2011年12月

山行日:2011.12.29
目的地:雪頭ヶ岳、節刀ヶ岳
コース:根場・魚眠荘(7:00)~鍵掛け峠(8:30)~鬼岳(10:00)~金山~節刀ヶ岳(10:50)~金山~鬼岳~雪頭ヶ岳(12:10)~根場・魚眠荘(14:30)

秋に槍ヶ岳に行った折、槍沢ロッジで隣りで寝ていたオヤジ二人組に推薦されたのが、雪頭ヶ岳だった。節刀ヶ岳では無く雪頭ヶ岳である、と念を押されていた。聞くところによると、6月から9月にかけてお花畑が見事であるとの事。また、周辺の山々は岩ガチであるとの事。そして、アンタなら大丈夫であろう、とのお墨付きを頂いたのである。が、何の根拠によるお墨付きであるのかは不明である。

とりあえず、6~9月は日光詣でに忙しく無理である。そんな訳で12月の末日に出かけた次第である。そして、実は「節刀ヶ岳」にも惹かれていたのである。
「節刀」は、天皇が征夷大将軍に賜った刀である。蝦夷征伐の大将に任命された征夷大将軍は、戦に勝った後に都への帰還が許されるのである。帰還後は「節刀」を天皇に返還するのである。即ち、将軍様にとって気の重いお宝なのである。中世以後の将軍様も「節刀」を賜ったらしいが、蝦夷征伐の命令は下されていない様なので、もらいっぱなしだったのだろうか。
そんな「節刀」と節刀ヶ岳は、関係があるのだろうか?さらに雪頭ヶ岳との関係はどうなってんのか?
現地調査に赴いたのである。な~んちゃって。

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根場の浜から早朝の富士山。

今回は富士山の展望も楽しみの一つである。ただ、登る山は富士山の真北にあたる為、日中は終始逆光となるはずである。早朝と夕方しか期待できない。

国道沿いの鳴沢村は-6℃だった。根場地区が何処の行政区分になるのかは知らない。なんせ、この辺の山は富士山以外登った事が無いのである。とりあえずオッサンに教わった魚眠荘前を出発。「魚眠荘」の命名は強烈である。いかなるイワレがあるのか?とりあえずインパクトのある名前で覚えやすい。
鬼岳直登コースを見送り、鍵掛け峠の道に入る。

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なんか知らんが、観光施設のような所。この辺でウロチョロして写真を撮る。

沢筋を右下に見ながら登る。やがて大岩が上方に見えると小尾根に道が絡みつき、右に左に登る。

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尾根に辿り着く。すでに日が昇り、逆光の富士となる。早すぎるワ!いや、おいらの足が遅すぎた。

随分時間がかかったし、疲れもした。ヤバイねぇ~。大石峠まで足を伸ばそうと思っていたが、あやしい雰囲気がしてきた。

ここから鬼岳に向かう。尾根上は小さな岩峰がいくつかあった。日影に堅い氷が現れ往生する。先週と同じだね。いや雪が少ない分、逃げ場が無い。凍った上を歩かなければならない。
それにしても、ツツジのような潅木が多い。小さな枯れた花が着いていた。一斉に咲いたら見事だろうな。


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こんな感じの小岩が多い。

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小さな岩峰に登ると南アルプスが見えた。北岳、農鳥岳、塩見岳が真っ白だ。残念ながら、甲斐駒は後方でまだらな姿を小じんまりと晒していた。

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おおっ、霧氷か!そして、奥に見えるのは鬼岳と雪頭ヶ岳に違いない。

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ムムッ、荒川、赤石であろうか。もう、ああいった山には行きたくない。眺める山である。

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そして、霧氷が頭上に。氷がパリパリ落ちてくる。

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いい感じだねぇ~。

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霧氷にまみれる。

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そして、濡れた。

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鬼岳山頂。

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とりあえず、富士山を撮る。が、逆光を克服する事はできなかった。

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鬼岳山頂の鬼の角

さて、鬼岳山頂で考えた。これからどうすんベーか。
①最初の予定通り、雪頭ヶ岳をピストンし、大石峠に向かう。
②疲労したので、雪頭ヶ岳ピストンし、十二ヶ岳に向かう。
③疲労し、足元が凍って危険なので、節刀ヶ岳をピストンし、雪頭ヶ岳から下る。

最も安易な③案で即決。努力、挑戦とは無縁のおいらとしては、当然の選択であった。

それでも鬼岳からの下りは緊張した。足元が凍り付き恐ろしい。やがて、平和な尾根道となり金山着。
右に行けば、十二ヶ岳であるが、恐ろしげなコースである。今日はやめておこう。節刀ヶ岳に向かった。

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節刀ヶ岳に到着。「節刀」との繋がりは解明されなかった。

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鬼岳と雪頭ヶ岳?。

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河口湖と大石峠方面の尾根。奥は三ツ峠か?

節刀ヶ岳も好展望地であった。誰も来ないし、疲れたし、風もも無いので大休止。十二ヶ岳にはヤバそうなキレット状が見える。無理だわ!

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平和な尾根を鬼岳に戻る。

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しかし、鬼岳直下の氷に苦しむ。鬼岳を通過すると、2組登ってきた。

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イヤだねぇ~。

雪頭ヶ岳だと思っていたピークには何の標示も無かった。鬼岳山頂には、雪頭ヶ岳→好展望・お花畑の標識があったのに。おかしいなと思いながら歩くと道は下っている。見過ごしたかと思った頃、開けた山腹に雪頭ヶ岳の標識が現れた。潅木と枯れ草の好展望地ではあった。その季節には何の花が咲くのだろうか。しかし、山頂の趣きは全く無い。
御夫婦らしき一組が休んでいた。次いで高齢二人組みが到着。結構人気の山のようだ。

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雪頭ヶ岳より。ここも逆光。露出を絞りきり撮影。ようやく、西湖がはっきり見えた。

ここで昼飯にしよう。パン、カップラーメン、パン、コーヒーが、最近のパターン。カップラーメンはセブンイレブンのロゴ入りの「中華そば」を買ってみた。中々の美味である。但しシナ竹が歯の間に挟まり、この後、ずーッと、「スーハー」言いながらの歩きとなった。

雪頭ヶ岳からの下りは、もう堅い氷は僅かであった。安心してノソノソ下る。疲れているので、スピードは上がらない。
それでも日の高い内に根場に着くことができた。当たりまえだワ。

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雪頭ヶ岳を振り返る。

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午後の日が西に傾き、ようやく明るい富士山が撮れた。


「節刀」と「節刀ヶ岳」と「雪頭ヶ岳」の関係は解明されなかった。また、ツツジ様の潅木の正体も雪頭ヶ岳のお花畑の正体も不明であった。結局の所、何も判らなかった。もう一度来てみよう。いつ行くかが問題ではあるが。

山行日:2011.12.24
目的地:三つドッケ~大平山周回
コース:浦山大日堂(6:30)~シゴー平(7:20)~グミの滝(8:40))~破れ小屋へ戻る(9:00)~都県境(10:30)~(11:00)三つドッケ(11:40)~(13:10)仙元峠(13:30)~浦山大日堂(16:30)


以前、たそがれオヤジさんが、グミの滝から三つドッケ、大平山を周回していた。おいらも是非行って見たいコースだった。七跳山も以前素通りしているのでこちらも楽しみにしていた。ただ、コースが長く日が短いので、鈍足のおいらに実現できるのか、最初から見通しは暗かった。昭文社の地図からもグミの滝~三つドッケのルートが消えていた。10:30までに三つドッケ到着を実行の条件とした。

未明の浦山大日堂の駐車場には一台の車が停まっていた。めずらしい事だ。まさかたそがれオヤジさんではあるまいか。ナンバープレートを確認してしまった。大宮ナンバーであった。
薄暗い中を歩き出す。木の燃える臭いとともに、今日もシッカリと正露丸の臭いがした。浦山川を渡り、細久保谷の林道を進む。工事車両が一台、林道ゲートを開け通過していった。
シゴー平の寒暖計は-4℃を指していた。思ったほどの寒さではなかった。

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この標識で、山道に入る。マジックでグミの滝→が書き加えられている。

山道に入ると、杉の間伐がされたようで、明るい道になっていた。


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おかげで、展望も宜しくなっていた。仙元尾根の下部が見える。

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こんな感じの道がある。

道は明るくなったが、小規模な土砂崩壊が何箇所かで見られた。凍った道を恐る恐るだどる。名物の渡れない橋の通過は、沢筋が凍りつき少々てこずる。

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凍りかけた沢を右岸に渡ると、グミの滝は近い。

最初のワサビ田の破れ小屋の前にザックを置き、グミの滝へ向かった。雪が多くなるが5cmもあるかなしか。

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グミの滝到着。

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前回も思ったのだが、修行僧に見えてしまう。

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破れ小屋に戻り、沢を渡る。この橋も途中で折れており、橋の下を渡渉しなければならない。幸い、足を濡らす事はなかった。

ここから、グミの滝の大高巻きのルートとなる。沢を渡ると、沢を戻る方向で斜上する薄い踏み跡があり、これを辿る。途中赤テープを探しながら、方向転換。細かい礫の道を行く。小尾根に出てほんの少し登り、左下の涸れた沢に降りる。ここが、僅かだが、悪い。涸れた沢を少し登る。左手にあるはずの赤テープを探しながらの登りである。赤テープを見つけ一安心。ここからは道がはっきりしている。下にグミの滝を確認すると上部のワサビ田跡に出る。

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上部ワサビ田跡。すぐに沢の右岸に渡る。ムム、人の足跡があるではないか。

上部ワサビ田跡からは雪が増え、ルートが判りずらい。幸い先行の古い足跡があり助かる。但し、雪はカチカチで足元が不安定である。速度が上がらんワイ。

上部ワサビ田の先で、前回鹿道にはまったが、今回はアッサリクリア。しかし、道が凍て付きサッパリピッチが上がらん。アイゼンを着ける程ではなく、まことに中途半端な雪である。ワサビ田の先の小尾根に取り付くが、足が滑る。へんな力を使っているのか、異常にバテル。

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やがて、鹿道が縦横に現れる。

鹿道は、人ミチよりも鮮明である。むしろ鹿道のほうが歩きやすい。ルートも鹿道が合理的。鹿は馬鹿ではなかったのだ。

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人ミチの先がようやく明るくなってきた。

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都県境尾根にようやく着いた。

10:30ようやく都県境に着いた。う~ん、すでに三つドッケに着いていなければならない時間だ。都県境の尾根筋は刈り払いが見事にされており、以前の面影は無くなっていた。尾根沿いに三つドッケを目指す。
途中、人が降りてきて声をかけられた。環境省のアンケートだった。アンケート用紙を見ると、おいらが登ってきたルートは記載されていなかった。当然だろうが、残念でもある。やはりグミの滝ルートは消滅するのだろうな。そんな気がした。

三つドッケⅠ峰の登りで完全にバテた。Ⅱ峰本峰には転がり込むように到着。先客お一人。晴れているのだが、富士山は見えなかった。先客によると先ほどまで見えていたらしい。

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雲取山、芋の木ドツケ

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仙元峠、蕎麦粒山、奥に川乗山。

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三つドッケ山頂には、天目山の山銘板が4つもあった。にもかかわらず、三つドッケの標示は0である。ムムッ。許しがたい現実である。三つドッケは完全に奥多摩に召捕られてしまっている。埼玉からの道は廃道寸前。環境省のルート図からも消えている。そして、環境省のルート図には「天目山」とあった。クヤシイねぇ~。なんとかせねば・・・。おいらのアイドル三つドッケを東京に取られるわけにはいかないのだ~ッ。

とかなんとか、ほざいてもどうにかなる訳でもあるまい。さて、これからどうすんベー。
大平山山中で日暮れたら一大事である。たそがれオヤジさん流に天目山林道を大日堂まで歩く手はある。が、バテ過ぎている。潔く諦めよう。仙元尾根を下る事にした。
そうと決まれば、ここでゆっくりしよう。風も無いし、寒くも無い。さっきの先客が去ったら誰も来なくなった。飽きるほど景色を堪能した。

小一時間もボーッと過ごし下山開始。
一杯水避難小屋前にも人は居なかった。一杯水はチョロチョロと流れていた。コップのトッテは大きな氷がへばりついていた。
歩き出して、やはりバテている事が判った。1時間程で仙元峠に着くはずであるが、全然着かない。ウッカリ巻いてしまったのか?と思うほどであった。

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1.5倍の時間を要し、仙元峠に着いた。バテバテであった。バテ方は女峰山クラスであった。

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驚いた事に、仙元峠山頂名物のブナの古木が倒れていた。悪いことに、仙元尾根の道を塞いでいた。

折れ口は空洞化していた。寿命なのかな。温暖化で寿命をチジメたのかな。

そして、天候が俄かに急変した。黒雲が石尾根の方から押し寄せてきた。風が強くなった。小雪が舞いはじめた。
湯を沸かしカップ麺を食おうとしたのだが、麺は完全に柔らかくならなかった。やたらに寒くなった。手袋をし、毛糸の帽子を被りおさらば。
ブナの倒木で塞がれた道は、新しい切り開きがあり、難なく通過できた。

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しかし、北面の仙元尾根は、ガリガリに凍りついていた。道には獣の足跡だらけ。人の足跡は一人分だけのように見えた。


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今日辿ろうとした七跳山あたりか?

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三つドッケでは無く、四つドッケに見える。

またしてもすぐにバテる。大楢で一服しようとしたが、風が強く諦めた。幸い大楢を過ぎると雪は減った。

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変わって、巨大な霜柱が。

雪が無くなっても、相変わらずノソノソと歩く。ノソノソとしか歩けない。

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鉄塔にようやく到着。やっぱり三つドッケはいいねぇ~。

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左三つドッケ。右大平山。今日、辿れなかった尾根筋。

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左仙元峠。右三つドッケ。中央の谷を登った。

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ガクガクしながら浦山大日堂に帰着。

精根尽き果てた。16:30だった。大平山に向かっていたら容易ならざる事態となっていたはずである。
それにしても、体力不足を露呈した一日であった。鈍足、体力不足を補う作戦を考えなければなるまい。

山行日:2011.12.18
目的地:中尾根、仁田山
コース:落合(6:50)~栃ノ木入沢出会(7:20)~中尾根640m付近(7:40)~807m付近(8:10)~下の林道(8:30)~1121m付近(9:00)~有間峠(9:10)~仁田山(9:40)~日向沢の峰中央峰(10:20)~(10:30)日向沢の峰南峰(11:10)~長尾丸(12:40)~槙の尾山(13:20)~仙岳尾根~落合(14:40)

先週行った栃ノ木入沢の右岸に中尾根なる長い尾根があった。取り付きさえクリアできれば何とかなりそうなので行って見た。以前、疲れとスズ竹藪で回避した仁田山にも是非立ち寄ってみたかった。

今日も落合観光釣り場の駐車場には一台の車も無かった。
栃ノ木入沢出会で中尾根に取り付こうとしたが、岩に鎧われ取り付くシマも無い。栃ノ木入沢に入り、取り付き場所を捜してみよう。沢沿いの道を少し登ると取り付けそうだった。さて、薮入りか。と思ったら、なんと廃林道が中尾根に向かっているではないか!杉の間伐の残置に隠れていたが、左手に林道が伸びていた。ムフフッ・・・。楽に取り付けそうだ。調度、堰堤の2基目と3基目の中間あたりだった。

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杉の残置を乗り越えると、おあつらえ向きの林道が。林道を登り、中尾根に乗った所でで林道とおさらば。左手の中尾根に楽に取り付けた。しめしめ・・・。ツイテルねぇ。

廃林道は640m付近で中尾根に合流。すぐに廃林道は中尾根の東山腹に向かったので、ここで林道を捨て、左手の中尾根に乗り換えた。
道は無いが、時折薄い踏み跡などがある。鹿道か。歩くに全く不自由しない。

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807m付近よりバラ尾根を見る。

807mより緩く登り、再び急斜面となる。潅木を掴みながらの登りだが、密藪と言う事も無し、とりたてて、問題なし。

下の林道にややアッサリ目に到着するも、眼前には擁壁が立ちふさがる。登れる所はないかと、取り敢えず林道を西に向かってみる。ヤマ感である。

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すると、なんと林道支線が中尾根に向かっているではないか!

この支線林道を辿ると簡単に中尾根に復帰できた。今日はツキ過ぎじゃぁないの!支線林道はなおも中尾根の南側山腹に絡みつくように着いていたが、おいらは中尾根に乗って歩いた。

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こんな倒木もあったが、問題無し。快適な登りとなる。

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潅木尾根となる。

上の林道直下の乾いた砂利に苦しむものの、アッサリと上の林道に出る事ができた。中尾根は、バラ尾根以上に登り易かった。

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上の林道を右へ進み、すぐそこの有間峠へ行った。

有間峠からは、有間ダム、東京のビル、埼玉新都心のビル、スカイツリーが見えた。

有間峠から仁田山へ向かった。以前は凄いスズ竹の道だったと思うが、今日はスズ竹の勢いが全くない。ここいらのスズ竹は、いったいどうしたのだろうか?

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勢いの無い、スズ竹道を行く。秩父大平山とそっくり。

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仁田山到着。

仁田山は想像通り雑木に覆われた山だった。展望悪し。そして、意外な事に3叉路になっていた。磁石で方向を確認。磁石は右の道と左の道の中間を指していた。ムムッ。恐らく、左は林道へ出る道だろう、と思い右の道を歩き始めた時。右の道からカラン、カランとカウベルのような音が近づいてきた。ムムッ、嫌な予感。身構えていると、大型犬が2頭こちらに走ってきた。おいらの姿を見ると、激しく吠え立ててきやがった。アンテナが首の所に立っている。猟犬だな。おいらは、コラーッ!と大声をあげた。すると犬は10m程後退した。しかし、吠え続けている。ウーム困った。道は狭い。噛まれたくないなぁ。おいらは、心ならずも左の道に進んだ。しかし、これは正解であった。道は主尾根に復帰し林道をかすめて着いていた。う~ん、ツイテイルよ。犬のおかげだ。それにしても、あの道は何処に行くのか・・・。浦山に行く道なのか?

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日向沢の峰の登りでバテてきた。これから下るワンコ蕎麦状態の都県境の尾根。中央奥が棒の折れ山。

途中、高校生らしき団体が下ったきた。何処から登ったのか聞くと、浦山大日堂~仙元峠~三つドッケ~一杯水泊~日向沢の峰だそうだ。ヨシヨシ、正しい青少年達である。おいらは嬉しかった。ここいらの山で埼玉側から登り埼玉に下る人に会ったのは足尾のRR氏以来だったから(有間峠往復は除く)。しんがりには、年配の顧問の先生?が控えておった。

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浦山側。この鉄塔群は浦山川流域を歩く際の重要な目印である。正面は大持山。

バテた上に、凍った雪が現れてきた。かなわんなと、思ったら日向沢の峰中央峰に着いた。

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都県境の尾根に到着。ここいらは明るい尾根だ。

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日向沢の峰南峰。ここは富士山の展望所でもある。

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雲取山、芋の木ドッケ、三つドッケ。

日向沢の峰から見る三つドッケは締まらないねぇ~。やはり埼玉側から見ないと。三つドッケだけは「奥多摩」に捕られたくない。あくまで埼玉の山であって欲しいのだ。

時間は早いが、ここで昼飯としよう。この先は、密林だし。いつもなら何組かタムロしている場所だが、今日は誰もおらん。

充分休んだ後腰を上げる。

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日向沢の峰の下りは、急な上、凍った雪があった。イヤな下りだった。

一旦、大きく下ると雪は消えホットした。しかし、尾根は登り下りが多く、下りワンコ蕎麦状態となる。この尾根、ワンコ蕎麦尾根と名付けよう。モタモタと歩いていると、高速のアンチャンに抜かれた。アッと言う間に見えなくなった。

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棒の折れ山は、まだまだ遠い。

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時折、杉林から開放される。

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薄暗い長尾丸に到着。疲れが出てきたワイ。

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時折現れる雑木林は、おいらの好みである。

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そして、ようやく槙の尾山に到着。

予想外に時間の貯蓄ができた。しかし、予想外に疲れもした。棒の折れ山は間近だがアッサリ諦めた。

仙岳尾根の下り始めは判りづらい所だったが、赤テープが乱れ打ちされ、問題なくなっていた。とは言え、急斜面をヘッピリ腰で下る。しばらく下ると林道に出る。林道をオッサンが鈴を鳴らしながらさまよっていた。何処へ行く気なのかねぇ。
林道を突っ切ってなおも進むと、防火帯なのか、広い切り開きになる。

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白い変なものが立っていた。広葉樹の植林のようだ。お忙しそうですな。

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この尾根のポイント。超急斜面の切り開き。35°越えと思われる恐ろしい所。35°越えの恐ろしさはスキー経験者なら判ると思う。

写真では判らないが、兎に角凄い急斜面である。落ち葉が堆積しておる。今日はその下に巨大な霜柱があった。う~ん、どうにもならん。落ち葉の上のグリセードしか無いワサ。靴底を滑らせて下る。足元は深雪ではなく、深落ち葉。ズリズリと下る。そして、見えない段差で転げ落ちた。
落ち葉の急斜面は3段ある。さすがに、3段目の上で道が右手に回避している。そして、ひとつ隣の尾根に出る。ここに棒の折れ山→の標識が登りの人の為に建っている。ここがポイント。この標識の左手に落ち葉の堆積した判りずらい薄いトラバース道がある。ここに入らなければならない。真っ直ぐ尾根沿いに下れそうだが、トラバース道が正解だ。兎に角判りずらい所だ。
トラバース道を進むと、やがて3段目の落ち葉の超急斜面の下に出る事ができる。見上げると、とても下れそうにないのである。
その後は、いたって平和な尾根となる。

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明るいうちに、落合観光釣り場に帰着できた。

今日も疲れはしたが、楽しい歩きができた。とりあえず、今年の有間川周辺の山はこれでお仕舞い。
所で、2011年度版の昭文社の地図を見たら、消えた道がいくつかあった。
  ①大ヨケの頭~落合
  ②広河原谷~北尾根~蕎麦粒山
  ③シゴー平~三つドッケ
①は超急斜面で、歩く人が居なくなったら通行できなくなるかもしれない。貴重な道である。現在、林道から下は健在。
②は以前歩いた時には、下部で全く道型が見えなかった。中間上部で一工場谷方向から道が上がってきていたが、一工場谷を歩いた限り相当する道は見つからなかった。影響は少ないと思われる。
③通行者が減れば、このルートを辿るのは至難になると思われる。早い時期にもう一度歩いておきたいと思った。

山行日:2011.12.11
目的地:栃ノ木入沢
コース:落合(7:00)~栃ノ木入沢出会(7:40)~650m付近(8:00)~左岸の小屋(8:10)~砂防ダム(8:40)~5m滝~760mへ引き返す~右岸尾根~林道840~栃ノ木入沢~1050m林道(10:30)~バラ尾根~(11:10)タタラの頭(有間山)(12:00)~橋小屋の頭(12:20)~蕨山(13:00)~藤棚山(13:30)~林道(14:50)~
落合(15:00)


前回バラ尾根から有間山に登ったとき、猟師が仲間と交信していた。交信相手は滝の入に入っているようだった。ならば、おいらも滝の入を歩いてみようと思った。25000図を見ると、滝の入は短く急である事が判った。お隣の栃の木入沢が目に入った。途中まで道記号がある。タタラの頭直下まで沢筋が延びている。こいつを登ってみよう。

今回の栃の木入沢は入間川上流の沢である。荒川下流は大昔、現在よりも大分東側を流れていたようだ。現在入間川は荒川に合流する形で流れているが、大昔は現在の荒川筋を入間川が単独で流れていたらしい。
従って、本来は、有間山が荒川(浦山川)と入間川(有間川)の分水嶺を成していた事になる。有間山西方の日向沢の峰は、荒川、入間川、多摩川の分水嶺であった事になる。
この三川の流域では、川筋の名称がはっきりと異なる。
多摩川流域は長沢背稜に~谷が多いものの~沢、~谷、~窪が混在。浦山川流域は~谷、入間川(名栗川)流域は~入である。ちなみにお隣の高麗川流域は~谷津である。
栃の木入沢は、「入」と「沢」が合体している。同じような合体系で多摩川側にゴンジイリ沢がある。


落合の観光釣り場の奥の駐車場に車を停めた。他にただの一台も車も見えなかった。日影の林道に雪が残っていた。しまったなぁ~。布靴しか持ってこなかった。とりあえず、アイゼンはザックに入れた。

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栃の木入沢出会。

栃の木入沢出会には、「栃・・・・橋」なる橋があり、すぐにそれと判る。「・・・・」は、欄干の文字がカスレて読めないのである。25000図にあった点線は広めの小道であった。足跡が一つあった。誰かが昨日登ったのだろうか。

やがて、小道は尽きてしまった。沢に降りると、対岸(左岸)に小屋が見えた。沢を渡り小屋に行ってみると破れ小屋だった。小屋の裏手に薄い踏み跡があったが、すぐに見失った。沢に降り、沢筋を右に左に渡渉しながら登った。

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小滝などが現れる。

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水量は少なく足を濡らすことはなかった。

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砂防ダム?を左岸から乗り越える。

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砂防ダムの上にあった石積み。

ダムの直ぐ上で沢筋が3本に別れた。25000図で青い線が二つに分かれる所である。一番右を選択。

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少し登ると小滝があった。

この5mの小滝の左手に枯葉の堆積があり、ここに取り付いた。が、枯葉の下は岩盤で異常に滑る。結局この滝を越えられず、3筋の分岐まで戻った。そして、右と中央の沢の間の小尾根に取り付いた。異常な急斜面で木にしがみつきながら登った。さらに杉の大間伐の残存が堆積しており、著しく不快な登りとなる。

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間伐された杉が大量に残置されており、杉マミレで越えて行く。ここは、思い出したくもない。

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傾斜が緩むとようやく下の林道に飛び出した。

林道を右に進み、もう一度栃の木入沢に入った。

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栃の木入沢の上部。

栃の木入沢はさらに水量を減らした。ほぼ左岸沿いに登る。上の林道が見え、暗い谷を右に見送り、左側の涸れた沢筋から林道に出た。
沢を覗くと、とてつもなく急に見え、栃の木入沢の遡行はここまでとした。

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そうと決まれば、林道を右に進み、以前登ったバラ尾根に取り付こう。

一旦バラ尾根を林道で大きく巻き、小さな窪み状を利用し、バラ尾根に上がった。右手より踏み跡が合流。なんと、新しい足跡があった。タタラの頭が近づく。昨年に比べスズ竹の勢いが全く感じられない。秩父大平山と同じ感じを抱いた。なにか山に異変が起こっているのか?

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タタラの頭到着。ほぼ想定時間に着いたが、栃の木入沢と小尾根で苦戦し、ようやく着いたという感じ。

タタラの頭でゆっくり昼飯を食った。天気はすこぶる良い。樹間からであるが、都県境の山々が白く見えた。昨日大勢が登ったのか、足跡がかなりある。

12月の日暮れは早い。重い腰を上げ、橋小屋の頭に向かった。

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有間山の稜線には雪があった。

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布靴は雪にまみれた。そして、じわじわと水が滲みてきた。

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途中より、棒の折れ山。東京のビル群も見えたが、スカイツリーは無理だった。

橋小屋の頭には、お一人休憩中。鳥首峠からだそうだ。そちらもまた、雪まみれだそうだ。橋小屋の頭の下りは雪が無くともイヤな所だ。腰を引いて、ヘッピリ腰で下る。ようやく、鞍部に到着し、安心する。

蕨山の登り道には、バイクのワダチが何本も着いていた。余程楽しかったのだろう。道がカキムシラレていた。こちらは、嫌な気分。随分前に七つ石小屋の爺さんも嘆いていた。

蕨山展望地に到着。すでに誰も居なかった。

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大岳山が良く見えた。他に、榛名山がボンヤリ見えた。

一服後、出発。藤棚山を越え、大ヨケの頭手前で、強引に下の林道に下る。

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今日登った有間山。左端がタタラの頭。右端が橋小屋の頭。

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大ヨケの頭直下にある落合への標識。現在大ヨケの頭から、直接下れない。

大ヨケの頭から落合へ下る道は貴重なのだが、下り口はススキに埋没しかけている。ススキを掻き分ければ道型が現れる。この道は超急斜面である。昭文社によれば落合まで30分とあるが、おいらには考えられない。1時間近くかかってしまう。兎に角、密林の木にしがみついて下るしかない。

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去年撮影した所と同じ所に紅葉が残っていた。

イヤになった頃有間小屋跡に着いた。一段下の森の中のテープを探し、車道に下った。

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有間ダムより、有間川上流の山々を振り返る。

帰りは、至る所で渋滞にはまる。

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川越の市街地手前の初雁橋から富士山が見えた。渋滞中に撮影。流れは入間川である。

喜多院を過ぎると渋滞は解消。国道16号線で荒川を渡る。
大宮で再び渋滞。高速道路に乗ってしまった。

行った日:2011.12.4
目的地:八王子山、金山城ガイダンス施設
コース:東武太田駅(7:20)~大光院~金龍寺~西城~金山城・実城(本郭)~御成橋~大八王子山~中八王子山~小八王子山~金龍寺そばの県道~金山城ガイダンス施設~東武太田駅(11:30)


今年の2月にはじめて太田金山城を訪れ、その規模や石垣に度肝を抜かれた。秋にもう一度行こうと思っていた。再訪までには、金山城の歴史について少しは知識を得ておけるだろうと思っていた。しかし、全くそんな事は無く、再び無知のまま出かける事となった。
今回は、ガイダンス施設という存在を知ったのでそこへ行くことと、たそがれオヤジさんが書き込んでくれた八王子山(砦?)なる場所へ行く事を目的とした。また、今年最後のモミジ狩りを兼ねているのは当然である。
八王子山なる山は、地図に無かった。ウォッ地図を見て、松風峠の南側の高みが八王子山であろうと予想した。


朝一番の急行太田行きに乗った。太田駅から閑散とした街を適当に歩いた。大光院の標識に導かれ歩く。やたらに風が強い。風は暖かいので助かった。

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途中の春日神社にあった。

巨大な大銀杏があった。ちなみに、このイチョウは金山の山頂近くからも確認できた。

大光院に到着。老人が朝の散歩に来ている。紅葉する木は少ないが、カエデは真っ赤になっていた。大光院の回廊をくぐり、金龍寺に向かった。老人が落ち葉を掃いていた。

金龍寺はその参道にモミジが多く、ここも真紅に紅葉していた。老人が落ち葉を掃きながら、「今年は紅葉の盛りが無かったよ。」と言っていた。


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金龍寺付近

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金龍寺

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金龍寺

金龍寺から西城に向かう。道はゴチャゴチャあるが、適当に高みに上がる。

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ムム、あれが八王子山ではあるまいか?

西城の尾根に出て、見晴台に行くと老人がいた。老人に見える山の説明を受けた。風が強く良く聞き取れなかった。浅間山、榛名山などが見えた。老人曰く、あそこが男体山だよ。なるほど、わずかに裾が見える。山頂付近は雲の中のようだ。

すこし進むと、金山城の復元地だ。

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やっぱり、凄いねぇ~。

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山頂直下の日の池

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もう一段上がると、カエデが。

さらに、もう一段上がると金山山頂・実城・新田神社である。新田神社は明治の建立。この辺りの発掘調査は行われていないのだろうか?ここは城らしくない。
オッサンがジョギングで登ってきて、直ぐに降りて行った。おいらもそれに連れて、ここを去る。鳥居をくぐり山道を九十九折れに下る。登城は大変だったろうな。

県道に降りつく直前左手に「御成橋→」の標識があった。松風峠から八王子山に登ろうと思っていたのだが、方向が同じであるので、とりあえずこちらに向かってみた。木のチップが敷かれた歩き易い道だった。右下に県道が見える。やがて御成橋に到着。薄い鉄板の欄干のチャチイ橋であった。この橋は川を渡るのではなく、県道を高く渡るものであった。
橋の先に小道が続いていた。恐らく水道施設専用道に繋がるのでは?と思う。だとすれば、八王子山の尾根筋に出るだろう。と思い、さらに進むと、案の定小尾根に出た。小尾根には道がついていた。ここを登れば八王子山であろう。だろう、だろうで進む。途中、御婦人2人がお食事中、恥ずかしいが、「この先は八王子山ですか?」と聞いてしまった。そうらしい、返事。
さらに進むと高みに出た。標識無し。小山を少し下り上り返すと、「中八王子山」の説明板があった。砦跡のようだが、それらしい感じは受けなかった。中八王子山を下り、少し登るとアンテナのあるピークに出た。小八王子山というらしい。道はT字に分かれる。ガイダンス施設に行きたいので、右手に下る。

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小八王子山の下りから金山城実城を見上げる。

県道に無事降り立ち、まごつきながらガイダンス施設に向かう。
何故か、ガイダンス施設の裏庭に入り込んでしまったようだ。日当たりの良いガラス越しから、美人職員がおいらを見ていた。おいらがまごついていると、ガラス戸を開けて招き入れてくれた。
ガイダンス施設は、閑散としていた。展示物の地図を熱心に見ていると美人職員が、「同じ物です、お持ち帰りください」と地図を手渡してくれた。さらに、竹炭一袋を頂き、竹の液を勧められた。こちらは重そうなので丁重にお断りした。
次の展示室に行くと、男性職員がビデオを見るように勧めてきた。言われるままに席に座ると巨大画面で金山城の歴史が始まった。ビデオというよりも、映画サイズであった。5分ほどで終わる。残念ながら内容は薄い。その後熱心に展示物を見た、つもり。悲しいかな、家に帰り振り返っても全然覚えていない。
ガイダンス施設を去る。

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県道脇のハイキング道を下る。

閑散とした太田駅近くの食堂でビール1本を飲み、ソースカツ丼を食って電車に乗った。
ようやく、いい感じの紅葉にめぐり会えた気がした。

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