行った日:2016.2.28
今日、大宮第二公園に向かう途中に、「寿能城址」の大きな石柱を発見。以前、見沼代用水西縁を歩いた際に、見つからなかった城跡だ。梅見の帰りに寄ってみよう、となった次第である。
石柱は寿能交番脇に建っていた。交番の背後に団地。団地の間の道を見沼代用水西縁に向かうように進む。道が下り加減になった所に、寿能公演・寿能城址があった。

寿能公園・寿能城祉。

寿能城は、岩槻城主太田三楽斎の四男潮田資忠が居城。後北条氏に対抗するための城だった。
往時は、寄居の鉢形城に匹敵する規模を誇っていた。今は無い見沼に三方を囲まれた浮き城であった。三楽斎の嫡男の寝返りにより岩槻城が北条方に移るとともに、寿能城も北条の城となる。
秀吉の小田原攻めの折に潮田資忠は小田原城に籠城。この際、小田原城外郭四ツ門蓮沼で討ち死に。寿能城も落城。(続・埼玉の城址30選より)
秀吉の小田原攻めの折に潮田資忠は小田原城に籠城。この際、小田原城外郭四ツ門蓮沼で討ち死に。寿能城も落城。(続・埼玉の城址30選より)

寿能公園。中央の塚に潮田資忠の墓碑があるという。寿能城物見塚跡と伝わる。本日は子供たちに占領され、近づく事はかなわなかった。
寿能城祉の梅の古木の写真を撮って立ち去る。