2017年01月

行った日:2017.1.29


みー猫さんの記事では、筑波山麓ですでに梅がチラホラと咲き始めていると言う。
こうしてはいられない。安行の梅見に行かなくては。


安行の梅も咲き初めだった。2分咲き程度か。
咲いている木だけ写真に撮った。


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植物振興センター。


天気予報に反して曇天であった。



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植物振興センター。



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植物振興センター。




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植物振興センター。こんな感じが大半。



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植物振興センター。箸休めのマンサク。



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植物振興センター。箸休め。



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植物振興センター。箸休めのモクレン。晴れてきた。



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植物振興センター。箸休めのモクレンとサルスベリ。



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植物振興センター。



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弁財天。



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弁財天。紅白の餅。



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弁財天。



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興禅院。梅の大木。



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興禅院。梅の大木。



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植物振興センター正門。



けっこう咲いていましたが、まだまだ蕾が多いです。

行った日:2017.1.28


いろいろあって、高峯歩きは短時間で終わった。
加波山麓、筑波山麓の下道で帰る途中、真壁城を思い出した。


石井進氏の「中世武士団」の中で、常陸平氏の繁茂の例として真壁氏が取り上げられていた。そしてかすかな記憶の中に「真壁町長岡」の地名がよみがえる。
カーナビというものを持たない俺は、キタナイ車内の中から地図を掘りだした。かなり古い。しかも全国版である。当然大幅な縮尺率である。幸い「真壁町長岡」を見出す事ができた。

しかし、現地に着くも、城跡の案内は無い。ムムムッ・・・・。まぁ、急遽来た訳で、見つからなくて当然。諦めかけた所で、大きな「観光案内」を見つけ、車を急停車。しげしげと案内を見て、「体育館」のそばに真壁城がある事が判った。戻る。

真壁城は、「桜川市真壁古城」の体育館裏にあった。良く見ると車道から堀と土塁が見えていた。



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真壁城案内板。


真壁城は、想像を越える規模であった。俺のイメージは鎌倉初期の常陸平氏傍流の開発領主であって、広大な城郭を構える一族とは思っていなかった。どうやら鎌倉初期に造営された館が、戦国末期まで増築増強されたようだ。従って、今見る城跡は、戦国末期のもののようだ。


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農道を通って、ここから入城した。



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背後には、加波山~足尾山~筑波山の山並みが迫る。



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奥に筑波山。とにかく広大だ。筑波山の麓には宗家多気氏の北条多気山城、平沢官衙跡、すぐその先にライバル小田氏の小田城(国指定史跡)がある。


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確か、真壁氏一族から剣豪も輩出している。



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パラグライダーがたくさん飛んでいた。城跡の隣地にパラグライダーの着陸基地があるようだ。



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折れをともなう土塁。



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土塁の切れ目から、加波山方面。



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堀も深くて広い。



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堀は何重かになっている。



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土塁に咲く。土塁に登ると白い日光連山が見えた。風光明媚である。



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城内にある鹿島神社。本郭には稲荷神社があった。


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鹿島神社にて。鹿島神社の裏手はひときわ高い土塁と堀があった。自然地形を利用したものか?



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調査が進行中なのか? それとも公園化に向けた工事なのか?


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一巡りしてくると、汗がでていた。



真壁城は予想をはるかに上回る広大さであった。今回廻った所は国指定史跡の範囲だけだった。周辺にも城跡と思われる景観があった。残念なのは、本郭付近に体育館が建設されてしまった事だ。願わくば、白亜の天守閣など、建設されないように。

山行日:2017.1.28
コース;下深沢取り付き・260m付近(8:00)~ワナの標示多数あり・撤退~上深沢(9:00)~主尾根350m付近(9;25)~(9:45)442m峰(10;00)~南西尾根に引き込まれる~復帰~(10:45)高峯(11;10)~高峯西方490m付近の林道様を北に下る~県道(11:30)~下深沢(11:50)


茂木町の高峯北尾根を辿ってみようと、茂木町石沢の南方1kmの下深沢地区から歩き始めた。駐車地の脇に「ワナあり」のビニールに入れられた紙がぶら下がっていた。歩く方向と違う位置にぶらさがっていたので、まぁ大丈夫だろうと思っていた。ヤブを掻き分け尾根上を目指した。すると左手にヤブの薄い所を発見し、そちらに向かう。と。


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またまた、「ワナ」の標示が。


う~ん、ど~すんべ。

目も悪いし、体の動きも鈍いし、おまけにボンヤリ歩いている事が多い。ずッ~と下を見ながら歩くのはツライではないか。今日も撤退じゃ~。


撤退といっても時間が早すぎる。
車に戻って、地図を見る。今日は予定コースの刷り出ししか持ってきていないので、この周辺しか歩けない。こうなると、あまり難解なコースには行く気がしない。単純明瞭がいいだろう。そんな訳で、より高峯に近い、上深沢地区からの破線道から高峯に向かってを歩く事にした。


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矢印のように歩いた。×は当初の予定コース。


上深沢地区は発見できたが、駐車地がみつからない。狭い車道を車で行ったり来たり。結局県道に出て、少し広めの路側に車を留めた。山靴を履いていると、軽トラックがスーッと停まって、中のオッサンがキビシイ顔つきで、「あんた、ここでなにやってんの」と聞いてきた。これまでの事情を説明すると、「高峯はもっと南から登るんだけどねぇ~」「えっ、あの辺に道無いっすか?」と指をさすと、「ああっ、昔の道ね。近頃、不審者が多いもので」との事。ムムムッ・・・、俺は不審者なのか!

とりあえず、オッサンからはお許しがでたようで、橋を渡って取り付きへ向かった。
しかし、2.5万図にある道は、民家の庭先に通じているように見える。さきほど来、地元の方に不審者として見られているようだ。ここで、民家の庭先に闖入する事は許されまい。などと思いつつ、躊躇していると、さっきのオッサンの軽トラが再びやってきた。一瞬、ヤバイと思ったが、オッサンは車の中から指をさして、「ソコソコ、そこだよ」と合図を送ってくれたのだ。俺は安心して、その道に闖入した。
オッサンありがとう。


てな、わけで、山に取り着く前に、イロイロと葛藤があったのだ。
結局、道は民家の庭先を通ること無く、奥へと続いていた。


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登り出し。こんな雰囲気。



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高峯北尾根の主脈に出た。こんな雰囲気が好きなのだ。



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少ない色ものなので。

442mの急登で、踏み跡を失うが、ヤブ薄く問題無し。ただ、上に歩けばよい。


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442m付近。あまり見かけない石祠の形状。丸みを帯びている。


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442m峰到着。平坦地。


442峰はyamasanpoさんの記録から、切り開きの平坦地である事を知っていた。が、その先に落とし穴がある事は知らなかった。
一服後出発。目の前に見える踏み跡を進む。ん、樹間の先に山が見えん。地図に磁石を当てると方向違い。どうやら南西に下る尾根に入り込んでしまったようだ。山腹をトラバース。かすかな尾根型に辿りつき磁石をあてる。鞍部に着いた所で踏み跡が現れる。442m峰からの下りは濃い踏み跡は無いかもしれない。


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やや急な斜面となって。


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高峯に到着。


前後して、3組が山頂に到着。栃木100の話をしているようだが、俺は不参加。


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お決まりですが、吾国山、難台山方面。


那須、高原方面の白い山が見えた。男体山も樹間からいつも以上に白く見えた。


自分以外の人々は皆様、雨巻山から来て、そちらの方へ戻るようだ。俺はどうしよう。朝のつまづきから、短いコースに変更した影響で、短時間で高峯に着いてしまった。地図を見る。どうするか決まらないうちに雨巻山の方へ歩き出してしまつたが、すぐ先の地図に乗っていない林道を見て、そちらに下る。林道としては急な道だったが、短時間で県道に出てしまった。


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林道を下った。


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県道にて。


県道を北上し、駐車地に戻った。



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右に高峯、左に442m峰。



駐車地にて、ササッと靴を履き替え、ササッと車を出した。不審者の嫌疑をかけられる前にこの地を去った。



余りにも、短い歩きだったが気持ちの良い尾根でもあった。

時間が早いので、下道で帰ろう。

そうだ、真壁城によってみようではないの。

山行日:2017.1.22
目的地;皆野町妙音廃寺跡、皆野町龍ヶ谷城、ハギノソリ峠
コース:秩父鉄道親鼻駅(8:05)~皆野町妙音廃寺跡ルート探索~妙音廃寺到達できず~戦場地区北側の尾根~270m圏ピーク~321m龍ヶ谷城(千馬山城)(9:35)~ハギノソリ峠(10:10)~400m圏・神社記号・古峰神社(10:45)~440m付近林道(11:10)~470m林道十字路(11:15)~645m上部林道(11:50)~(11:55)皇鈴山(12:20)~愛宕山(12:40)~二本木峠~内手バス停(13:20)~奥沢バス停(14:10)=バス=東武東上線小川町駅



2.5万図に皆野町・戦場の記載がある。この戦場の文字がある辺りに妙音廃寺の遺跡があるらしい。本堂跡や石積みの住居跡、五輪塔、供養塔などがあるという。妙音廃寺の調査は行われておらず、詳しい事は判らないが、龍ヶ谷城(千場山城・321m峰)との係わりがある可能性があるかもしれないらしい。
ところが、(多分)皆野寄居有料道路の建設に際し、妙音寺洞窟遺跡の調査が行われ、縄文時代最古級の人骨が発掘された。どうやら昨年、嵐山町の県立博物館で調査結果などの特別展があったらしい。

従って、妙音廃寺の遺跡よりも妙音寺洞窟遺跡の方にスポットが当っているようで、廃寺の調査が行われるかは判らない。ちなみに妙音廃寺はかなりの規模のお寺のよう。


というわけで、妙音廃寺に行ってみようではないの。
しかし、妙音廃寺に達するルートは不詳。取り敢えず行きあたりバッタリで行くしかあるまい。そして龍ヶ谷城東方にあると思われるハギノソリ峠にも行ってみたい。2.5万図には記載されていないが、以前龍ヶ谷城を訪れた際、「ハギノソリ峠→」見ている。そして行きがけの駄賃として愛宕山か皇鈴山にでも寄ってみるか。


秩父鉄道親鼻駅で降りたのは、俺だけだった。ションベンをツッ垂れて出発。国道を東進。最初の信号を右折。皆野長瀞有料道路の取り付き道十字路を北西に進むと、すぐに三沢川にかかる橋があった。この橋の上流わずか400mの所に妙音廃寺跡があるはずである。
橋を渡ってすぐの所に三沢川に下る舗装された急斜面があった。ここを下ると、手すり付きの遊歩道のようなものがあった。しめしめ・・・。


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三沢川に降り立った。上流は険しい峡谷になっており、手すり付きの遊歩道があった。


遊歩道はあるものの、通行者は皆無とみえて、山腹から樹木が張り出しまともには歩けない。やがて、遊歩道は尽き、猛烈なヤブと化した。しかも峡谷沿いでとても歩けたものではない。
戻る。

車道に戻ると、すぐ先に整体のお店があり、その脇に山道があった。整体屋さんの庭先にも見えるがズーズーしく侵入する。先に民家は無く進む。すると下に先ほど辿った遊歩道が見えた。さらに進むと道は遊歩道の方へ繋がっていた。ダメだねぇ~。
仕方ない北側の尾根に上がろう。ヤブを漕いで三沢川右岸の尾根、龍ヶ谷城321m峰の最末端の尾根に出た。


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三沢川右岸の尾根に出た。道無し。


しばらく薄いヤブ尾根を北北東に辿ると、北側から道が上がってきて普通の山道となった。妙音廃寺跡に行ける道はないかと常に南側斜面を見ているのだが、そんなものは無かった。


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270m圏ピークに到着。傾いた神社があった。神社名は不詳。


ここで、妙音廃寺跡に行く事は断念した。磁石を南南東へ321m峰・龍ヶ谷城にセットした。


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多少雪があるものの、道は良い。


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皆野寄居有料道路を見下ろす。ちょうど下田野トンネルの真上のようだ。多分下田野トンネル西側に妙音廃寺、妙音寺洞窟遺跡があるのだろうと思う。


なだらかだった尾根が、やけに急になり、ロープなどがあったりして、堀切跡を渡ると、


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321m峰龍ヶ谷城(千馬山城)本郭に飛び出した。


真夏に来た時は蜘蛛の巣城であったが、今はスッキリしている。下に帯郭と思われる削平地が2箇所ほど見える。簡単に東の尾根に進める。


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堀切跡。


順調に東進すると、やがて城らしさは無くなり、小さな登り下りの気持ちの良い尾根道となった。



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杉林は少なく、とても気分が良い。



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そしてハギノソリ峠に着いた。


ハギノソリ峠は2.5万図の300m)標高点の西側にあった。強石地区は通行止め、能林地区へは下れそうだ。今日はそのまま東進。巨石を左から巻く。


右手から太い山道が合流してきて、


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400m圏にある神社記号に到着。



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奥に社が。古峰神社とあった。



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神社の裏は、荒川北岸の山々が見えた。


この先は、尾根が広がり傾斜も緩くその上道型明瞭、散歩気分で歩ける。おや、キツネだかタヌキだかがこちらを見ている。近づくと、山腹を下って行った。


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散歩気分の道。俺はこう言う所が好きなのだ。



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何だか知らないけれど。色物なので。



やがて林道に合流。その先で林道十字路となる。林道十字路を真東に山腹に取り着く。ここは道が無かった。急登にアエグ。どうやらツツジ尾根のようだ。春に来たいと思うが、その頃は汗みどろだろうな。
やっとこさ上部舗装道に出た。


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そこには、偶然にも案内標識があった。


しかも昭文社の地図にも出ていない「皇鈴山→」の山道があった。


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皇鈴山山頂より。左に両神山。


ほかに、三宝山、甲武信ヶ岳、蓑山などが見えた。
ここで、握り飯、クリームパンを食った。


先へ進もう。


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愛宕山への道。



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愛宕山付近にある、鉄人28号。


二本木峠を経由して、東秩父村へ下る。


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秩父高原牧場をかすめる。



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内手集落より笠山。



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槻川を渡ると、内手バス停があった。


今日もバスは50分待ち。
歩こう。



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道々にて。


奥沢バス停まで歩いて、タバコを吹かす。定刻にバスがやってきた。



妙音廃寺跡には到達できなかった。是非とも行ってみたい所ではあるが・・・、なかなかねぇ~。くようとう

山行日:2017.1.14
コース:東武東上線小川町駅=バス=パトリア小川バス停(8:25)~槻川を渡る~慈眼寺~道迷い~御岳山(9:45)~行風山(10;30)~雷電山(11;15)~道迷い~雲河原集落~道迷い~松風峠下~西平~桃木バス停(12;50)=バス=せせらぎバスセンター=バス=東武東上線武蔵嵐山駅

当初の予定では、松風峠下の後野集落から都幾山まで足を伸ばすつもりであったが、道に迷うは、地図をなくすはで、加えて小雪まで降ってきて途中敗走となった。





小川町の駅に降り立って・・・、ムムム、うっすらと雪が積もっているではないの。
取り敢えずバスに乗りパトリア小川で下車した。



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パトリア小川のすぐ先で左折し、槻川を渡る。うっすらと積もった雪がいやらしいのぉ~。



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振り返ると、先々週行った腰越城跡の頂きが見える。左手前の尾根は畠山重忠公のお墓に繋がる。


車道を直進し、2.5万図にある並んだお寺の東側のお寺に侵入。


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慈眼寺とあった。「国宝 久能経」とあり期待したが、どうも写しらしい。


ここで、2.5万図記載の御岳山に向かう道が見つからずうろついた。事前には、道が無くてもヤブを掻き分ければよいワと思っていたが、なんとはなしに入り込みたくない雰囲気のヤブでここからの取り付きは諦めた。お寺の上方の墓地を西に進むと道が現れ、これを利用することにした。多分2.5万図記載の道のはずである。が、途中で消えた。荒れ地記号のある所で小川を渡り車道に出る。車道を少しだけ進み、再び小沢を渡り当初予定の尾根に這い上がろうとした。地図で見るほど緩い斜面では無く、枯れ木を掴んで登った。
不思議な事に、気がつくと全然雪がなくなっていた。


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尾根に出ると、深くえぐられた道に出た。


ようやく予定のコースに乗ってホットした。このあと、尾根を離れてやや東寄りに進むはずであるが、その気配はない。まぁよいか。道がはっきりしているので道任せに歩いた。



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やがて、頂きに到着。鳥居や石像が乱立する所。


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東側にゴルフ場のものと思われる金網。ここが小川町御岳山だろう。

ここで焼きソバパンに食らいつく。タバコを吹かせて、さて次に進みましょう。の段になって、ナイナイ、地図が無い!いくら探してもナイものはナイ。やっちまったなぁ~。もう一本タバコを吸う。

一応、昭文社の地図を持っている。が、本コース、ほとんど道記号無し、GPSは持ってきていた。スイッチを入れると電池残量がアブナイねぇ~。

進むべき方向に明瞭な道があった。取り敢えず、道がある限り先に進んでみるか。なくなったら必ず引き返そう。


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こんな道が続き。



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行風山分岐かな。ここで左折。




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そして、分岐から5分で行風山に到着。


分岐に戻り、磁石で方向を確認。確認と言っても見ている地図が昭文社1/5万だから大雑把なものである。取り敢えず明瞭な道が続いている。

しかし、なんだか小雪が舞い始めた。


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そして、林道だらけの平坦地に着いた。


磁石の方向に進む。正面に斜面が現れて細い道が着いていたのでそこを登る。道は明瞭化し、なんだかゴチャゴチャ曲がるが、そのまま登ると、


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こんな石像や石祠が現れたりする。


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道は心配ないようだ。


少し斜面が急になると、


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雷電山に着いた。



雷電山は祠や石祠が賑やかな所だった。展望は得られない。堂山方面への標識があった。当初、堂山から登ってみようとも思ったりしていた。道がある事が確認できたので次回以降の楽しみにしておこう。

ここで、握り飯を食っていると、雪が激しくなってきた。さっき登ってきた方向に「県道→」があったので、首を傾げながらもそちらに向かった。しかし、様子がおかしいのでGPSのスイッチを入れた。雲河原に向かいたいのだが、どうもそれているようだ。そんな風に思っていた所で左側に薄い踏み跡が見えそちらに入ってみる。


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開けた所に出た。すぐ下が雲河原の山上集落のようだ。



雲河原集落は山上にありながらかなりの民家があった。そして迷う。GPSを見ても判らない。有らぬ所を指し示すクソッタレGPSである。


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こんな看板が。降りてきただけなので、通行禁止と言われても・・・。


幸い、雪はやんだ。



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雲河原にあったファインマン図。


あいかわらず雲河原集落内で迷っている。


なんだか判らないが、下へ行く車道を歩いた。


ようやく、松郷峠に繋がる車道に出た。予定ではここから都幾山に登り返すはずであったが、ここまでの道迷いがひど過ぎて、とても行く気になれなかった。松郷峠を越えて小川町に戻る気力もうせていた。下りだけですむ西平地区に行く事に変更。


西平に着くとバスは40分待ち。しばらくバス停に佇んでいると、とても寒くなってきた。歩こう。



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途中にあった都幾川の三婆渓谷。



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桃木バス停付近から、右に堂山か。


桃木バス停から北に堂山が見え、雷電山からは堂山を経由すればよかったと後悔する。

桃木バス停から「せせらぎバスセンター」でバスを乗り継ぎ、武蔵嵐山駅へ。


武蔵嵐山駅に着くと、多くの高校生がタムロしていた。なんでも人身事故で、小川町~川越間が不通との事。


あ~ぁ。
不振な一日であったなぁ~。

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