2010年01月

山行日:2010.1.23
目的地:鷹ノ巣山
コース:東日原(9:00)~稲村岩鞍部(9:45)~鷹ノ巣山(11:50)~(12:15)鷹ノ巣山避難小屋(13:15)~峰谷(15:00)~峰谷橋(15:30)

菓子王君から、鷹ノ巣山に行こうとお誘いを受け、出かけてみた。
冬型の気圧配置が少しだけ緩み、快晴の富士山が見えるはずだ。

早朝、電車の車窓から白い富士山が見えた。これは期待できる。

奥多摩の駅に着くと、菓子王はすでに到着していた。おいらは、便所に行き、さらにタバコを吹かす。
東日原行きのバスは、満員で座りそこなった。菓子王君、おいらの呑気さにやや不満げ。だいぶ前からおいらの到着を待っていたようだ。なのに、座れなかった。
鴨沢行きのバスも満員のようだ。奥多摩の人気、恐るべし。

川乗橋で、大半の乗客は降りた。ようやく座れて、菓子王君は満足気だったが、すぐに東日原着。

空は青い。なかなか良いではないか。
鷹ノ巣山に向かうグループは少なかった。よしよし。

バス停から、日原川の対岸に渡るため下らなければならない。谷底は遥か下。下りすぎだ。あ~ぁ。

気を取り直し、急坂を登る。菓子王のスピードに着いて行くのに必死だった。もたないので、スピードダウンを懇願した。

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ようやく稲村岩が近づいた。

稲村岩の鞍部に着いたが、すでにバテていたので、稲村岩往復はカット。先に進む。

尾根に乗ると、対岸の長沢背稜がよく見えた。道は、あいかわらず急だ。

やがて雪が現れた。たいした量ではないのだが、凍り付いている。おいらはナメ靴で来ていたので、さらにスピードが落ちた。正月に御前山から石尾根を見た時に、全く雪が見えなかったので、タカをくくっていたのだ。上からお兄さんが勢い良く下ってきた。アイゼンを着けている。おいらはアイゼンも携行していなかった。まずいなぁ。木や笹を掴んで登ったが、下りの事を思うと、不安が募る。菓子王は、アイゼン携行との事。しかし、高級靴を履きアイゼン無しで登ってっている。


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ようやく、傾斜が緩む。


傾斜が緩むと山頂は近かった。

山頂には3~4人いた。
しかし、富士山は見えなかった。よくよく見ると、裾野だけが、ボンヤリと見える。おかしいねぇ~。
なぜか、富士山方向だけ、うす雲がかかっているのだ。せっかく、富士山を見に来たのに。


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それでも、石尾根の先に南アルプスの白い連嶺が見えた。あの巨峰は、北岳か、甲斐駒か。判らない。

富士山が見えないしやや風があるので、すぐに鷹ノ巣山避難小屋へ向かった。


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石尾根上は雪が少なかった。

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鷹ノ巣山避難小屋は、立派だった。

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外も室内も気温は、ちょうど0℃。この時季としては暖かい。そういえは、ここまで手袋・帽子無しでこられたもの。

昼飯を食い、下山ルートを考えた。菓子王の予定では、水根に下るはずだったが、おいらの足元があまりにも悪いので、最短の峰谷への下降に変更してもらった。

小屋前から峰谷への道があった。下ってみると、雪は全く無かった。どうやら、雪があるのは、北面の日原側だけのようだ。下り始めてすぐに、水がチョロチョロと湧いていた。鷹ノ巣避難小屋は、結構使えそうだ。
峰谷への道は、途中判りづらい所もあったが、急坂も無く、あっさりと林道に出てしまった。

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羊の声が、谷に響き渡っていた。

林道で、山スキーの話などをしながら下ると、バス停に着いた。
バスの時間まで、1時間半以上あるので、国道の峰谷橋まで歩くことにした。奥多摩湖の一角に出たなと思うと、赤い峰谷橋が見えた。と、バスが通り過ぎて行った。あ~ぁ。ついてないねぇ~。

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峰谷橋到着。僅かに遅かった。

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御前山などを見て時間を潰すが、薄ら寒くなってきた。ジャンパーや手袋や帽子をかぶるが、震える。

乗り込んだバスは、満員。これまた、あ~ぁ。

奥多摩駅に着くと、小雨がパラついている。この天気どうなっているのかね。

駅前にて、「餃子」のノレンが目に飛び込んだ。ラーメン屋かと思いきや飲み屋だった。先客一人。常連さんのようだ。
餃子とビールを注文。そして、川えびとピールを注文。そして、鹿肉とビールを注文。
やがて常連客がやってくる。カウンター席は全て埋まった。常連さんは、皆様地元山岳関係者のようだった。情報を仕入れる。

そこそこ飲んで、帰路に着く。立川の駅で奴と別れ、おぼつかない足取りで、電車を乗り換えた。



仕入れた情報
①大岳山荘は休業
②酉谷小屋は、復旧。使用可。
③一杯水避難小屋のストーブはマナー悪く撤去。
④各避難小屋の布団は、撤去。

思い違い、聞き違いが、あるかも知れないので、必要時には各自で確認してくださいね。

山行日: 2010.1.17
目的地:社山
コース:歌が浜(8:10)~阿世潟~阿世潟峠~(11:00)社山(11:50)~阿世潟峠~阿世潟~歌が浜(14:20)


土曜日に車を運転していると、北の彼方に雪をまとった男体山が見えた。その左手に低く長い純白の山並みが見えた。
おおっ、中禅寺湖南岸尾根がおいらを呼んでいる。行かなくてはなるまい。多少の腰の痛みはあるものの。

期待して、出発した。が、日光・宇都宮有料道路からは、女峰山・男体山とも中腹より上は雲がまとわりついているように見えた。歌が浜に着くと、無風。男体山の山頂付近に雲がまとわりついていた。県境の山々は雲に完全に覆われ全く見えない。


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社山だけは良く見えた。

余り、期待できない。
取り敢えず、閑散とした駐車場を出発。
雪の量は、年末より、幾分多い程度。

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古いが、踏み跡があり助かる。ムジナ窪で-7℃。雪が締まり歩きやすい。


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幾分、天気は回復傾向のようだ。


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阿世潟峠まで上がると、雪は減った。稜線上はかえって雪が少ないようだ。

この先、崩壊地などもあるので、念のためアイゼンを装着した。

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踏み跡があり、歩きやすい。

若者が一人降りてきた。結局本日会ったのは、彼氏のみ。

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男体山の雲はとれた。太郎山以北の山は雲に覆われている。

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えっちら、おっちら登って、社山着。風も無く、ここでゆっくり飯を食う。


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中禅寺湖南岸尾根。昨日見た銀嶺は、果たしてこの山並みだったのだろうか。


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足尾松木川流域の荒れた山々も雪化粧。


小雪が降ってきた。足先が冷たくなってきたので、退散する。
アイゼンとダブルストックで軽快に下る。


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そして、太郎山、山王帽子山、於呂具羅山、戦場が原が見え出した。奥山の御大はまだ、姿を見せない。


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半月山を正面に、阿世潟まで鹿糞を飛び越え軽快に下る。快調そのもの。わずか1時間で、阿世潟着。


阿世潟から、飛ばしすぎの反動がきた。腰が重く、足が前に出ない。少し歩いては、休憩、また休憩。
バテバテで、歌が浜着。

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ついに、県境の山々は姿をあらわさなかった。


いろは坂を下ると、快晴。
日光カステラを購入し、帰る。
高速道路からは、なんと、日光の奥山の銀嶺が見えた。

山行日:2010.1.10
目的地:子の権現から前坂の尾根
コース:小殿(8:30)~(9:10)竹寺(9:45)~鐘撞き堂(10:00)~豆口峠(10:30)~(11:00)子の権現(11:30)~(12:00)六ッ石の頭(12:20)~墓地(13:00)~車道(13:10)~前坂(13:30)~吾野駅(14:00)


またしても、腰が痛くなった。年末の大掃除の影響か。今回は、本格的な痛みに進行する予感がする。腰が痛くても、家でゴロゴロしているわけにはいかない。余計痛くなるから。だから、少しやさしめのコースに出かけよう。昨年途中敗走した、前坂から子の権現を歩いてみよう。ただ、コースはより、楽そうな逆コースにして。

飯能で、名郷行きのバスに乗った登山者は3組。小殿で降りたのはおいらのみ。ここまでの電車、バスで腰へのダメージが蓄積していた。バス停前のベンチで、ぐずぐずとタバコを吹かす。
車道を少し進むと、「竹寺→」の標識があり、杉林を登る。「熊出没」の看板あり。おととしの2月に出たそうだ。雪が無ければ冬眠しないのだろうか。
尾根を絡むように薄暗い杉林を登る。歩き出すといくらか腰が楽になった。
明るくなったかと思ったら、「仁多山」分岐だつた。ここから、すぐに、竹寺の建物が下に見えた。


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竹寺到着。別名、八王寺。想像していたより、なかなか良い雰囲気をかもし出している。

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ふむふむ。もう少し、詳しい由緒書きが欲しい。

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本殿正面。牛頭天王を祭る。

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今回は、裏側より境内に入ったので、順路は逆となる。

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牛頭天王像

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境内には、立ち木彫りのトーテムポールが散見される。いずれも異常なデザイン。

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巨杉が祭られていた。

コンパクトではあったが、なかなかの寺であった。鐘の音がする。鐘撞き堂はなかなか見つからなかった。


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鐘撞き堂は山の上にあった。鐘を撞くと、予想外の大音響が響いた。いつまでも響いていた。

長居をしすぎた。子の権現に向かう。
山を巻いたりして、たいした登り下りは無い。遠くから鐘の音が聞こえてきた。子の権現の鐘の音だった。


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おきまりの子の権現の大わらじ。人だらけで、人なしで写真が撮れたのは奇跡的。



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子の権現本堂まえ。お年寄りが多い。家族連れも多い。兎に角人だらけ。

人が多いのですぐに去る。が、茶屋に入り甘酒を飲む。人は多いのだが、茶屋に入る人は居ない。不景気ですね。昨年から、甘酒党になっているのだ。

ここまで、「関東ふれあいの道」。「関東ふれあいの道」で、心の通った人とのふれあいを感じたことが無いのはおいらだけだろうか。


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子の権現駐車場下に目指す尾根道があった。あの白く見える採石場の裏が前坂だろうな。遠い。

ここからは、予想はしていたものの、あまたの頭峰を越えていく。ただ、巻き道も多くあり、助かった。
小さな山頂にも、地図に記載の無い山名が記されていた。

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ちょうど12時となり、ここで握り飯2個を食う。

何故か、風が強くなる。寒いのですぐ出発。
20人のグループとすれ違う。彼らいわく、「今日はじめて、人とすれ違った。」と。おいらは、「子の権現の人の多さ」を口にせず、黙ってすれ違った。

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ようやく、採石場が近づいた。佇む池の青は、毒の色?石灰工場のプールに良くある色だ。

一旦、車道に出て、竹林に入ると、前坂にあっさり着いた。年末に敗走した地点だったが、すでに記憶が定かではない。
吾野駅はここから近かったはずだ。

あつさり、吾野駅到着。
列車を一本見送って、茶店で蕎麦を食いビールを飲む。
すっかり、腰は癒えていた。

それもつかの間、列車に乗り家に着くと、またしても腰が痛み出す。
明日の朝が怖い。

つづき


御前山の朝は寒かった。5時、暗がりで目を覚ましたが、寝袋から出られない。タバコを吹かすと、便意を催し、便所に駆け込む。やたらに寒い。出すものを出し、再び寝袋へ。

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6時を過ぎると、いくらか明るくなり、朝飯を食う。豚汁とロールパンという、妙な組み合わせ。

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ぐずぐずし、出発は7時となった。

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御前山を振り返る。今日も足は前に出ない。


大ダワで車道を横断。鋸山に登るつもりであったが、あまりの鈍足でカット。



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大岳山到着。先客は1名。

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残念ながら、富士山がクッキリとは、いかなかった。


二十歳頃大岳山に何度も登った。馬頭刈尾根や、鋸山が定番であった。その頃、雲取山は遥か彼方の山だったし、アルプスの山々は憧れでしかなかった。
今思うと、あのころから、殆ど変わっていないなぁと感じる。変わったことといえば、重荷に耐えられなくなったことぐらいか。

大岳山を下り始めると次から次へと人が登ってくる。恐ろしいほどの人の数だ。なんか、変わっちゃったなぁ。

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大岳山荘。ここには何度か泊まった。だいぶ荒れた感じがする。懐かしさともの悲しさを感じつつ、先へ進む。


コースは最短路の芥場峠へ。そこから、御岳山を目指す。長尾平入り口付近で道に迷う。道が多すぎる!

さらに人の増えた御岳神社の下を抜ける。

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御岳の参道の先で、道がわからなくなり、まごつく。

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日の出山の取り付きは舗装道路だった。これじゃぁまごつくわい!

日の出山などチョロイものだろうと歩くが、最後の階段でバテた。

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日の出山山頂は、公園的で、物凄い数の人がいた。花見かい。それくらいの人出だ。大岳山の写真を撮って、おさらば。

しかし、バテた。その後も道の多さにまごつき、登ってきた爺さんに道を聞いた。「この道を最後まで、尾根通しに行くんだよ。」「へい!」「理想的な道なんだよ、この道は。」「何が理想的なの?」「通勤の道だからね。」「??・・・」
30mほど離れても、まだ解説してくれる。「はい、はい」と言って、先に進む。「理想的な道」とは何なんだろうか。いったい、誰が通勤しているのだろうか。片道3時間もかかるのに。頭から離れなくなった。

道はこれでいいらしい。薄暗い麻生山で昼飯とする。ここには誰もいない。足元に小さな皮製の入れ物が落ちていた。ハンコ入れかな。などと思い、中を開けてみると、口紅だった。ムムッ。あわてて仕舞い、元の場所に戻した。し~らない。

ここから道は長かった。殆ど平坦な道が延々と続く。小峰をみな巻いてくれるのはありがたいが、余りに単調。この、巻きが「理想的」なのか。

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うんざりしたところで、大岩到着。巨石を祭っている。「全踏査日光修験道」によると、修験道では、しばしば巨石が信仰対象になるらしい。ここは、熊野修験道の流れをくんでいるようだ。

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すぐ先に琴平神社があった。金比羅山は知らずに通過していたようだ。

琴平神社周辺は公園になっていた。ベンチでタバコを吹かせていると、犬を連れた婆さんがやってきた。
「あっちの方が眺めがいいよ。」と教えてくれた。婆さんにしては足が丈夫だ。自宅からここまで30分だそうだ。

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婆さん推薦の場所から、五日市の町を俯瞰する。確かに良い眺めだ。


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久ぶりに、色物を見たような気がする。


琴平神社からはコンクリート道の下りだ。膝にこたえる。ボロボロで五日市の街中に入る。迷子となり、こわもて風のオネイさんに道を聞き、武蔵五日市駅に到着。
ビールを一本飲んで、電車に乗る。長い二日間が終わった。

山行日:2010.1.2~3
目的地:奥多摩三山縦走
コース:数馬(10:10)~三頭大滝(11:10)~(12:10)三頭山中央峰(12:30)~鞘口峠(13:10)~月夜見第二P(14:20)~小河内峠(15:00)~惣岳山(16:00)~御前山(16:20)~(16:40 泊)御前山避難小屋(7:00)~鞘口山(7:50)~大ダワ(8:15)~(9:30)大岳山(9:50)~芥場峠(10:30)~日の出山(11:45)~(12:40)麻生山(13:00)
~琴平神社(14:40)~武蔵五日市駅(15:30)


二十才前後の頃よく行った大岳山に行ってみよう。30数年ぶりの再訪となる。どうせ行くなら、まだ行ったこと無い三頭山と御前山を加えよう。

武蔵五日市駅発数馬行きの二番バスに乗り込んだ。乗客は少ない。登山者は他に三組ほどか。
数馬に着くと、あるはずの「都民の森行き」のバスが無い。他の登山者に聞くと、「この時季、ありませんよ」との事。あせった。日の短いこの季節、御前山にたどり着けるのだろうか。とりあえず歩き出す。


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三頭の大滝。おおっ、半分凍っている。

ここまで、荷が重いせいか、思うように足取りは進まない。昭文社のコースタイムをキープするのが精一杯。こうなると、休憩は許されないことになる。16:30を過ぎると、近視・乱視・老眼・鳥目のおいらは歩けなくなるからだ。今日の目的地、御前山避難小屋までは、ぎりぎりのコースタイムだ。


整備された沢沿いの道を行く。すでに、何人か降りてくる。


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やがて、沢音が消え、氷河となる。御前山の水場は凍っていないだろうか?そんな心配も沸いてくる。

尾根に出ると、樹間から富士山がちらりと見えたが、雲がまとわりついている。富士の眺めが良いらしい三頭山西峰は、この際巻いた。

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三頭山中央峰着。

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中央峰の先に見晴台があった。左御前山、右大岳山。御前山は遥かに遠く見える。ここで、握り飯をガツガツ食って出発。

都民の森の道が交錯し、道は何が何やらよく分からないが、取り敢えず「登山道」なる標識を進む。鞘口峠をやり過ごし、風張峠を目指すが、風張峠は知らぬうちに通り過ぎる。車道に出て、月夜見山を割愛し、月夜見第二駐車場に到着。やばい。時間は押している。最早休憩は許されない。

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防火帯なのか、広々した尾根を行く。のんびりと歩きたいところだが、先を急ぐ。とはいえ、鈍足が早まることは無かった。

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たまに、山で見かける。これって何!

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小河内峠着。小説、日蔭の村を思い出す。

さて、ここから御前山の登りだ。標高差350mは、結構こたえるだろうな。
案の定、こたえた。登れども、登れども着かない。荒川前岳の登りを思い出した。それよりは、はるかにましだろうと言い聞かせて登る。


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ようやく、前衛峰惣岳山にたどり着いた。なんとか、日暮れ前に着けそうだ。

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御前山の肩より。六つ石山の右手に、おいらのアイドル三つドッケと蕎麦粒山が見える。嬉しいな。

長い登りも、あと一息のようだ。遠くの山々が夕陽で赤くなり始めている。


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ついに、御前山に到着。日は、三頭山に沈みかけている。


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御前山避難小屋に到着。水は凍らずに流れていた。この上なく、ラッキー。


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日はすぐに暮れた。町の灯りがすさまじい。

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サッポロ一番醤油味、モチ2個、魚介ソーセージ1本、シーチキン、トマトスープ、ワンカップ1本を腹に納めてご就寝。18:30だった。

夜間、小屋周辺は、物音が激しかった。
「カーン」「ポカン」「ギギギー」「ドンドン」 不自然な音がするのだ。一人寝の避難小屋でこれは怖い。かめ・ふーさんが現れたらもっと怖い。一杯水の人の恐怖がヒシヒシと偲ばれた。

幸い、寒さでそれどころでは無くなり、ホッカロンを抱いて眠りに着いた。


つづく。

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