2013年05月

山行日:2013.5.25
目的地:台石山、二子山、(仮称)二子平
コース:餅ヶ瀬林道起点(7:30)~801.2m(8:20)~1272m巻く~(10:40)台石山(11:00)~(11:20)二子山(12:10)~仮称二子平(12:30)~1358m~1159.9m~921m~大名峠(14:50)~鉄塔前(15:00)~北側の小尾根~国道122号~足尾トンネル北側駐車地(15:45)


昨年、沢入トンネルから両毛国境尾根を歩き、その美しさに魅了され今年も歩く事にした。
二子山、台石山は袈裟丸連山の前衛の寂峰である。

ところで、たそがれオヤジさんのブログによると、先週は「その筋の方々」が図らずも二子山に集結していたそうである。「その筋の方々」とは穏やかならざる言い回しだが、山の世界での「その筋の方々」と理解してよさそうではある。とは言うものの、今週も「その筋の方々」が大挙されるとなると、おいらとしては恐々とせざるを得ないのであるが。


どんより雲の中を餅ヶ瀬林道を数十m進み、民家の裏手から尾根に取り着いた。急な斜面を足尾トンネルの方向に斜上すると僅かで傾斜が落ち緩やかな尾根型に乗った。尾根は明瞭で、屈曲も多いが登る分には迷いそうにも無い。道らしきものは無いが、藪・笹のたぐいは全く無く歩きやすい。片側杉林、片側自然林が続く。


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アッサリと801.2mの小ピークに着いた。2.5万図には801.2と書いてあるのだが?


今回はたそがれオヤジさんより「801.2mの先にある石仏を確認せよ」との特命が下されていたので、キョロキョロと捜し回ったのだが、とうとう見つける事はできなかった。先ほどたそがれさんのブログを確認したら「石の間に挟まれている」との事。それは失念しておった。

気が付くと、いつしか明瞭な道の上を歩いていた。


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道は、きちんと削平されている。いつの日か、お金をつぎ込んで作られた道のように感じられるのだが。


削平された道は小ピークなどを巻いているので、特命を全うすべくピークに登り直したりしたのだが、「石の間」を失念しているのだから当然徒労に終わる。

1272mの先で両毛国境尾根との間に流れる小沢が至近になる。余りに綺麗に見えたので流れのそばまで行ってみたりした。こんな所でテントを張って、ビールを飲んでみたいものである。


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ツツジもちらほら見えだした。


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台石山東方の肩。ここも巨石庭園。山菜が伸びきっている。


ここからは、見上げるような笹の斜面を力づくで登るしかない。道はいつしか消えていた。天候が回復し、汗まみれとなる。


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台石山到着。それほど長い登りではなかった。


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台石山からは袈裟丸連山が聳え立つように見えた。



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台石山にて。


台石山山頂の石は休むに全く好都合である。独特のいい山頂であった。
台石の目の前はシロヤシオの古木が茂る。残念ながら今回はつぼみを見るにとどまった。


台石山から急降下。そして急上昇して二子山に到着。昼飯を食ってゴロリとする。今日は誰も現れなかった。
最後に一服して、下山開始。
少し迷走したが、仮称二子平(足尾のRR氏をはじめ、そのように呼ばれているようだ)に到着。


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二子平にて。

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二子平にて。

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二子平。残念ながら日が陰ってしまった。

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二子平の春の小川。


二子平はなんと美しいのだろう。時を忘れて歩き廻ってしまった。

だが! 春の小川のほとりにジンプ○とちり紙が落ちていたのだ!ムムッ・・・・。ユル腹のおいらとて、まさかここではやらないよ~。どういう神経しているのかねぇ~?

また、ゴミが多いのも確かな事。かつて作業小屋でもあったような雰囲気がするのだが・・・?。

美しいのに汚い。


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二子平にて。こちらは清楚な感じがして好き。


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二子平にて。



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二子平から続く1352m付近。


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二子平で遊び過ぎた。そろそろ帰らねば。


1159mの先がルートファインディグが難しかった。顕著な尾根が右にあるのだが、ここを下らずに磁石に従ってただの斜面を下る。尾根型が見えてホッとする。

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1000m付近で山ツツジが盛りとなる。

800m圏の小ピークは尾根のY字路。ここも左へ行く。
大名峠とある私製の標識を通過。


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送電鉄塔と渡良瀬川対岸の山々がいきなりドーンと現れる。


送電鉄塔が現れた所で、左側の小尾根に入る。国道は近い。はずだったが、痩せた崩壊地が現れ、さらにザレた岩場に出くわす。まずいねぇ~。ハイトス氏はここを下ったのか!近付いてよく見ればおいらでも何とか下れそうではある。苦手な岩場の下りを冷や汗をかきながらこなす。
木につかまりながら下っていると大岩が現れ先に進めそうもない。左手の砂地に鹿道が見え、それを辿り沢床に降り立った。正面に青色の建物が見えた。小沢を左岸に渡り少し下ると国道に出た。
やれやれ、平和な山上とはかけ離れた尾根末端部であった。
そういえば、今日一日誰とも会わなかった。これが本来のこの山なのだろうな。


沢入トンネル南側に下ったほうが安全そうなのであるが、あの金網の扉は内側から開くのだろうか。

取り敢えず、また来年来よ~ッ。

行った日:2013.5.19
目的地:埼玉県富士見市南畑 難波田城


東武東上線志木駅よりバスに乗り、下南畑バス停下車。徒歩15分。


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あった、あった難波田城の入口。


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入城。


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紆余曲折の末、この地を領有した難波田氏。



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とうとう、北条氏が川越城を占拠してしまった。扇谷上杉氏に臣従し富士見市に割拠する難波田氏の心中を察するに余りある状況。難波田城は前後を北条の勢力に囲まれてしまったのだから。

背に腹は代えられない。難波田善銀は、不仲の山内上杉、古河公方に連合軍の糾合を必死に訴えた。そして、その願いはかなえられた。さらに今川氏との連携にも成功した。

そして、今川軍が北条氏との国境に進出。北条氏康はこれを迎え打った。


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時を同じくして、扇谷上杉、山内上杉、古河公方連合軍は8万の大軍を擁し、川越城を包囲した。北条氏康の本隊は駿相国境に釘付けのはずである。難波田善銀は、小躍りしたことであろう。


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城外のお地蔵さん。背後の水田は、難波田城が水城であったかのように思わせる。



しかし、結果は世に有名な「川越の夜戦」で知られる通り。扇谷上杉氏は滅亡。山内上杉氏は上野国に落ちのびた。
難波田善銀は、井戸に落ち落命。なぜ井戸に落ちたのかは不詳。

行った日:2013.5.18


燧ケ岳を下ったあとに、御池田代に行った。
御池駐車場より3分。

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春がくう~れば思い出す。

水芭蕉は夏に咲くのであろうか。

夏に行った事が無いので判らないが、

ここでは、雪解けの早春に咲きだす。



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ひと気の無い尾瀬で、ボーッとするのが好きである。

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山行日:2013.5.18
目的地:燧ケ岳
コース:御池(9:10)~広沢田代(10:00)~熊沢田代(11:00)~(12:20)燧ケ岳俎クラ(13:30)~御池(14:20)


GWのスキーでスキー引退勧告がだされたが、未練がましくも恒例の燧ケ岳スキーに行ってしまった。この日、晴れなければ燧ケ岳スキーは決行されず、そのまま引退しているところだった。

御池は快晴。にもかかわらず、駐車場の車の数は寂しいものだった。山スキーが下火になったのか、それとも皆様すでに燧ケ岳程度では飽き足らなくなったのか。


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御池を出発。雪は多いとは言えないが、充分あった。


のっけからグズグズの急斜面に苦しむ。2回程、板をはずし担ぐ。以前はこのコースで板を担ぐ事は無かったが、2年前より担ぐようになってしまた。足腰の虚弱化か。
すぐに汗だくとなり、手袋を外す。次いでセーターを脱いだ。


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広沢田代より大杉岳~アイ駒方面を振り返る。久々の快晴のような気がした。


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燧ケ岳が見えてきた。


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熊沢田代に到着。

熊沢田代を登り切り、山頂直下の大斜面の下で大休止。


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燧岳直下の急斜面。おおっ、女峰山、小真名、大真名が見える。


標高を上げても雪はグズグズ。スキーで雪面を何度か押しつぶしながら登った。


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燧ケ岳俎グラに到着。本日の山頂はここにする。至仏山にも結構雪があるじゃぁないの!

少な目とは言え、何人もの人々がいる。

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尾瀬沼はまだ殆ど凍っているのか?最奥に日光連山が。


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越後の山々。



山頂の肩まで下って昼飯を食った。

今日も握り飯~カップ麺~握り飯。カップ麺は久々にカップヌードルを食った。やっぱり高いだけあって確実に旨い。



イメージ 11さて、シールを剥がして下りましょ。

いつもはお気楽な下りなのだが、今日はドキドキした。2組ほど滑り降りて行くのを待った。
さぁ、思い切っていってみっかー!

雪面は見えたぞー。シャーベット状のドグサレ雪だが、板は何とか回る。
ウヒョヒョヒョひょー!奇声を上げて滑った。快適だぁ~。
まだ人の滑っていない雪面に向かう。ムハッー。気持ちいい~ッ。シャーベット祭りだぁ~!

楽しい斜面はアッと言う間に終わった。
取り敢えず、汚れた雪面なら見えるようだ。

後半はクサレきった雪に苦しみヒドイ滑りではあったが、不安なく御池まで滑る事ができた。


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スキーを外して、御池田代を訪れた。早春の風情だが、いやに暑かった。


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中山峠を越すと、春真っ最中の趣であった。


なにはともあれ、スキー引退勧告は保留された。

三行日:2013.5.12
目的地:夕日岳
コース:蕗平入口(7:10)~蕗平~林道~600m付近山道(7:30)~950.5m(8:15)~ヒラッ平1140m付近(9:10)~1294m峰・オオホノチ・オオボッチ(9:30)~巻き道~1450m付近で尾根に戻る~(11:00)夕日岳(11:35)~地蔵岳(12:00)~1245m・石祠(12:40)~1221.8m(13:10)~1037m石祠(13:50)~740m付近・地図にない林道(14:40)~林道Y字路(15:20)~白井平(15:30)~蕗平入口(15:45)

yamasanpoさんの夕日岳紀行を見て、「そうだ、夕日岳に行かなければ!」と突如思いつき、出かけた。
どうせ、行くなら懸案となっていた地蔵岳から東大芦川の白井平に下ってみよう。

以前、地蔵岳から東大芦川に下る記録は少なかったが、たそがれオヤジさん、みー猫さんらが辿っている。そして、出発前夜チラリとネットを見たら、記録がたくさん出てきた。題名だけ見て終わりにしておいた。


蕗平の入口、お地蔵さんのある所に車を停めた。前回はお地蔵さんの裏から尾根に取り着いたが、今回は蕗平の集落跡に寄ってみよう。
小雨がまだ残っていた。取り敢えず合羽のズボンだけはいて出発。


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蕗平の集落跡にある鳥居。


林道は鳥居の左手から伸びていた。地図に無い林道を辿る。


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林道から夕日岳新道の入口。600m付近。


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ツツジの木は多いが、あまり咲いていなかった。


尾根なりに進む。道は薄い。左手に明瞭な山道が2本ほど現れるが、無視。急坂を登りあげた所で右手から尾根が合流。磁石をセットし直す。905.5mに到着。雨はあがったが、天気は冴えないねぇ~。



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ヒラッ平到着。1140m付近だった。見方によれば「トラリ平」に見えなくもない。


ヒラッ平の標識は、前回見過ごしていたので、是非確認しておきたかった。


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ヒラッ平付近の様子。おいらは、こういった雰囲気が好きなのだ。この辺は、ツツジ尾根なのだが、アカヤシオは落花。その他のツツジは開花前であった。


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1294m峰・オオホノチ・オオボッチ到着。


オオボッチよりアカヤシオが咲いていた。が、花付きが悪い。


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オオボッチの先、左手に巻き道を発見。


オオボッチの先は、地図では判らない細かくて急でイヤラシイ登下降が続く。左手に巻き道を発見し、今日はこれを辿ってみる事にした。
一旦鞍部が至近になり、尾根に復帰してみようかとも思ったが、トコトン付き合ってみようと思い直した。しかし、途中より巻き道は消えてしまった。斜面を登ると、鹿道なのか再び踏み跡が現れ、これを辿る。前方にガラガラの谷が見え、巻きをあきらめ斜面を登る。尾根に復帰した所は、多分1450m圏わずか西方であると思う。

取り敢えず、本コースのイヤラシイ所はほぼ巻き終えたようだ。かわりに「胸突き」の標識を見損った。「岩タァ」の標識も見なかった。見過ごしたのか、朽ち落ちてしまったのか?

最後の平和な尾根を登りきると夕日岳山頂だった。


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夕日岳山頂到着。「夕日岳新道入口」の標識。


なんと、「夕日岳新道入り口」の古い道標が括りつけられていた。何年も山頂付近に転がっていたやつだ。このシブトさは見習わなくては。

夕日岳の山頂には何組かお休み中。天気の悪さ、アカヤシオの花付きの悪さを嘆かれている方が多い。おいらも、その一人である。

「どこを登って来たの」と聞かれ、「蕗平から」と答えた。


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夕日岳山頂より。日光白根、錫、皇海は見えるが、男体山、女峰山は雲の中。


おいらは、握り飯~カップ麺~握り飯を食った。
おや、いくらか体力的余力があるじゃぁないの。しかし、それは勘違いだった。三ツ目の登り返しでバテる。


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それでも、ツツジは咲いていた。


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ここだけ、たくさん咲いていた。


地蔵岳では、若いカップルが飯を食っていた。おいらはこの後のルートに不安がヨギリ、多少緊張していた。タバコを吹かし、磁石をセットし、下降開始。

急な斜面はすぐに終わり、細かいピークのあるなだらかな尾根になった。踏み跡はかすかな痕跡がある程度。但し笹は低く、藪も無い歩きやすいルートだった。

やがて、石祠が現れたりした。


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夕日岳と夕日岳新道の尾根。あの僅かな上下がイヤラシイ。


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肝心のツツジは開花の準備中。


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1037m峰付近の石祠。中に新しい御札あり。新しい石祠の後ろに屋根だけの古い石祠が転がっていた。一段下に石垣を伴う広場があった。


この尾根には3か所に石祠があった。下2箇所には、石垣を伴う広場があった。


ここらより新緑となる。が、また小雨が降ってきやがった。


1037m石祠のすぐ先が、尾根の分かれ。北側の尾根にピンクリボンがヒラヒラしている。地図を見るとどうやら蕗平に下れそうである。予定は南側の白井平に続く尾根である。こちらにピンクリボンは無い。おまけに杉の倒木が見える。どーすんベー。
取り敢えず、なだらかそうな白井平に向かおう。


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ツツジはさみしいものであった。

尾根上は杉の植林地となった。はじめは倒木をよけながら普通に歩けた。道は無し。途中鹿よけのネットが現れ、いきなり藪と化した。幸いネットのすぐ脇が尾根上だったのでネット沿いに下る。かなり藪っぽい。やがて、ネットを左手見送ると、740m付近で地図に無い林道にでた。林道を突っ切って尾根上を進もうとしたが、林道脇に杉の間伐が放置され、越え難い事。ここで、勘が狂い、尾根を外してしまった。ムムッ、藪と間伐材とグズグスの急斜面。強引に下ると左手に尾根状が見え、なんとか復帰。その後、2回ほど林道を突っ切る。4回目の林道で、下をみたらかなりの急斜面。ここで、林道を右に辿る事にする。間もなく地図にあると思われる林道に合流。
わずかで、予定の着陸地点、林道Y字路に到着。ここは、擁壁ありのかなりの急斜面であった。さっき尾根通しに歩くのをあきらめておいてよかった。

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白井平到着。今頃になって晴れやがった。



地蔵岳から東大芦川への下降は、思っていたほどの困難はなかった。740mで林道が出現してからの僅かな区間がイヤラシかった。
1037mから蕗平に向かったらどうであったのだろう。もっとスッキリとフィニィシュできたのか、はたまた下れずに泣きを見たのか?

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