行った日:2018.9.9
コース;東武日光線栃木駅=ふれあいバス=皆川郵便局前バス停(8:30)~皆川城(法螺貝城)~金剛寺(皆川氏菩提寺)~県道栃木田沼線(10:10)~琴平神社入り口~琴平神社(11;30)~県道・栃木田沼線(11:50)~東武佐野線葛生駅(12;45)
コース;東武日光線栃木駅=ふれあいバス=皆川郵便局前バス停(8:30)~皆川城(法螺貝城)~金剛寺(皆川氏菩提寺)~県道栃木田沼線(10:10)~琴平神社入り口~琴平神社(11;30)~県道・栃木田沼線(11:50)~東武佐野線葛生駅(12;45)
皆川城は遺構状態もよく、一風変わった城跡との事で行きたい城の一つであった。
城主皆川氏もまた、周辺の実力者小山氏、結城氏、佐野氏などと同じく藤原秀郷流の一族であった。皆川氏の歴史は、宇都宮氏の内訌、古河公方と上杉氏の対立、山内上杉の内部抗争、山内・扇谷の対立、後北条氏の侵攻、等々の混乱に翻弄された歴史が綴られている。
城主皆川氏もまた、周辺の実力者小山氏、結城氏、佐野氏などと同じく藤原秀郷流の一族であった。皆川氏の歴史は、宇都宮氏の内訌、古河公方と上杉氏の対立、山内上杉の内部抗争、山内・扇谷の対立、後北条氏の侵攻、等々の混乱に翻弄された歴史が綴られている。
栃木駅南口より「ふれあいバス・皆川樋ノ口線」のマイクロバスに乗った。乗ったのは俺だけ。運転手に何処まで行くのか聞かれたので、「皆川中学校」と言うと、「200円だよ」との事。念のため「城跡は皆川中学校でいいのですか?」と聞くと、「城跡ならば、皆川郵便局のほうがいいよ」とのご返事。その後、城跡までの道順のレクチャーを受けた。

皆川公民館前より皆川城を見上げる。
公民館前の便所でクソをして、城に登る。



いきなり現れた竪掘り。かなりの規模で圧倒される。
草刈り機の音がけたたましい。かなりの大人数で草刈が行われていた。城跡保存会の皆様との事。ありがたいこってす。
道が山の斜面を廻り込むように着けられていた。緩傾斜の道を選択しながら登った。

西の丸。

あれが、本郭であろう。

本郭下にて。

本郭より、大平山~晃石山。大平山城も皆川氏の持城との事。

本郭の櫓に登って。左右の谷戸地は、あまりにも中世的。左は佐野。右は葛生に通じる。城の斜面には法螺貝城の異名となった段々の腰郭?帯郭?が連続している。
櫓から降りると、草刈り機を背負った城跡保存会の方々がやってきて山城談義となった。西方城を推薦して頂いた。俺は、嵐山町杉山城を推薦しておいた。長話となった。

凄い急斜面と腰郭。

土塁と帯郭。

虎口。
中世城郭跡としては、すばらしい遺構の状態であった。城跡保存会の皆様に感謝です。

皆川城下の金剛寺。皆川氏当主の全てのお墓があるという。
ここから県道栃木田沼線に出て、

皆川城を振り返る。

何故か晴れてきやがった。奥の山を越えねばならぬ。
吹きだす汗を拭き拭き、ひたすら歩く。
両側に山が迫りはじめると、サーキット場があるらしく激しいエンジン音が聞こえだした。
左手に「琴平神社→」が現れ、石段の道に入る。ここから琴平神社まで約200mの標高差。石段が尽きると、ムキ出しの赤土の急斜面となる。倒木多し。蜘蛛の巣多し。恐ろしいほどの汗が噴き出す。

再び、超急斜面の石段。これを登りきると、

琴平神社に到着。栃木市と佐野市の境界尾根かな。
明治時代の絵を見ると、かなりの賑わいがあったようだが、今は誰も居ない。この神社、博打の神様だそうで、その筋の方はとうぞ。

神社の裏から葛生側。葛生らしい風景ではある。
神社の裏手から歩きやすい道が続いていた。一旦下って登り返すと鉄塔のあるピークに達した。そこから平坦な尾根筋を歩くと、再び県道栃木田沼線に出た。ここからクネクネの県道を延々と葛生の町に向かって下った。
葛生駅前のラーメン屋で冷やしラーメン大盛りを掻き込んで、館林行きの電車に飛び乗った。
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