2013年10月

山行日:2013.10.27
目的地:五覧田城跡
コース:渡良瀬渓谷鉄道水沼駅(8:45)~関守集落関守住民センター前(9:45)・道無し・戻る~関守口登山道~(10:50)五覧田城跡(11:10)~中山峠~田嶋峠~736m峰(12:55)~784.5m峰・中野山(13:30)~720m下降点(14:00)~法面を下れず・少し戻る~新しい舗装道のトンネル手前(14:40)~舗装道~阿久沢集落~渡良瀬渓谷鉄道小中駅(15:40)


渡良瀬川を歩こうと思い立った当初から五覧田城には立ち寄るつもりだった。「関八州古戦録」には、神梅衆の事が一節に渡って記述されている。また、この地を巡る争いがいく節かに出ている。越後上杉、後北条、太田由良による争奪戦と離合集散のはてしなき闘争。蝦夷より流れて土着した神梅衆・阿久沢氏が巻き込まれていく。
ただ、五覧田城の成立は、おいらにはまだ不詳。

渡良瀬渓谷鉄道の水沼駅に降り立った。桜が狂い咲き。
小黒川を渡って関守集落から五覧田城に登ろうと思った。25000図には関守集落から林道様の道記号があったから。


イメージ 1
関守集落にて。

関守の集落のどん詰まり。ここから北へ延びる道が派生しているはずであったが、いくら探しても無かった。関守住民センターの看板がかかる公民館のような敷地に侵入し、藪を分け入ったが道らしきものは無かった。その他、怪しげな小道を何箇所か辿ってみたが、いずれも民家の庭先で行き詰った。

仕方ない、看板通りに歩こう。国道近くまで戻る。いやはや、1時間近くのタイムロスとなってしまった。


イメージ 2
正規の関守口登山口にあった案内板。


正規の関守口登山道から五覧田城を目指す。



イメージ 3
天気は良いが、風が強い。


結構な登りを強いられる。城跡の感じは全く無い。山頂近くになって、僅かな堀切の跡とおぼしきものがある程度。


イメージ 4
592.9m峰到着。

592.9m峰に五覧田城跡があるのかと思っていたが、無かった。「展望所→」の標識に従い行ってみると、地元の方々が草刈り機で草を刈っていた。おいらが近づくと草刈り機のエンジンを止めた。

地元の方々が、付近の展望について説明してくれた。本来ならば男体山や富士山が見えるそうだ。今日は見えない。



イメージ 5
展望所に五覧田城の案内があった。

イメージ 6
五覧田城跡の石祠。ここにも青岸渡寺の札が。

イメージ 7
渡良瀬川上流部。山襞の奥が草木ダムだそうだ。奥の右の山が三境山との事。


草刈りのオッサン達が去った。おいらは焼きソバパンを食い、タバコを吹かした。

さて、城跡と言うにはその雰囲気は希薄であった。高橋口から登るべきだったか?


イメージ 8
592.9m峰に戻り、北に延びる尾根筋を歩く。国道歩きは排ガス臭くていやだから。

五覧田城跡から北へ延びる尾根を地図で辿ると袈裟丸山に至る。この尾根筋は、その筋の方々が歩かれているようだ。当然たそがれ氏、ハイトス氏の記事も目にしているが、予習する余裕が無く、25000図に鉛筆で薄く筋を引いて出かけてきている。

イメージ 9
おおっ、顕著な堀切跡ではないか。

堀切の底に四角い石祠の胴部分が転がっていた。堀切を登り返すと、ここが中山峠であった。屋根だけになった石祠が転がっていた。

道らしきものはある。そして「界」の字がある赤いポールが乱設されていた。みどり市と桐生市の境界と言う事か?


イメージ 10
栗生山?怪異なこの山がやけに目立つ。その奥に赤城山があるはずだが、僅かに裾野らしきものが見える程度。


ところで、標識らしきものがいくつかあったが、全て地面に転がっていた。まことに奇怪な事である。そして、緑の葉をつけた多くの木々が倒れておった。


イメージ 12
こいつは食えるのか?

ツツジの花が狂い咲きしておった。来春、ツツジは咲くのであろうか?

尾根は上下しながら徐々に高度を上げていく。少し飽きた所で、岩が現れた。岩は簡単に登れた。大きな松の木があった。

イメージ 11
松の木のピーク。

松の木のピークから南へ数十mで784.5m峰に達した。


イメージ 13
784.5m峰には、「中野山」の変わった山名タグがつけられていた。

「山野研」の青いテープがあった。ハイトス氏のお仲間?

⑦のアンパン2個を食う。最近、このアンパンが気に入ってしまった。

イメージ 14
貴重なモミジを見て、松の木のピークに戻る。

少し急な斜面を下り、斜度が落ち着いた所で、山腹でゴソゴソと大きな音がした。「お~いっ」と声をかけたら、「ブフォッ」と言うお返事。至近である。おいらは、一目散に尾根筋を駆け下った。立ち止まり振り返り、もう一度「お~いっ」と声をかけても返事なし。ウヘ~ッ。姿は見ていない。何者か!一度はお姿を見てみたいのだが・・・。


予定では784.5m峰と849m峰の中間付近から阿久沢方面へ伸びる緩く短い尾根を辿るつもりであった。そろそろ近いはずである。石祠があった。緊張して歩いていると、ここだろう、と言う地点に達した。見ると何と僅かではあるが切り開きがあった。喜んで下った。思っていた通り歩きやすい尾根だった。

イメージ 15
少しはモミジがあった。


間もなく右下に地図に無い林道が見えた。阿久沢からの林道が伸びたのかな?と思いつつ下るとすぐに擁壁に出くわした。落差は10m近い。まいったねぇ~。周囲を歩き廻り、下れそうな所を捜したが、全て絶壁。
周囲を見回すが、法面が延々と続いている。何とか脱出しなければ。もう一度周囲を見回す。遥か上方北面の沢筋に活路を見出すしかなさそうである。あ~ぁ、登り返しか~。
一服後、上に向かった。少し登ると尾根の南斜面に踏み跡様を見つけた。ムムッ。しかし、さっきの観察では尾根の南面は完全にコンクリート化されトンネルに至っているように見えた。だけど、成算はないもののこの踏み跡に賭けて見ようじゃないの。と下ったら、ラッキーな事に法面にコンクリの道ががあり、林道におりられるようになっていた。助かった~! 随分遠回りしたが、沢筋を下るよりはるかにましだった。

舗装林道を下り、クダンの尾根の先端に着くと、

イメージ 16
何と、階段があったではないか!くやしーったらありゃしない。


などと、ドキドキの下りとなってしまった。

長い長い林道歩きの末、阿久沢集落に着いた。当初のもくろみではこの辺りをうろつこうと思っておったが、すでに時間が過ぎている。アッサリ通過で「わ鉄」小中駅に向かった。

国道を信号で渡り、すぐの商店で缶コーヒーを飲んでいたら、店のオッサンが「何処行ってきたの」と聞くので、「五覧田城から尾根を辿って阿久沢に下った」と言ったら、「怖いとこ行くねぇ~」と言っていた。確かに最後は怖かったし、途中の獣も怖かった。オッサン曰く、今年の紅葉は全然ダメとの事。先週の台風で近くのゴルフ場の松が100本以上倒れた。舗装林道とトンネルは昨年できた。との事。
少なくとも舗装林道が無ければ、怖さも半分だったと思った。

小中駅は、商店の裏だった。

イメージ 17
最近はやっていると思う。


イメージ 18
「わ鉄」には、今日も美人アテンダントが乗っていた。

相老で、両毛号との接続も良く、思いのほか早く帰れた。

行った日:2013.10.19
目的地:深沢城
コース:東武桐生線相老駅(8:15)~赤岩橋~相川橋(9:10)~要害山参道入り口(9:35)~要害神社・高津戸城跡(9:50)~高津戸橋~浅川大橋(10:30)~福岡大橋(10:50)~穴原薬師堂(11:15)~貴船橋(11:25)~深沢川(12:15)~深沢城跡・正円寺付近徘徊~渡良瀬渓谷鉄道水沼駅


天気予報は、芳しくない。ならば、渡良瀬川歩きの続きに行ってみよう。

相老駅を出ると、僅かな霧雨。傘をさすほどではない。桐生合同庁舎交差点のコンビニでカルピスウォーターを購入。


イメージ 1
赤岩橋を渡る。

渡良瀬川左岸に沿った車道を歩く。
霧雨はいつしかあがっていた。

相川橋を見送ると車道は渡良瀬川から離れた。みどり市の標識を見る。送電線手前で「要害神社参道」の標識を見て、これに入る。無責任にも、その後道路の分岐に参道の標識が無く、勘で左折してみた。


イメージ 2
要害神社の石柱があった。


石柱脇に民家があり、車に乗ったオバサンがいたので、ここから要害神社に行けるのか利いた所、「行けますけど、道はグチャグチャよ」との返事。お礼を言って、参道を登ったら、かなりの藪道。蔓草などを掻き分けるはめに陥った。


イメージ 3
ヤヤッ、こんなのが、一匹や二匹どころでは無く・・・。


踏み跡が二分した。取り敢えず踏み跡の濃い右に行ったら送電鉄塔に出て、行き止まり。小便をツッタレテ戻る。とんでもない左の藪を掻き分けると、明瞭だがグチャグチャの道に出た。
おっ、なんだか城跡っぽい、削平地などが点在している。グチャグチャ道を捨て左の高みへと上がってみると舗装道路に出た。「要害山遊歩道」なる案内もあった。先へ進むと一台も車がいない駐車場に出た。ここから要害神社はすぐだった。


イメージ 4
要害山山頂の要害神社・高津戸城跡


イメージ 5
悲しい歴史を秘めていた高津戸城であった。


要害山からは、尾根伝いに進むつもりであったが、「高津戸峡遊歩道」の案内がありこれに向かった。チャンとした山道で要害山を下り、高津戸橋のたもとから遊歩道が派生していた。
しかし、「倒木の為侵入禁止」とあった。ムムッ、倒木程度で、何事か!侵入してみたが、その先の橋の所で厳重なバリゲートがあり諦めた。
遊歩道の一段上の車道にあがり、歩行を続けた。残念ながら高津戸峡は全然見えなかった。

小平川を浅川大橋で渡り大間々町塩原で道が分岐。小道の方に「史跡・穴原薬師堂」の案内がありここに向かう。


イメージ 6


イメージ 7
穴原薬師堂。


イメージ 8
門を見張る。金網越しに。


その先で、貴船神社の案内があり、いくかどうか迷ったが、本日のメインを優先して貴船神社は諦めた。貴船橋を渡って渡良瀬川右岸の国道に移った。ちょうど上神梅駅の所。
「関八州古戦録」によると神梅衆が上杉謙信軍を迎え撃って戦っている記事があったりする。

深沢川を渡ると、再び桐生市に入った。桐生市の中央部にみどり市が貫入し二分した形になっているが、異常事態であろう。どうなってんのヨ!


さて、腹が減っては戦はできぬ!うどん屋をみつけ「オロシうどん」を食う。オロシが辛過ぎるワ。

本宿駅の所からおかしな歩道橋があり、ここから深沢城を目指した。かなり迷って、


イメージ 9
正円寺に着いた。神梅衆・阿久沢氏累代のお墓がある。


正円寺と道路を挟んで、


イメージ 10
深沢城、またの名を阿久沢城の跡。

イメージ 11

イメージ 12


深沢城や正円寺のあたりを徘徊する。


深沢城を下り、再び国道に出る。排ガスが浴びる。


イメージ 13
ツツジが淡く紅葉していた。あくまで、淡く。


そして、中途半端な時間に水沼駅に着いた。
さ~て、どうしよう。


イメージ 14

次回のコースを頭に描いてみると、今日はここでやめておいた方がよさそうである。

結構混んでいる渡良瀬渓谷鉄道に乗って、帰路に着いた。

山行日:2013.10.13
目的地:男体山、大多和宿
コース:志津小屋(5:40)~五合目(6:25)~(7:40)男体山(8:30)~(10:00)志津小屋(10:30)~大多和宿()~裏男体林道分岐(11:30)

4:00起床。ドライカレー、ナスの味噌汁を食って、5:00に出発しようとしたが、暗くて目が見えん。おいらは目が悪いのだ。結局出発は5:40。

寒いのぉ~。

何を隠そう、おいらは男体山に登ったのは15年以上前で、後にも先にも登ったのは1回だけ。以来、眺める山であった。しかも正面から登った経験無し。
しかし、考えて見れば、古来男体山は夏峯も秋峯(五禅頂)も大多和宿からの登りであった。近世になり峰修行が大幅に縮小し、現在の中禅寺湖二荒山神社から登られるようになったんじゃねーの。と勝手に解釈し、今回も裏口(いや、古来からの表口)から登る事にした。


やたらとエグラレタ道をノソノソと歩く。最初の薙で朝日が射し、白樺が美しく輝いていた。


イメージ 1
二つ目の薙。


途中に1合目とか、2合目とかの柱あり。


イメージ 2
女峰山の山頂付近に雲がかかる。


上を見上げると、男体山の山頂付近にも雲がかかっているようだ。晴れてくんねーかな。
とにかく、風が強い上にやたらに寒い。
8合目あたりから霜柱が目立ち始めた。


イメージ 3
おや、霧氷じゃぁないの。


イメージ 4
おおっ、霧氷だ、霧氷だ!


9合目から霧氷の山となった。しかも、晴れている!


イメージ 5
しつこく霧氷。なんせ、嬉しかったもので。


イメージ 6
霧氷の向こうに、女峰山様と大真名子山。


イメージ 7
コンチクショー(何がコンチクショーなのか判らない?)。


イメージ 8
ヤケクソだー。


イメージ 9
男体山山頂に到着。口惜しくも、本日2番手であった。


イメージ 10
呆れるほどの晴天であった。


イメージ 11
備前楯山の上に富士山が見えた。


アンパンを食って、見飽きるほど山々を眺めた。

神社の鳥居をくぐって、次々に人々が登ってきた。

男体山山頂西端にあると言う、男体山山上遺跡を見に行った。山頂を西に下り僅かで新しそうな太郎山神社があった。そのすぐ先は絶壁となっていた。残念ながら男体山山上遺跡を発見する事はできなかった。

山頂に戻り、鐘を一発ぶっ放してオサラバ。

木にシガミつきながら荒れた登山道を下った。


志津小屋に戻ると、小屋の中は大賑わい。若者達が、大荷物でタムロしていた。唐沢宿からだそうだ。もう2名到着。こちらも唐沢宿から尾根伝いに来たそうだ、皆様これから男体山だそうだ。凄い人たちは、大勢いらっしゃる。次いでオバチャンが小屋の中を覗いて「ここ、泊まれるんですか?」と言うので、「タダで泊まれるけど、飯なし、水なし、便所なし、だよ~。」と答えると戸をパチンと締めて行っちゃった。

アンパンを1個食って、荷造りして、オサラバ。本日のメイン、大多和宿へ向かう。

大多和宿は、アキ爺氏のブログで知った。次いで、たそがれオヤジさん、ハイトスさんが出向いている。ハイトス氏のHPにGPS軌跡が出ていたのを覚えていたので、確認しておいた。25000図に鉛筆で丸印をつけておいた。

林道屈曲点で、磁石をセット。歩きだそうとすると、足元に踏み跡発見。シメシメ。一つ目の谷を渡った所で踏み跡を失う。2つ目の谷を渡る時点で、多分あの高みだろうと思われ行ってみた。


イメージ 12
大多和宿到着。林道から、僅か5分の位置にあった。

今は唐松林に覆われている。往年はどうであったのだろう。両サイドの谷は涸れ沢である。石像群の左側にヌタ場様の小さい窪みがあるが水は溜まっていない。
護摩壇があったが、囲いの石はやや新し目。最近燃やしたのか、黒い炭化物が溜まっていた。

ハイトス氏のGPS軌跡のおかげ以外の何物でもないのだが、余りにアッサリ見つかると有難味も薄れてしまう、という贅沢且つ不謹慎な悩みを感じつつこの場を去る。

とか言って、帰りの林道に向かうも、なにやら迷い加減。あわてて磁石を見る始末。



イメージ 13


イメージ 14


余り紅葉の進んでいない(というか、紅葉する木が少ない)森を見ながら呑気に下った。

山行日:2013.10.12
目的地:みー猫さんコースから小真名子山・大真名子山
コース:裏男体林道分岐(8:25)~軽石沢左岸尾根取り付き(8:40)~1790m平坦地(9:05)~推定野門道~
軽石沢~寒沢宿(10:20)~1920m薙(11:30)~富士見峠下登山道(12:15)~(12:50)富士見峠(13:00)~小(13:50)真名子山(14:00)~タカノス(14:25)~(15:20)大真名子山(15:40)~志津小屋(16:45泊)


日光修験道夏峯一行は、大真名子山・小真名子山とも、寒沢宿から北西面の難路から登頂している。25000図を見る限りとてつもない等高線の混み具合である。古賀志山さんから大真名子山の登路はそれほど困難なルートでは無いとのアドバイスを頂いていたが、それでもあの等高線密度は恐ろしい。
代替案として、昨年タカノス沢を辿ってみたが、岩壁に阻まれ敗走している。

そう言った事情が交錯する中、昨年みー猫さんが寒沢宿から富士見峠に抜けると言う常識では考え付かないコースを歩かれた。おいらは、この記録に小躍りした。このコースならば、藪との格闘に耐えればなんとかなるのではないかと。夏峯ルートとは大きく異なるが、命あってのモノダネ。「みー猫さんルート」で寒沢宿から小真名子山・大真名子山に登ってみよう。


今日も思いっきり朝寝坊してしまった。第二いろは坂はレース状態。おいらの軽自動車はレースに不参加。おなじみの裏男体林道の分岐に駐車。


イメージ 1
新薙登山口へ向かう林道。


軽石沢左岸尾根に取り付く。軽石沢は、下流部が御沢金剛峡、上流部が寒沢宿をかすめて寒沢薙となる。軽石沢左岸尾根は石楠花藪が相当にうるさいので、大きく南側に迂回してみた。石楠花は影をひそめ歩きやすい。高度計を見ながらそろそろ尾根に復帰しようとしたら、やっぱり石楠花につかまった。

1790m平坦地のすぐ上に左側に下っている踏み跡がある。これが推定野門道である。野門道を辿る。昨年に比べ倒木が激増しており歩き難い。倒木がきっかけとなって踏み跡が消えてしまうのではないがと少々不安になる。事実踏み跡が見つからず右往左往する場所が数か所あり。

タカノス沢を横断し、すぐに目の前の崩れかけた斜面を登る。その後も小さい涸れ沢を何度も渡る。下り加減となり、軽石沢が左手に見えてくる。今日はトコトン野門道を辿ってやろうと、目をサラのようにし、薄い踏み跡を追うも、チョットしたすきに踏み跡を失う。仕方ない、軽石沢の涸れた川床に降りよう。

イメージ 2
軽石沢に降りてしまった。

高度計を見ながら歩く、あれれ・・・。もう寒沢宿の高度になっているよ!おいらのアナログ式高度計は外側のリングを廻して補正するタイプ。ポケットの中でリングが廻ってしまったか?
こうなると、ヤマ勘かGPSに頼らざるを得ない。取り敢えずヤマ勘で歩く。軽石沢が白い河原になれば登り過ぎ。登り過ぎにならない内に右手の緩斜面に移る。取り敢えず磁石の方向に進む。すると赤テープと踏み跡が現れた。すぐに踏み跡が消える。ヤヤッ、判らん。またしてもGPSのお世話になる。今日も50mとない寒沢宿にアナログで到達できず。ガクッ。



イメージ 3
お決まりではありますが・・・。寒沢宿。

寒沢宿跡は太郎山と小真名子山の鞍部1879m標高点にある。石祠と石像、それに護摩壇がある。護摩壇前に苔に覆われた無木立の広場がある。ここに射しこむ木漏れ日は何とも形容のしようのない美しさがある。

⑦のアンパン4個入りの内2個を食ってオサラバ。高度計を1880mに合わせ、磁石を富士見峠下の登山道にセットし、出発。

やや登り加減の歩きだし。藪密度は強烈なものでは無く、並み程度。地図と磁石に首ったけ。傾斜が緩み、右手に何となく藪の少ない所が見え、そちらに移ると、


イメージ 4
おおっ、道ではないか!


確かみー猫さんのブログで、「衛星画像で道らしきものを発見した」とあったよな。これがそれか!まさかの道であったが、磁石の方向とほぼ一致しているので喜んで利用。道は広すぎるので恐らくは近年のものと思われた。



イメージ 5
そして、こんな物が現れた。やっぱりなぁ~。


やがて、一升ビンやらドラム缶やらワイヤーロープなどが散乱する飯場跡と思われる地点にたっした。このまま富士見峠下に繋がるのかと思いきや、道は消滅した。
後は磁石の方向に進むだけだ。ひどい藪に遭遇する事もなく、小谷をいくつか越えた。チョット藪がキツクなったと思ったら大きめの薙に出た(みー猫さんの記録にもあり。)。


イメージ 6
薙に出た。


イメージ 7
薙から帝釈山。この天気が続いてくれますよ~に。


薙を横断して高度計を確認。1920mであった。ヨッシャー。この高度を維持し、斜面を横断すれば富士見峠下の登山道に出られるはずである。高度計を見つつ、磁石を見つつ、藪を避けつつ進んだ。沢状を渡る時、上を見上げるとなんとは無しに人工的な感覚を覚え、僅かに登ってみると富士見峠下第一(下側)の登山道屈曲点に達した。ヤレヤレ感が漂う。
しかし、ここから富士見峠まで結構な距離があった。

イメージ 8
富士見峠下より小真名子山を見上げる。ゾーッとする高さを感じる。それになにやら雲行きが怪しい。


富士見峠にてピーナツチョコを食う。さて、先に進まなければ。


イメージ 9
小真名子の登りから帝釈山。こちらはまだ晴れている。


イメージ 10
小真名子の登りの途中にあった屋根だけの石祠。


イメージ 11
ウへっー、ゾットするワサ。下に富士見峠下の異常屈曲登山道が見えた。


イメージ 12
やっとこさ着いた小真名子山手前の展望地。女峰山様は晴れている。


イメージ 13
大真名子山・男体山はこんな按配。


連続歩きは、最早無理。要所毎にご休憩。


タカノスにようやく下って、また登り返しかぁ~。

先週、大風呂敷的計画で太郎~大真名子を予定していたが、とても無理であった事をあらためて知る。


イメージ 14
大真名子山到着。太郎山の真上は晴れているのだろうか?


イメージ 15
この光を見て、オーロラだと騒いでいた。


天気は急速に悪くなっている。時間もかなり遅くなっている。暗くなる前に志津に降りたいのだが、どうにも疲れてしまった。みー猫さんはアッサリ歩かれているし、yamasanpoさんに至っては男体山からこの山を登って女峰山に抜けているのだから恐れ入る。おいらは、タバコを吹かせてグータラに時間を潰してしまっている。

イメージ 16
酸っぱい木の実を2粒食って、下山開始。


急速に寒くなってきた。鎖や鉄梯子がヤケに冷たい。だ~れも居ない。寒風が身にしみる。

ヨタヨタと志津に到着。志津小屋に入ると5名ほどの人がいた。小屋の中は温かい。ぼんやりしていたらすぐに暗くなってしまった。
ヘッドランプを灯して飯、というより餅入りラーメンを食った。今夜は豪勢に餅を二つ入れた。
その後、何人かが小屋にやって来て、ほぼ満員となった。
寝袋の中でチューチューと酒パックを吸い、19:00に寝た。

-行った日:2013.10.6

コース:東武伊勢崎線館林駅=タクシー=館林市渡良瀬大橋(7:15)~高橋大橋(7:50)~渡良瀬川大橋(8:05)~川崎橋(8:50)~福猿橋(9:10)~福寿大橋(9:30)~田中橋(10:00)~中橋(10:05休)~足利市渡良瀬橋(10:20)~緑橋(10:30)~(10:45)ソバ屋(11:05)~鹿島橋(11:30)~松田川渡る~葉鹿橋(12:05)~小俣川渡る~境橋(12:50)~昭和橋(13:40)~中通大橋(13:50)~錦楼橋(14:00)~桐生大橋(14:10)~富士山(14:40)~赤岩橋(14:50)~明治館~東武桐生線相老駅(15:05)

どうも天気がぱっとしない。ならば川歩きに出かけよう。

館林駅からタクシーに乗った。「渡良瀬大橋まで」と言ったら通じなかった。


イメージ 1
群馬県館林市渡良瀬大橋。対岸はやや複雑だが、おおよそ栃木県佐野市。


軽く霧雨模様。傘をさすほどではないが、やたらと湿っぽい。二重堤防内に石の何かが見え、堤防を駆け下る。足が滑ってスッテンコロリン。ケツと上着に草の緑色が染み込んでしまった。


イメージ 2
馬頭観世音とある。


草叢を歩いて、すぐに靴に水が染み込んできやがった。まずいねぇ~。おいらの足裏は異常に弱いのだ。足が濡れると水膨れができちまう。


イメージ 3
湿気に満ちていた。


イメージ 4
二重堤防の外側を越え、矢場川を渡ると栃木県足利市高橋大橋。ここらへんは矢場川が栃木と群馬を分けている。そして渡良瀬川と並行して流れていた矢場川は南に去っていった。

イメージ 5
渡良瀬川大橋。霧雨はやんだ。



イメージ 6
足利市渡良瀬川蛇行。渡良瀬川の南は全くの平坦地。どこを流れてもおかしくない感じ。


イメージ 7
嫌われ者だが、綺麗に見える時もある。


イメージ 8
足利市川崎橋。蒸し暑くなり上着を脱ぐ。


イメージ 9
足利市福猿橋。足利は橋が多すぎるワ。


イメージ 10
足利市福寿大橋。


イメージ 11
堤防内に岩井町という町があり、そこを川が蛇行。正面の小山は足利市浅間山か。


イメージ 12
足利市中橋?この辺り橋が多すぎて、もう何橋だったか忘れちゃいました。

足利市駅を横目で見た辺りで、休憩。セブンの6個入りアンパンを食う。これ結構いけている。


イメージ 13
たぶん、足利市渡良瀬橋。


イメージ 14
足利市緑橋。遠くに太田市の金山(城)が見えた。


土手下にソバ屋を見つける。さっきアンパンを食ったばかりだが、別腹と言う事でソバを食った。

北関東道をくぐった。どうやら群馬県太田市に入っているようだ。

鹿島橋で北岸に渡ったら、またしても栃木県足利市。足利はデカイ。
また、霧雨が。でもすぐやんだ。


イメージ 15
足利工業大の風力発電。風車には「SUBARU」と書かれていた。産学協同か?いい事ですワ。


また、二重堤防になり松田川を渡って、渡良瀬川に復帰。



イメージ 16
足利市葉鹿橋。


次いで小俣川を渡った。
さらにまた、二重堤防となり桐生川に沿う事になる。


イメージ 17
少しだけ川筋を離れ、民家の庭先に咲く。


イメージ 18
少し明るくなってきた。


イメージ 19
境橋で桐生川を渡る。ようやく長かった足利とお別れだ。


イメージ 20
群馬県桐生市。中通大橋?(自信無し・・・。桐生も橋が多すぎる!覚えきれんワ。)


イメージ 21
ややっ、晴れてきおった。なんとなく、赤城山の裾が見えたような気がした。

桐生大橋で南岸に渡ると、もう川沿いに歩けなくなった。車道を歩く。


イメージ 22
JR両毛線。


両毛線をくぐり、上毛電鉄の踏切を越えた。地図を見ると、赤岩橋の間に神社記号着きの小山がある。道記号は無いが、小山を越えて赤岩橋に行けるのではないかと思い、小山の右手に回り込んだ。



イメージ 23
そうしたら、富士山登山口があった。


イメージ 24
民家の脇から5分足らずで富士山頂に到着した。富士山から渡良瀬川を俯瞰する。


山頂には青年がいた。おいらの姿を見ると逃げるように向こう側に去った。おっ向こう側に行けるのネ!
それは間違いであった。すぐに登ってきた道と合流してしまった。

あとは富士山を下山し、左から廻り込んで赤岩橋に向かった。


イメージ 25
桐生市赤岩橋。下流方向を見る。本日の歩き留め。


車道を戻り、明治館脇を通り、東武桐生線相老駅に向かった。
ところで、相老駅は何故「あい老」なのだろう。町名は「あい生」なのに?


イメージ 26
桐生市明治館。



相老駅に着くと、すぐに両毛号がやってきた。
居眠りをしながら帰途に着いた。


*今回の記事の橋の名称には、誤りがありそうです。橋が多すぎて、忘れちゃいました。悪しからず。

↑このページのトップヘ