2012年01月

山行日:2012.1.29
目的地:グミの滝、できれば三つドッケ
コース:天目山林道ゲート(7:20)~シゴー平(7:30)~グミの滝(9:50)~破れ小屋(10:20敗走)~シゴー平~駐車地(12:00)

今年の冬は近年に無く寒く感じる。久しぶりに雲竜に行くつもりでいた。しかし、この寒さ故、普段凍りにくい所も凍っているのではないか?そんな気がしてきた。ならば、グミの滝に行ってみよう。全面氷結しているかもしれんなぁ。成り行き上、三つドッケにも足を伸ばしたい。

川又で浦山川を渡り天目山林道に入るといきなりの積雪となった。4WDモードにしノーマルタイヤでノソノソ走る。しかし、ガドレールの無い所などがある。細久保谷まで落ちたくはない。渋々タイヤチェーンを装着した。ゲート手前に駐車。

山靴を履こうとして、毛糸の靴下を忘れてきた事に気付く。まいった。布靴はあるが、今日の積雪では無理である。象足が目に入った。象足を履き、冬靴を履いてみた。何とかなった。但し、足の親指が痛い。仕方が無い、これで歩く事にした。
歩いているうちに、象足がなじんで来たのだろうか、親指の痛みは解消していった。

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シゴー平。気温-6℃。それ程の寒気ではなかった。

カリカリの林道を辿り、ヘアピンカーブの所から山道へ入る。人の足跡は無く、多くのの動物の足跡があるばかり。ああっ、おいらも動物であった。


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崩壊斜面にはばまれる。バックし、アイゼンを装着。鹿の足跡に沿って、そっと歩く。


アイゼンには、ハーさんから日東5000NSを分けてもらいPPのプレートを貼ってみた。雪の付着無く、快適に歩けた。
崩壊斜面が次々に現れ急斜面のトラバースを繰り返す。雪が締まっておりなんとかなったが、恐ろしかった。危険極まりない橋をいくつか渡らなければならなかった。鹿はこの歯抜けの橋を見事に渡っている。一歩一歩慎重に渡った。
雪は締まっていて、潜ってもスネ程度。但し、歩行速度は大幅に鈍った。



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破れ小屋到着。つぶれ方がハデになったような気がする。


破れ小屋までくればグミの滝は近い。が、ここより雪が柔らかく、そして深くなった。


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グミの滝が見えた。残念ながら、全面氷結はしていなかった。


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部分的に撮ると、結構氷結しているように見えたりして。

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雲竜バリの氷。

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同じような写真を撮りまくる。

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そろそろ、帰ろう。

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破れ小屋に向かう。

破れ小屋に戻り、時計を見ると10時をはるかに過ぎていた。三つドッケは無理である。退散した。

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登りで冷や汗をかいた所も、自分の足跡に足を入れれば多少の安心感が得られる。

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なので、帰りの写真が多くなる。

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ここは、危険な橋を渡るしかなかった。

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そうこうしている内に、天目山林道に帰り着いた。正直、危なかった。



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シゴー平。

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河原に降りて・・・。


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氷の写真などを撮り・・・。

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満足して、駐車地に向かった。


駐車地でアイゼンを脱いでいると、ワゴン車がやってきて停まった。2人組みの猟師だった。大久保谷、中津川、入川に詳しかった。この辺はだいたい歩いているとの事。シャクナン尾根は登れるか?と聞いてみたが、シャクナン尾根は知らんと言っておった。和名倉山の事を白石山と呼んでいた。久しぶりに聞いた「白石山」であった。

途中、武蔵松山城に寄って帰宅。

行った日:2012.1.9
目的地:腰越城、官ノ倉山、安戸城
コース:パトリア小川(7:50)~榎戸口(7:55)~(8:15)腰越城(9:00)~249m峰(9:15)~(9:50)石尊山(10:10)~(10:20)官ノ倉山(10:40)~在家集落(11:00)~道探し~諦める~安戸・大霊神社~安戸城(12:00)~都沢入り口バス停(12:30)~パトリア小川(13:10)

昨年、小倉城、青山城を訪れた。小倉城(ときがわ町)は、菅谷館(嵐山町)、杉山城(嵐山町)、松山城(吉見町)とともに近年「比企城館跡群」として国指定史跡となった。
小倉城と至近の腰越城に興味を覚え出かけてみた。さらに至近の安戸城にも寄ってみたい。比企城館群と関連があるに違いない。

地図を見ると腰越城の尾根続きで石尊山、官ノ倉山があった。昭文社にも25000図にも城と山の間に道記号が無かったので、磁石を準備し、藪歩きを覚悟した。

何回かイーグルバスに乗っていたので、昭文社で取り付き予定地のそばに「ゆ・パトリアおがわ」の文字を見つけた時にはしめしめと思った。パトリアに着くと入り口に「当館に訪問者以外駐車禁止」の旨が掲げられていた。帰りに一風呂浴びれば良いだろう。


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パトリア小川の駐車場からは、以前登った笠山がドカンと見えた。

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そして、恐らくあの小山が腰越城であろう。槻川の突端に廻り込み緩やかな尾根伝いに登ろうと思っていた。

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駐車場入り口にはなんと腰越城の案内板があった。ムムッ、案内板によれば、ちゃんとした登城口があるようだ。

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駐車場のハズレに道標があるではないか!

道標に従うと、簡単に腰越城に取り付けた。ラッキーだった。

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県道を渡り、民家の脇を通り抜けると、

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榎戸口と書かれていた。

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道は一本道では無かったが、太い道を行った。杉とソテツの妙な組み合わせの森。

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尾根に出たら官の倉山の標識があった。

本郭北側の鞍部であった。尾根には明らかな堀削の跡があり、城跡らしくなってきた。

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二郭。

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本郭。

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腰越城本郭からの眺め。笠山が目立つ。笠山手前の左下がりの尾根の白茶けた突端あたりが安戸城に思われる。

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皇鈴山あたりか?

兎に角、低い割には眺めが良い所だった。順路の矢印があり、それに従い歩き廻る。

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この城の特徴は竪堀にあるらしい。

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西郭には、石祠が。但し、コンクリの補強あり。

矢印に従い、グルグル廻しで歩かされる。なかなかいい感じが出ている。
案内板には、城の成立期は書かれていなかった。永禄五年に当時の城主山田伊賀守が赤浜の原(寄居町)で越後上杉軍と戦い、戦没したとある。天正十八年、山田直安公が城を開城した。戦国期、北条方の支城だったのだろう。

本郭北側の鞍部に戻り、石尊山を目指す。

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道は無いものとして来たのだが、立派な道があった。嬉しい反面、ややガッカリ。
送電鉄塔をくぐり、アッサリと249.4m峰に着いた。

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あれが石尊山か?

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少し下ると荒地が広がっていた。密林だったら困るなぁと思っていた地点。

どうやら、ゴルフ場造成跡地のようだ。困ったもんだねぇ。

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でっかいタイヤが転がっていた。

タイヤの右前方にテープが見えた。ここが、唯一判りづらいところ。タイヤが目印である。目印から、ザレた急坂を少し登るとピークに達し、緩やかな尾根を行く。

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小さな鞍部に石祠が。安政六年巳未五月吉日 武州比企郡飯田村。ちょうどゴルフ場造成跡地の下に飯田地区があるようだ。
石尊山の登りが始まったようだ。結構汗をかかされる。ピークに立つも山頂標識無し。右から子供の声がする。

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ピークから一段下がった展望地に山頂標識があった。

石尊山山頂には、親子三代と思われる3人が居た。子供からチョコレートを頂く。

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赤城山、榛名山が見えた。赤城の左は上州武尊あたりか?

男体山や筑波山が薄っすらと見えた。眺めがいいので、長居をしてしまった。官の倉山に向かおう。

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官ノ倉山には直ぐに着いた。目の前に石尊山。

オッサンが一人佇んでおった。やがてもう一方登ってきた。ここでも長居をしてしまった。官ノ倉峠から在家に下ろう。

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アッサリ在家の集落に到着。笠山は何処からでも見えるんだねぇ~。

さて、ここから安戸城へのルートが問題だった。安戸城は在家西方の239m峰であると踏んでいた。25000図には在家集落の北西から280m圏ピークに登り南下し239m峰に至る小道記号が記載されている。この小道を探すべく、川沿いの舗装道を北進した。地元のオバチャンが歩いていたので、城への道を聞いてみた。「反対方向へ歩き、インド人のやっているカレー屋から城へ行ける」との事。う~ん、多分それは腰越城の事だろうな。お礼を言い、オバサン推薦の方向とは逆方向へ歩いた。オバサンは、そっちは行けるけど駅まで一日がかりだよ、とおっしゃられた。
は~ぃと返事して、歩くしかなかった。
舗装道が砂利道になった。行き過ぎたようだ。戻る。少し戻ると、川へ下る踏み跡が見えた。これか、川の流れは細く簡単に渡れた。踏み跡が沢型に沿って右岸に続いている。25000図では左岸のはずだが・・・。やがて踏み跡を見失った。たそがれオヤジさんなら、こんな程度ではビクリともせず進むのだろうな。そんな思いがよぎるも、小心者のおいらは退却した。里山で迷うとえらい目にあうのである。

さて、お次は車道を戻り安戸地区に廻り込み、これまた25000図にある小道を頼りに239mを目指す事にする。近道などをし、安戸地区に入る。

舗装道の曲がり方や山の様子を伺い、小道を探す。大霊神社脇の舗装された道がその道に見えた。とりあえず登る。幼稚園らしき敷地の上で行き詰る。なにか大きな看板があるので右方向へ強引に進む。植林の看板だった。右下に汚らしい林道が見えた。

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林道に近づくと新しい林道のようでキャタピラ痕だけが目立った。この林道を上がってみた。

どうやら目指す尾根に絡みつくように作られているようだ。

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林道を15分も歩いただろうか、尾根に沿って踏み跡が見えた。ここから僅かで、239m峰安戸城跡に着いた。

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安戸城跡 東秩父村

なんとか安戸城に辿り着けた。杉林の密林で、何も見えない。城跡らしい形跡は少ない。山頂直下に僅かな棚部が2箇所。山頂に石組み?のようなものがあったが、ただの石にも見える。案内板等も無し。少し廻りを歩いてみたがやはり成果はなかった。薄暗い森の中で、握り飯一個を食った。
さて、帰ろうか。その時、あらぬ方向に踏み跡を見つけた。次いで、赤テープも。25000図には無い道であった。これを下ってみよう。どうやら南南東に伸びる尾根筋に沿っているようだ。踏み跡は良く見れば判る。

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次第に道型がはっきりしてきた。
小ピークを越えたあたりからは、先程近道した地区などが見えてきた。そして、踏み固められた道に出た。右手に社が見えた。

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そして鳥居が。良く見ると、腰越城近くの送電鉄塔が見えるではないか。

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またしても鳥居が

二つ目の鳥居で車道に出た。車道を右折すると、材木屋の脇からイーグルバス「都沢入り口」のバス停前に出た。帰りはいとも簡単だった。

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近くの聖岩寺より安戸城239m峰を振り返る。

長い車道歩きを強いられ、パトリア小川に帰着。駐車場は結構な入れ込みだ。風呂はまたの機会にしよう。さっさと車に乗り込んだ。
道の駅小川でざるうどんと天婦羅を食い、大聖寺に向かった。重文「六面板碑」を見ようと思った。が、お宝の御開帳は無かった。境内からは青山城がある仙元山が目の前に見えた。

山行日:2012.1.2~3
目的地:酉谷山
コース:1/2三峰神社(10:30)~(12:00)霧藻ヶ峰(12:50)~白岩山(14:20)~大ダワ(15:15)~雲取山荘(15:40泊) 
1/3雲取山荘(6:15)~芋の木ドッケ(7:30)~長沢山(9:00)~(11:30)酉谷山(12:10)~小黒~大血川下降点(13:10)~東谷林道(15:10)~大日向(15:50)=車に乗せてもらう=西武秩父駅(16:30)

雲取山から長沢背稜を辿り、酉谷山までを計画した。酉谷山から先は、状況次第と言う事にした。
①道が凍結するなど悪条件の場合は三つドッケ~ヨコスズ尾根~東日原。
②酉谷山に11:00までに着いたら、小黒~熊倉山~武州日野駅。
③酉谷山に11:00以降に着いたら、小黒~東谷林道~国道140号。

②は、恐らく無理であろうと思われた。せめて③に行きたい。そんな気持ちででかけた。

1/2
三峰神社でバスを降りる。登山者は思いのほか少ない。前回はバスで1時間余り立ちっぱなしであったが、今日は全員平和に座れた。
大半は初詣客か。リュックを担いでいる者は数人だった。タバコを吹かせて出発。イヤに風が強い。空は北と東は青空。南と西が曇り空。ここは、晴れたり曇ったり。

妙法ヶ岳の分岐でオッサンに追いつかれる。オッサンは妙法ヶ岳に向かった。いつもながら、クソ寒い道である。ヒートテック2枚重ねが効いてか胴体は寒くないのだが、指先と頬の辺りが冷たい。タバコの吸い過ぎで、末梢の血管が収縮しているようだ。当然脳ミソの血管も収縮しているはずである。

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霧藻ヶ峰に到着。両神山を望む。

霧藻ヶ峰に着くと、小屋の爺さんがおいでおいでをするので、フラフラと入室。金300円なり。コーヒーを注文。コーヒー代は300円。入場料を支払ったのでコーヒー代は無料だとさ。
ついでなので、ここで昼飯とする。後続のオッサンとアンチャン二人組が入場。コーヒーを飲んでいた。ここで、小屋の爺さんと長話をする。オッサン・アンチャンは先に小屋を出て行った。
寒いが歩かない事には、進まない。イヤイヤ外に出る。前白岩山の登りでバテル。この登りでここまでバテたのははじめてだ。

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おおっ、目指す酉谷山(右)と小黒(左)が並んで見えるではないか!

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白岩小屋に到着。

霧藻ヶ峰の爺さんの話では、白岩小屋は廃業との事。小屋の戸はあいた。中には布団が積んであった。枯れ葉が舞っていた。ガラス窓が割れていた。
白岩山は直ぐだと思ったが、中々着かない。どうも調子がでんなぁ~。やっとの思いで白岩山着。ザックをほったり投げる。タバコを吹かす。にわかに風が強まり横殴りの雪が降ってきやがった。フリースがみるみる真っ白になった。腰を上げるか。
芋の木ドッケを巻き終わる頃、雪はやんだ。にわか雪で助かった。和名倉山ほうは霞んでいるワ。


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芋の木ドッケの巻き道。雪は少ないが、いやらしく凍結していた。

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大ダワ付近。

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大ダワの先より、不人気の芋の木ドッケ。雲取山とともに2000m越えの山なのに人は殆ど来ない。

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ゼーゼー言いながら雲取山荘に到着。

雲が多いので、雲取山には行かず、即入場。恒例の樽酒秩父錦を茶碗で5杯飲む。ストーブ前で雑談にいそしむ。霧藻ヶ峰で先行したオッサンに滝子山を推薦された。同部屋の方からは毛勝山を推薦された。毛勝山はいいねぇ~。是非一度行って見たいものだ。猫又谷からの雪渓歩きが登り易いとの情報を得る。

樽酒の次は、甘酒を頂く。こちらは小屋の甘酒奉行が差配なさっておる。

部屋に入るとオッチャンがコタツで寝ていた。おいらがゴソゴソ整理していると起きてきて、またしても情報交換となった。オッチャンは長沢背稜からタワ尾根を下ると言っていた。おおっ、いいコースだ!おいらも狙っていたコースだ。マニアックな方々で満ち溢れておるなぁ!

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酒の飲みすぎか、手振れがひどかった。

夜な夜な、食堂に入り樽酒をもう二杯頂き、御就寝。


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朝飯を5:30に食って、未明に出発。気合は入っていたが、芋の木ドッケの登りで敢え無くバテル。

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芋の木ドッケの登りの途中で初日の出を見る。下界より10分位早い日の出か?

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芋の木ドッケに到着。すでにバテていた。

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長沢背稜も雪が少ない。

長沢背稜も雪が少なかったが、氷化する事無く、パックされた圧雪のような感じで問題なし。順調な歩きとなる。桂谷の頭付近の岩場には全く雪は無し。

長沢山の登り手前の日溜りで休憩していると、オッチャンがやってきた。長沢背稜にイタク感動していた。大倒木帯が凄かったと。確かに。
お先に失礼し、長沢山に向かう。長沢山からは富士山が見えたが、大ピンボケで写真無し。

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長沢山を下ると、秩父側を巻く。地図と異なる所だ。

オッチャンには長沢山の下りと天祖山分岐が判りずらい事を夕べ説明しておいた。今日は、雪の上に踏み跡がしっかり着いているので大丈夫だろう。

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天祖山分岐を過ぎると日原側の明るい巻き道となる。これなら、11:00前に酉谷山に着けるかも。そんな期待を抱かせた。

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途中、両神山とその後は浅間山か?

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おいらのアイドル三つドッケが近づいた。

所がそうは問屋が卸さなかった。気持ち良さそうなタワ尾根(多分)を乗り越すと光輝く氷が現れた。クソッタレ。バランス感覚の悪いおいらは急ブレーキ。モタモタと歩を進めるしかない。氷の道が断続的に続く。酉谷山の登りに差し掛かった時にはすでに11:00を回っていた。

酉谷山で昼飯。富士山が良く見えるが、ここでも何故かピンボケ。
もう熊倉山は無理である。ノンビリとした。前回はここで、ジュースが凍ってしまっていたが、今日は大丈夫。たらふく飲み食いをした。

さすがに指先がジンジンしてきたので、潮時とした。小黒から大日向にくだろう。25000図、磁石、高度計をザックから引っ張り出し、下降開始。なんと雪の上に古い踏み跡があった。大血川峠にはアッサリ到着。小黒の登り返しもスズ竹がげんなりしており、簡単に到着。

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無愛想な小黒山頂。

ここより全く雪無し。ここから主尾根に乗るのが難しい所。左側に注意して歩いていると簡単に私製の標識が見つかった。

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昭和57年とある。随分古いなぁ。方向はまるで逆である。恐らく一度脱落した物を誰かが、吊るし直したのだろう。

ラッキーとばかりに下る。しかし、異常な急斜面である。前回通過時とは様子が違う。そう言えば、ネットで時々「小黒の急斜面」が出てくるな。この事だったのか!つまり、おいらは前回別コースを歩いてた事になる。急斜面はドンドン下る。ロープまで垂れ下がっていやがる。右手に主尾根らしきものが見え始める。たまらず主尾根に向かう。主尾根に立つと、そこにも赤テープがあった。どうやらこの辺り2本のルートがあるのではあるまいか?
少し主尾根を下ると、先ほどの道が合流してきた。

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やがて、ドハデな標識が。残念だが、時間切れ。今日は東大・大血川へ下る事にする。

東大とは、東大演習林の事か。または、川沿いの建物の事か?
ここまで来ればもう安心。と思ったら大間違いであった。何故か、道が荒れていた。軽い土砂崩れが多数あり。以前より道型が斜めに傾いでいる所多数あり。尻を地面に着き何とか通過と言う場面の連続となる。

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崩落地。

また、このルート単純に尾根を下っていないので、実際には磁石は使い物にならない。いくつかの谷をトラーバスし尾根を乗り換えながら道が続いている。道が途中で見えなくなると困るのである。幸いテープの数が増えたようなので何とか下る事ができた。しかし、主尾根の下降点から東谷林道まで2時間を要してしまった。
このルート、はっきり言って現状では登り以外使わない方が無難であると思う。

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東谷林道ドン突きのクイナ沢に辿り着く。ヤレヤレ感が漂う。

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こんな氷や、

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こんな氷を見ながら、東谷林道を下る。

ようやく大日向、観光釣り場に到着。もう歩きたくない。観光釣り場に掲示されていたタクシー会社に連絡しようとしたら、アンテナ立たず。ソフトバンクは山に弱い。途方にくれかかっていた時、一台の車がスーとやって来て停まった。「下に行くなら乗せてあげるよ」なんとまぁ。まさかの天恵か!感謝感謝で乗せて頂いた。氷ばくの写真撮りの方だった。西武秩父駅まで送って頂いた。深深の頭を下げた。


終わり良ければ全て良し。としたいところだが、またしても体力不足、鈍足を露呈した2日間であった。

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