2015年06月

「吾妻鏡」建久5年(1194年)6月30日の条



「武蔵国大河土御厨において(久)伊豆宮神人喧嘩出来の由、その聞こえあり、驚き思し食すによりて尋
ね沙汰せしめんがため、掃部充行光を下し遣わさる」




6.鎌倉前期の草加市

武蔵七党分布図を見るに、草加市域では横山党の矢古宇(谷古宇)氏の名前が見える。ここは足立郡になるが、南へ毛長川を渡ると伊古宇(伊興)氏の名前が見える。音が似ているので同族かとも思えるが、保証はない。周辺は谷古田郷とも言われ、川口市安行峯の峰八幡宮を奉祭する。ただし、峯八幡宮への帰依は、頼朝によりこの地が鶴岡八幡宮に寄進されて以降の事と思われ、事件当時の関係は定かではない。後年、谷古宇氏は奥州路の警護を命じられるなど地頭職として生き延びていく。
なお、谷古宇氏は一般に横山党とされているが、草加市史によると藤原秀郷流の末裔の可能性が指摘されている。
大河戸御厨とは古綾瀬川を境界(足立郡と埼玉郡の境界)に接していたものと想像できる。


7、野与党分布域

野与党の分布域は久伊豆神社の分布域と一致すると言われている。ただ、久伊豆神社の分布は元荒川流域とされるが、これは正しくはないと断じておこう。

「久伊豆神社の分布は、鎌倉時代前期の利根川本流及び日川を東限とし、綾瀬川を西限とする。」が、より実態に近い。
鎌倉前期の利根川は、春日部市北部までおおよそ現大落古利根川に沿って流れ、ここから古隅田川を西に逆流し旧岩槻市北部で現元荒川に合流していた。

現在の元荒川流域で久伊豆神社の空白域が存在するが、それは、日川(現在は消滅)と、特に利根川の流路の影響である。岩槻市から越谷市にかけて、元荒川東岸に全く久伊豆神社が存在しないのは、鎌倉前期にここを荒川と利根川が同じ流路を辿っていたからである。即ち利根川東岸は下総国で、香取神社分布圏となっているからだ。
また、この付近での川の蛇行は凄まじいものがあった。ちなみに、東武スカイツリーラインの駅が、鎌倉時代に武蔵、下総のどちらに属していたか見てみよう。


南から                    最寄り神社  

埼玉県草加市 新田駅  武蔵国足立郡     金明氷川神社   不明
 ↓
綾瀬川渡る
 ↓
埼玉県越谷市 蒲生駅  武蔵国埼玉郡     蒲生久伊豆神社  
 ↓
埼玉県越谷市 南越谷駅 武蔵国埼玉郡              野与党大相模氏
 ↓                              
埼玉県越谷市 越谷駅  武蔵国埼玉郡     越谷久伊豆神社  野与党古志谷氏
 ↓
元荒川渡る(荒川・利根川)
 ↓
埼玉県越谷市 北越谷駅 下総国葛飾郡     武州香取神社   下河辺荘
 ↓
埼玉県越谷市 大袋駅  武蔵国埼玉郡              
 ↓
埼玉県越谷市 千間台駅 下総国葛飾郡     三野宮香取神社  下河辺荘
 ↓
埼玉県春日部市武里駅  下総国葛飾郡     雷電神社     下河辺荘
 ↓
埼玉県春日部市一の割駅 下総国葛飾郡     藤塚香取神社   下河辺荘
 ↓
埼玉県春日部市春日部駅 下総国葛飾郡     春日部八幡宮   下河辺荘
 ↓
古隅田川(利根川)渡る
 ↓
埼玉県春日部市北春日部駅 武蔵国埼玉郡    雷神社      太田荘
 ↓
埼玉県宮代町 姫宮駅  武蔵国埼玉郡     五社神社     大田荘
 ↓
埼玉県宮代町 東武動物公園 武蔵国埼玉郡            太田荘
 ↓
埼玉県宮代町 和戸駅  武蔵国埼玉郡              太田荘
 ↓
埼玉県久喜市 久喜駅  武蔵国埼玉郡     御岳神社     太田荘
 ↓
埼玉県久喜市 鷲宮駅  武蔵国埼玉郡     鷲宮神社     太田荘
 ↓
まだ続くが、この辺で終わろう。


イメージ 1
越谷市砂原。砂原久伊豆神社。この辺りは、元荒川西岸のみに久伊豆神社が分布している。



イメージ 2
越谷市小曽川。小曽川久伊豆神社。ここも元荒川西岸。




ようは、越谷市域では、利根川の大蛇行のため、久伊豆神社と香取神社が混在しているように見えるのだ。古利根川以前の利根川の河道を辿ることにより見事なまでに久伊豆神社分布圏と香取神社分布圏を分ける事ができるのだ。なお、越谷久伊豆神社が元荒川(利根川)東岸にあるのは、江戸時代の河川の直線化工事によるものと判明した。

なお、利根川の本流は、15世紀後半に古隅田川から現在の古利根川筋に移行した。これに伴い下河辺荘内のうち新方庄が武蔵国に編入された(八潮市史)。(荘と庄の違いは、俺には分からない。)
ただし、この当時、すでに下河辺荘は消滅していたものと思われる。

久伊豆神社の分布と野与党の分布が一致している事は確かな事で、武蔵国埼玉郡の太田荘域を除いた南北に長く狭小な地域が野与党の支配領域だった。平安時代に埼玉郡北部にやってきた野与党は、暫時南下し、各地の地名を名乗り、埼玉郡に根をおろした。ただ、調査不足により、北部の久喜市、加須市、行田市付近での領域が今一歩判然としないのだが。


      
8.大河戸御厨を巡る対立軸

武蔵国大河戸御厨(伊勢神宮寄進地)で起こった本事件。

事件の内容は、大河戸御厨で(久)伊豆社神人が喧嘩を起こした。驚いた鎌倉幕府は調査に乗り出し、太田荘地頭が召し放たれた。というもの。


8-1藤原秀郷流諸氏と野与党

大河戸御厨を取り巻く在地領主は藤原秀郷流の武士団である。太田氏(埼玉郡)、下河辺氏(葛飾郡)、大河戸氏(葛飾郡、埼玉郡?)がこれに当り、さらに谷古宇氏(足立郡)、小山氏(下野国)が加わる。
谷古宇氏を除けば、この武士団が比較的良好な関係を保持していた事がうかがえる。
  たとえば、
  下河辺行平の子「行光は太田荘に住んでいた」
  太田行朝とは、「大河戸広行の子であった」 
  小山氏により太田荘鷲宮神社の修復が行われた
なと゜。
また、太田荘、下河辺荘とも鳥羽天皇第三皇女八條院に寄進されたものである。

唯一、大河戸御厨の西方が野与党支配領域であった。
野与党は、下総平氏千葉氏系と言われている。平安時代に下総国にやってきた秀郷流小山氏一族と、同じく平安時代に下総国から武蔵国に移り住んだ野与党は対照的である。


8-2大河戸御厨内の二人の地頭
大河戸御厨内の地頭は一般に大河戸氏とされるが、現八潮市(武蔵国埼玉郡)に野与党渋江氏から出た八條氏が地頭職を安堵されている。
大河戸氏の本拠地は現在埼玉県松伏町大河戸(下総国葛飾郡)と推定されている。地頭職が同時期に二氏に与えられていたかどうかは不明であるが、少なくとも有力者が大河戸御厨内に併立していた。
しかも、この二氏は荒川・利根川の本流(現中川)を挟んで対峙していた。


8-3鷲宮神社と香取神社
藤原秀郷流小山氏系の一族は、本来鷲宮神社を奉祭していたと思われる。鷲宮神社は太田荘内に色濃く分布し、下野国南部にも点在する。
大河戸御厨内には現在鷲宮神社の影は無い。大河戸御厨内には圧倒的に香取神社が多いのである。従って、大河戸氏がこの地にやってきた頃には、すでに強固に香取神社分布圏が成立していたものと思われる。


8-4伊勢神宮と香取神社
大河戸御厨は伊勢神宮に寄進された土地である。
大河戸氏の本拠地である松伏町大河戸には神明社が寂しく残存している。大河戸神明社は伊勢神宮の祭神天照大神を祭ったものである(越谷市史)。頼朝によってこの地が伊勢神宮に寄進された後に神明社が創建されたものと思われる。

当時、伊勢神宮、香取神宮とも宮司は代々大中臣氏が務めており、両神宮の大中臣氏とも同一の出自であるが、大中臣氏が分派し固定化していたと思われる。

伊勢神宮は沿海航路により御料船を出し、関東まで進出していた。一方香取神宮は当時存在した巨大内海である香取海(下総、常陸国境)を中心に河川交通を牛耳っていた。


8-5香取神社と久伊豆神社
鎌倉時代の利根川本流を境界として下総側の香取神社分布圏と武蔵側の久伊豆神社分布圏が明瞭に対峙している。
大河戸御厨内にも香取神社は数多く点在するものの、大河戸氏との関わりは感じられない。一方久伊豆神社は、久伊豆神社ある所に野与党武士団が色濃く存在するのである。

香取神宮の本家大中臣氏譲り状に「彦名関(埼玉県三郷市:下総国)、鶴ヶ曽根関(埼玉県八潮市:武蔵国)」が存在する。
八潮市鶴ヶ曽根は上下鶴ヶ曽根久伊豆神社の二社が存在する。この二社が鎌倉時代前期に遡る事を証明する事は難しいが、野与党武士団がすでにこの地まで南下していたのではないか。


8-6足立区花畑、綾瀬川をはさんで
綾瀬川左岸は野与党、久伊豆神社勢力圏である。埼玉郡最南端現八潮市西袋・大曾根付近で足立郡現草加市瀬崎、現足立区花畑が複雑な境界を形成している地点がある。ここは綾瀬川と毛長川の合流点である。
八潮市は大河土御厨の一部でありながら、野与党・久伊豆神社分布圏に属す。
八潮市大曽根で、綾瀬川を挟んで足立区花畑大鷲神社が存在する。平安末期に成立した古社である。現在よりも大河だったと思われる毛長川と綾瀬川に面する大鷲神社が河川交通に関与していた事は無かっただろうか。
調査不足のためか、大鷲神社と大河土御厨・太田氏との関連性も発見できていない。


ここで、神人の職能について考えたいが、今日もここで力尽きた。

行った日:2015.6.6
コース:竜頭の滝(7:45)~赤岩~(9;00)千手ヶ浜(10:00)~(10:40)西ノ湖入口(10:55)~弓張峠(11:30)~小田代ヶ原~泉門池~戦場ヶ原~石楠花橋~竜頭の滝(13;30)



足が萎えている。山歩きは無理だろう。
セとナさんのコースから高山を省けば歩けるだろう。と、のんびり歩きに徹しする事とする。

宇都宮まで雨だった。
本当に雨はやむのかネ?

竜頭の滝駐車場に着くと雨はあがっていた。

湖畔の道に歩く。


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おおっ青空が広がってきた。


が、時折、ザッと通り雨が落ちてくる。深い森の道なので、雨具はいらなかった。



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千手ヶ浜に着いた。この頃より雨は降らなくなっていた。男体山は雲に覆われていた。


九輪草園地には、多くの人々がいた。一周しておさらば。

中山に通じる沢筋に入ってみた。



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クククッ、咲いてる、咲いてる。


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ヒヒヒッ、などと、いやらしい笑いを浮かべながら写真を撮っていた。


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九輪草は、沢の奥の方まで進出していた。


薄ら笑いを浮かべながら戻る。木橋で足を滑らして、橋から転げ落ちた。
瞬間、藤原嘉明の対前田戦での防御姿勢をとり、丸まりながら背中から落ちた。幸い、水の中では無く、グズグズの泥の上に落ちた。誰も居ない事を確認し、なにくわぬ顔をしてタバコを吹かせた。怪我はなかった。

西ノ湖に向かうつもりであったが、意気消沈し、千手ヶ浜バス停に向かう。バス停では、バスの時間まで30分あったので、草加自然の家に立ち寄った。初めて見たのだが、まさかの巨大施設であった。昔、おれが宿泊を申し込んだ時、「お一人様はご利用できません」ときたもんだ。
ここから西ノ湖入り口はすぐだった。

バスに乗りましょうとバスを待つ。10分遅れでやってきたハイブリットバスは満員だった。バスの運ちゃんが俺の顔を見ながら、両手で×のサインを出しやがった。クソッタレ!

歩くつもりの無い所を歩くと疲れる。
弓張り峠でタバコを吹かせていたら、次のバスが通り過ぎていきやがった。


小田代ヶ原に下り、泉門池、戦場ヶ原と廻った。


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樹間からの、大真名、小真名。


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戦場ヶ原。


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おおっ、咲いていた。


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甘い香りはしなかった。


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ワタスゲ


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やっとツツジ。



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竜頭の滝遊歩道にて。ゴージャスに。



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こちらは、清楚に。



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いろいろあったけど、やっぱり奥日光はいい所でした。

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