2013年12月

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山行日:2013.12.30
目的地:雨巻山
コース:堂ヶ入沢親水公園(7:10)~(7;15)地蔵院(7:40)~342m峰(8:10)~足尾山(8:40)~御岳山(9:00)~猪ころげ坂~453m峰(9:40)~(10:00)雨巻山(11:30)~(12:00)三登谷山(12:15)~23番標識~大川戸(12:40)~車道~地蔵院~堂ヶ入沢親水公園(13:10)



朝起きて、何故か不安感を感じた。
蕎麦粒山の北尾根の支尾根を登ろうと考えて準備していたがやめた。

もともとは、雨巻山に行くつもりでいたので、元に戻したかっこうだ。

カーナビなど持っていないので車の運転の方が心配だったが、何とか地蔵院に到着。
便意を催す。かなり切羽詰まっている。この先に親水公園があるようなので、そちらに向かう。親水公園の便所を見つけ、安堵する。
堂ヶ入沢親水公園には立派な駐車場があったので、ここに車を置いて出発。地蔵院に戻る。


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早朝の堂ヶ入沢親水公園。氷が張っていた。



地蔵院までは5分の距離。


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地蔵院の案内板。


地蔵院はyamasanpoさんのブログで知った所。是非行ってみたかった。


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地蔵院本堂。


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綱神社。


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大倉神社。


地蔵院の奥に、綱神社と大倉神社があった。両社とも成立は古い。社は室町時代のもの。なかなかの威厳である。一見の価値あり!


登山道は、綱神社の右脇にあった。標識は無いが、テープ類が乱設されているし、方角もよいので迷わずここから登る。


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すぐに尾根に出た。あれは芳賀富士であろうか。遠く、高原山か那須の雪山が見えた。


緩やかな尾根筋を登り下りしていく。



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明るく見える、益子の山間集落。


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いい感じの森の道。


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あれは足尾山かいな?


足尾山、御岳山とも、ヒーヒー言って越える。


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猪ころげ坂。


ありゃ~、「猪ころげ坂」は階段道か!
それは勘違いだった。階段に見える木は土留めで、小刻みに九十九折れする道だった。スキーで言えば、ウェーデルンコースであった。ウェーデルンは上級技術だが、ここのウェーデルンコースは足の弱いおいらにピッタリ。優しいコースだった。




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俺も一個積んだ。



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雨巻山到着。誰も居なかった。


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山頂先3分の展望所より、筑波山。手前の山は不詳。


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同じく、日光連山。


他に、富士山も見えた。秩父連山の右の雪山は八ヶ岳か?


時間は、早いが昼飯にしよう。



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山頂に戻って。ウワサの益子いくべ会。がんばっているようです。


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お願いと・・・。


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その、道具。


「デイダラボッチの山日記」でその活動の一端は知っているけれど、かなり力が入っていますよ。
倒木は切断され登山道を塞いでいる所は無かったし、枝道にはビニール紐がかけられてた。登山道補修準備中と思われる木材が用意されていたり。


と、年配の方がやって来た。
おいらは、そろそろ山を降りようかとリュックを担いだ。年配の方の脇を通り過ぎる際に話しかけられ、長話になった。益子いくべ会の方だった。今年100ウン回目の登頂だそうだ。誇りをもって会の活動にかかわれている事が言葉の端々に感じられた。
おいらは「Yさんに宜しく」と言って山頂を去った。




三登谷山で最後の展望を楽しみ、大川戸へ下った。
堂ヶ入沢親水公園への短絡路を捜しながら車道を下った。送電鉄塔の尾根を越えようかとも思ったが、今日は藪入りを自粛し、車道をのんびりと下った。

山行日:2013.12.23
目的地:横瀬根小屋城跡
コース:西武鉄道横瀬駅:(7:45)~根小屋城本郭(8:45)~町道に下る(9:00)~石灰工場手前のお墓(9:10)~623m峰三角山(10:10)~登山道合流(11:15)~焼山(11:25)~1004m峰・休憩~(12:50)武川岳(13:30)~前武川岳~天狗岩~車道(14:50)~名郷バス停(15:10)


本ブログに時折訪れてくれる長永さんの書き込みに、「根小屋城から二子山に登れる」とあった。さっそく根小屋城を調べて見た。折りよく、平成24年12月に「続・埼玉の城址めぐり」が出版され、横瀬根小屋城も紹介されていた。

根小屋城は平安時代に成立し、後に武蔵七党丹党の中村一族が横瀬氏を名乗り在城。その後山内上杉氏の支配下に入り、川越の夜戦を経て北条氏の勢力下に入った。北条氏邦は元服後一時期根小屋城に入り、おって鉢形城へ入城している。妻坂峠道、正丸峠道を東西に見下ろす要衝の地である。

そして、つい先日HP「山登りに行きたい!」のHIDEJIさんが、西隣の古御岳城跡から三角山に登られてた。よくぞそんなコースを発見し歩かれたものだと感心してしまった。



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西武鉄道横瀬駅から国道299号線に出ると、アイガー北壁がよく見えた。


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西武鉄道をくぐると、さっそく根小屋城の案内板があった。


西口から入城。


民家の脇から尾根筋を登る。


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根小屋城。僅かな登りで西郭跡。ちょうど西武鉄道のトンネルの上あたりか?


中世の城跡らしい趣が濃厚な所だった。25000図の「二番」の「番」の字辺りか。
小沢を巻くように遊歩道がある。東の尾根に移り、ひとしきり登ると本郭跡であった。実際は石灰鉱山によりかなり破壊されているそうだ。


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本郭付近からのアイガー北壁。



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同じく両神山


本郭跡から三角山に繋がる尾根があるのだが、石灰会社により厳重にロープが張られ「危険・侵入禁止」とある。ヤレヤレ、当初の目論みは早くも挫折してしまった。
次善の策は用意してあった。根小屋城の下の舗装道に下った。そこから車道を上がり城域の西側の尾根に取り着いた。取り付き地点は25000図の「横瀬町」の「横」の字の僅か北西の地点。



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取り付き地点。お墓に通じる橋を渡り、お墓の裏から藪入り。


すぐに尾根筋に到達した。



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いきなり、社が現れた。この後も何か出てきそうな気配があったが、結局何も無かった。


雛壇状に急斜面が現れるが、掴む木に事欠かず、何とかなる。一部細尾根もあるが、特に問題無し。道も無し。藪も無し。テープ類もほとんど無し。


少し飽きた所で、


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三角山に到着。まことに小さな三角形の木片に「三角山」の標示。


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三角山の少し先に展望地があった。


三角山からは道らしきものが断続的ではあるが散見された。テープ類も目にする。


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700m付近より雪がでてきた。


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だいぶ雪が増えた。ケモノの足跡を辿ると歩きやすい。


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待望の一般登山道(二子山~武川岳)に出た。


登山道はボブスレーコースの様相を呈していた。踏み跡がカタマリ加減で歩き難い。変な所に力が入っているのか股関節が痛む。


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焼山からのアイガー北壁。現在、アイガー北壁になる以前の姿を見た方は生存しているのだろうか?


1004m付近で⑦のアンパン3個に食らいついた。何を隠そう、バテていたのである。


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いい感じの森。


いい感じの森の先には林道があった。以前ここを歩いた時には無かったと思う。奥武蔵は自然破壊のデパートである。時折「森を大切にしましょう」などと看板が設置されているが、設置したヤツは恥ずかしくないのだろうか。余りにも白々しくて。



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ようやく、と言った感じで武川岳に到着。丹沢の大山、奥多摩の大岳山・棒の折れ、奥武蔵の蕨山が見える。


武川岳山頂は何組かの人々で賑わっていた。「富士山が見えない」とお嘆きの方もいる。そんな方はアイガー北壁を見て頂きたいものである。人間が作った超巨大なオブジェを。

カップラーメンを食って、タバコを吹かし、のんびりした。

さ~て、何処を下ろうか。聞き耳を立てるに、山伏峠、もしくは妻坂峠に下る方が多そうである。
人はいない方がいい。天狗岩へ下ろう。


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下りルートの美しい森。


踏み跡はあるが、激減。歩きやすい。



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樹間からおいらのアイドル三つドッケが見えた! 手前の窪みはウノタワか!いや鳥首峠かな。



などと、はしゃぎつつ、のんびりと名郷に下った。

2013.12.15

咳がとまらないので、山はやめた。

歩かないと腰が痛くなるので、半ば強制的に散歩にでかけた。


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安行興禅院参道。



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行った日:2013.12.8
コース:鴻巣市免許センター(10:45)~さきたま緑道~忍川・石田堤~さきたま古墳群~秩父鉄道行田市駅(14:00)


今日は運転免許証の更新に行った。
更新を終え、鴻巣市の免許センターから歩きはじめた。元荒川西岸に沿った車道を歩く。この辺り、元荒川の土手上を歩く事はできない。延々と車道を歩くのはつらい。

新幹線の高架をくぐると、


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ようやく車道から解放された。



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さきたま緑道は武蔵水路に沿って続いている。



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途中にあった案内。おおっ石田堤ではないか!


以前、テキトウにやってきて、テキトウに石田堤を捜したのだが見つからなかったのだ。今日もテキトウにやって来たのだが、図らずも見つかる事がある。


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石田堤跡。忍川に沿って、僅かな距離だけ遺構が残っている。


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石田堤の解説板。


石田堤とは、
秀吉の小田原征伐の時に、石田光成を総大将とする北国勢によって忍城攻めが行われた。この際に築かれた堤である。北条方成田氏が立てこもる忍城は泥城で、小城にもかかわらずなかなか落城しなかった。石田光成は忍城を囲む堤を築き水攻めを敢行した。が、いっこうに落城の気配は無く、かえって堤が決壊し多くの犠牲者をだしてしまった。そして、忍城は落城せずに小田原城が降参してしまったのである。その報により忍城も開城した。その時の遺構が石田堤と呼ばれている。


さきたま緑道に戻る。



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おっ!



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大魔神。


ハニワのオブジェでさきたま古墳群が近い事をさとる。




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さきたま古墳群・奥の山古墳。



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いくつもの古墳がひしめいている。



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まだ、紅葉に未練がある。



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どうしても、色づいた葉っぱを見ると吸い寄せられる。



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丸墓山古墳。この古墳に石田堤は繋がっている。



車道に戻り、一直線に秩父鉄道行田駅に向かった。

向かい風の冷たい散歩であった。

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銀閣寺





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安楽寺





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永観堂






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永観堂







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東福寺







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東寺





終わり

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