2014年07月

山行日:2014.7.21
目的地:笠山、慈光寺
コース:東武東上線小川町駅=バス=皆谷バス停(7:40)~(9:00)笠山(9;15)~七重峠(9:45)~道間違え~栗山集落~赤木集落(11:15)~館川ダム~七重集落(12:10)~霊山院(12:45)~慈光寺(13:15)=バス=せせらぎバスセンター・バス乗り継ぎ=東武東上線武蔵嵐山駅


先週の金曜日に仕事を休んで肺の検診に行った。とりあえず異常なしとの事。
そして、3連休はそれなりに山行計画をたてていた。が、どうも天気予報はすぐれない。計画は全ておじゃん。で、都幾川町の慈光寺に行く事にした。

どうせ行くなら、笠山に寄ろう。南面の栗山集落からの直登コースにしよう。

と、言う訳で、始発電車に乗った。
東武東上線小川町駅で降り、いつものようにクソをして。一服しようとしたら、バスの発車時間がせまった。

バスは「切通し」停留所で降りるつもりであった。が、いつまでたっても「切通し」の案内は無かった。あれれ・・・、見覚えのある「落合」停留所を通過。ここで観念した。以前歩いた事のある「皆谷」から笠山に向かおう。
それにしても、「切通し」バス停は、どういう事なのだろうか?


今にも雨が降り出しそうな中を皆谷から歩きだした。山道~車道~山道と言った感じ。途中ご近所の方々が舗装道脇の草を刈っておられた。



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花を見たり、



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大霧山~登谷山と山上集落。



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辻辻にはお地蔵さんや庚申塔がある。



山道に入り、霧雨が降ってきやがった。赤土の山道はテリテリと光っていた。ズックで来ているせいもあるが、滑る事滑る事。


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笠山山頂の笠山神社。

笠山神社の脇には、雨乞いの碑がある。昭和48年の大干ばつの際に行われたもだそうだ。雨乞いが行われたのは、翌昭和49年の冬で、すぐに大雪が降り、干ばつは終焉したそうだ。


テリテリの斜面をおっかなビックリ下って七重峠に出た。



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七重方面へ下る道は草ボウボウ。


「外秩父ナンチャラカンチャラ」と言う異常イベントコースをはずれるとこんな草ボウボウの所だったんねぇ~。
雨ツユに濡れた草を掻き分ければ、あっという間に全身ビチョビチョとなる。とは言っても15分で車道に出る。


ここから、車道を七重に向かうべく、右へ進んだ。数歩進んで地図を確認。おっと危ない、七重は左じゃぁないの(実は右が正解)。左へ延々と歩いた。



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キノコ。


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おおっ、ようやく七重の集落が見えてきた(実は栗山集落)。


んっ、鳥居がある。しかも、「笠山→」の道標がある。おかしいな。そして、トイレが現れ、「栗山」とある。ここで、誤った道を歩いていた事に気が付いた。
この道、今朝、登る予定だった道じゃぁないの!
う~ん、まいったねぇ~。


あくまで、メインイベントは慈光寺の見物である。慈光寺までの道程を地図で追う。慈光寺に至るには、今来た道を戻るか、このまま館川という川まで下り、谷底から正面に見える尾根筋に乗り上げるかである。
後者を選択した。


気の重い下りとなった。幸い霧雨はやんでいた。


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花などを撮り、気をまぎらわせる。


谷底の赤木集落に着いた。このまま帰ろうかとも一瞬思ったが、時計を見て思いとどまる。館川を林道に沿って登った。途中館川ダムのベンチで、オッサンがラッパを吹いていた。道を登っても登ってもラッパの音が聞こえる。


嫌になる頃、「冠岩・慈光寺→」が現れる。が、山道を歩く気無し。七重に向かう。しかし、すぐにまた、「慈光寺(都幾川トレッキングコース)→」が現れる。


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草深い都幾川トレッキングコース。


どーすんべ。下の林道から慈光寺に行く気になっていたが、何故か気が変わり、都幾川町トレッキングコースへ入った。道は広いが、草ボウボウの所あり。ベンチがいくつもあったが、みな草に埋もれかかっていた。「熊出没」の看板多し。確かにここなら出てもおかしくない。人が通った気配は微塵も感じられない。半ば期待してしまったが、そう簡単に現れるものでもない。

「冠岩・都幾山→」という魅惑的な標識が現れた。都幾山は行ってみたい所。だが、今日は慈光寺を優先させよう。


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そして、慈光寺の一角、霊山院に着いた。


霊山院は庭の綺麗なお寺だった。この寺も結構古い。



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そして、ついに慈光寺に到着した。


慈光寺は、何と600年代に開基された超古いお寺である。全盛期は鎌倉時代。戦国期には僧兵も有していたが、太田道灌により焼き討ちにされた。
宝物が凄い。国宝・慈光寺経をはじめ、重文多数あり。有料の宝物殿があるが、残念ながらバスの時間が迫ってしまい、入館できなかった。


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慈光寺の遺跡分布(江戸時代の資料から)。下から上まで30分はかかる。全部廻るのは大変のようだ。


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慈光寺観音堂に向かう。


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慈光寺観音堂。


観音堂から降りてくると、13:50発のバスがエンジンをかけた所だった。消化不良であったが、バスに乗った。


バスは「せせらぎセンター」行き。300円。
「せせらぎセンター」からは、小川町駅、越生駅、嵐山駅行きのバスがあり、乗り継ぎもよい。乗り継ぎ者は100円で各所へ行ける特典あり。


嵐山駅前のラーメン屋でラーメンと餃子を食って帰途に着く。


今回は、思い通りの歩きができなかった。低山おそるべし。
しかし、慈光寺にこだわってよかった。あらためて、慈光寺とその周辺を徘徊してみよう。

行った日:2014.7.13
目的地:吉見観音、ポンポン山、川幅日本一
コース;東武東上線東松山駅=バス=百穴入口(8:15)~岩室観音堂~吉見百穴(8:30)~北向地蔵(8:50)~吉見観音・安楽寺(9:15)~八丁湖(9;40)~黒岩横穴墓群(10:00)~高負彦根神社・ボンボン山(10:30)~荒川土手(11:10)~糠田橋~JR北鴻巣駅(12:50)


「山と渓谷社・新分県登山ガイド・埼玉県」に「ポンポン山」なる項が設けられている。標高は30mとでている。恐らく、この手のガイド本で扱われる山としては、最低標高争いでかなりの上位に食い込むはずである。

ちなみに、過去に大阪府高槻市のポンポン山に3度ほど登っている。こちらの標高は、今調べたところ678.7mもあった。どちらも、山頂付近で足踏みをすると、ポンポンと音がするとされている。高槻市のポンポン山は、確かにポンポンと音がした。はたして、埼玉県吉見町の方はどうなのか?


東松山の駅でクソをして、歩こうかと思ったが、余りのクソ暑さにアキレ、バス停に向かってしまった。「鴻巣免許センター」行きのバスに乗って、180円で「百穴入り口」バス停。市野川を挟んで、武蔵松山城祉のこんもりした森が見える。

その森の際にあるのが、


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岩室観音。この山門をくぐっても松山城祉へ行けます。


車道を挟んで、


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吉見の百穴。入場しようと思ったが、開場まで10分待ち。10分が待てなかった。



所で、山渓社の分県ガイドでは、ガイド地図と2.5万図が一致せず、いったいどうやって歩けば良いのかが、ハッキリしなかったのである。ポンポン山の位置すら、正確に読みとれていなかった。


吉見百穴の入場口の横にウォーキングコースの案内と、薄茶色の案内ポールがあった。どうやら北向地蔵なる所へ向かえばいいらしい。薄茶色のポールには「北向地蔵→」が示されていた。昨晩考えていたコースとは異なるが、薄茶色のポールに従う事にしよう。


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吉見百穴を巻くように薄暗い森の道がつづく。


やがて畑地と民家が現れる。二車線道路に突き当り、薄茶ポールに導かれて左折した。しばらく歩いたが、薄茶ポールが現れず少々アセル。住居標示も無く、「ここは何処」と言った感じ。磁石も無し、太陽も出ていないので、どの方向に進んでいるのか判らない。

「吉見観音・八丁湖」の看板があったと思ったら、そこが北向地蔵だった。正面に八坂神社。ここを右折。蒸し暑いのぉ~。太陽が出ていないだけ救われているのか?

JAがあって、グチャグチャと曲がってうっそうとした森に向かうと、


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吉見観音・安楽寺があった。なかなかの風情である。カエデが結構あるじゃぁないの。ムフフッ・・・。
秋が楽しみになってしまった。


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安楽寺三重の塔。安楽寺は七〇〇年代に創建された古刹だそうだ。


戦国時代、上杉氏と北条氏の争いに巻き込まれて、大伽藍が全て焼失したそうだ。現在建っているのは、いずれも江戸時代に再建されたものとの事。


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安楽寺に咲く。


安楽寺の山門から石段を下り、安楽寺を巻くように進むと、八丁湖が見えてきた。


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八丁湖。



八丁湖の湖畔を歩いていたら、小雨が降ってきた。森が深くなり、濡れる事はなかった。

谷間に入ると、向かいの斜面に黒岩横穴墓群が見えてきた。草を掻き分けそばまで行ってみたが、草に埋もれかかった幾つかの横穴があった。穴群の規模は吉見百穴よりも大きいそうだ。

薄茶のポールに導かれて、車道や薮っぽい道を歩いて、「ポンポン山公園駐車場」なる所に出た。薄茶ポールを追って、



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緑の草原が現れ、その先に、



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が、あった。



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高負彦根神社(たかおひこね)。こちらも700年代創建の古社。


神社のすぐ裏の


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岩の高みがポンポン山だった。


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ポンポン山から荒川方向を見る。

山頂から神社に戻る途中、足踏みをすると、確かに「ポンポン」という軽い振動を感じた。


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ポンポン山公園脇にて。


神社の脇の便所でもう一クソ。助かった。

便所前から参道にかけて、地元の人々が草を刈っていた。ご苦労様です。


便所脇に薄茶ポールが「荒川→」を指している。
参道を3~4分下ると、平野に出た。



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ポンポン山の全貌を仰ぎ見る。古代、荒川はポンポン山の基部を流れていたそうだ。


「荒川→」が要所にあり助かる。


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大粒の雨が降ってきた。傘をさして歩く。


そして荒川の堤防に着いた。川幅が広く、川の流れは見えない。遠く吉見丘陵が見えた。

雨が降ってきたので、予定変更で、糠田橋を渡る。




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糠田橋より、上流を見る。左荒川。右武蔵水路。(だと思う。)


武蔵水路は、利根川と荒川を結んでいる。


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糠田橋より、下流を見る。遠くかすかに御成橋が見えた。その辺りが、川幅「日本一」との事。ちなみに、吉見町の土手から糠田橋経由で反対側の土手(鴻巣市)まで20分かかった。


橋を渡りきる頃には雨はあがったが、一度萎えた心をたて直す事ができず、JR北鴻巣駅に向かう事にした。



本コース、夏向きとは言い難いが、なかなかの好ルートであった。

行った日:2014.7.6

コース:久喜駅(7:50)~久喜菖蒲公園・昭和沼(8:45)~菖蒲城址(10:20)~ラペンダー堤(10:50)~見沼代用水~柴山沼(11:45)~貝塚・ラーメン屋~山の神沼(13:10)~西城沼(14:20)~JR蓮田駅(15:10)


菖蒲城近くの菖蒲でも見ようかと地図を眺めていたら、付近に多くの沼があるじゃぁないの。菖蒲城祉と沼を巡る旅に出てみよう。


連日の仕事疲れで、電車で居眠りをこいた。危なく久喜駅で降り損いそうになった。

久喜駅で出すものを出して出発。
いきなり道を間違える。地図を逆さに見たりして、ようやくルートにのった。ヤレヤレ。

道端に神社があるので覗いてみると、


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久喜市北青柳の久伊豆神社だった。

草加にある久伊豆神社も青柳町にある。また神社のすぐそばの橋の名前が「宮前橋」で、越谷久伊豆神社と共通している。何とは無しに嬉しくなる。


久喜駅から1時間近く歩いて、

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久喜菖蒲公園に到着。菖蒲は一本たりとも咲いていなかった。


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久喜菖蒲公園の昭和沼。多くの釣り人と、速足のウォカーがいらっしゃいました。


公園のはずれの便所で、もう一クソして出発。


蒸し暑い。喉の渇きが耐えがたい。自販機でコーヒーを飲む。

久喜市仲町で見覚えのある見沼代用水を渡る。菖蒲城址は近いはずである。


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菖蒲城址。付近は広大な田園で、城址の雰囲気は全く感じられなかった。



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菖蒲城址の前にあるあやめ園。奥の木のある所に城址の碑がある。


菖蒲城は東埼に多い、泥城だったのだろうな。


菖蒲城址から用水路に沿って歩くとラベンダー堤があった。


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ラベンダーは、残念ながら落花の最中。


ラベンダー堤の先の車道を渡ると、見沼代用水が勢いよく流れていた。


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見沼代用水から広大な水田を望む。


しばらく見沼代用水に沿って南下。


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蒸し暑い。


柴山橋で、東進。自転車のオッサンに柴山沼の道を聞く。


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白岡市柴山の柴山沼到着。ここでも缶コーヒーをガブ飲み。足らん。もう一本!


柴山沼は干拓で、物凄く小さくなったそうだ。太古は荒川の流れだったのかもしれんなぁ~?


この辺りよりバテる。なにしろ暑くて、暑くて。

一旦、国道122号に出た。食堂捜しだ。山田うどんがあったが、満員でパス。食堂無し。

国道を離れて、蓮田市貝塚に向かう。おおっラーメン屋だ。お冷のガブ飲み。水を飲んだら汗が噴き出した。
ラーメン屋のオバチャンに山の神沼の道を聞いて店を出た。


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蓮田市貝塚の山の神沼。


日陰の無い田園を延々と歩いた。朦朧としてきた。元荒川を渡り、再び白岡市に入る。交通量の多い県道を避け、2本東側の細い道を歩いた。東側の台地の末端のような所だった。木陰がありいくらか涼しい。いつしか再び蓮田市に入ったようだ。

台地の上方に社が見えた。


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蓮田市南新宿の久伊豆神社だった。案内によると蓮田市内には7つの久伊豆神社があるそうだ。


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そして、蓮田市城の西城沼に着いた。(あまりにドギツイですなぁ~。)


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西城沼。へとへとだった。



最後に黒浜沼に行くつもりだったが余力はなかった。

再度元荒川を渡って、JR蓮田駅に向かった。

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