2011年05月

山で人に迷惑をかけたくない。

一度だけ、山で人に助けてもらった事がある。この話、前置きが長い。


1996年夏、お盆休みに有給休暇をくっつけて、11日間北海道を徘徊した。

寝台列車で北海道に行き、初日はニセコアンヌプリに登った。翌日は羊蹄山に登り、移動し新装の十勝岳温泉に泊まった。以前大雪にでくわし敗走していた十勝岳は霧の中ではあったが三段山経由でアッサリ登れた。

十勝岳山頂から下りはじめてすぐに、登ってきた品のいいオッサンに声をかけられた。何処へ下るのか?
明日の予定は?その後の予定は?など、次から次へと質問攻めにあった。
上ホロカメットク山の避難小屋で昼飯を食っていると、クダンのオツサンがやってきた。オツサンはなおも質問してきた。おいらは、旅行の詳細な予定を話すはめになった。。おいらの今後の予定は、明日芦別岳方面へ移動、その後クラブの事務局長殿と斜里駅で合流、斜里岳、羅臼岳に登る事になっていた。オツサンの予定は芦別岳ではなく、阿寒岳であった。後は一緒。オッサンは車移動との事。オッサンから阿寒岳に行かないかと誘われた。初対面ではあるが、今後のバス、列車の乗り継ぎは頭の痛いところであったし、車移動の気楽さを考え合わせ、オッサンと同行する事にした。白金温泉で汗を流し、阿寒岳に向かった。
長距離運転は全てオッサンまかせ。大名旅行に変わった。オッサンは某有名ゼネコンの社員だった。今回の予定の山からして百名山狙いは容易に推察できた。なぜ、おいらに白羽の矢が当たったのか?聞きたいところだったが、やめておいた。ただ、温厚なオッサンであった。
翌日は、霧の雌阿寒岳にアッサリ登り、オンネトウの湯につかった。湖畔のキャンプ場にテントを張った。夕暮れのキャンプ場では、トボラー(徒歩旅行者)・登山者・チャリダー(自転車旅行者)・ライダーが三々五々集まり、静かな時を過ごしていた。なぜかおいらたちのテントに若者が集まり、何かを語り合った。語った内容は全く覚えていない。

摩周湖などを見ながらのドライブ。そして清里町駅到着。クラブの事務局長殿と美人隊員を迎えた。車付きの出迎えに事務局長殿は大いに喜んだ。途中、炎天下の車道を歩くジイサンを拾う。今夜の宿、清岳荘には昼前に着いた。昼飯を食い終わっても、やる事が無い。ここから山頂まで2時間30分。誰からとも無く、今日斜里岳に登っちゃおうと云うことになった。
天気は快晴。出発は13時頃だったと思う。山腹の登山道は沢に降り、沢沿いに登る。小滝が連続する。一般コースではあるが、北海道らしくワイルドな道であった。ワイルドさに男連中は嬉々として喜んでいたが、美人女性隊員には歩きにくいだけの道だったようだ。女性隊員がやや遅れ始め、事務局長殿が付き添う形になる。オツサンとおいらは、馬の背で大分待った。

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予想よりも遅れて、斜里岳に到着。16時に近かった。眺めはよかった。気持ちの良い山頂であった。長居はできないので、すぐに下山。下山は尾根コースとした。ずんずん下る。女性隊員と事務局長殿との距離が離れる。振り返りつつ下った。いつしか二人の姿は見えなくなった。やがて尾根を離れ、沢に下る。
沢に着いて一服する。オッサンと長話となった。時計を見ると18時。まだ、明るいが、オッサンには先に下ってくれと懇願する。渋るオツサンに、事務局長殿は山の大ベテラン、万一の事はあるまいと言い含め、下っていただいた。
18:30頃まで、待った。登り直すかと、歩きかけたところで二人が下ってきた。特にトラブルがあった様子は無い。ただ、疲れたのだろう。一休み後、沢に足を入れジャブジャブと下りはじめた。大分薄暗くなってきた。沢身から登山道へ復帰しなければなせない。右側を見ながらの歩きとなった。沢の石に赤いペンキが塗られていた。右に道は無い。まだ下か。とうとうヘッデンを灯す事になる。不思議とアセリはなかった。辺りは真っ暗になってしまった。こんなに沢を下るはずは無い。おいらは事務局長殿に休憩を懇願し、許された。タバコを吹かせ気を落ち着かせた。時間は20時頃だった。おのおの岩に腰を掛け休んだ。皆に動揺はなかった。天気も良さそうだし気温も低くない。最悪、ビバークしても大事には至らないだろうとの安心感があった。
上流に戻り、偵察でもしてこようかと思ったとき、右岸の山腹にライトの小さな光が見えたような気がした。光は上流側に移動していた。しばらくして、「オーイ、オーイ」と人の声が小さく聞こえた。3人で上流に向かった。
やがて光が見え、こちらも「オーイ」と声をあげた。オッサンが心配して迎えに来てくれたのだった。これで、助かった。途中で見た赤いペンキの石のさらに上流に登山道はあったのだ。オッサンに礼を述べ、清岳荘に向かった。

翌日、オッサンは羅臼岳に登ると言う。我々は本日の一件で意気消沈、羅臼岳登山は延期した。ならばと、オッサンは宇土呂から羅臼岳を横断し羅臼に下りたいので、車を回してくれないかとの要望。ココロヨク引く受けさせて頂いた。

翌日、宇土呂に車を廻しオッサンを見送った我々は、しぶとくもカムイワッカ湯の滝に行き滝壷の湯につかった。午後、羅臼側登山口に車を廻し、オッサンを出迎えた。その夜は、羅臼の町に繰り出し、トド肉、熊肉、鹿肉で、オッサンへの礼を尽くした。

一夜明け、オツサンと握手し、長い道連れの旅に終止符を打った。そして、おいらと、事務局長殿は羅臼岳に向かった。そして、またしてもひどい目にあってしまったのだ・・・。

どうやら、道迷いの常習者のようだ。
これまでの道迷いを振り返ってみると、いくつかの共通点があるように思える。

①下りで道を失う。
②枝尾根に入り込む。
③里山などで、地図に無い道や林道に出くわし、何がなんだかわからなくなる。
④その山をナメていた。
  ・25000図を持って行かなかった。
  ・地図を良く見ず歩いてしまった。

本格的に道に迷ったのは2回。
今回は、その内の「迷い狂った」時の事を記録しておこう。


山の名前は、天柱山。岡山県総社市にある標高330mの山である。付近に「豪渓」というチョッとした景勝地があるが、あくまでチョットした規模である。

2001.12.22。11時に「平成8年度版 岡山の山 百選」だけ携えて豪渓を出発した。山頂まで、僅か40分の山とはいえ、出発時間からして「山をなめきっていた」事がうかがわれる。

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豪渓付近。

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急坂を登ると、すぐに休憩舎に着いた。

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なかなかの眺めであった。

この後、太い鎖にしがみ付き登り、傾斜が緩むと奥の院。ユルク下り、少し登り返すと展望の無い天柱山に着いた。1時間足らずの歩きであった。
「岡山の山 百選」では、豪渓寺へ下るコースがガイドされていたが、下り25分。あまりにも短い。サブコースとして僅かに記述のある豪渓北端への道を行く事にした。

道は藪に覆われはっきりしないが青いテープがぶら下がっており、これを追う。「岡山の山 百選」によれば、次のピークで北進し下る事になっているが、それらしい道は見つからない。ピークには空き缶、酒瓶などが散乱していた。西方向に青いテープを見つけかすかな踏み跡を辿る。北進するはずだが、その様子は無い。1/25000図を持っていなかったので、踏み跡を辿るしかない。
やがて、肝心な踏み跡を見失ってしまった。起伏の少ない雑木林の中だ。少々アセッタ。が、近くに有刺鉄線を見つけ再びかすかな踏み跡に戻る。これを辿る。すでにどこにいるのか全くわからない。
やがて、車の音が聞こえてきた。車の音は聞こえるが、なかなか車道に出ない。ようやく林道状の道に出る。目の前には岡山自動車があった。すでにガイド本の概念図の範囲から大きく逸脱している事がはっきりした。土地勘が全く無く、ここが何処だか全く判らないのだが、林道に出た事から取り敢えずはホットした。
高速道路沿いの林道を北上すれば、豪渓上流の県道に出られると考え、北進する。しばらく歩くと断崖に出てしまい、林道はここで途絶えていた。脇の高速道路の桁下は100m近くもあるように感じる。とても下れないと思った。
思案の結果、天柱山に戻る事を決断した。林道を戻り、薄い踏み跡、有刺鉄線、と辿るもその先でルートを失う。アガキ、歩きまわってしまった。

「迷い狂った」。

傾斜の無い森でロクな地図も無しに天柱山に戻る事は不可能であると悟った。再び高速道路を捜しに戻ろうとした。磁石だけがたより。北西へ進むしか無い。
心なしか薄暗くなった頃、車の音が聞こえ高速道路脇の林道にようやく復帰。再び断崖の所に行ってみた。
最早ここを下るしかない。あたりをうろつき、下れそうな所を捜しまわった。すると薄い踏み跡のようなものを発見。断崖を大きく迂回して繋がっているように見える。草を掴みながら踏み跡(のようなもの)を辿る。冷や汗が吹き出した。そしてついに下りきった。助かった。
見上げると高々と高速道路の桁が聳えていた。目の前に舗装道路があった。脇の川が豪渓に繋がる川だろう。下流側に歩いた。県道の標識。賀陽町の標識を見る。
川沿いに花崗岩の露出が見えてきた。16:30に豪渓に帰着。12月の渓谷の底。すっかり薄暗くなっていた。

結局、ガイド本で2時間足らずのコースに5時間30分も費やしていた。アセリのせいか、殆ど休み無しで歩き続けていた。これまでの道迷いで最悪の迷い方であった。
標高330m。里山恐るべし、を肝に銘じた。

小さな落石は良く見る。自分が発生源になってしまった事も何回かある。春先の雪渓歩きなどで、左右の山腹から小石が絶え間なく落ちてくる事もあった。巨大な落石に遭遇したのは一回だけ。

1995年5月28日。スキーを担ぎ、富士山頂を目指した。
当日の午前2:00過ぎに御殿場口5合目登山口に到着。仮眠後、7:00に5名で出発。寝不足に弱いおいらは、最初からピッチが上がらず、各合目ごとにザックを放り出した。山頂の鳥居が大きく見える9.5合目で強風と雪礫に見舞われた。あっという間に、雪面が硬くなってしまった。すでに13:00を過ぎていた。富士山未登頂はまさにおいらの鈍足が原因だった。最早これまでとスキーを着け、一斉に逃げるように滑り下った。
途中より雪渓を拾いながらの滑りとなる。滑りそのものは快適だったが、ガスに覆われはじめてしまった。
6.5合目あたりだろうか、スキー滑降はここらあたりまで。スキーをぬいでいたその時。ゴーン、ゴーンと重低音が響いてきた。見上げると白い雪渓の上に潅木。そして乳白色の霧。視界は50m位だったろうか。不気味な重低音がどんどん近づいてくるのが判る。落石だ!
どこから現れるか判らない。上方を凝視し、全員身構えた。そして、霧の中から突然巨大な岩塊が現れた。おいでなすった。と思う間も無く、岩塊は空中を跳ね上がり、ヒューンという音と伴に20m程脇を通過していった。なすすべも無く、ただ見送った。岩塊は重低音と伴に霧の中に消えていった。

岩塊の大きさは、はっきりとは覚えていない。ただ、かなり大きかった事だけは確かである。そして、恐怖のあまり、便意を催してしまった事をはっきりと覚えている。

山行日:2011.5.14
目的地:燧ケ岳
コース:御池(9:00)~広沢田代(10:00)~熊沢田代(10:50)~(12:10)燧ケ岳・俎グラ(12:50)~御池(13:30)

ここの所、体力不足がモロに露呈している。GWに予定した燧ケ岳もまた体力不足からパスしてしまった。昨年も天候や日程の折り合いがつかず、久しぶりに燧ケ岳の登頂が果たせない年となった。このまま、燧ケ岳と疎遠になると、山スキーとも疎遠になる可能性が高いと思った。新潟が曇り/雨から晴れの予報に変わった。ならば燧に行こう。

GWに御池の様子だけは見ておいた。近年に無く残雪が多かった。しかし、ここのところ、暖かい雨が続いている。どうなっているのだろうか。

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御池駐車場。やはり、雪は激減していた。GWの時は、雪が多いと感じたが、現在は例年並みより僅かに多い程度か。天気は快晴。

御池では、数組が出発準備をしていた。おいらは、全ての組が出発した後にシールで出発。通常10:00位までは締まった雪の上を歩けるのだが、今日はノッケから緩い雪の歩行となった。すぐに急斜面となる。電光型に登る。軸足側(下側)の雪が崩れズルリと滑る。そして、スキーが後ずさり。あわててストックで停める。そんな事が3回程。前を行く御夫婦もシール登行で苦慮している。
おいらは、スキー後ずさりで、ついに転倒。肩に激痛が走った。立ち上がれないよ。なにか様子がおかしい。これまでこのコースでスキーアイゼンを着けた事はなかったが、装着してみた。たいした効果は無かった。これ程の軟雪にアイゼンが効くとも思われないナ。御夫婦は、スキーを脱ぎ、スタコラ登って行かれた。あっという間に姿が見えなくなった。
おいらは、スキーを担ぐのは大嫌い。重すぎる。スキーは雪面に着いていてくれさえすれば、重量の大半は地面が受け止めてくれるのだ。担いだ瞬間、スキーの重量は人体を通してから地面が受け止める。なので、シール登行に固執した。進む速度は極端に遅くなった。
昨日までの連日の雨のせいで、水分をたっぷり吸い込んでしまったのかな。そしてまたまた後ずさり。そして転倒。肩へのダメージが蓄積されていく。

風が強めに吹いている。
風が吹けば水分の蒸発が促され、気化熱により雪温は下がるはずである。雪温が下がれば水分の粘度があがり、雪は崩れにくくなるはずである。場合によっては、雪面が氷化する事も考えられる。などと、妄想するも、そんな事は起こらず、相変わらず足元はおぼつかなかった。

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妄想を繰り返しているうちに、広沢田代に着いた。何組か休んでいた。

広沢田代より左手に進み、ピークを巻こう。標高が上がったせいか、雪の崩れは激減した。妄想の理屈とは、無関係であろう。多少ピッチが上がるが、知れたものである。

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いつもより、多めに左に巻いてます。

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燧がチラリと見えてきた。左下には東田代が見える。巻いている奴は、おいらばかりではない。

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ほぼ巻き終わり。まだあるのぉ。

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熊沢田代着。後方を振り返る。大杉岳、アイコマ方面。怪しげな雲である。

風が強いので、疎林で休憩。今日もまた、バテてしまったなぁ。最後の急斜面で雪が緩かったらイヤだねぇ~。

気を取り直して、出発。
疎林を抜けるといよいよ最後の急斜面がおでました。雪の崩れは多少あるものの下とは大違い。安心した。
やがて、紅色の砂で覆われた斜面となった。こんなの見るの初めて。黄砂の一種か?

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おおっ。多くの人々があえいでいる。おいらは、立ち止まる時間が長くなった。

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尾瀬沼が見えてきた。もう一息だ。

雪は、山頂直下まで繋がっていた。

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山頂着。目の前でビールを飲んでいたオッサンが「ご苦労さん」と一言。おいらの顔は余程バテていたのだろう。

山頂には20人位いただろうか。半分はスキーヤーだろう。
急激に雲量が増えだした。展望はあるが、クッキリとはいかなくなっていた。至仏山の山の鼻コースは雪切れになっていた。尾瀬沼はほんの一部に湖面が覗いていた。

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昼飯を食い終わる頃、辺りは暗くなっていた。

まずいなぁ。気がつくと、山頂にはビールを飲んでいたオッサンのグループとおいらだけ。あわてて、シールを剥がし、滑降。

重い雪。板を強引にぶん回す。すぐにバテル。脇に新たなオッサンが滑り込んできて「磐梯山は見えますか?」と聞かれたが、「知らん。」と言ってすぐに滑り出す。無木立ち斜面はすぐに終わり。熊沢田代に着くと小雪が舞ってきた。ムムッ。どんどん下る。樹林帯の急斜面・弩グサレ雪に悩ませられる。幸い、雪はやんだ。

御池ロッヂ寄りに帰着。
次々に人々が降りてくる。
そして、小雨が降ってきた。
御池田代で春の尾瀬を堪能しようと思っていたが、この雨ではねぇ。
「開山」でオオモリの裁ちソバを食う。
山王峠を越えると、再び晴れ上がった。

山行日:2011.5.8
目的地:東大芦川より北岸の山々へ登る
コース:東大芦川・大滝P(7:20)~東大芦川の林道分岐(7:55上の林道へ入る)~丸山沢(8:05)~林道終点(8:50)~尾根に乗る(9:00)~(9:50)薬師岳東方1221mv)標高点(10:10)~丸山(11:00)~(11:30)大木戸山(12:10)~大小松尾根~大滝P


先週、蕗平から夕日岳・薬師岳・大木戸山を経由し大小松尾根を下ろうとしたが、体力不足を露呈し、夕日岳より下山してしまった。
その続きとして、東大芦川上流部よりヒノキガター付近に登り、丸山~大木戸山~大小松尾根下降を計画した。

東北自動車道久喜辺りでは雨が降っていた。ついで霧が発生。お先真っ暗状態。が、鹿沼草久あたりで晴れ渡ってきた。天気は持ち直した。しかし、強烈な便意を催してしまった。東大芦川沿いに便所は無かった。仕方なく、古峯神社に急行。事なきを得る。時間ロス。


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東大芦川の大滝。ここより、歩きはじめる。

ヒュッテの標識に従い、林道を左に入る。すぐに焦げ臭いヒュッテに着く。その先に大小松尾根の下降点がある。岩壁、擁壁、金網の無い事を確認。金網デスマッチだけは御勘弁願いたい。
林道を西へ行く。祠があり、その先の小滝の所で林道が二股に分かれる。上の林道を行く。
予定では1242mの丸山の真南、丸山沢からほんの少し登り西側の尾根を利用し1159mに登ろうと思っていたが、取り付きが急過ぎてとても無理。目的の尾根に取り付けないか、林道を行ったり来たり。結果、安心して登れそうなところは無かった。仕方なく、林道を上流に向かって進む。やがて、林道は荒れ果ててきた。落石、山抜けなど車両の通行は無理。
結局林道の終点まで来てしまった。何となく登れそうな斜面がある。地図を見て薬師岳東方・1221m標高点近くに突き上げる尾根に乗れそうだと思った。

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東大芦川の林道の終点。岩の左手より斜めに這い上がってみた。

初めこそ急であったが、すぐに尾根に辿り着く。尾根上には道型があった。明らかに道だが、場所によっては、草に埋もれていたりしてはっきりしない所もある。とりあえず、歩きにくいことは無い。

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そして、すぐにアカヤシオが。ただ、地面に落ちているものが多い。すでに盛りを過ぎているようだ。

やがて、右手にネットが現れた。そして、「栃森公」の赤い杭が地面に刺さっていた。


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ヒノキガターあたりが見えてきた。

ネットが尾根を跨いでいる。幸いちょうどそこに倒木があり、ネットを破壊していた。難なくネットを越える。

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しかし、尾根上は濃密なツツジの藪尾根と化した。ツツジは細い。細いので何とかなるが、ツツジが育ってしまったら、歩けないかもしれない。

たいした距離の尾根ではないのだが、ツツジ藪の攻撃で結構時間がかかる。

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ようやく、ヒノキガターが下になる。丸山、大木戸山が見えてきた。振り返れば当然夕日岳も良く見える。


ツツジから開放されると、アカヤシオが散見されるようになる。と思ったら、薬師岳~滝が原峠の尾根に出た。そこにある巨木に「境界見出34」の赤いプレートが打ち付けられていた。

主尾根を東に下る。

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尾根上には、アカヤシオが散在している。つぼみもあるが、ほぼ満開なのではないだろうか。

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喜んで写真を撮るが、なかなかうまく撮れない。風が強くなってきた。


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ヒノキガターの石祠。このほかに、屋根無しが一基。

写真撮りに夢中になっていると御夫婦が薬師岳の方からやってきた。抜かれる。
丸山の登りに差し掛かるところで追いついてしまった。道を譲られ、仕方なく前へ出る。

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丸山は今だツツジの開花無し。ここはシロヤシオの山。

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大木戸山に到着。昼飯を食う。

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大木戸山のアカヤシオ。おいらは、アカヤシオが好きなのだ。

花咲じじいが咲かせた花は、アカヤシオに違いないと思うのは俺だけであろうか。

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大木戸山のすぐ先に展望地がある。三の宿山と鳴虫山。合峰から続く三峯五禅頂の尾根が良く判る。

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女峰山と大真名・小真名。

大木戸山東方より主脈は北東へ屈曲する。要注意箇所だ。おいらは、真っ直ぐに目的の大小松尾根を南下する。都笹の歩きやすい尾根だ。踏み跡は微妙にあるような感じ。ただ、枝尾根が多く、緊張感が必要だ。たまに小さな赤テープが散見される。
1250mで南西の尾根に入らないように注意する。1200mで東の尾根に入らないように注意する。ポイント・ポイントで赤テープが導いてくれた。1100mで南西に歩き良さそうな尾根が分岐した。赤テープもそちらへ導いている。ここは、磁石と高度計を信じ南南東へ下った。密林となり不安になる。しかし左手に有刺鉄線が現れる。そして、小さな赤テープも見つけられた。多分これでいいのだろう。
最大の難所は900~850辺りで南東の尾根に引き込まれないことだ。誤って下り続けると日光沢を渡渉する羽目になるから。ここは、密林で難しかった。あえて南東の尾根に引き込まれ、850mで西進し、主尾根に戻る作戦を実行。六郎地山が正面に見え出したところで西進開始。成功した。主尾根に戻ると明瞭な道があった。倒木こそあれ、藪は激減し歩きやすくなった。と安心したら、石車に乗り、尻餅をついた。久しぶりに右肩に激痛が走った。五十肩はしつこいね。

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途中夕日岳が良く見えた。

杉林となり再び道を失うが、ソマ道を見つけ下ると、日光沢との出会い傍に到着した。

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大小松尾根下降地点。

5分とかからず、駐車地に帰着。途中、ソバと舞茸の天婦羅を食う。そのためか、東北道で事故渋滞にはまり、帰宅は遅くなってしまった。



東大芦川の林道を歩いて、丸山沢以西で北側の主尾根に突き上げる尾根には、今回登った尾根以外簡単に取り付けそうな所は見つからなかった。
大小松尾根の下降は、かなり神経を使った。日光沢に下ると渡渉がある。西よりにずれると、林道直前で、絶壁に阻まれる可能性があるので。

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