昨日は雨。
今日も曇り。
今日も曇り。
埼玉の城廻りに行こう。
小倉城は有名な「コクラ」城ではなく、普通に「オグラ」城。
松山城は愛媛の松山城ではなく、埼玉県東松山市の「松山城」。
松山城は愛媛の松山城ではなく、埼玉県東松山市の「松山城」。
まずは、「埼玉県立嵐山史跡の博物館」で、「比企城館跡群」のパンフレットを入手。展示物で小倉城と松山城の位置を頭に叩き込む。
お気に入りの「男衾三朗絵詞」を2回見て博物館を出る。
お気に入りの「男衾三朗絵詞」を2回見て博物館を出る。
博物館からそれほど遠くない小倉城に向かうが、なかなか見つからない。
小さな入り口標識は、三角点の標石程度のものだった。細いが、舗装された山道を上がると二個目の「小倉城跡入り口」看板があった。
小さな入り口標識は、三角点の標石程度のものだった。細いが、舗装された山道を上がると二個目の「小倉城跡入り口」看板があった。

薄暗い、杉林の中に道がある。

少し歩くと、分岐があり3つ目の「小倉城跡入り口」の石柱があった。反対側は「青山城」となっていた。
ここから道は急になる。雨が降ってきた。なにやら糸を垂らしてぶら下がるイモ虫君がワンさといる。糸が顔に引っかかる。今日は誰も来ていないようだ。
少し登るとすぐにソレと分かる堀跡や土塁のたぐいが見える。
平坦地に出ると二郭と表示されていた。
平坦地に出ると二郭と表示されていた。

尾根上に沿って踏み跡を辿ると本郭であった。石板と案内板があった。

さらに進むと、北虎口。中世城郭としてはめずらしい石積みである。
さらに進む。尾根上にまだまだ城郭跡が続くが案内板等は無い。両サイドから川の音が聞こえる。三方を槻川に囲まれた城だった。予想外に大きな城だ。
適当な所で引き返す。
適当な所で引き返す。

舗装道路から小倉城付近を見る。
下の県道を走っていると、再び「小倉城跡入り口」の石標が目に飛び込んできた。

お寺の裏山が小倉城だった。案内板は「遠山氏」の城説だった。
「上田氏」説もあるようだ。比企丘陵城郭群の歴史は未解明の部分が多いようだ。
せっかくなので、傘をさし寺の裏手から再び城に登った。

こちらの斜面はキツイので、城の核心部が近づくと、土の城壁が覆い被さるように迫力がある。
また、あちこち歩き回る。

石積みの城壁を見つけた。

なんとなく、城跡っぽい所。
などを写真に撮り、山を下った。
松山城に向かう。
松山城の下に着いたが、車を止めるところが無い。
吉見百穴の駐車場に駐車する。
吉見百穴の駐車場に駐車する。

傘をさして登る。登り出すとドシャ降りとなった。

中世の城跡らしい堀切が縦横に走る。
しかし、雨が激しすぎる。
本郭跡でたたずむことも無く、城を下る。本当はこちらがメインだったのだが、ドシャ降りではしょうがない。
あきらめが早いのが、おいらの特徴。
また、来よう。
本郭跡でたたずむことも無く、城を下る。本当はこちらがメインだったのだが、ドシャ降りではしょうがない。
あきらめが早いのが、おいらの特徴。
また、来よう。

松山城に寄り添うように立つ岩室観音堂は、城よりもはるかに歴史が古い。歴代城主も信仰したという。
脇を通り、吉見百穴に戻る。
観光食堂で遅い昼飯を食う。
食堂を出ると以外にも雨はあがっていたが、吉見百穴に寄ることも無く帰路に着いた。
食堂を出ると以外にも雨はあがっていたが、吉見百穴に寄ることも無く帰路に着いた。
比企城郭群は、なかなか立派な中世城郭が良く残されている。ハリボテ的・コンクリート的施設が一切無いのが、好ましい。
しかし、夏はよそう。イモ虫君が、厳しいから。
しかし、夏はよそう。イモ虫君が、厳しいから。