2014年05月

2014.5.18

羽黒尾根を登って、ツツジにのぼせた。
ツツジは、下から山ツツジが咲き、進むに連れ主役はミツバツツジ、白ヤシオへと変わった。

1250m付近で猛烈な登り坂となる。



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やっと傾斜が緩んで、樹間から男体山。



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雨量観測所。


大きなアンテナが見えてきた。そばに行くと、「モッコ平雨量観測所1301m」とあった。
2万5千図ではここはモッコ平では無いし、俺の高度計は1370mだった。ハテナ?・・・。





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1400m付近より枯れ木の山となる。


赤ヤシオでも咲いておらんかい!



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と思ったら、アカヤシオが咲いていた。


う~ん、あまりにもでき過ぎている。


ここから、わずかで、


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1530m、黒岩尾根に合流した。


この付近、たしかシロヤシオの密生地のはずだが、殆ど枯れ木状態で蕾も見当たらなかった。


本日は、ハナっから女峰山に行く気なし。最近のショボくれた歩きすらママならないのに、女峰山様は無理な話。後日と言う事で・・・。


緩く下ると、僅かで白樺金剛。水呑みの碑を通過。


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ありゃ~。期待していた草原地帯では、全くツツジは咲いていなかった。ガックリ。



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ようやく見つけたミツバツツジ。



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稚児ヶ墓の盆栽型ツツジも未開花。



稚児ヶ墓の少し先で、美女3名がツツジ狩りをしていらっしゃいました。
毎年、この時季毎週来るのだそうだ。
美女3人の話では、今年は開花が幾分遅いのだそうだ。フムフム。
俺は、「5月末~6月初め・満開説」を主張したのだが、それでは遅いのだそうだ。


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殺生禁断境の手前。この辺りで山ツツジが満開。咲き始めは色が濃いのだろうか?


殺生禁断境から5分で林道に達した。通常は左に行くのだが、本日は右に行った。
が、僅かで林道は尽きていた。2万5千図にある小道が見つからず、磁石を信じて山腹を下る。一旦右手の尾根に斜上したら、道のようなものが現れる。尾根筋を下る。平坦地に出て突っ切ると、根通沢が現れた。沢の向こうに民家がある。石を伝って川を渡り、民家の庭先をササッと通過。車道に出て駐車地まで15分であった。


羽黒尾根のツツジは1300m付近まで満開。方や黒岩尾根は寂しいものであった。
隣の尾根なのに不思議な事ですなぁ~。

山行日;2014.5.18
目的地:羽黒尾根(女峰山黒岩尾根の支尾根)
コース:寂光の滝手前標高750m付近(7;50)~羽黒尾根~935m・石祠(8:15)~1122m(9:15)~1314m(10:00)~1370m付近雨量観測所~1530m付近・黒岩尾根合流(10:50)~稚児ヶ墓(11;45)~殺生禁断境碑(12:30)~緑の林道(12;35)~藪漕ぎ~駐車地(13:30)


今回もまた、アキ爺氏のパクリで、羽黒尾根なる尾根道を辿ってみた。アキ爺氏は、毎年、この時季、この周辺で、ツツジ狩りを楽しんでおられるご様子。だいぶ前から気になっていた。

羽黒尾根とは、田母沢と根通沢に囲まれた尾根で、1530mで黒岩尾根に接続している。


寂光の滝に向かう道に入り、駐車地を捜し求めた。人家が尽きて間もなくの所に、ほど良い駐車スペースがあった。標高750m付近だと思う。


羽黒尾根の山腹は杉が植林されていた。山腹を戻るように斜上した。直ぐに羽黒尾根に達した。




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さっそくおでましの山ツツジ。



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なんと、野太い廃林道?があった。



羽黒尾根の頂稜部には、驚く事に野太い廃林道のようなものがあった。
かなりの距離、林道様は続くが、いつしか消えた。

都笹の緩い尾根道をトボトボ歩く。杉林の中にツツジが点在する。
杉から唐松に変わって、


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おおっ、石祠ではないか!



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山ツツジが満開だぁ~。



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やがて、主役はミツバツツジに変わり、



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白ヤシオが加わり、ツツジトンネルとなる。



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3色混合。たまりませんなぁ~。ムヒヒヒッ・・・・。


足が進まん。


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白ヤシオ満開だぁ~。



つづく。

行った日:2014.5.17
コース;東武スカイツリーライン谷塚駅(8:30)~花畑記念庭園~元淵江公園~竹の塚駅~白旗塚古墳~谷塚駅(11:30)

お隣の街、足立区を徘徊した。


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花畑記念庭園入り口。




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花畑記念庭園。




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花畑記念庭園。お城のようだった。





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元淵江公園




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元淵江公園。




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白旗塚古墳案内板。



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白旗塚古墳。



白旗塚古墳からすぐの都県境の毛長川を渡ると、草加側にも幾つかの塚があったそうだ。その塚も古墳かもしれないとの事。残念ながら、現在はそのようなものは見当たらない。


毛長川を渡って、草加に戻る。

山行日:2014.5.11
コース:御池(6:10)~(10:10)燧ケ岳(10:50)~御池(11;45)


5/10
燧ケ岳に登ろうと、自宅を未明に出た。
中山峠を越えると小雨が降って来た。
8:00に桧枝岐着。いつものように、スキー場の便座に座る。

小雨とともに、風も強い。アルザなんとかの駐車場で一眠り。

9;00になっても小雨。う~ん、どうすんべ~。
取り敢えずミニ尾瀬公園に向かった。


閑散としたミニ尾瀬公園に行ったら、入園400円だとさ。400円を綺麗なオネイサンに渡した。



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水芭蕉が咲いていた。



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かなり咲いている。



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雨はやんだが、風が収まらない。



ど~しよう。
明日はミツモチにツツジ見物に行くつもりだった。



予定変更で、明日燧に登ろう。
御池ロッジに連絡したら、泊まれるとさ。


することも無く、駒止湿原に行ってみたが、通行止め。旧伊南村の食堂でソースかつ丼を食って桧枝岐に舞い戻った。


アララ、晴れているじゃぁないの。御池田代にでも入ってみっか。


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完全に晴れあがっていた。しかし、燧ケ岳を行き交う雲のスピードは速かった。



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御池田代。



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御池田代。俺はここをボーッと歩くのが好きなのだ。




5/11
6:00過ぎに御池を出発。駐車場は閑散としていた。
雪が硬かったので、初めからクトーを着けた。広沢田代への急斜面に差し掛かると、アレ、シールがズルリと取れちゃった。シールの着け直し。が、またしてもシールが取れちゃった。
こんな事は今まで無かった事。おかしい?
どうにもならないので、取り敢えずスキーをザックにくくりつけた。

しかし、雪が硬く、恐ろしい。スキー靴を斜面に何度も蹴り込んで一歩一歩の歩きとなった。そのうち、下から人がやってきた。スキー靴にアイゼンを着けていらっしゃる。スタスタと登って行っちゃった。
俺だって、スキー靴用のアイゼンくらいは持っているのだが、これまで使用経験無し。無用のものと思って、最近は全く携行していない。

あぁ、また足の親指が死んじゃうな・・・。



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広沢田代



広沢田代に到着し、スキーを再び着けた。ところが、やっぱりシールが取れちゃう。おかしい?また、スキーをザックにくくりつける。熊沢田代下の急斜面は硬いの何の。蹴り込む足が悲鳴を上げる。


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熊沢田代



熊沢田代で、もう一度スキーを着けた。今度は、シールが外れなかった。ヨッシャ~と意気込むものの、ここまで体力を消耗しきっていて、後続の人々にどんどん抜かれる。

晴れあがって、ほぼ無風。この先、雪は緩んだ。

金曜日に御池でも雪が降ったそうで、真っ白な雪と汚く古い雪が交じる。


多くの人々に抜かれまくって、燧ケ岳到着。


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燧ケ岳山頂より。日光連山と栃木・福島県境の山々。



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燧ケ岳より、至仏山、上州武尊山。



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燧ケ岳より、平ヶ岳、中ノ岳、魚沼駒ヶ岳、荒沢岳。


遠く飯豊が北の彼方に浮かんでいた。北アの山々まで見えた。


どんどん人々が登ってくる。
さぁ、滑って帰りましょ。

新雪の白い斜面が見えるのか、少々不安であった。やっぱり、真っ白い雪の斜面は見えなかった。バランスを崩しかけ、汚い雪に逃げる。快適だぁ~。
どうしても白い雪を横断しなければならなくなった。白い雪に突っ込んだら、前のめりにすっ飛んだ。白い雪は、ブレーカブルだった。メガネの間に詰まった雪を掻き出して、慎重に滑った。登っている人たちが、見ているじゃぁないの!ハズカシイ。

森林に入り、もう大丈夫と思ったが、もう一度白い雪ですっ飛んだ。あ~ぁ。
東田代に行こうと思っていたが、テンション○下がり。普通コースを斜滑降で凌ぐしかあるまい。


ヘトヘトで御池に帰着。


目の悪さと装備の悪さがモロに出たスキーとなってしまいました。
あぁ、体力の無さもあらためて痛感した次第であります。

白い雪恐怖症になってしまったのであります。


取り敢えず、開山で大盛りソバを食って帰途に着いた。

山行日:2014.5.4
目的地:窓明山
コース;保太橋沢左岸・巽沢山取り付き(6:00)~道捜し~巽沢山(7:30)~1260m付近・シール登高(8:20)~家向山西峰(9;30)~(12:10)窓明山(13:10)~(13:30)家向山西峰鞍部(13:40)~家向山西峰(14:00)~巽沢山~保太橋沢・国道(16:00)


いろいろと、迷った挙句に窓明山に向かった。2011年に滑って、あまりにも快適だったのが忘れられなかったから。


国体コースの記念碑の所に車を停めた。保太橋沢を渡ったすぐの所にある一本の杭が巽沢山登山道の目印だ。
少々藪っぽいが、道ははっきりしているはずであった。杭から30秒で、倒木などが多く道を失う。リュックにくくりつけたスキーが木に引っ掛かり難渋する。上を見ると赤いペンキが塗られた木が2本見える。取り敢えずそこに向かった。なんとなく道様の感じを見つけ進むも、崩壊地があり道様も失せた。崩壊地の下に出てみた。崩壊地の右手にしっかりした道を見つけた。この崩壊地国道から数十mである。全く進んでおらん!多分この3年の間に出現した崩壊地であろう。

まだ良く踏まれていない道のようだった。やがて古い木段が現れ、巽沢山への道と確信できた。
巽沢山の登りは急である。スキーが木に引っ掛かりママならない。
傾斜が緩むと雪が現れた。恐らく、上部で雪は切れ切れだろうと思い、そのままズックで歩いた。雪は硬く靴が滑る。


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巽沢山付近にて。


ようやく巽沢山に着いた。巽沢山山頂付近はやっぱり雪が消えていた。ここから家向山西峰ピークを目指す。尾根のサイドには雪があるのだが、尾根上は中々雪が繋がらない。
1260m付近のブナ林でスキー登高に切り替えた。あ~ぁ、肩が楽になった。

高齢の方が早くも山を降りてきた。前日窓明山から丸山岳に向かったそうだが、坪入山手前のブッシュにつかまり撤退との事。


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家向山西峰に繋がる尾根に合流。右奥の尾根を登ってきた。


家向山西峰から伸びる尾根との合流直下は急斜面に見えたので、雪庇の下を左に迂回して尾根に乗った。


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ここからは、三岩岳が大きく望まれた。


広い尾根を家向山西峰を目指して登った。


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家向山の雪庇。


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家向山西峰に到着。左三岩岳、右窓明山。



ここから、一旦下りとなる。シールを貼ったまま、カカトを固定せず滑った。オープンなバーンは何とかこなした。ブナとブッシュが現れ、おまけに急斜面。コントロールを失い転倒した。ムムッ、止らん。
ブナの木が目の前に。とっさにスキーを揃えブナの木に足の裏から激突した。そして根開きの中へ落ち込んだ。

ムムッ脱出できん。右足のスキーが異常なほどにたわんでおる。取り敢えず足は折れていないが、スキーが折れたら一大事。そお~っともがいて、何とか脱出した。

ここから臆病風が吹いて、スキーを脱いだ。スキーを担いで急斜面を下る。前回は何とかこなした所なんだがなぁ~。落ち込む。

鞍部で再びスキーを着けて登る。



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雪庇脇に無数の亀裂が走っていた。


やがて、見事なブナ林となる。ぜーぜー言って登っていると、これまた高齢男女4人組が降りてきた。こちらも丸山岳を目指し、窓明山でテン泊したそうだ。昨夜、大雨と強風に打たれ撤退との事。撤退とは言え、皆様凄いもんです。


やがて、ブナ林が切れると、尾根の頂稜部が灌木藪となる。藪を避け山腹進む。山腹の一部にブッシュが現れ、少し下ってまた登る。この登り返しで、シールが後ずさり。ムムッヤバイ。体を倒して、スキーを平行にして、何とか止った。谷におっこっちゃうよ~。雪が緩んだせいなのか?ここでも再び臆病風が吹いて、スキーを脱いだ。辛い登りになった。

尾根に復帰して、またまたスキーを履いた。

もう、バテバテだった。


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山頂は近いが、ちっとも前に進まない。



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やっと着いた窓明山山頂から三岩岳。


グーの音も出ないほど疲れた。
3年前でも5時間を要したが、今回はそれを上回る6時間超となった。これはマズイですよ。自から呆れるホカないだろう。

真っ青な青空のもと1時間ほど休憩。が、疲れは取れない。
誰も現れない。
少し遠くが白けてきた。

さぁ、帰りましょ。滑りにも一抹の不安があるが、とにかく滑降モードに切り替えて滑り出す。



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山頂直下で、足を引っ掛ける。汚いシュプールになった。



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溶けだした赤城シグレを蹴散らして! 快適だぁ~。



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白く輝いているシュプールは他人様のもの。前日誰かが滑ったのだろう。俺のは黒くて野太い。



疲れているとは言え、家向山西峰鞍部まで実質30分とかからず滑り降りた。
しかし、ここからの帰りは、長く苦しかった。



GWの山遊びもこれでお終い。矮小化した計画すら、こなすのがヤットという状況にアセリを感じてしまったのだ。

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