2011年02月

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さっぱり、判らん。

行った日:2011.2.26
目的地:唐沢山城
コース:東武葛生線堀米駅(9:15)~栃木県庁安蘇庁舎前~見晴小屋~鏡岩~唐沢山城散策~京路戸峠~諏訪岳~京路戸峠~東武葛生線多田駅(13:50)


先週に引き続き、お城に行ってしまった。軽い登山でも五十肩にたいそう響くのである。かといって、多少なりとも歩きたい。歩きをサボると今度は腰にくる。それは、避けたい。

唐沢山城は以前チョチョイト車で上がり、チョチョット見て廻った。今回は2回目。下から登ろう。前回同様、東武鉄道の有料パンフレット「みちしるべ」を持って。
コースは、「みちしるべ」記載のまま。なんのアレンジも無し。難易度は「一般コース」。ちなみに、本書では、切込・刈込、中禅寺湖南岸散策、半月山、鳴虫山などが「健脚コース」になっている。なので、安心してでかけた。

今日も電車の中で「関八州古戦録」を読みながら行った。
北条軍は平井城をアッサリ落とした。関東管領上杉憲政は越後の春日山城に落ち延びた。かつて越後守護職上杉氏は、長尾氏に乗っ取られたのだから、いい気はしなかったろう。当主影虎は、上野の奪還を約束した。長尾軍は、鳥居峠を越え(関八州古戦録)平井城を囲んだ。激戦の末、平井城奪還に成功。平井城落城の報が広がると、上野南部の諸領主がこぞって参陣してきた。その中に、下野唐沢山城の佐野氏もいたのだ。これより、佐野は越軍の北関東の拠点として位置づけられた。ただ、金山城主由良氏の姿は見えなかった。

などと、朦朧と思いを馳せ、堀米駅に着いた。
堀米駅は、無人駅だった。780円の切符を回収する者は居なかった。近所のオバサンが駅を掃いていた。
のっけから道を間違え、「こどもの国」だかに至ってしまった。来た道を戻り、再出発。栃木県庁安蘇庁舎なる建物の脇を通過。なるほど、安蘇なる地名はこのあたりか。

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あれが、唐沢山か?

しばらくは、車道を行く。唐沢山神社の案内板に従い、細い舗装道に入る。ゴミ捨て場か!やたらに汚い。

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道が汚すぎて、石仏もあきれ顔。

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ようやく、山道にありつく。

のんびりと尾根を辿る。「山頂→」と「初心者コース→」の標識が何度と無く現れる。「山頂→」は尾根通しに小ピークを辿るようだ。ハイキング好きを自認しているので、全て山頂コースを選択した。

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あれが、唐沢山か?

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やがて、見晴小屋と思われる所に着いた。高速道路が眼下に見える。通行量が少ないねぇ。早く桐生まで繋げてよ。銅親水公園が近づいて欲しいのヨ。

見晴小屋には、御夫婦がいた。堀米駅から来たと言ったら感心された。それほど大変ではないのだけれども・・・。このあたり、やはり車で来る所なのだろう。

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掘り切りなどが現われ、城址らしくなってきた。

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俺もかつてあの車道で上がってしまった。いかんのだヨ。と言いたい。

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鏡岩。大したこと無し。(失礼)

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そして、山頂部に着いた。

天狗岩に登り、展望を楽しんだ。詳しい地図を持ってくればよかった。安蘇の山は全く判らない。薄っすらと見える男体山と女峰山だけが知っている山。展望の案内板があったが、100名山系ばかり。大小山のみ何故か示されていた。たそがれオヤジさん、ハイトスさんの三床山も見えているのかも知れないが、さっぱり判らない。


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西城にあった。竹筒に耳を寄せると不思議な音が聞こえる。


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神橋を渡る。以前はハネ橋で深い堀であったらしい。

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南城。日溜りで猫が居眠りをしていた。三カモ山は判った。東北道が見えた。と言うことは、高速道路から唐沢山が見えるということか!今まで判らなかった。

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唐沢山神社。成立は明治時代。若い方々が入れ替わりで参拝されている。宗教心のかけらも無いおいらは、ただ見て感心し、通過。

二の丸、三の丸を巡り、京路戸峠の道に入る。城域でうろうろし過ぎて、時間を食ってしまった。急がねば。

未舗装林道のような道が尾根近くに続く。時折、小ピークを巻くのだが、尾根上に小道があり、これを辿る。登りワンコ蕎麦状態となりバテる。巻き道は「関東ふれあいの道」になっていた。おいらは、理由も無く何故か、「関東ふれあいの道」にでくわすとイラツクのである。理由も無く。
290.3m峰の登りはキツかった。最後は急過ぎて、雑木林に逃げ込んだ。山頂には三角点が。道は放射状に5本あった。標識が無く、勘で下った。正解で助かった。このピーク「関東ふれあいの道」は巻いている。

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京路戸峠に到着。

京路戸峠に私製の標識があり、諏訪岳なる山を指していた。先ほどから正面に見えていた山だ。予定外だが、一丁登ってやっか。てなもんで、先に進んだ。


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けっこう、いい雰囲気の道だ。ここは、「関東ふれあいの道」からは外れているようだ。

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諏訪岳着。西側の展望が良いが、全くの地理不案内。下に何故か美しく見える工場群があった。

唯一の食料カンソ芋を食い終わった頃、若めのオッサンが登ってきた。三峰山を登り、今日二山目だそうだ。先週は、那須朝日岳に登ったそうだ。宇都宮から来たそうだ。期待して、三床山を聞いてみたが、御存知無かった。残念。

下り易い道を京路戸峠に向かう。峠を素通りしさらに下ると、諏訪岳から僅か30分足らずで工業団地に着いてしまった。

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諏訪岳を振り返る。

東武葛生線多田駅の所在を街の人々に聞きながら急ぎ足で歩む。14時15分の電車に乗りたかった。ギリギリと思っていたが、14時前に多田駅に着いてしまった。ここも無人駅であった。駅から20m程戻った「小林邸」が券売所であると張り紙がしてあった。券売所はすぐに見つかったが、小林邸の呼鈴を鳴らしても誰も出てこなかった。どうしよう、と思った矢先に小林氏?が車で御帰宅。薄っぺらな切符に手書きで日付が書き込まれ300円を支払った。

館林と久喜で乗り継ぎ、帰宅した。


唐沢山城の表側は金山城の地形に良く似ていた。ただ、後背地が連嶺を成し、金山のような独立峰的なスッキリ感は無かった。また、山頂付近には人為的施設が多くこの点も個人的にマイナスイメージを抱く結果となった。他の尾根筋に小ピークが散見された。これらには、城としての機能があったのだろうか。遺跡が残っているのだろうか。色々と疑問が湧いてきた。予習をせずに出かけたので、上っ面だけ辿っただけの結果となってしまった。

訪問日:2011.2.20
目的地:金山城と太田七福神
コース:太田駅(8:30)~長念寺~大光院~金龍寺~西城~金山城本丸(実城)~新田神社~北城往復~松風峠~玉巌寺~永福寺~曹源寺(さざえ堂)~親水公園~受楽寺~高山神社~太田駅(14:00)

尾瀬や武尊山のスキー帰りに、鎌田の交差点でしばしば大渋滞にはまり、難儀したことがある。抜け道として、赤城北麓・東麓から黒保根村と言う恐ろしげな名前の村を通過し、大間々に抜けるようになった。このルートを上杉謙信が発見し、道を整備し北関東の拠点佐野に直通できるようにしたらしい。ところが、このルートの通行を裏で支配していたのが金山城の由良氏だったようだ。
金山城には、以前から興味があった。下克上により、地方大名に成り上がった横瀬氏(由良氏)は、上杉、北条の大勢力に挟まれ苦労したことだろう。上杉方についていた頃に、北条氏康から通行の便宜を図るよう依頼されたりしている。困ったろうな。一説によれば、武蔵の男衾氏との関連も囁かれているようだ。徳川氏発祥の地でもある。調べれば、興味はつきない。

東武伊勢崎線急行大田行きに乗った。太田に行くのは初めてである。電車の中で、茶色く変色した「関八州古戦録」上下巻を由良氏絡みの所を選んで読んだ。予習のつもりであったが、いっこうに頭に入らず太田駅に着いてしまった。駅に着いてビックリした。あまりにも立派な駅で。北口には新田義貞の銅像があった。空き地が広がり閑散としていた。企業城下町なのか、やたらと「スバル」の文字が目に入った。

東武鉄道から発刊されている「みちしるべ」を片手に長念寺に向かった。長念寺(恵比寿)は、お墓中心のようで、チョット覗いて先へ進む。

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八瀬川に沿って歩いた。正面が金山城だろうか。曇り空で、冴えない。

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すぐに、大光院(弁財天)に着く。

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大光院の裏手で新田義貞、呑龍上人の墓を見て山道に入る。

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金龍寺(毘沙門天)裏手には、由良氏一族が弔われていた。

道は良いし、道しるべも多い。但し肝心なところで道標が無い。後ろから小学生の一段が追いついてきた。道を聞かれて困ってしまった。幸い、引率者が現れ、事なきを得た。
西尾根上に出ると、ぐんま子供の国が見えた。

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西尾根に出た所で尾根を少し下った所に、金山城址の石柱が建っていた。

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西尾根を緩く登ると掘り切りなどが現れ城らしくなってきた。自然な感じでいいじゃないの。なんて、余裕を持って見ていた。

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ここは、西城というらしい。随分上に城門があったんだねぇ。

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なるほど。

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案内板で、現在位置が判った。

脇に駐車場があり、結構人がいる。あくまで尾根上を行く。

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案内板が多い。いちいち見ていたので、時間がかかる。(帰宅後は、何も頭に残っていなかったが)

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なるほど、なるほど。

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こちらが、実物。


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いい感じだねぇ。


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この辺から様子が変わってきた。

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ムムッ。ただの藪城ではないような予感がする。

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いいねぇ~。

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フム、フム。

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おーっ。

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月の池。

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うぉーっ。まちゅぴちゅカーッ。戦国期の城とは思えないワサ。

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凄すぎるワー。

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ここで、一息入れよう。

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日の池


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お勉強もしなければ。でも、頭に入らない。

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石積みが終わると、ケヤキの大木があった。

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金山城最上部には、新田神社が鎮座されていた。

ここより、北城に向かった。持参したルートマップには北城は載っていなかったので、カンで行った。神社の裏手から山を下り、少し登り返すと小藪の小ピークに着いた。あたりを見廻すと下に平坦面が見えた。北城だろう。尾根続きに藪が切り開かれていた。カンが当たれば近道だが、自信が無い。金山城最高部に戻り、そこから、松風峠に下った。
松風峠は、県道を通すため、切通しにしたらしい。そのため、発見された遺構が損なわれたとの事。
松風峠から王厳寺(福禄寿)、永福寺(寿老人)に立ち寄った。
楽しみにしていた曹源寺サザエ堂(布袋尊)は修復調査中で、入れなかった。中には、サザエ回廊と100体の観音像があるとの事。

往路を戻り、松風峠手前で水道専用路に入りる。途中、「おしろ橋」の標識を見るが次の機会にしよう。親水公園から東尾根に乗る。振り返ると、(たぶん)八王子砦の頂きが見えた。ここも次回だな。右手に見える野球場で子供達が歓声を上げている。

七福神めぐり最後の受楽寺(大黒天)に到着。腹が減った。

車道を渡り、すぐに山道に入る。
最後のポイント高山神社に到着。立派な社殿を持つが、案内板が見つからなかった。


昼なお閑散とした太田駅前の食堂でソースカツ丼を食い、ビールを飲んだ。店のオヤジと金山城談義をして、帰途に着く。

金山城は、想像を絶した城だった。どこまでが城域なのだろうか。現在も発掘が続けられているようだ。復元された石垣の城は優美であった。優美さとは別次元の歴史があるのだろう。
食堂のオヤジの話では、地元では天守閣の建造も提案されたようだが、お役人からピシャリと「ノー」を突きつけられたそうだ。正解である。たまには役人も正解を出すときもあるのか。
もう一度、行かなくてはなるまい。

山行日:2011.2.13
目的地:ウノタワ、大持山
コース:名郷(8:15)~旧白岩集落(9:15)~鳥首峠(10:10)~(11:30)ウノタワ(12:10)~大持山(13:00)~妻坂峠(14:00)~名郷(15:10)

三連休を利用してスキーに行こうと思っていたが、雪のため中止。最近は、雪降りの日にスキーには行かなくなってしまったのだ。太平洋側に晴れが約束された日曜日に定番のウノタワへ出かけた。

金・土の雪で、名栗川の道は雪に覆われているに違いないと思い、電車とバスで出かけた。
服装は、スキーズボンに通勤用のせーター。この格好で電車に乗るには勇気が必要だ。早川義夫氏の「かっこういいことは、なんてかっこう悪いんだろう」を座右の銘にしているおいらは、恥ずかしさを胸の奥に押し込んで電車に乗った。

そもそも、「かっこいいことは、なんて~」などと考えている事自体、いかんのである。格好について無頓着になってこそ、おいらにとっての理想像なのである。この心境に至った瞬間に座右の銘は霧散しているはずである。

などと無意味なことを考えながら、そ知らぬ顔で電車に乗った。
名郷行きのバスは、座席がほぼ満杯になるほど人々を乗せた。
塩カルの粒がまき散らされた車道をトップで歩き出してしまった。雪が深かったらイヤだなぁ。後ろを振り向きつつ歩く。

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石灰工場に先頭で着いてしまった。

石灰工場事務所脇で、いつものように100円の缶コーヒーを飲む。下を見るとお一人登ってきている。とりあえず出発。くるぶし程度の雪。さほど深い雪では無い。足跡無し。

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白岩の廃集落に到着。

廃屋に入り、スパッツを着け、焼きソバパンを食っていると、おいらよりやや若めのオッサンが通り過ぎて行った。
おいらは、安心して出発した。雪は浅く、隠れている石に載ったりしてすこぶる歩きにくい。先行の足跡は、黒々としている所が多い。足跡を見ながら歩いていると、先行者の歩幅が異常に広い事に気がついた。一足以上広いのだ。即ち30cmは歩幅が広い。歩きながら計算してみた。10歩で3m。100歩で30m。1000歩で300m。10000歩で3km。山の3kmは途方もなく遠い。先行者に追いつくことは無いだろうな。
などと考えていると、もう一人の年長のオッサンに抜かれた。こちらはスゴイピッチ。ピッチの違いを計ろうとしたが、おいらのポンコツ頭では同時に2人のピッチを計数する事はできなかった。時間当たりの歩数を数えようとしたが、オッサンは遥か先に行ってしまい、計数不能となってしまった。結局抜かれたオッサン2人には、二度と会うことは無かった。
おいらは飛び抜けて鈍足である事を再認識した。ちなみに、たそがれオヤジさんが超高速であるらしいウワサを目にしている。羨ましい限りである。

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超低速であっても、鳥首峠に到着。天気はすこぶる良い。風も無い。思った以上に雪が少ない。真正面に楽しかった大平山が見える。

ここからは、急坂が続くが、雪が少ないのでアイゼンは着けなかった。先行者の足跡を拾いながら登った。雪が少なく、足裏に木の根や岩・石ころを感じる。雪がもう10cmmもあれば違うのだろうが、急斜面で著しく登りずらい。少し足を滑らしたとき、反射的に腕が動く。激痛が肩に走る。痛みがおさまるまで立ち尽くす。こんな事を何回も繰り返した。右手で木がつかめないので、左に樹木が来るように歩いた。先行の足跡を避け、なるべく雪の深い所を歩いた。なんか、イヤになっちゃうね。昨年は膝痛。今年は肩痛。肩痛はタカをくくっていたが、結構影響する。足場の悪いところで苦労するのだ。
傾斜が緩んだ所で安全のため、アイゼンを着けた。

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傾斜が緩めば楽しい。

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武甲山が見える。

わずかだが、岩場のいやらしい所に差し掛かった。いつもらサラリと通過できるのだが、今日は右手が使えないので難儀した。僅か10mが下れない。夏道をあきらめ、西側に廻り込みケツをついて通過した。参った。

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こんな程度の岩に苦労させられた。

ここを通過すれば、ウノタワはすぐ目の前だ。

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ウノタワ到着。ずいぶん時間がかかってしまった。

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今日も誰も踏み入れていないと思いきや、山中方面からの踏み跡があった。

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ウノタワは、ここの所秋と冬に必ず訪れている。地味だが、気に入っている。

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雪の量は少なく、10cmも無いだろうか。コッフェルは、昨夏錫の水場でよからぬ事をした名残りで、黒くなったままだ。握り飯、ラーメン、握り飯、コーヒーで、ゆっくり過ごす。誰も訪れない。

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いつまでも居るわけにはいかない。重い腰を上げる。

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急坂を登り詰めた所からウノタワを見下ろす。

伝説によれば、ウノタワには昔池があり、ウが住んでいたという。ウノタワの成因は、何であろうか?
ドリーネが埋没して平坦地ができたのではないか。いや、俯瞰するに山体の崩落かズレによる二重山稜ではないか。
などと素人考えをめぐらすのであった。

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奥武蔵には珍しく、自然林が続き楽しい。

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こんな道が続けばよいのだが。

横倉山を越えれば、大持山は近い。妻坂峠分岐からは、多くの踏み跡で道は締まっている。

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大持山到着。山頂には2組。相変わらず、大平山が威張っている。他の登山者に注目されることは無い。八ヶ岳が遠望できた。両神山が樹間から見えた。雲取山(?)も山頂部だけ見えた。長沢背稜の山々は丸見えだった。拳岳方面のみ薄い雲がかかっていた。

タバコを1本吹かしてオサラバ。
気温が上がったのか、アイゼンの団子に苦しむ。高下駄か。重さで言えば鉄の下駄。

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妻坂峠への下り緩斜面では、雪が減り助かった。

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下部の急斜面は陽が当たらず粉雪がたまっていた。こうなれば、快適そのもの。雪の深い所を選んでワッシワッシと下る。



アッサリと妻坂峠に到着。

名郷への道は、多くの人が登ったのか、しっかりした踏み跡が着いていた。しかし、またしても浅い雪で石車などに乗り、苦しむ。肩に激痛が走り、しばし立ち止まり痛みが去るのをじっと待つ。
車道に出てシャーベット化した雪に恐れをなす。バスの時間が気になりだした。時計を見ながらの歩きとなる。

名郷バス停では5分と待たずに誰も乗っていないバスがやってきた。今週も厭な疲れを残しつつ電車を乗り継いだ。
そう云えば、電車の中で格好の事を忘れていた。

山行日:2011.2.5
目的地:湯の丸山、角間山
コース:鹿沢温泉(8:40)~支尾根(9:45)~1855m峰(10:15)~(11:20)湯の丸山(11:50)~(12:50)角間峠・敗走(13:20)~鹿沢温泉(13:50)

「曇り時々晴れ」から「晴れ時々曇り」に予報が変わった。金曜の帰りは遅かったが、土曜日に行って見よう。場所は湯の丸山と角間山。関越道から長野道に移った頃、ラジオでは埼玉県内の大渋滞を放送していた。助かった。しかし、ねむい。体の弱いおいらにとって、寝不足は致命傷になることがある。
それにしても、山々の雪が少ない。浅間山は純白からは程遠い。地蔵峠までノーマルタイヤ・チェーン無しで上がれた。群馬県側に入るといくらか雪が増えた。鹿沢温泉まで、4WDモードでソロソロと下った。

おあつらい向きの所に駐車地があった。駐車場かどうかは判らないが、3台ほど停まっている。お一人、角間峠方面に出発した。おいらも、スキーを履いて出発。天気は春霞がかかったようで、晴天とは言いがたい。

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コースは鹿沢温泉からレンゲツツジ群落を経て主尾根に至り湯の丸山に登り角間山まで縦走。角間峠に戻り鹿沢温泉に戻るという計画。

古いスキーの跡や足跡があり、これを追う。

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平原のような所に出た。角間山だろうか?

踏み跡はみな角間峠に向かっている。磁石で方向を定め、正面の支尾根に向かった。細い切り開きがあり、はじめはここを辿った。やがて樹林帯となり、雪が深くなった。良く見ると微妙に道型が見える。道型らしきものを辿る。ほぼ想定していた方向に進んでいる。やがて1720mで支尾根に乗った。傾斜も緩み、明るくなった尾根上を安心して歩く。

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湯の丸山が見え出した。

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道標があった。快適に登る。

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1855m峰より湯の丸山。

1855m峰より左手に、スキー場からの主尾根が間近に見える。高度を落とさないように主尾根に近づく。何人か登っているのが見えた。やがて主尾根に辿り着いたのだが、有刺鉄線3段張りの柵があり、本ルートに合流できない。本ルートは良く踏み固められた雪道になっており、歩きやすそうに見える。こちらは、ラッセルとは言わないが、沈み込みのある雪である。仕方ない、このまま登るか。何人かが本ルートを登って行った。見送るホカはない。
有刺鉄線のタルミを見つけ、ようやく本ルートに合流。ちょうど斜面がキツクなる所だ。踏み固められた急斜面はシールで登れなかった。スキーを脱ぐのはイヤなので、結局本ルートとは別にジグザグに登った。


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湯の丸山到着。大勢の人がいた。大昔来た時は誰もいなかったので、意外だった。


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人が多かったので、一つ先のピークに行った。ここにも数名居たが、角間峠に向かう者は居なかった。

シールを外し、滑り出した。すぐに段差に引っかかり転倒。薄皮一枚の雪の下、笹にスキーの先端が刺さっていた。右肩に激痛が走る。五十肩のようだ。ケツの財布も取れない状態なのだ。従って、ケツは左手で拭くしかないのだ。

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あずまや山や根子岳が美しい。

しかし、すぐに尾根上は密林と化した。東斜面に逃げる。雪質は良い。


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林間の柔らかい雪は、まことに滑りやすい。しかし、長くは続かない。

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滑りやすい所は短く、針葉樹の密林に行く手を阻まれる。こんな所はまだマシな方。

針葉樹の硬い枝に苦しむ。極端に狭い樹間をスキーで下るのは疲れるワイ。

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へとへとで角間峠に着いた。

すでに角間山への登頂意欲は全く失われていた。湯の丸山からここまで1.5km。スキー場ならば5分であろう。今日は1時間を要した。握り飯・ラーメン・握り飯と食い、下山する。意外にもしっかりしたトレースがある。はじめトレースを追い、やがて滑りやすそうな林間に入り、醜いシュプールを刻んだ。沢型に迷い込むが、左岸尾根を巻き気味にスキーを滑らすと、広くなった雪の山道が現れた。すぐに鹿沢温泉に帰着。

なぜか、異様に疲れたのぉ~。


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いつものように、妙義山の姿に驚きながら家路についた。

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