2009年02月

山行日:2002.2.24
目的地:三十人ヶ仙
コース:国道482号線遠藤付近~新しい根知川林道~無名の峠~三十人ヶ仙 往復


昨日は、オーさんにゲレンデスキーをお誘いいただき、強風の中スキーを楽しみました。
本日は、朝起きると、足に鉛をつけたようで、ハイキングはお休みです。


そこで、かつて痛い目にあった三十人ヶ仙を紹介させていただきます。



三十人ヶ仙は、「岡山の山百選」平成8年度版で、星☆☆です。この本の星☆☆は相当手ごわいと思って間違いないと思います。
前年6月にガイドに従い入山しましたが、猛烈な根曲がり竹に埋没し敗走しました。敗走時にルートを失い山腹を上下し、やっとの思いで帰着したと言う次第です。

そんな三十人ヶ仙を確実に登ろうと、根知川林道からのルートを考えました。上斎原村や加茂町の役場に連絡を入れ、除雪状況などを確認しましたが、除雪は行われていないようでした。そこで、旧上斎原村の遠藤から歩くことにしました。


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遠藤集落の最奥民家の前で除雪は終わっていました。道が細く駐車スペースを確保できないので、国道482号線に戻り、新しい根知川林道入り口に回りました。林道入り口にスペースがあり、ここに車を止めました。林道は全く除雪されていません。天気は小雪。

アイスバーンの林道を延々とスキーで歩きます。やがて雪は濃密になり、アイスバーンからラッセルにと変わっていきました。

加茂町との境の峠(峠名は不明)から道の無い尾根を辿ります。取り付きは左の杉林との境を進みます。忠実に尾根上を辿ります。雪が激しく視界が利かないので地図とコンパスで方向を定めます。尾根は複雑に屈曲します。自然林の美しい尾根です。
途中尾根が途切れますが、右手の尾根に乗り換えます。乗り換えた尾根の頂に赤布をしばったポールを突き刺しました。帰りの道標です。
やがて、木の無い広い雪原に出ます。正面にブナの森が見えました。ここを登り、もう一段登るとピークに出ました。


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標識は見当たりません。赤と黄色のテープが木に巻きつけてありました。高度計を確認すると1175mを示していました。

猛烈な雪ツブテが顔面を叩きます。視界が悪く周りの様子はよく分かりませんでしたが、ここを三十人ヶ仙山頂として納得しよう。そう決めて、シールをはずしました。

雪原まで、一気にスキーを滑らせました。

尾根に復帰します。ツボ足では登れず再びシールを着けました。途中、目印のポールを回収。結局無名の峠までシールで歩きました。

峠の杉林で一息入れ、スキーを滑らします。国道が近づくとなんと除雪が行われていました。すでに再び雪が積もり始めているので、滑るのに問題はありません。

除雪された林道にはキャンピングカーが入り込み、雪上のバーベキューが行われていました。キャンピングカーの人に声をかけられ、感心されてしまいました。

国道に戻ると、ダンプとオッサンがいました。オッサンは地元の材木屋の人でした。なんでも、岡山の幼稚園に雪を届けるのだそうです。除雪の原因はこれだったのです。オッサンを励まし、帰路に着きました。

山行日:2009.2.15
目的地:関八州見晴台より行ける所まで。できれば粥新田(かいにだ)峠まで
コース:黒山(7:40)~天狗滝(8:00)~男滝・女滝(8:10)~花立松峠(9:00休)~(9:30)関八州見晴台(9:45)~飯森峠(10:10)~ブナ峠(10:30)~ツツジ山879.1m峰(11:00)~(11:15)刈場坂峠(11:50)~カバ岳(12:20)~大野峠(12:35)~丸山分岐(12:45)~白石峠(13:20休)~川木沢の頭(13:45)~定峰峠(14:30休)~旧定峰峠(15:10休)~経塚(15:40休)~皆谷(16:15)

昨日に続き、今日の朝も異常に暖かい。日光へスキー登山に行きたかったが、あまりの気温の高さに臆して、奥武蔵へ向かう。

関八州から、できれば粥新田(カイニダ)峠まで行こう。粥新田峠とは変わった名前だ。由来は「(お)粥(を)煮た峠」だそうだ。はたして粥新田峠で、お粥を煮ることはできるのだろうか。まず無理だろうと、思いつつ、出かけた。

黒山三滝は、かなりショボイ滝とのウワサを耳にする。


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意外と立派な天狗滝。

男滝・女滝を巡り、時間を消費する。

山道に入るが、すぐに林道となる。再び山道に入る。


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杉林の中、シダの下ばえが美しい。奥武蔵二列目、三列目では見られない光景だ。


再び、林道に飛び出すと花立松峠だ。早くもへたりこんでいると、高山不動の方から、ビシット決まった登山家が大またで歩いてきた。おいらのクスンだズボンとシャツとは大違いだ。

先月見過ごした関八州への山道を見つけ、ここを辿る。チェーンソーのオッサンが煎餅をバリバリと食っている。「一番乗りだよ~。」と明るく声をかけられた。「日曜日なのに大変ですねー。」と返答すると、嬉しそうに笑ってくれた。

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明るい、関八州見晴らし台に着いたが。


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関八州の展望は、以外にもよくなかった。関東平野は黄色くクスみ、北関東の山は全く見えなかった。驚くことに、都県境の山々からは、見事に雪が消えていた。

刈場坂峠へは車道を避け、なるべく山道を歩いたが、次第にバイクの騒音が激しくなってきた。

刈場坂峠には、ハイカーと同数以上のドライバーとバイクツアラーがいた。
それにしても、雪は見当たらない。異常な暑さを覚える。おいら愛用の山と渓谷社刊「昭和52年度版アルパインガイド奥多摩・奥武蔵・陣場高原」には、かつて刈場坂峠にスキー場があったとの記述がある。とても信じられない。

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これから越える川木沢の頭がよく見える。この近辺にスキー場があったとは!

ここで昼飯となった。とても「お粥煮た峠」までは行けそうも無い。兎に角暑い。


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刈場坂峠からも舗装道を避け山道を行くが、両サイドからモーター音が絶えなくなる。美しい尾根もだいなしだ。


カバ岳を越えると車道の大野峠だ。再び山道に入り急登すると広々とした無名峰だ。ここではハングライターの方たちが悪戦苦闘していた。風が舞っているのか、いくら飛び立とうとしても飛べないで居る。「今日は山バッカのぼってんじゃねーかよー」との悲痛な叫びが。
ここから丸山分岐はすぐだ。多くのハイカーは丸山に向かうようだ。
やがて、車道となり、白石峠まで延々と続く。

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白石峠からは笠山が見えた。笠山から来たと言うグループが、バスの時刻の話をしていた。おいらの調べたバスの時刻と違うではないか。会話に割り込んで話を聞くと、「よくバスの時刻が変わるからねぇー。」とおっしゃる。
そしておいらが川木沢の頭へ行くと言うと、意味深な言葉が。「大変だねー。」「大丈夫、大丈夫。」「私たちは車道を行くわ。」なにか、問題があるのだろうか。


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グループの人たちが意味深に言っていたのは、おそらくこの階段の事だったのだろう。
恐るべき、階段。

階段を登り切ると、おいらの太ももは悲鳴をあげていた。172段。
172段の代償は、金網の張り巡らされたアンテナの林立する山頂だった。


定峰峠はバイクの溜まり場だった。そこを避け、少し山道に入り休憩した。二本目のジュースが空になった。


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途中にあった獅子岩。見えなくも無い。


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そして、旧定峰峠に到着。粥新田峠にはとても届かない。ここから経塚へ下ろう。そして、ビールを飲もう。ビール、ビール。ビールが頭から離れなくなった。

経塚のバス停付近には、ジュースの自販機のみ。皆谷の集落まで行けば酒屋はあるだろう。皆谷まで歩こう。


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経塚付近の畑と祠と水仙。 


皆谷バス停まで酒屋は無かった。バス停のベンチの下に真新しいビールの空き缶が転がっていた。酒屋は近くにあると確信した。さらに進むと、錆付いたビールの自販機をついに見つけた。財布を開けると小銭はわずかばかり。ぎりぎりで240円の350ccを手に入れた。
バス停に戻り、空を見ながらグビリとノドを鳴らす。2月の山里で。

山行日:2000~2002年の2月~4月 何回か行った。
コース:奥大山スキー場~鍵掛峠手前夏山入り口~キリン峠の南の尾根~キリン峠


昨晩、天気図を見ると大風が吹きそうなので山に行くのはやめました。
今、自宅付近は風も無く穏やかに晴れ渡っています。
山はどうなっているのだろう。

そんな訳で、今日はかつてよく行った大山の衛星峰キリン峠を紹介させていただきます。


初めてキリン峠に行ったのは、2000年3月18日でした。家を出るときは、鳥越峠から駒鳥小屋に下り、地獄谷を危なくない所まで詰めてみようと思っていました。

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大平原の駐車場から除雪された車道を鍵掛峠方面に歩きだす。途中より道脇の雪を拾いながらシールで歩きました。鍵掛峠手前の夏道の道標から鳥越峠に向かいます。夏道はすぐに見失いましたが、左手の尾根を意識しながら緩い森の雪原を進みます。樹間が広くどこでも登れます。
文殊越の別れを左に分け少し進むと、左手にすばらしいブナの森がありました。地図をみると、どうやらこの森からキリン峠に登れそうなので、予定を変更して誘い込まれるようにブナの森に入りました。
ブナの森は広大な台地状で、傾斜が緩く自由に歩けます。やがて広い台地状の斜面は一つの尾根に収斂します。ここからは進路を尾根上に採りました。
尾根が狭くなり、傾斜が少し強くなってきました。しばらく進むと、一人のキャンパーがいました。ここに、スキーをデポし、ツボ足で登りました。
キリン峠直下は股までズボズボもぐり大汗を掻かされましたが、なんとか展望の良いキリン峠に到着しました。


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キリン峠山頂からは、槍尾根がよく見えました。凄まじい雪庇です。


雪に足を取られながらスキーデポ地へ下ります。キャンパーはまだ居ました。スキーでの下山を羨ましがられました。スキーを着け細い尾根をプルークで下ります(汗)。ブナの森に入ると広い樹間を自由に滑れます。思わず喝采を叫ばずには居られません。こんな斜面はアット言う間に滑りきってしまいます。
文殊越の別れからもスキーは滑ります。木谷に近づき過ぎると後で苦労します。右手に見える尾根を意識して下ると、車道に下り着きました。


ブナの森の写真が無いのが残念で仕方ありません。あれほど行ったのに、一枚も残っていないなんて。

キリン峠の南の尾根を少し下った所から西側の谷に下ることもできます。ルートも迷うような所はありませんでした。

山行日:2002.3.3
コース:北斗窯(7:40)~尾根取り付き(8:50)~県境(10:00)~金ヶ谷山(10:30)~11:50朝鍋鷲ヶ山(12:50)~北斗窯(13:45)


「岡山の山百選」に出ていた本コースを1/25000図で確認すると、林道から金ヶ谷山まで登山道が記されていなかった。これはマズイと思い、雪が降ってから出かけた。

道をはさんで北斗窯の対面には「あじわいの宿新庄」があり、ここの駐車スペースをお借りした。
着替えなどしていると、オッサンが現れ、「こんな所でスキーができるのかい」と岡山弁で聞かれた。「チョット山に登ろうかと思いまして」と答えると、いぶかしげな顔をした。オッサンは釣り人で、3月1日の解禁日にあわせて「あじわいの宿新庄」に宿泊しているのだという。「あじわいの宿新庄」の豪華な食事の話をしてくれた。
おいらが出発すると、「おーい。」と声をかけ、釣竿を立てた。その先の銀色に輝く魚をを見せた。「なんの魚ですか」と聞くと、「岩魚だよ。」と嬉しそうに声を上げた。

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道を渡り、北斗窯の脇から林道に入る。すぐに雪道となり、スキーを着ける。地図に無い林道が現れるが、意外にも「金ヶ谷山」の標識があり迷うことは無い。しかし、目指す尾根の末端には標識は無く、やはり道の無いルートなのであろうか。
下部はややブッシュが目立ったが、樹間がそこそこ有り、緩やかなので上りやすい。


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やがて、右手に金ヶ谷山が見えてきた。


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尾根は細身のブナが目立つ。


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取り付きから1時間少々で県境の主稜線に飛び出した。稜線上は標識が完備されていた。


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そして、すばらしい霧氷の尾根道となった。


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潅木を抜けると金ヶ谷山に着いた。山頂はとても静かだった。


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南西に白い頭の毛無山が見えた。

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シールをはずし、フカフカの新雪を滑る。


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ブナの大木の広い樹間を気持ちよく滑る。


しかし、そんな滑りは長くは続かない。ブナ林の尾根は直線的に続くが、朝鍋鷲ヶ山へは、左手に進路をとる。鞍部でシールを着け再び登る。尾根が広くなり潅木帯を抜けると、送電線がある。折りしも、ばさばさと氷が落ちてくる。タイミングを見計らって、送電線をくぐると、すぐに広々とした朝鍋鷲ヶ山に着いた。大きな展望台に登る。眺望を楽しむが、寒くてすぐに降りる。風当たりの弱い林の影でカップヌードルを食う。
帰路は林道を忠実に下った。ガチガチの氷とひなたのド腐れ雪に苦労し、県道に出る。県道も雪に覆われ滑る。野土路の名水付近で除雪となるが、道路脇に残った雪や山腹をスケーティングで凌ぐ。結局、北斗窯までスキーに乗れた。

金ヶ谷山は山スキー向きの静かな山でした。

山行日:2009.2.7
目的地:温泉ヶ岳を変更し金精トンネル入り口
コース:湯元温泉(9:00)~湯元源泉~国道120号線~(11:00)金精トンネル入り口(11:30)~湯元温泉(12:00)


ブログ記事にあった温泉ヶ岳に行こう。
早起きに成功し、今年初めてのスキー登山に勇んで出発。まだ暗い中自宅を出る。
日光・宇都宮有料道路に入ると、男体山、女峰山が朝焼けに輝いている。サイサキ良いではないか!


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思わず、日光沢Pに入り一枚。


いろは坂に雪は無し。中禅寺湖北岸も雪は無し。戦場ヶ原は枯れ草が頭を出していた。

湯元の駐車場で準備する。ストックの長さ調整をしようとしたら、締まらない。何度やっても締まらない。具合のよいほうのストックを引き抜き、構造を確かめる。ところが、今度は具合のよいほうまで締まらなくなる。何度も試行錯誤を繰り返し、ようやく締まった。同じ方法で悪いほうのストックを締めると何度目かにうまく締まった。かれこれ一時間以上の悪戦だった。
ようやく9時にスタート。

スキーを担ぎ、源泉へ。源泉脇の登山道へ入ると雪が現れ、スキーを着ける。ようやく楽に歩けるようになる。ところが、片方のストックがいきなり短くなった。どうしても長くならない。そうこうしている内、お二人に抜かれた。短いストックのまま、国道120号線へ出る。ここで再びストックを長くしようと苦闘するが、長くなることは無かった。

最近は良く登山用具が壊れる。おととしはリュックの留め用のプラスチックがいきなり半分以上割れた。去年は登行中にシールが切れた。今年は、ガスバーナのノズル下からガスが漏れる。ビブラム底を2回張り替えた皮の登山靴は最近収縮したようで、履くたびに親指が紫色に変色する。(だから皮の登山靴はなるべく履きたくない。)

3流(いや最低)のスキーヤーのおいらは、こんなストックでは温泉ヶ岳の急斜面は登れるはずが無い。
思案のはてに、目的地を金精峠トンネル入り口に変更した。天気はいいが仕方がない。雪の積もった国道を歩く分には最低スキーヤーのおいらでも何とかなるだろう。帰りは小人ウェーデルンはできないので、小人プルークボーゲンで何とか凌ごう。

ほんの少し歩くと、温泉ヶ岳の取り付きだ。試しに少し登ってみたが、とてもこのストックで登れるような所ではなかった。すぐに国道に戻る。

スノーシューの足跡が入り乱れた国道を緩く登る。風が強くなり地吹雪状態になることもあるが、朝あった雲は吹き飛び、青一色だ。

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右は金精山。左は五色岳か。  国道をゆるゆると登る。


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振り返ると湯ノ湖が見えた。


やがて、スノーシューの跡は無くなった。


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動物の足跡を追うようにゆるゆると登る。


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金精山が近づいてきた。金精様は金精峠から見た方が、形状的に金精様らしく見える?


わずか2時間の登りで金精トンネル入り口に到着。

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トンネル入り口は板っぺりか何かで塞がれていた。群馬側に行ってみたかったのに残念。


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金精峠からの男体山。ここからは、噴火口跡らしきものが見える。


トンネル入り口から、金精山に向かって小尾根があったので、登ってみた。しかし、すぐに尾根は細くなり登行困難になったので、本日はここまでとする。

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本日最高到達点にて。  長さの違うストックが憎い。

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最高到達点からの金精様。 少々形状が金精様らしくなった。


下を見ると人が居た。
おいらは、おもむろにシールをはずし滑降に移った。と、思いきや、尾根から転げ落ちた。カッコ悪。幸い4~5mの小尾根だったので事なきを得た。とは言え、本格的なところでこんな事してたら、と思うとゾットする。おいらも歳かなぁ。もともと、最低スキーヤーなのだから、最低スキーヤーとしての自覚を持たなければと反省した。

そんな訳で、コッパズカシイので、トンネル入り口に居た人には頭をチョコット下げてそのまま国道を滑り降りた。

スノーシェッドを過ぎると、国道下の森の中を登ってくる人が居た。ルートがあるかなぁと思い、国道下の森へ入ってみた。あった、あった。切り開きがあり、登山者の足跡が入り乱れている。ここを下る。緩斜面にもかかわらずスキーがよく滑るので、少々ルートをはずしフカフカのバージンスノーに突っ込む。最低スキーヤーでも小回りができるウレシイコースだ。(なにも、あえて小回りなどする必要も無い斜面なのだが。最低スキーヤーの悲しいサガで小回りする。)



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すると、白根山を示す標識に出会った。


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さらに、⑦番標識が。湯元から来るときは、この標識から小道の切り開きに入れば良いのか。

すぐに宿舎などが現れ、湯元の温泉街に出た。
ちょうど12:00だった。


不完全燃焼だったが、金精様の雪景色が間近で見られたのは幸いだった。


時間が早かったので、写真を撮りながら帰路に着いた。


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湯ノ湖畔より、金精様。

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光徳のミズナラ

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太郎山

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大真名・小真名

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男体山

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