政が居住地の多賀谷を名乗った。
一つは、野与党道智頼基の三子、光基が多賀谷を名乗りその子多賀谷重光の代に金子家政を養子として迎えた。

なお後年、苦林の戦い(1352)の恩賞として結城直光は私市荘を足利尊氏から賜った。その際、多賀谷氏は結城氏に帰属し常陸、下総で活躍する事となり、戦国時代には常陸下妻で大名化していった。


多賀谷氏館跡はやはり田園風景の中の微高地に位置していた。ここも城跡の様相は全く感じられなかった。
「埼玉の城址めぐり」を読み直してみると、
なんと城域は騎西領用水の北側にまで及んでいたとの記述を発見。それは、やはり騎西領用水の流れが江戸期に新規に堀作された事を意味するのか。ならば鎌倉時代には日川は別の所を流れていたのか。


とりあえず、騎西領用水に戻り、上流に向かった。
このころより、異常に暑くなりはじめた。


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加須市上崎。騎西領用水の取水口。先は見沼代用水。


見沼代用水を渡って鴻巣市関新田に入る。昼飯を食おうと目論んでいた「花久の里」に到着。ここで「川幅うどん」なるものを食いたかったのだ。しかし、食堂に入ると満員で、アキ待ちの人々が並んでいた。おれは混んでいる食堂が大嫌い。アッサリ諦めた。隣の建屋で売っていた菓子パンを食ってオサラバ。


さて、お次は種垂城に向かおう。
クソ暑い中、水をガブガブ飲みながら見沼代用水を下流に向かう。
再び加須市に入り榎戸で南進。

種垂城は中々見つからなかった。
スイカを売っている爺さんに道を聞いた。
「そこを右に行って、左に行って、右側だよ。だけど何にも無いよ」「何にも無くていいんですよ。ありがとう」

爺さんの言う通り歩いても判らなかったが、もう至近距離だろう。辺りを見回して、こんもりした森を見つけ行ってみると、



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加須市上種足。種垂城跡。公園化していた。城跡の感じはまるで無し。


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種垂城案内板。


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種垂城跡の裏手には、広大な田園が広がっていた。



種垂城は菖蒲城の佐々木氏築城し、その後忍の成田氏の配下になった。その後、小田氏が入り、小田氏2代め小田顕家は種垂城から騎西城に移る。隠居後、再度種垂城に戻った。

この小田氏とは、常陸小田(八田)氏と同族である。


あ~ぁ、疲れた。鴻巣駅まで歩くつもりでいたが、もう無理である。汗をかき過ぎた。ズボンまで汗が染みて黒くなっている。バス通りに出ると、折よく加須行きのバスが10分待ちでやってきた。

バスのクーラーにあたって、ようやく人心地がついた。
そういやぁ~、タイトルは城巡りだったが、4城も巡って城跡の片鱗も無かったなぁ~。

山行日:2017.7.8
コース:谷川岳ロープウェイ駐車場(7;50)~西黒尾根~(12:00)肩の小屋(12:50)~天神尾根~天神平(14:20)=ロープウェイ=駐車場


本格的な夏になる前に谷川岳に行きたかった。梅雨の晴れ間が訪れるようだ。新潟の天気もよさそうだ。千載一遇のチャンスとばかりに勇んで出かけてはみたものの・・・。


のっけから暑い。西黒尾根下部の樹林帯を汗みどろで登った。「ラクダの背」には1時間半ほどで着いたので、暑いとはいえまずまずのペースだった。


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ラクダの背付近から。


一休み後、歩き出す。ここからは日陰が全く無い。あまりの暑さに頭がクラクラする。



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チョット歩いては一休みが続く。



尾根上には多くの人々の姿が見えた。



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花の写真を撮ったりして休む。休むたんびに水をガブ飲み。



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やっと氷河痕跡に着いた。ここでペットボトル大の水を飲み干した。後はペットボトル小の水があるのみ。


全然歩けない。
やっとこザンゲ岩。帰ろうかとも思ったが、ここでペットボトル小の水に手を着けてしまった。水無しでここから下るのも地獄だろうと思われた。もはや肩の小屋で水を購入するか、上部の雪渓で水を汲むしかあるまい。重い足を引きずった。


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この時季にしては残雪は豊富だ。最悪、雪渓の雪にかじり付くか。



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おおっ、頂上は近い。しかし、凄い人だかりが見える。



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マチガ沢。この辺で、ペットボトル小の水がカラになった。



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雪田を渡って、山頂へ・・・、とはいかず、



凄い人波を見て、肩の小屋に直行。
ペットボトル大の水を2本購入。800円也。一本をまたたく間に飲み干した。

時間を確認すると、ちょうど12時だった。ムムムッ・・・、ここまで4時間10分を要してしまった。昨年と時間的には大差無いが、バテ方が尋常ではなかった。


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肩の小屋付近にて。


肩の小屋付近は凄い人の数。最早、山頂に行く気なし。


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肩の小屋付近より。



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肩の小屋付近より。



人混みを避け、天神尾根側に少し下って昼飯を食う。

当初の予定では西黒尾根往復であったが、このバテようでは危ないと思い、天神尾根を下った。



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天神尾根上部には雪田が長々と残っていた。ようやく涼しい風にあたった。



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オジカ沢の頭と川棚の頭。



雪田が終わると、登山道に雪解けの水が大量に流れていた。



また、暑くなってきた。休む。そして水を飲む。



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樹間より西黒沢。



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そして、フィナーレは近づいた。


次善の策として、田尻尾根を下ろうと思っていたが、もうフラフラでそんな余力は無かった。ロープウェイ駅に直行した。

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