2011年07月

山行日:2011.7.22
目的地:谷川岳
コース:ロープウェイ駐車場(7:00)~マチガ沢出会い(7:20)~巌剛新道~ガレ沢の頭(9:00)~肩の小屋(10:20)~(10:40)トマの耳(11:00)~西黒尾根~ロープウェイ駐車場(14:00)


3連休は台風にやられた。年初より7月の3連休は庚申山から石塔尾根と決めていたのだが、仕方がない。
天気予報を見たら3連休の最終日、水上町と湯沢町が一日中晴れの予報に変わっていた。ならば、谷川岳に行ってみよう。日光キスゲが楽しみだ。

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家にある谷川岳のガイドブック。

右のガイドブックは「昭和43年度版ブルーガイドブックス」定価280円。
左のガイドブックは「昭和52年度版アルパインガイド」定価不明。

昭和43年度版「谷川岳と越後の山」は、作家安川茂雄氏の著作である。名著であり、迷著であると思う。
およそ、この手のガイドブックは一般的な尾根歩きのハイカーを対象にしるされていると思う。が、この本は少々赴きを異とする。
まず、谷川岳の険しさをありとあらゆる手段を使い強調する。そして、各山の勾配比較表なるものがある。
・奥穂高岳 上高地~岳沢~奥穂高岳 標高差1690m 水平距離4Km   勾配40.7° 7.5h
・赤岳 八ヶ岳農場~行者小屋~赤岳 標高差1629m 水平距離9.8Km  勾配26.5° 7.0h
・甲武信ヶ岳 柳小屋~甲武信ヶ岳  標高差1210m 水平距離4.3Km  勾配38.5° 4.5h
・雲取山 氷川~六石山~雲取山   標高差1667m 水平距離14.8Km  勾配18.5° 6.5h
・搭が岳 大倉~搭が岳       標高差1041m 水平距離7.7km  勾配23°  4.0h
・谷川岳 土合~西黒尾根~谷川岳  標高差1293m 水平距離3.4Km  勾配48°   5.0h

谷川岳の勾配のキツサが強調されている。しかし、良く見るとおかしい。赤岳の出発点が八ヶ岳農場では、公平さに欠ける。雲取山も氷川(奥多摩駅)が出発点ではかわいそう。逆に甲武信ヶ岳の柳小屋はずいぶん奥に入りすぎている。川又あたりが妥当だと思うし、勾配競争なら戸渡り尾根でしょう。

そして、谷川岳の岩壁登攀の歴史に大きなページが割かれているとともにルンゼの構成まで記述されている。
遭難の歴史が続き、さらに、天候の悪さが強調されている。
さらにさらに、本編「西黒尾根」の稿では、遭難慰霊碑からはじまり、「歩き始めて20分の送電鉄塔で尻込みしてしまうことも多い」とある。

全編通して、やたら険しく、天気が悪い。「だから、登んない方がいいよ。」と言っているのだ。
少年の頃、このガイドブックは大変好きで、ワクワクした気持ちで何回も読んだ。だから谷川岳は恐ろしい所とのイメージが出来上がっていた。

実際行ってみたら、天気が悪いのは事実だが、岩場に近づきさえしなければ、これほど綺麗な山は無いと思うようになった。
しかし、名著である。ガイドブックでこれほど読み込んだ本は無い。

料金の記述も興味深い。
・国鉄 上野~土合 610円
・バス 水上~ロープウェイ 50円
・旅館 谷川温泉 1000円~1700円
・小屋 肩の小屋 素250円

長々と書いてしまった。
とりあえず、水上・湯沢とも一日中晴れの予報はめったに無い。
しかし、沼田を過ぎ、下牧を過ぎても曇っていた。イヤになっちゃうね。
オマケに、マチガ沢まで車で入ろうとしたら、通行止め。なんと、ロープウェイ~一の倉沢出会いまで、シャトルバスが出るんだとさ。12分で500円。高すぎるワ。

ロープウェイの駐車場に車を入れた。この時点では、巌剛新道はやめて、西黒尾根を登るつもりになっていた。
ロープウェイを出て歩き始めると、前に凄い勢いで歩いていらっしゃるオッサンがいた。カーブの所で姿が消えた。早すぎるワ。しかし、西黒尾根の入り口で何やらおかしな格好で身構えている。ヨーイドンスタイルで腕時計を見ている。おいらが近づくと、こちらをチラリと見て、猛烈なスタートダッシュ。
なんか、くじけるな~。最初の予定通り、巌剛新道に向かった。

曇り空。無風。気温は低いはずであるが、なんかムシムシするなぁ。調子は上がらない。


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なんか、梅雨らしいねぇ~。ただ、この花が麓に咲いていると、上でニッコウキスゲが咲いているはずである。

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マチガ沢大滝展望所にようやく着いた。霧雨が降ってきた。ガレ沢の頭まで降っていたら帰ろう。

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道々に花が咲く。展望が効かないので花の写真を撮る。花の名前は知らない。yamasanpoさんの解説を乞う。

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いろんなヤツが咲いている。幸か不幸か、雨はやんだ。

ガレ沢の頭で一服。

2名ほど休憩中。

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そして、歩き始めると、一気に雲が開けた。イヤ、雲の上に出たのかもしれない。武尊山が浮かんでいる。

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青空が覗きだした。お目当てのニッコウキスゲがチラホラと点在している。

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いい感じになってきましたよ。

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先行者と山頂が見える。いつの間にかだいぶ上がってきていたのだ。

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氷河跡から赤城山が見えた。不思議な事に白毛門が見えない。

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稜線の方は新潟から雲が乗り越しなかなか晴れない。

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山頂は近い。


しかし、肩の小屋に着くと霧に巻かれた。鐘を1回鳴らして、ビールを飲む。汗ダクになっていたのでやたらに旨い。
山頂に向かう。

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マチガ沢を覗く。

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ニッコウキスゲは咲いていた。青空のもとで見たかった。

誰も居ないトマの耳で握り飯を食っていたら、次から次へと人々が集まってきた。逃げるように去る。この天気では、オキの耳に用は無い。

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しかし、不思議なもので、おいらが去ると天気は回復したようだ。くやしいねぇ~。また来ればいいか。

ビールが効いたのか、ラクダの背まで足の置き場所が定まらない。超ギクシャクしながら下る。随分時間がかかってしまった。樹林帯は暑いかと思っていたが、日蔭で涼しい。


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そして、こんなヤツが3匹も出てきた。今だ、梅雨ですなぁ。

車道に出ると、またしても曇っていた。

確かに、安川茂雄氏の言うとおり、天気が安定しない山だ。そして、もう一つこの山の難点は、真夏に行くと、暑すぎてもう二度と行きたくなくなる山なのである。今日の樹林帯の涼しさは、奇跡である。ただ、晴れさえすれば抜群の景色なのである。

アルパインガイドはそつの無い本でした。

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行った日:2011.7.21
目的地:川越城本丸御殿、東明寺
コース:川越市駅~時の鐘~川越城本丸御殿~川越市立博物館~東明寺~川越市駅

川越城本丸御殿の改修工事が終わって久しい。行こう、行こうと思いつつ、なかなか行けなかった。

台風はそれた。が、天気は思わしくない。昨日までの暑さがうそのようだ。北東の風が吹いている。また放射能を運んで来るのかな。山はやめて、川越城に行ってみよう。
「小田原北条記」を読みながら、電車に揺られた。

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休日とは違い、閑散としている。

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空は曇っている。涼しい。

川越高校のテニス部か、野太い声をはりあげて練習にいそしんでいる。高校の裏手に川越城本丸御殿がある。

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本丸御殿も閑散としている。

本丸御殿入場料100円。市立博物館と蔵の何とかとのセットで300円。

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悪代官が何やらよからぬ事を相談している。たぶん、この後に越後屋が現れるはずである。

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「椿三十郎」を思い出してしまう。

若侍(加山雄三、青大将、他)達が、家老の悪だくみを阻止しようと江戸在勤の筆頭家老留守宅屋敷で談合をしている。押入れからはトボケタ感じの悪家老派の家来(千秋実)が顔を覗かせる。三船敏郎はジャリひげをさすりながら庭を眺めていた。

悲しいかな、リメイク版の「椿三十郎」は・・・・。

改修工事がされたと言っても、以前と変わった所は無い。ただ、畳の臭いが青かった。

本丸御殿を出て、ハス向かいの川越市立博物館へ行った。「職人尽絵」に引き込まれる。同じくオバサンが引き込まれている。おいらもオバサンも、長い職人尽くし絵の前を行ったり来たり。う~ん、一人で見たかった。オバサンも同じ思いか?

博物館のバス停前の地図で東明寺の位置を確認。頭に叩き込んで出発。

東明寺は、「川越の夜戦」で最も激戦となった場所だ。江戸時代、明治時代に大量の髑髏が出土しているそうだ。

北条綱成の父親は、元今川家の家臣福島正成である。福島正成率いる今川軍は甲斐の国に侵入。武田信虎軍と激突し、敗れた。孤児となった綱成は、北条氏綱に引き取られ育てられた。(異説多数あり。)

天文14年、山内上杉憲政・扇谷上杉朝定・古河公方足利晴氏連合軍は、関八州の大名を糾合し8万の大軍で川越城を囲んだ。この時の城代が北条綱成であった。はりきらずにはいられなかったろう。
連合軍側は、さらに今川義元を引き入れた。今川勢も時を同じくし、北条方の長久保城(駿河東部)を包囲した。北条氏康は、長久保城の救援に向かった。従って、川越城3千の兵は孤立無援の状態となったのだ。
しかし、何を考えていたのか、8万の大軍は3千人の籠もる川越城を攻める気配は無い。兵糧攻めなのか。
そうこう、しているうちに、氏康は武田氏に今川氏との和睦の斡旋を依頼した。今川義元も関東連合軍のもたつきに呆れたのか、斡旋を受け入れた。氏康は長久保にいくらかの兵を残し、8千の兵で川越に急行した。

天文15年4月、それまで弱腰のふりをしていた氏康は、突如関東連合軍に夜襲を仕掛けた。弛みきった関東連合軍は、総崩れとなり扇谷上杉朝定が討ち死にし、連合の労をとった難波田弾正は東明寺近くの古井戸にはまり溺死してしまった。山内上杉憲政、古河公方は自城に逃げ帰った。
その後上杉憲政は、何を思ったのか、再び北関東の兵をかき集め碓井峠を越えた。武田氏家臣板垣信形軍に散々に打ちのめされ、間も無く上野の地を去る事になる。そして、完全に関東の地から上杉氏の姿は消えたのだ。


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東明寺門前。かつて、広大な寺域を有していたようだ。現在は、民家に囲まれている。

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東明寺の境内にある。


門前を過ぎると本堂がある。というか、本堂しか無い。

昔の戦場の面影は全く無かった。
少しだけ人の増えた蔵の道を歩き、帰途に着いた。



なお、
福島正成の名は、今川家関連の古文書には現れないそうである。

また、川越の夜戦も実在が疑われている。ただ、人骨の大量出土はあったようなので、なんらかの合戦が東明寺付近であったのだろう。

山行日:2011.7.14
目的地:白桧岳
コース:湯元(5:20)~外山尾根(7:00)~前白根山(7:45)~白根隠し山(8:45)~(9:20)白桧岳(9:40)~隠し山鞍部~窪地~白根山避難小屋(10:50)~五色沼(11:00)~五色山(11:50)~国境平~湯元(13:50)

あまりにもの快適さからか、三本松駐車場で目覚めたのは4:50だった。出発予定時間を大幅に過ぎている。あせって湯元駐車場に向かう。快晴だ。

菓子パンを1個だけほおばり、便所に急行。スッキリと排泄。なにはともわれ出発。

昨年、宿堂坊山から前白根まで縦走した折には、肝心要の「天空の回廊」で雨に降られてしまった。今回は、栃木が誇る「天空の回廊」を堪能しようと、湯元から白桧岳の往復を計画した。晴れていなければ意味は無い。
ここのところ、北関東山岳地帯は連日の雷雨に見舞われているようだ。今日とて、例外ではあるまい。だから4:00出発を予定し、三本松で車泊したのだ。熱帯夜から開放された一夜はあまりにも快適だったのだ。

結局、出発は、5:20。

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湯元スキー場より、金精山を望む。とりあえず、快晴。この天気、いつまで持つのか?

湯元スキー場で、アンチャンに追いつく。気が焦る。

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外山尾根取り付き。山ガールでも出没しているのだろうか。山ガールにお会いしたい!

のっけから、急登に次ぐ急登。1時間程歩いた所で汗ダクになり休憩していたら、高齢(の下)G4人組みに抜かれた。おいらは、一応中齢の上くらいか。高齢者の体力は恐れ入る。
外山尾根に上がった所で、高齢の下の4人組みに追いつく。さらに中齢の下が1名上がってきた。アンチャンは現れなかった。

高齢の下、中齢の上、中齢の下の順番で出発。汗ダクながらも、外山尾根は美しい。

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岳樺の尾根をユルユルと登る。この辺りの雰囲気は得も言われず良い。

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そして、前白根に到着。

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前白根にある石祠。金属製の扉がある。扉付きは男嶽の宿の他は、ここでしか確認していない。
後方の帽子のお方は、中齢の下のお方。これから錫ヶ岳往復との事。チト時間が遅いのが気にかかるが、がんばって頂きましょう。栃木百名山を目指していらっしゃるようです。「栃木には、道の無い山ばかり歩いている人がいる」とおしゃっておりました。きっと、たそがれさんやハイトスさんのサイトも見ているのだろうな、などと思いながら見送った。

さて、一服後は、女王様謁見の儀である。

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今年もお会いすることができた。株数も増えているようだ。

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そして、「天空の回廊」が美しく手招きしているではないか!

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「天空の回廊」入り口。

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まずは、天然柴と岳樺の疎林。いいねぇ~。石楠花は清楚に咲いていた。猛寧さは無い。

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良く判らない小屋。男体山は雲がまとわりついていた。

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白根隠し山が見えてきた。

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隠し山到着。この山、人が来ないのが不思議。先に見えるのが白桧岳であろう。その奥は錫ヶ岳。

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ムムッ。雲行きが怪しくなってきた。この写真の先端で行き詰まり、左下に見える砂礫帯に回避。登山道と合流した。

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白桧岳は近い。天候はめまぐるしく変わる。

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白桧岳と思われる小広いピークに到着。石楠花が清楚に咲いていた。辺りを捜したが、山名板などは無かった。縦走路を少し先に進んだが、先に錫ヶ岳以外、顕著なピークは無かった。
石楠花に囲まれ、握り飯2個を食う、ソウケンビ茶500ml、カルピスウォーター500mlが空になった。

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白桧岳より、白根隠し山。
ここから見ると、結構な登り返しに見える。

そこで、ネット上でしばしば現れる近道、白根山~白桧岳~隠し山に囲まれた窪地を経由してみることにした。隠し山の基部まで尾根を辿り、そこより窪地に下った。鹿道が縦横に走り、歩くには困難は無いが、意外に時間がかかる。
窪地に降り立つと、いきなり重低音が轟いた。落石だ。県境の尾根から薙ぎに沿って大きな岩が落ちていくのが見えた。


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窪地の底。ここより白根山避難小屋までだらだら登り。結局、時間的短縮は望めない事が判った。ただ異常空間に身を置く快感は捨てがたい。

満足して、五色沼に到着。クダンのアンチャンから声をかけられた。
五色山に登り返し、中曽根を下った。途中小雨がぱらつくも、広葉樹の下。そのまま歩き続けると、雨も上がった。異常に歩きずらい道を水をガブ飲みしながら歩く。もうイヤ、と思ったら林道に出た。そして、雷鳴がかすかに聞こえた。

栃木が誇る「天空の回廊」は、確かによかった。ただ、錫ヶ岳に立ち寄ってこその「天空の回廊」なのだなぁ~、との思いも湧いてしまったのだ。

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