2009年05月

昨日は雨。
今日も曇り。

埼玉の城廻りに行こう。

小倉城は有名な「コクラ」城ではなく、普通に「オグラ」城。
松山城は愛媛の松山城ではなく、埼玉県東松山市の「松山城」。

まずは、「埼玉県立嵐山史跡の博物館」で、「比企城館跡群」のパンフレットを入手。展示物で小倉城と松山城の位置を頭に叩き込む。
お気に入りの「男衾三朗絵詞」を2回見て博物館を出る。

博物館からそれほど遠くない小倉城に向かうが、なかなか見つからない。
小さな入り口標識は、三角点の標石程度のものだった。細いが、舗装された山道を上がると二個目の「小倉城跡入り口」看板があった。


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薄暗い、杉林の中に道がある。


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少し歩くと、分岐があり3つ目の「小倉城跡入り口」の石柱があった。反対側は「青山城」となっていた。

ここから道は急になる。雨が降ってきた。なにやら糸を垂らしてぶら下がるイモ虫君がワンさといる。糸が顔に引っかかる。今日は誰も来ていないようだ。

少し登るとすぐにソレと分かる堀跡や土塁のたぐいが見える。
平坦地に出ると二郭と表示されていた。

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尾根上に沿って踏み跡を辿ると本郭であった。石板と案内板があった。

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さらに進むと、北虎口。中世城郭としてはめずらしい石積みである。

さらに進む。尾根上にまだまだ城郭跡が続くが案内板等は無い。両サイドから川の音が聞こえる。三方を槻川に囲まれた城だった。予想外に大きな城だ。
適当な所で引き返す。

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舗装道路から小倉城付近を見る。


下の県道を走っていると、再び「小倉城跡入り口」の石標が目に飛び込んできた。


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お寺の裏山が小倉城だった。案内板は「遠山氏」の城説だった。

「上田氏」説もあるようだ。比企丘陵城郭群の歴史は未解明の部分が多いようだ。

せっかくなので、傘をさし寺の裏手から再び城に登った。


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こちらの斜面はキツイので、城の核心部が近づくと、土の城壁が覆い被さるように迫力がある。

また、あちこち歩き回る。

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石積みの城壁を見つけた。

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なんとなく、城跡っぽい所。

などを写真に撮り、山を下った。




松山城に向かう。

松山城の下に着いたが、車を止めるところが無い。
吉見百穴の駐車場に駐車する。


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傘をさして登る。登り出すとドシャ降りとなった。

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中世の城跡らしい堀切が縦横に走る。

しかし、雨が激しすぎる。
本郭跡でたたずむことも無く、城を下る。本当はこちらがメインだったのだが、ドシャ降りではしょうがない。
あきらめが早いのが、おいらの特徴。
また、来よう。


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松山城に寄り添うように立つ岩室観音堂は、城よりもはるかに歴史が古い。歴代城主も信仰したという。

脇を通り、吉見百穴に戻る。


観光食堂で遅い昼飯を食う。
食堂を出ると以外にも雨はあがっていたが、吉見百穴に寄ることも無く帰路に着いた。


比企城郭群は、なかなか立派な中世城郭が良く残されている。ハリボテ的・コンクリート的施設が一切無いのが、好ましい。
しかし、夏はよそう。イモ虫君が、厳しいから。

山行日:2009.5.23
目的地:女峰山
コース:二荒山神社(6:10)~行者堂(6:30)~殺生禁断碑(7:00)~稚児ヶ墓(7:35)~白樺金剛(8:20休)~黒岩遥拝石(9:30休)~箱石金剛~唐沢避難小屋(10:50休)~女峰山(11:30休)~(12:15)唐沢避難小屋(12:50)~馬立(13:50休)~裏見滝・寂光滝分岐(14:45休)~寂光滝(15:45)~田母沢(16:20)~西参道(16:30)~二荒山神社(16:50)


今日は女峰山「様」で体力測定を行おう。
西参道からの標高差1860mは関東にあって貴重品だ。
同じような標高差のある山として、甲武信ヶ岳(川又~真の沢林道:標高差1780m)ぐらいしか浮かんでこない。

だから、畏敬の念をもって女峰山様と「様」付けで呼ぶことにしている。
これだけの山にして100名山に入っていないことは大変喜ばしいことで、遭難者の抑制に大いに寄与している。

ところで、おいらは、女峰山様にはいつもギリギリの体力で登っている。西参道から女峰山に登れなくなったら、それなりに考えなくてはなるまい。
だから、それなりの緊張感と覚悟を持って登るのだ。「覚悟」とは、「バテたら早めに諦める」ということだが。

早朝、天気は思わしくなかったが、日光市内に入ると女峰山様が見える。
二荒山神社の駐車場には一台として車は止まっていなかった。


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二荒山神社の社内を少しだけ見てスタート。


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神社の脇に沿って登る。杉の巨木は凄い。


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しばらく登ると行者堂。役の小角と前鬼・後鬼を祭る。三峰五禅頂ゆかりの地。ただし建物は新しい。


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禁断殺生の碑を過ぎると、ツツジが現れはじめた。


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そして、ツツジだらけとなった。


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悲しい伝説を持つ稚児ヶ墓にも、盆栽型のツツジが。
ここで、ご老人が熱心に写真を撮っていた。


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やがて草原となる。ツツジに目を奪われここまで、疲れ知らず。気が付くと空模様が怪しくなってきた。

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黒木の森に入ると、ヤシオツツジが咲いていた。他のツツジはツボミをたくさん着け開花の準備中。来週辺りに咲き乱れるかもしれない。
森の中の白樺金剛で、初めて一服する。

徐々に斜面がきつくなりだすと、あっという間にバテだした。


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黒岩は巻き、遥拝石にでた。ガスがかかり雲竜渓谷の展望は無い。ここでも一服。


黒岩を出てしばらくすると、後から凄い鼻息が聞こえてきた。熊かと思いビックリし、口笛を鳴らした。精悍なオッサンが走るように登っていった。唖然として見送るしかない。


箱石金剛付近はいつもかなりバテる所だが、今回もバテた。


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桜だろうか。写真を撮りながらバテを誤魔化す。

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変な形のダケカンバ。写真を撮りバテを誤魔化す。


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急に明るくなる。雲の上に出たようだ。白根山がいきなり見えた。


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そして、樹間にようやく女峰山様と唐沢避難小屋が見えた。


だが、唐沢避難小屋にはなかなか着かない。


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ようやく着いた唐沢の宿跡。石仏と石祠はまだ雪から出てきたばかのようだ。 


小屋前にはお一人いた。
一服後、出発。
腐れ雪で布靴がビチャビチャになる。

薙ぎで3人組を抜かす。
抜かしたくなかった。
抜かしたら、抜かれたくないのが人情。
眉間に皺を寄せ、口を大きく開け何とか止まらずに登る。

石楠花の次に這い松が現れたら山頂だ。ようやく這い松が現れた。
取り敢えず山頂に着くことができた。

山頂には人が大勢いた。女峰山様にしてはめずらしいことだ。


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天気はグングン回復しているようだ。

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左より、男体山、大真名子山、小真名子山。大真名子の遥か後に皇海山が見える。

次から次に人が来るので、すぐに山頂を後にした。
唐沢避難小屋に戻り昼飯とする。

下山は、晴れてきたので黒岩コースで雲竜を見たいとも思ったが、予定通り田母沢に下ることにした。

女峰山様は登りもさる事、足の弱いおいらは下りも恐ろしい。
馬立までの急斜面は疲れた足にこたえる。ギクシャクと下る。

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馬立手前では、薙ぎの砂防工事が終わったようだ。あの荒れた薙ぎに石ころ一つ無い。
誰か、ここで定点観測をしてもらいたい。このフラットな薙ぎがどのように変わっていくのか。
工事終了のためか、去年まであったモノレールが無い。


馬立で、またまた一服。
一服後立ち上がると、足はやるせない疲れで動きが超鈍くなっていた。

傾斜の緩んだモッコ平を行くが、スピードは上がらない。笹が深く、木の根や段差に引っ
かかり、ヨタヨタと歩く。

再びツツジが咲き乱れ、標高が下がったことを知る。

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笹に埋もれかかった石仏に何故か感動する。

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唐松の新緑が美しかった。

尾根の両側から沢音が聞こえ出すと若子(じゃっこ)神社・寂光滝に着いた。寂光滝を拝み、車道をトボトボと田母沢に下る。

西参道を疲れきりボーっと登って、何故か東照宮へ迷い込む。意識朦朧。
二荒山神社の駐車場に座り込み、残ったジュースを飲み干す。


体力測定の結果、ほぼ従来どおりの体力であることが判明。
喜んでよいのか、悲しむべきか。

今日は、朝から曇天。
昔の山の写真などを見ていた。


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立山 テント場に向かう。

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立山 時には大雪で足止めを食らうときもある。雪下ろしを終えた後は、トランプに興じる。

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立山 翌日は別山乗越しへ。剣岳が美しく迎えてくれる。


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立山 御山谷を下る。これまでのスキーで最も至福の滑りだった。

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立山 真砂谷を下る。

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立山 真砂沢・剣沢出会いにて。極楽の滑りも、剣沢出会より1000mの上り返しで別山乗越しへ戻る。


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八甲田 箒場岱コースを滑る。おいらの山スキーの原点。

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八甲田 南八甲田横岳付近より北八甲田を望む。八甲田横岳はすばらしいブナの林間滑降が楽しめた。沖上岱の集落より登った。

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八甲田 北八甲田より櫛が峰を望む。櫛が峰へは睡蓮沼の他、横岳からも行ける。横岳からのコースには人はいない。


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岩木山 弥生コース。大黒沢の源頭部はこれまで見た斜面の中で最も大きかった。仲間の一人は日本一大きな斜滑降・キックターンで降りてきた。

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岩木山 山麓の桜林公園は絶好のキャンプ地。桜と岩木山が美しい。ここをベースに長平コースなどにも出かけた。

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鳥海山 鳥海山の山頂付近はガリガリの急斜面。次いでモナカ、ザラメ、ドグサレと雪質がめまぐるしく変わった。大満足で下山後祓川ヒュッテ付近より山頂を振り返る。

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裏岩手連峰 三石山付近より岩手山を望む。この年は雪が少なく、下部で藪に苦しんだ。
小粒な滑りだったが、天気に恵まれ、八幡平周辺を徘徊した。

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秋田駒ケ岳 道に迷い夕方近くにようやく女目岳に到着。バテバテで帰還とあいなった。

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森吉山 山頂近くの小屋をでるとガスっていた。登りシュプールが消えないうちにあわてて下山。

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会津駒ケ岳 通称アイコ。仲間に置いていかれる。帰りも重い雪に悩まされる。いつも人を悩ませる。でも美しいのだ。


そろそろ写真の容量が一杯のようなのでこの辺で終わりにします。

山行日:2009.5.9
目的地:中禅寺湖~鳴虫山
コース:出遅れのため、日足トンネル(9:45)~細尾峠(10:30)~(11:10)薬師岳(11:25)~(12:30)丸山(13:20)~大木戸山(13:45)~三の宿山(14:15)1158m峰(15:00)~滝ヶ原峠(16:00敗走)~ヤシオの湯~丹勢バス停(17:00)


最近、なぜか三峰五禅頂に心を引かれる。特に夏峰に惹かれる。日光フリークで歴史好きな人ならば気に留まる文字だろう。
三峰五禅頂をインターネットで調べると、平安時代または鎌倉時代に成立した回峰修行のようだ。

三峰五禅頂回峰コース 
華供峰(春峰):古峰ヶ原~深山宿~薬師岳~細尾峠~歌ヶ浜~諸堂参詣
夏峰:神橋~大谷川南岸の峰~歌ヶ浜~黒桧岳~千手ヶ浜~宿堂坊山~錫ヶ岳~
   白根山~温泉ヶ岳~(不明)~日光表連峰~女峰山~神橋
惣禅頂(秋峰):行者堂~女峰山・小真名・大真名・男体山~中禅寺湖~山内
冬峰:四本龍寺~深山宿~薬師岳~滝ヶ原峠~鳴虫山~化星の宿~星の宿
 
(上記に間違え、思い違いがあるやもしれません)

全く宗教心に欠けているのだが、何故か心惹かれる。
夏峰の回峰コースは神橋起点の大谷川流域の(ほぼ)全山踏破であると推定される。
夏峰の回峰は遭難者が続出し、室町時代に停止されたようだ。尤もだ。

夏峰に惹かれたとは云え、おいらの実力ではとても踏破することは不可能だ。夏峰のルートで不明部分があるとしても夏峰を意図し踏破したというネット上の記録はまだ見出せていない。

前置きが長すぎる! 
そんな・こんなを朦朧と考えながら、今回のコースに出かけてみたのだが。

最寄駅で電車を待っていると、乗らなければ行けない快速電車が快音を轟かせて通過していった。
唖然として見送る。
春日部に出て次の快速電車を待つこと50分。早くも今日の目論見はついえた。

快速電車の中で今日のルート変更を考えた。中禅寺湖出発から、細尾峠出発に縮小しようと。三峰五禅頂どころでは無くなった。

日光の駅で足尾行きのバス乗り場に行くと、この時間のバスは無かった。タクシー乗り場に急行。
タクシーの運ちゃんイワク。「細尾峠には日足トンネルの向こう側からしか登れないよ」
「えっ、日光側からクルクルっと登れるでしょ」「いや、道が崩れてクルクルっと行けないんですよ」
「じゃぁ、しょうがないですねー」とトンネルをくぐり、旧国道に入った。その瞬間、バリケードが道を塞いでいるのが見えた。看板に‘人・自転車も通行止め’とあった。運ちゃんが申し訳なさそうな顔をした。修行不足なので渋り顔となり、料金を支払った。

ここから、細尾峠には人には言えないルートで登った。

細尾峠に喘ぎながら登り着くと、峠には車が満ち満ちていた。日光側からなら登れたのだ。修行不足のおいらは怒り心頭。

暑い。峠で水をカブ飲みしていると、オッサンが茶の木平からやって来た。小来川出身の人だった。この辺でいい所がないかと聞くと、「社山から黒桧岳」と答えた。おおっ!!同感だ!それにこのオッサン、おいらが若かりしころ使っていたザックを背負っていた。ボロボロのザック。波長が合う。薬師岳まで同行。
薬師岳の道は新緑でむせ返るようだ。


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ミツバツツジが咲き始めていた


登るに従い、新緑は勢いを減らしてきた。


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すると、アカヤシオの残骸が


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いや、ちらほらと


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けっこう咲いている


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いい感じで  


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薬師岳山頂に到着 男体山と女峰山


取り敢えず、アカヤシオを拝めた。今日の吉事!機嫌を直そう。華供峰と言いたい所だが、おいらは余りに俗物過ぎる。

ここでオッサンは古峰ヶ原に向かった。
おいらは丸山・鳴虫山に向かった。

二組ほどすれ違った。すごいコースを登ってきたなぁと思ったが、聞くと大木戸山ピストンだそうだ。


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薬師岳の下りでも、盛りを過ぎたとは云え咲いていた

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シロヤシオがポツラポツラと現れると丸山だった

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丸山はシロヤシオの蕾だらけ  咲いたら見事だろう


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目を凝らすと、山陰に日光白根山が見えた


遅い昼飯を食っていると、大木戸山から2名やって来た。「この辺でいいところはないか」と聞かれたので、即「社山~黒桧岳」と答えた。

腰を上げるとすでに足は重かった。疲れると写真を撮る時間が長くなる。

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名も知らぬ花を撮る  


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大木戸山を越えるとこれから辿る尾根が見える。


大木戸山の先で道が二分する。縦走路は左手に直角に曲がる。標識もなく迷いやすい所だが、左手にはより多くのテープが巻いてある。


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三の宿峠に降りつくと、石祠が ここに来るまでの間にも同形のものがいくつかあった
回峰の名残か?

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登り返すと三の宿山だ 長細い平坦な峰だ 


頂上直下にも平坦地があり、宿の名残かなぁなどと勝手に思いを馳せる。


さらに重くなった足を引きずり尾根道を進む。ここら辺りには誰もいない。


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1158m峰で細尾峠以来の標識に出会う


1158m峰から杉林が散見される。そういえば、今日はここまで全く杉林を見ていなかった。
急坂を下り、小峰を巻く。道が二分するが、左手に進む。道がやや不明瞭となる。大きめの石祠が現れ、この手前の踏み跡に沿い藪を少しこぎながら進むと滝ヶ原峠の車道に飛び出した。


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滝ヶ原峠 登山口に標識は無い  


滝ヶ原峠で鳴虫山の取り付きを捜すが見つからない。峠のサイドはコンクリートの法面となっている。うろうろと捜すが見つからない。法面の弱点部があるのでここを登ろうかなと取り付きかけると、一台の車が止まってこちらを見ている。やめよーかなぁ。
車が行き過ぎたので再び取り付こうとするとパトカーがやって来た。やめよーっ。
へなへなと座り込み水をカブ飲みした。


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車道下りを選択  女峰山を見ながら下る


丹勢バス停に着くと、30秒と待たずにバスがやって来た。
日光駅前のそば屋でビールを飲みながらオヤジが取って来たという山菜をつまんだ。
三峰五禅頂はいつしか脳裏から消えていた。











     

①尾瀬燧ケ岳
山行日:2009.5.2
目的地:尾瀬燧ケ岳
コース:御池(10:50)~燧ケ岳(14:20休)~御池(15:30)~御池田代

これまでGWは休みを目一杯使って極楽スキー登山をしてきたが、今年は諸般の事情により大幅縮小。断腸の思いが募るが、致し方ない。
燧ケ岳と大杉岳はセットで5月の中旬以降にスキー納めとして毎年登ってきた。かつて燧ケ岳は6月の3週目まで御池からスキーで往復できたこともあるくらい豪雪の山だった。今年はどうなのだろうか。

早朝に家を出発。佐野ICを過ぎると道は渋りがちとなる。栃木ICで完全に渋滞につかまった。予想されたこととは言え、気持ちはあせる。
たまらず鹿沼ICで高速を降り、121号線をたどる。杉並木の立派さに驚かされる。
かつて通った今市からの会津西街道の様変わりにも驚かされる。田島への道を分けるとさすがに車の量は減った。10:30に御池にようやく到着。雪の少なさに唖然とする。御池の駐車場の土手に笹が出ていたのだ。考えられない。

燧ケ岳に登るかどうか迷ったが、コースタイムを指で折ると遅くも16:00には下れそうなので出発することにする。準備をしていると、お一人に燧ケ岳の登山口を聞かれた。
「夏道は全く出ていないので、ここから9割の人が登っていますよ。」と答えた。聞くと、磁石は持参していないらしい。少し心配だが、スキーの跡を追えば大丈夫だろう。

雪が少ないとは言え、スタートからスキーで登れた。(当たり前だが、何年か後は心配)コースはスキーの跡だらけだ。すぐに急斜面となる。


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バテ気味で広沢田代に到着。正面の山を左手に巻けば幾分楽に熊沢田代に行ける。


当然、左に巻くが登りすぎた。熊沢田代へ下る。


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熊沢田代からの越後の山々。


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熊沢田代を振り返る。背後左手の山が大杉岳。その後に続く大津岐峠、会津駒の山々は山名同定できない。


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燧ケ岳の大斜面手前で休憩。おにぎり2個を食らう。次々に登山者が降りてくる。

大斜面に喘ぐ。午後の陽射しがきつすぎる。


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ようやく山頂に到着。尾瀬沼はかろうじて凍っているようだ。
遠く日光白根のドームが見える。残念ながら先々週行った温泉ヶ岳は確認できなかった。


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柴安クラと背後に至仏山。至仏の山の鼻コースはきわどく雪切れを免れている。


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平が岳と越後の山々。


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山頂を少し下ると、柴安クラが立派に見える。


シールを剥がしてここから大滑降。雪面はゲレンデ並みに荒れている。大斜面右手にコースを取りシュプールの無いコースを下る。喝采を叫び、あっという間に疎林地帯に。代償に苦しいトラバースを強いられ、一般ルートに戻る。
登り返しを避け、東田代よりに滑り込み、再びトラバースし正規ルートに戻る。樹林帯の急斜面となるがブッシュが無いので比較的滑り安い。
3:30を要した登りも、スキーの下りは早い。僅か30分の出来事だった。



燧ケ岳滑降の後は、これも定番となっている御池田代散策に出かけた。


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御池田代① 遅い春の訪れ。と言いたい所だが、ここでは早すぎる。

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御池田代②

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御池田代③

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御池田代④ 水芭蕉は「夏の思い出」ではなく、「早春の思い出」と感じているのはおいらだけだろうか。


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御池田代⑤ 田代の一番奥からは、今滑り降りてきた燧ケ岳がよく見えた。

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御池田代⑥ 


田代からは平が岳が大きくくっきり見えるのだが、本日は春霞に霞んでいた。残念。
誰も居ない御池田代をあとに、駐車場に戻る。すでにテントが幾張りも張られ宴会がもようされていた。
おいらは車の中で生暖かくなったビールを立て続けに2本飲んだ。



②大杉岳
山行日:2009.5.3
目的地:大杉岳
コース:御池(7:00)~大杉岳(8:30)~御池(10:10)


この時期御池の朝は寒い。
のそのそと起き出しトイレに向かう。ヒーター付きの公衆便所が嬉しい。
前日プリムスのガスコンロが火を噴き、朝飯は冷たいロールパンだけになってしまった。
薄雲が広がり体も重い。あまり気が進まないのだが、7:00に出発。夏道コースをやめて、御池ロッヂの向かいから小尾根に取り付いた。


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尾根はスーッと立ち上がったブナの林だ。奥武蔵や奥多摩のブナとは形が違う。


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いつしか黒木の森となり夏ルートと合流。振り返ると燧ケ岳が颯爽と見える。


波打つ尾根をひたすら登ると斜度が無くなり展望の無い大杉岳に到着。標識等は一切見えない。


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山頂から少し先に進むと、大津岐峠から会津駒(通称アイコマ、さらに略してアイコ:ちなみに秋田駒はアキコ:魚駒はエチコ 皆色っぽい)方面が見える。越後三山などもよく見えるのだが、本日はぼやけていた。向こうからオッサンがやってきた。鉄塔の手前から引き返してきたそうだ。随分早い。


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山頂の先には大きな雪堤があった。


眺めがよくないので、すぐに山頂に戻る。山頂には先ほどのオッサンが居た。ビールを強引に進められた。けっこうです。と言いながら、嫌いではないので頂いてしまった。
するともう一人やってきた。一週間位この界隈を滑りまくっているらしい。この方からも山人参とやらを頂いた。
少々長居をしたが、シールを剥がし滑降に移る。僅か15分の下りだった。


桧枝岐に戻り、「開山」で大盛りの裁ちソバを食う。

GWの山スキーとしては小粒であったが、体力的にもこの辺が限度なのかもしれないなぁ。と思い、納得して帰途に着いた。

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