2014年08月

山行日:2014.8.31
目的地;名草巨石群、行道山、大岩山
コース:東武足利市駅=バス=入名草バス停(8:35)~厳島神社鳥居(8:55)~厳島神社(9:05)~名草巨石群徘徊~厳島神社下「行道山浄因寺→」道標(9:45)~尾根に出る(9:05)~藤坂峠(10:35)~馬打峠(12:00)~行道峠(12:30)~行道山・石尊山(13:10)~大岩山(13:35)~毘沙門天(13:50)~両崖山(14;50)~(15:20)レストハウス(15:40)~足利市駅(16:10)


先々週、足利を訪れて「名草巨石群」なるものが存在する事を知った。興味を覚え、早速行く事にした。足利市のHPを見ると、名草巨石群から尾根伝いに行道山、大岩山、両崖山を辿れるようなので行ける所まで尾根を辿ってみよう。そして、織姫神社のソバ屋でソバを食うのだ!!


足利市駅に降り立ち、まずは喫煙所で一服。一服後、バス停を捜すもバス停無し。バス停は駅の南口にあった。バスと言ってもマイクロバスであった。「入名草」行きのバスに乗ったのは俺だけだった。料金は一律200円。30分の乗車だった。足利市民の皆様、もっと乗ってくださいナ。


ギンギラギンに晴れていた。暑苦しい車道を歩いた。道標に従い右折。まもなく厳島神社入り口の大鳥居に着いた。自販機で110円のジュースを飲む。


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水辺に咲く。


日陰の参道となりいくらか涼しい。やがてコンクリ道がジャリ道に変わり、厳島神社・名草巨石群の入り口に着いた。


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名草巨石群に到着。


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厳島神社。


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名草巨石群と厳島神社は一体化していた。


ワクワクしながら奥に入る。折り重なった巨石の脇に「名草巨石群」の標柱があった。折り重なった巨石は、通常、山中でよく見られる程度の巨石だった。さらに奥に行くと、車道となり「赤雪山→」があった。
厳島神社に戻り、胎内岩なる狭隘に入ったが、蜘蛛の巣があり撤退。

参道を少し戻ると「行道山・浄因寺→」があり、これに従う。窪地の道だったが、徐々に傾斜が増してきた。大汗をかいて縦走路へ出た。

一服後、出発。初めこそ平坦な雑木林の道だったが、すぐに木段道の激しい上り下りの辛い道になった。


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尾根に出た所。雲が広がった。ここは平和であった。


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木段。写真で見るより傾斜はキツイ。


やっとの思いで、藤坂峠へ降り着いた。地図を見て、この先の長さにゲンナリした。藤坂峠から再び急な登り返し。太陽が出てきやがった。

道は、平坦になった。道が僅かにカーブした所で、ウリ坊2頭とハチ合わせ。こちらもビックリしたが、あちらはそれ以上だったらしく、一旦左の森に走り入り、3秒後に再び顔を出して右の藪に突入していった。親がいるのではと思い、静かに後ずさり。小さくお声をかけたがシンとしているので、そそくさとその場を突っ切った。道々はシシが掘った穴がたくさんあいていた。

道々にシシの痕跡が多数あったが、それにも増して蜘蛛の巣が異常に多かった。顔面は完全に蜘蛛の巣にからめとられていた。


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ここで足の裏がツッタ。ムムッ。塩入ジュースを飲んで耐える。


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こいつが、たくさん生えていた。食う気にならない。

馬打峠まで、長い事、長い事。



馬打峠に降り立って、2.5万図と磁石を出した。足利市のHPのルートと2.5万図の山道が一致していないのだ。足利市HPルートは、どうやら「関東ふれあいの道」ルートのようだった。それは、行道山に直接行かず、浄因寺に下るルートであった。ここまで、「関東ふれあいの道」の道標に従ってきたが、この先で、「関東ふれあいの道」ルートとオサラバして、直接行道山(石尊山)に行きたい。

ところで、ここまで誰ともふれあっていない。

磁石をこまめにセットし直して、「関東ふれあいの道」を捨てる場所を見つけなければならない。分岐は簡単に見つかった。主稜線に沿った明瞭な踏み跡を発見。いくらか藪っぽいが、全く問題なし。ただここから、蜘蛛の巣はさらにヒドクなった。行道峠と思われる鞍部に到着。標高差130mの登りはコタエルのぉ~。地図通り、超急斜面が現れてその先から緩斜面になった。チョット小広い所でルートを失いかけたが、磁石をあて、ルートに戻れた。


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行道山(石尊山)に到着。また、曇った。今日は、このまま曇っていておくれ。雨はけっこうですけど。


行道山から急坂は無くなった。大岩山を越え、毘沙門天に向かった。



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毘沙門天到着。


毘沙門天から少し車道を歩いて再び山道へ。もうたいした登り下りはない。



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両崖山の山頂下のベンチより。


両崖山まで来ると登山者がソコソコいらっしゃる。

さぁ、ここからは下るのみ。尾根上のレストハウスでソバを食うのだ。ここまで、チギリパン1個で耐えてきたんだもん。

待望のレストハウス到着。勢い込んでソバを注文した。が、ソバは15:00までだってサァ~。現在15:30。ガックリ。仕方ない、せっかくなのでアイスコーヒーを注文した。10分後にアイスコーヒーが出てきて、30秒で飲み干した。500円也。


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レストハウスより。緑色の橋で渡良瀬川を渡れば、足利市駅である。



こうなったら、織姫神社参道のソバ屋に行くしかあるまい。鼻息を荒くしてソバ屋に直行。が、ここは14:00までだとさ。(怒)。


頭からソバが離れなくなった。足利市内に降り立ってソバ屋を捜すが、ソバ屋はおろかほとんどの商店のシャッターが降りていた。

腹減った~。

駅のコンビニで菓子パンを買って、立ち食い。


すぐに特急りょうもう号がやってきた。

行った日: 2014.8.24
目的地:村国久伊豆神社、南下新井久伊豆神社、真福寺久伊豆神社、柏崎久伊豆神社
コース:東武スカイツリーライン越谷駅=バス=上飯塚バス停(7:00)~村国久伊豆神社~渋江鋳金遺跡~飯塚神社~法華寺~南下新井久伊豆神社~福厳寺~真福寺久伊豆神社~正蔵院~柏崎久伊豆神社~円福寺~東武野田線岩槻駅~浄安寺~愛宕神社~東武野田線岩槻駅(13:20)


天候が安定しないので、本日も山歩きはやめた。変わって、さいたま市岩槻区の久伊豆神社巡りにでかけた。

岩槻の久伊豆神社と言えば、多分宮町の久伊豆神社がメジャーなのだろうが、今回岩槻の中南部の久伊豆神社を巡ってみた。

ところで、旧岩槻市は大宮、浦和、与野などとさいたま市と合併した。岩槻は、東に元荒川、西に綾瀬川が流れ、正に久伊豆神社分布圏の真っただ中にある。その意味からするとさいたま市との合併には違和感を感じるのである。しかし、地元の住民に聞くと、大宮との行き来が主体で、蓮田、白岡、越谷などの久伊豆神社圏はあまり眼中にないご様子であった。香取神社圏の春日部も同様の扱いのようだ。即ち、現在、久伊豆甚社による広域の紐帯感は全く失われてしまった。


越谷駅でクソをして、コンビニで塩入りジュースを購入しデイパックに突っ込んだ。曇り予報に反して、青空が広がる。岩槻行きのバスは結構な頻度で出ていた。10分待ちでバスがやってきた。乗客は俺を含めて4名。他の客は水上公園前で下車。俺は岩槻区上飯塚バス停で下車した。地図を見て、⑦の裏手の道を進んだ。突き当りを右に曲がると、


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村国久伊豆神社。


村国久伊豆神社は畑地と民家が点在する元荒川にほど近い右岸台地上にあった。なお「久伊豆神社」の前に冠した「村国」は、当地区の町名であり、便宜上、俺が勝手に冠したものであり正式のものでは無い。(以降、同じ)

神社の脇のベンチでオッサンが、タバコを吸っていた。朝の挨拶をした。何故か会話がはずみ、「久伊豆神社の宮司を紹介してあげる」と言うのであるが、素人の俺がお話を伺ってみた所で失礼にあたる。丁重にお断りした。なお、宮司は、近隣の神社の宮司を複数兼ねていらっしゃるとの事。俺が「近所に鋳物師の碑はないか?」と尋ねると、「知っているのでこれから案内しましょう」との有難いお言葉を頂いた


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おおっ、あった、あった。渋江鋳金遺跡。


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渋江鋳金遺跡の碑。


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渋江鋳金遺跡の案内板。


渋江鋳金遺跡の場所は村国久伊豆神社から5分程の距離であるが、オッサンとしゃべくりながら歩いたので、殆ど不詳。オッサンによると藪の向こうは岩槻文化公園であるとの事。

渋江鋳金遺跡は、遺跡とは言えポールと石碑と案内板があるだけで、遺跡めいたものは全く見えなかった。

「渋江」とは、武蔵七党の野与党の渋江氏の事と思われる。村国久伊豆神社付近に渋江氏の館があったのではないかと言われている。

オッサンに導かれ畑地を横断して、バス通りに出た。オッサンと出会わなければ、渋江鋳金遺跡には辿りつけなかっただろう。オッサンに感謝してオサラバ。


さて、次なる南下新井久伊豆神社への経路は複雑怪奇である。上飯塚バス停まで戻り、「黒谷落し」の水流を捜した。小さな流れを発見。地図によると、黒谷落しに沿って道が描かれているのだが、現地で見たら草ボウボウの荒れた小道だった。藪蚊に射されるのがイヤで、遠回りをした。

道すがら、飯塚神社、法華寺などに出くわした。
あまりの暑さに、早くも頭がクラクラしてきた。クラクラだが、地図から目が離せない。



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そして、南下新井久伊豆神社。

ここも他の久伊豆神社と同じく、長めの参道が残っていて、脇に町内会の建屋があった。
違うのは、


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神楽殿が現存していた事である。

神楽殿なんて俺が知っているワケが無い。神楽殿の前でオッサン連中が5,6人タムロしていた。オッサン一人が俺に話しかけてきて、レクチャーしてくれたのだ。
他のオッサンによると、オッサンが小学生の時に神楽が奉納されたが、以来見たこと無しとの事。50年以上前に当地での神楽は断絶したようだ。
そう言えば、久伊豆神社の親分の玉敷神社にも同じような舞台があったなぁ~。
なお、近年地元住民により瓦の葺き替えが行われたそうだ。村社としての機能はまだまだあるのかな。


さて、次のターゲットは真福寺久伊豆神社である。日当たりの良過ぎる車道をフラフラ歩くしかなかった。


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途中にあった、福厳寺。


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福厳寺に残る北条家印判状。


途中の庚申塚に「多ヶ谷」さんの文字をみる。ムフフッ・・・。


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やっと着いた真福寺久伊豆神社。(真福寺は町名。真福寺がいかなるものか不詳。)

ここにも長い参道と地区公民館がある。


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真福寺久伊豆神社本殿の屋根。水をガブ飲みして、オサラバ。


お次は、柏崎久伊豆神社である。


途中、正蔵院に寄る。住職からお茶を勧められたが、逃げるように去る。
柏崎小学校の裏手の小道を歩いていると、前方に大型車が止まり付近の森の枝払いを実施中。通行不可。目の前に「公民館→」の道標あり。これまでまず間違いなく、久伊豆神社と公民館はセットになっていた。今回もそうだろうと、公民館に向かうと案の定神社の鳥居が見えた。


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柏崎久伊豆神社。


柏崎久伊豆神社にも長めの参道と公民館のセットがあった。加えて、ここには塚のようなものが2基あった。社域は比較的広く本殿の裏手には平坦地があった。平坦地の先はガクンと下がり、ここで岩槻の台地が尽き、その先に国道122号線と東北自動車道が見える。さらにすぐ先に綾瀬川が流れているはずである。
柏崎久伊豆神社付近は、武蔵七党の野与党の柏崎氏の本拠と言われている。

本殿横の公民館にペール缶の灰皿があったので煙を吸う。藪蚊に刺されまくられ、オサラバ。


近くの円福寺に立ち寄り、岩槻駅に向かう。

長い一直線の道を進む。国道16号線を渡り、なおも真っ直ぐ進み、ようやく駅前の県道に出た。駅に行くまでに食い物屋を捜さねば。結局、岩槻駅まで来てしまった。ど~しよう。仕方ない、浄安寺に向かおう。


途中ようやくソバ屋を見つけた。冷やしたぬきソバ大盛りを注文後、お冷のガブ飲み。


ソバ屋から浄安寺に向かう。


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浄安寺門前の「渋江町」の石柱。


浄安寺の所在地は、岩槻区本町であるが、以前は渋江町(郷)だったらしい。
浄安寺は渋江氏との関連があるのかと思っていたのだが、そう言った案内は一切無し。チョット、がっかり。して、オサラバ。


もう、暑くて歩けんワイ。曇りどころか直射日光に射されまくり。本日も予定縮小でお帰りモードへ。


途中、大竜寺、愛宕神社に寄って、東武野田線岩槻駅から電車で帰宅。


越谷、岩槻の久伊豆神社を巡って思ったのは、野与党武士団の本拠地近傍の久伊豆神社が、いずれも付近で一番高い場所にある事である。また、公民館、または自治会館を併設している事。畑に囲まれながら長い参道を保持している事。などの共通点があった。

市民の意識の中には久伊豆神社による紐帯感などはとうの昔に失せているようだが、地区での久伊豆神社
を拠り所とする感覚が垣間見れたような気がした。

それと、現地での案内板がほとんど見られないのは残念であった。

行った日:2014.8.17
目的地:大相模氏館跡付近、大相模久伊豆神社
コース:JR武蔵野線越谷レイクタウン駅(9:20)~忍藩領石碑・大相模氏館跡付近~桜堂~大相模久伊豆神社~日枝神社~大相模不動尊大聖寺~照連院~東武新越谷駅(13:20)


とうとう、お盆休みも最終日を迎えてしまった。


久伊豆神社繋がりで興味をいだいた、武蔵七党の野与氏。野与党の大相模氏が進出した越谷市相模町・大成町付近を徘徊してみよう。元荒川と中川の合流点の少し上流の元荒川右岸地域である。


出発地点はJR武蔵野線の越谷レイクタウン駅である。巨大商業施設・洪水対策巨大調整池・巨大住宅街が一挙に造成された。同時に新駅が作られた。


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JR越谷レイクタウン駅 駅前の広場は、実は・・・・。


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古代遺跡なのだぁ~。


見田方遺跡は、越谷レイクタウンの周辺開発に先だって、埋め戻されたそうだ。


霧雨の中、越谷レイクタウン駅前の芝生の遺跡跡を北に突っ切って、大相模調整池の大人工池を左折。一つ目の信号を右折し、そのまま真っ直ぐ北上したら、・・・・。


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忍藩領の石碑が。


ここが、忍藩飛び地であり、且つ武蔵七党野与氏の大相模氏館跡付近との事。石碑背後に屋敷林がうっそうと茂っておった。屋敷が大相模氏館跡そのものなのか?余り屋敷の中を覗く事もはばかれる。屋敷の廻りを一周して移動。

ところで、草加市川柳地区も忍藩飛び地であった。越谷レイクタウン駅南西側も越谷市川柳の地名である。してみると、忍藩飛び地は結構広じゃぁないの。

大相模氏館跡付近から久伊豆神社に向かうべく、一筋西側の道に入って直ぐに、桜堂なる小さな墓地があった。古そうな墓石などが見えたのでナニゲに入ってみたら、


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おおっ、野与党、大相模氏にまつわる墓地ではないか!


案内に書かれた板碑を捜した。


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ムムッ、なんかいい感じ。



そして、その奥に、


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小振りの板碑があった。


どれが1354年の板碑だかは判らなかった。なんせ、字が全然読めないもん。


桜堂の案内板によって、大相模氏の後裔が現住しているらしい事が判った。思ってもいなかった収穫であった。


桜堂の前の道を真っ直ぐ北上。
信号の所に鳥居があった。そしてだいぶ先にこんもりした森が見えた。


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越谷市大成町、大相模久伊豆神社に到着。



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大相模氏館跡、大相模久伊豆神社とも現地名は越谷市大成町であるが、小学校名からして、大相模小なので、古くからの地名は大相模(郷)なのだろう。

越谷の久伊豆神社と言えば、越谷市越谷の久伊豆神社が知られているが、あちらの案内では「私市氏の信仰」とある。こちらは、「野与党の~」と案内に書かれているせいか、安心感が得られるのである(意味不明)。

神社の裏手に回ると、樹間から、すぐ先に元荒川が流れているのが見えた。藪蚊に刺されまくった。


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大相模久伊豆神社にて。


久伊豆神社を出ると、美少女が自転車を止め地図を見ていた。「どうしたのか?」と聞くと、「夏休みの宿題でこちらに来たが、道に迷って帰れない」と。
自宅を聞くと、瓦曽根との事。「じゃぁ、元荒川まで出れば帰れるかな」と聞くと、「帰れる」そうだ。一緒に元荒川まで歩いた。元荒川が見えた所でオサラバ。元気よく自転車をこいで行った。

俺、無精ひげ生やして、アブナイオジさんにみられたかな?


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少女は、川に沿って走り去った。


元荒川を歩いて直ぐ、こんもりした森があったので行ってみると日枝神社だった。ここも立派な神社であったが、ブログ容量の関係で写真はカット。

所で、ヤフーブログの写真掲載容量が2GBから3GBに改善されたのだが、俺の投稿はいまだに2GBを越えると受け付けてくんないのである。

日枝神社の案内に「神社近くのおしゃもじ橋」の祠に板碑が2基あり」と出ていた。俺は興味を抱き、血まなこになりながら「おしゃもじ橋」を捜した。「おしゃもじ橋」からの印象では、とても元荒川を渡るような立派な橋では無いだろうと思い、元荒川南側の地区を歩き廻った。薄日が射してきて、暑くなってきた。30分ほど捜して諦めた。


次なるターゲットは越谷市相模町の大相模不動尊大聖寺である。ちなみに町名は相模町だが、皆様「大」相模の方が馴染みがあるらしい。たとえば、大相模土建とか大相模不動産とか大相模薬局とか大相模クリニックとか大相模中学校などなど(中学以外ほとんどデタラメ)。


歩いていると、「不動尊前」と言うバス停を発見。道を挟んで、その奥にお寺らしきものが見えた。


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大聖寺到着。


大聖寺は予想以上に大きなお寺であった。御本尊は不動明王。この不動明王像が相模国大山との関わりがあり、地名「大相模」の由来になっているようだ。



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にわかには、信じられないような古刹である。


が、


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ぴんころ地蔵なるお地蔵さんが祭られている。ぴんぴん生きて、コロっと死ぬのが良いそうだ。なるほど。


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大聖寺に伝わる、「北条氏繁掟書」


上杉方岩槻城が北条氏に寝返った後に出された文書が残る。旧旧勢力が残存するこの地域と新勢力の北条氏の馴染みは簡単ではないだろうな。

ちなみに、草加地域では、同じ時期に年貢の督促状が岩槻城から出されたり、農民の逃亡があったと伝えられている。

また、徳川家康が戦勝祈願(関ヶ原の戦い)に奉納したとされる太刀が現存しているそうだ。

感心しながら寺内を巡って、立派な山門をくぐった。


歩きだしはかなり涼しかったが、今は暑い。うどん屋があったので、冷汁うどんなるものを食った。食い終わって店を出るとギンギラギンの太陽が出ていた。もう少し歩こうかと思っていたが、いつものクセで、もうイイかと思い、帰途に着いた。

そして、お盆休みもアッケなく終わったのだ。

行った日:2014.8.15
目的地;両崖山、鑁阿寺、足利学校
コース;東武伊勢崎線足利市駅(8:10)~善徳寺墓地・両崖山登山道捜し・見つからず~足利高校~茶屋(9:10)~両崖山(9:30)~機神山山頂古墳(10:30)~織姫神社(10:40)~鑁阿寺(ばんなじ)~足利学校~足利市駅(12:20)

今年のお盆休みの天気は、パットしない。かと言って、家にいてもしょうがない。あれや、これや考えた末に、足利市の足利学校に行ってみようと思い立った。東武鉄道発行の古い有料パンフレットを見ていたら、どうやら足利学校と鑁阿寺(ばんなじ)と言う寺が名所のようだ。近くに両崖山なる250mほどの山が記述されていて、これを含める事にした。


足利市駅で下車すると、いきなりモワーっとした空気に包まれた。駅内のコンビニでジュース2本を購入。駅前から真っ直ぐ北に歩けばいいようだ。


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渡良瀬川を中橋で渡って、


ずーっと真っ直ぐ歩く。市役所を過ぎて、切通しを越えると、大斜面に善徳寺のお墓が見えた。2.5万図によると、墓地の階段を上がった所から、両崖山に続く山道の記号がある。東武鉄道の有料パンフレットにもその道がしるされている。

長いお墓の階段を登った。年寄りには無理でしょう、と言いたくなるほどの歓談である。最上部まで来たが山道は見つからず。おまけにフェンスまであって、行き止まりである。周囲を歩き廻ってみたが、この墓地から抜け出す場所さえ見いだされなかった。

階段を降りる。

大汗をかいてしまったが、徒労であった。

2.5万図を見て、コース変更。両崖山の北側へ回り込むコースを辿ってみよう。

足利高校を過ぎて、突き当りを左へ行って・・・。

しばらく歩くと、「両崖山→」があった。茶屋のような店がある所である。案内板もある。案内板によると、2.5万図に記載の両崖山北側に出るコースは途中で道が尽きるように描かれていた。
ここはどんなコースか知らんが、取り敢えず「両崖山→」に従った。小沢沿いの木陰の道で、少しばかり冷気を感じた。しかし、階段が現れるとそんな感覚は霧散し、「アヂヂ、アジジ」と一人ウメキながら歩くのであった。
織姫神社からの道に合流した。右に行けばいいようだ。ジャリジャリした道を行くと、


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足利城跡の案内があって、少し登ると、


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山頂、御岳神社に到着。


ヤレヤレ、ちょっとてこずったねぇ~。

山頂北側には、堀切跡のようなものがあって、城址らしかった。


山頂の肩に下って、ジュースのガブ飲み。
次々に年配の人や家族連れの人々がやってきた。このクソ暑い中ご苦労様です。


下りは、織姫神社に向かった。節理のある岩がジャリ化した道だが、勾配が緩やかで歩きやすい。低山のわりには展望が優れていた。

途中、「観光案内」て言う黄色い腕章をつけているオッサンがいたので、「善徳寺」からの道の事を聞いてみた。「そんな道は知らん」との事。「アンタ何処から登ってきたの」と言うので、「コレコレ、こう言う感じで・・・、」と説明すると、「ああ、アシタカ」からかね」と。「ん、アシタカ?」 

やがて、道は舗装道となり、「関東ふれあいの道」の道標が現れた。この道標、あらぬ方向に「織姫神社→」が向いている。おかげで、2回も道を間違えた。要注意である。


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今日は、空がにごっているが、中々の展望尾根であった。


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途中にあった機神山山頂古墳。


古墳の脇に、レストランあり。十割ソバとあって食いたかったが、まだやってなかった。残念。


古墳のすぐ下に織姫神社があった。


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織姫神社。どうやら、俺には縁もゆかりもない所見たいだ。


神社の階段を下る途中にもソバ屋あり。こちらもまだ準備中。なんか、ウマそうなんだよナァ~。

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おおっ太田金山城か?

階段を降り切ると、街中だった。鑁阿寺に向かおう。


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国宝・鑁阿寺大御堂。


鑁阿寺をチョボチョボ見て、足利学校に向かう。


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足利学校校門。


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足利学校校舎。


暑くて、目が回ってきたので帰るとしよう。


駅に戻り、うどんを食って、電車に飛び乗った。

山行日:2014.8.13
目的地:外山東尾根、大岳の尾根

コース;湯元駐車場(7;20)~湯の湖畔西側・外山東尾根取り付き(7:45)~外山(11:00)~(12;30)前白根山・敗走(13:00)~五色山(13:30)~中曽根~湯元駐車場(15:50)


お盆休みに入った。が、晴れの日は、今日だけみたい。色々と構想があったが、すべてボツとし、先週行こうと思っていたコースにでかけた。湯ノ湖畔から外山に登り、白檜岳から大岳の尾根を下ろうというものであった。

自宅を3:30に出た。どうやら厚い雲に覆われている様子。高速道路は渋り気味。鹿沼からは事故渋滞に巻き込まれた。予定の湯ノ滝の駐車地は釣り人に占拠されていた。仕方なく、湯元の駐車場に入った。

いつも通り、クソをして出発。時間は7時をはるかに過ぎていた。まずいねぇ~。



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湯ノ湖畔。奥日光は、奇跡のように晴れ渡っていた。


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いいじゃぁ~ないの。でも時間が過ぎていた!


高速渋滞と駐車地満車の影響で、外山東尾根の取り付きは予定時間を大幅に超過していた。湯元から湯ノ湖畔西岸をグルリと廻った。
この尾根、以前は多くの記録が見られなかったが、最近ハイトスさん、ななころびさんといった方々が歩かれている。両者ともアッサリ歩れているが、はたしてどんなものなのか?地図を見る限りかなりの等高線密度である。ちなみに「外山東尾根」の名称はハイトス氏の記事に倣ったものである。

どこから取り付こうかしらと、キョロキョロしながら歩いた。西側の尾根が低くなった所に踏み跡があり、ここから取り付いた。ちょうど「湯ノ湖周回線 一周Q&Aコース」なる標識のある所。

すぐに外山東尾根に辿り着いた。ネットが張ってあった。ネットに沿って歩くもネットの余りが、靴に引っ掛かって歩きずらい。まぁ、こんな所を歩いていて、文句など言えた義理ではないのだが。
藪無しで傾斜も緩い。が、ネットが無くなる頃より、斜度がキツクなりだした。地図通りと言えば地図通りなのだが。


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時折、樹間から展望が得られる。太郎山。



1700m前後は急斜面と背丈の笹で全然進まなくなった。久しぶりに足が地面に着かない程の笹に遭遇した。ここは、結構疲労した。皆様はアッサリ通過されているようなので、地力の差を感じずにはいられなかった。


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1700m付近の密笹地帯。


密笹地帯は、断続的ではあったがキツかった。鹿道すらなかった。密笹地帯は標高差にして100m位であった。

密笹が失せると鹿道が現れる。石楠花や針葉樹の幼木藪が現れたが、鹿道で逃げ切った。ただ、傾斜が急なので、鹿道に頼り過ぎるとあっという間に尾根が高みに遠ざかってしまうので要注意である。
一応、藪御三家の笹・石楠花・針葉樹(本来は這い松)が揃っていた。


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表日光連山。


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湖上山の尾根が左手に見える。


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おおっ、あれが外山か! と言うか、外山であってくれ~っ! かなりバテていた。


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やや、金精様の隣に燧ケ岳が見えるではないか! そして良く見ると、その下にツバクロス山と四朗岳か?


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左手に登りやすそうな草原が現れたが、実はアザミ藪であった。恐ろしや~。


アザミ藪の上が外山であった。以前外山に行った時には山名板が複数あったはずだが、本日は山名板が見つからなかった。なので、辺りをウロついてしまった。一応、ここより高い所が周辺にないので、よかろう、とした。

ここから、通常の前白根山に続く登山道に出なくてはならないのだが、石楠花藪につかまってしまった。しかたない、磁石を信じて進むしかあるまい。やがてすぐ右手に尾根を感じて、そちらに移動。薄い踏み跡を発見。間も無く、前白根山の登山道が湯元へ落ち込む所に出た。


ここで、水のガブ飲み。アンパンを2個食った。


重い腰を上げ、前白根山に向かった。


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前白根山付近から白根山と白錫尾根。


やっと、前白根山に辿り着いた。
女性御二方がいらっしゃいました。母娘なのかな。山の話をいろいろ伺った。「どこか、良い所はないか?」と聞くと、「北方稜線」との事。参りました。


さて、予定では、白檜岳から大岳の尾根を下るつもりでいたが、時間が遅すぎる。11時にここを出発しなければと思っていたが、すでに1時間半のオーバー。最終のハイブリットバスには間に合いそうにない。ゆっくり中曽根を下る事にしよう。



前白根~五色山間に出現した、小さな池塘。


チンタラ中曽根を下って湯元に帰着。

帰りも渋滞にハマる。

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