行った日:2018.8.13
コース:関東鉄道常総線騰波ノ江(とばのえ)駅(10:00)~関城~大宝城~下妻城(多賀谷城)~常総線下妻駅=汽車=守谷駅~守谷城~守谷駅(16:00)
コース:関東鉄道常総線騰波ノ江(とばのえ)駅(10:00)~関城~大宝城~下妻城(多賀谷城)~常総線下妻駅=汽車=守谷駅~守谷城~守谷駅(16:00)
どうも天気の様子が芳しくない。山小屋の予約をキャンセルし、城見物にでかけた。
関東鉄道常総線の1両編成の汽車に乗り、騰波ノ江駅で降りた。
梨畑が続く道を歩くと、
梨畑が続く道を歩くと、

関城(国指定史跡)を望む。
関城は低地に囲まれた台地上にあった。低地にはかつて大宝沼が水を湛えていたらしい。

関城。

関城。

関宗祐のお墓。南朝方として北畠親房を迎え入れた。約二年の籠城(1343)に耐えるも落城。

関城。土塁跡。

坑道跡。攻城軍高師冬が城内を目指して掘らせたと伝わる。
城内は民家などが多く進出していた。低湿地の中の微高地と言う事で、昔も今も住むのには適した場所なのだろう。関城跡は、城内よりも遠望がいいのかもしれない。
関城北側から糸繰川に出て、南下。大宝城を目指す。草いきれの強烈な糸繰川の土手上を歩く。この頃よりギンギラギン。日陰はない。
左手に木陰を見つけ糸繰川を離れる。水をガブ飲みして、煙を吹かす。
腰を上げて少しだけ進むと、そこがこれまた国指定史跡の大宝城の一角だった。
左手に木陰を見つけ糸繰川を離れる。水をガブ飲みして、煙を吹かす。
腰を上げて少しだけ進むと、そこがこれまた国指定史跡の大宝城の一角だった。

大宝城搦手口。

大宝城土塁?切岸?

大宝城内大宝八幡宮。平安末期には存在が確認される。
大宝八幡宮があり、そこを城郭化したものと思われる。

大宝城。南北朝期、関城と連携し反足利勢力として南朝の拠点となる。
後年、室町期には結城氏家臣の多賀谷氏が領有。
大宝八幡宮に現存する梵鐘は武蔵国崎西郡渋江郷平林寺のために鋳造されたものと伝わる。多賀谷氏の御先祖は、埼玉郡多賀谷郷。野与党の道智氏から出ているとも言われる。渋江郷も野与党の領域であり、何か関連があるような気がする。ムフフフッ・・・。
大宝八幡宮に現存する梵鐘は武蔵国崎西郡渋江郷平林寺のために鋳造されたものと伝わる。多賀谷氏の御先祖は、埼玉郡多賀谷郷。野与党の道智氏から出ているとも言われる。渋江郷も野与党の領域であり、何か関連があるような気がする。ムフフフッ・・・。

大宝城南側の土塁。

大宝城南側の土塁。城内には小学校、幼稚園、保育園の他、民家多数あり。
大宝八幡宮参道脇の土産屋で、ラーメンを食い、お冷のガブ飲み。店員が話しかけてきたので、関城から歩いてきたと言うと、「大宝城関連要図」という印刷物を手渡された。
さて、お次は下妻城(多賀谷城)じゃ。
あまりの暑さに、途中でアイスクリームを購入。なれないものを食ったら腹が痛くなった。
あまりの暑さに、途中でアイスクリームを購入。なれないものを食ったら腹が痛くなった。

下妻城。(多賀谷城祉公園。)

石碑には多賀谷氏。

下妻城・多賀谷城の最盛期は、とんでもなく広かった。
下妻城は多賀谷氏により1460年頃に築城され、暫時拡張。16世紀末期には南北2.5km東西1.5kmに及ぶ広大な城域となった。残念ながら現在は、都市の中小規模の公園の中に「多賀谷氏」が石碑に顕彰されているにとどまる。街中を歩けば、土塁や掘り跡が残存するようだが、そこまではねぇ~。
多賀谷城址公園から、関東鉄道常総線下妻駅は近かった。
下妻駅から汽車に乗り守谷駅に向かった。
守谷駅で下車。ここは「つくばエクスプレス」が開通してから急速にに発展した街だ。駅頭には「2017住み心地日本一」の横断幕がかかっていた。しかし、歩く者には、決して歩きやすい所では無かった。完全に車社会のための街づくり。
駅から守谷城を目指すも、迷い気味。もともと守谷城の位置もハッキリしていなかったし、守谷城を案内するものもない。ただ、森林公園のそばという情報だけがたよりだった。
つくばエクスプレスの高架下を北上。人影は無い。やっとみつけた親子連れに「森林公園」を聞くと、この道を真っ直ぐいけばいいと言う。しめしめと思うも、すぐに行き止まり。う~ん困った。勘で右に進んで左へ。こんな時に雨が降ってきやがった。それもとびきりの豪雨が。雷も鳴っている。近くの橋下に避難。遠くには薄い青空も見えるので、煙を吹かせていた。15分も橋下にいると、小降りになってきたので再出発。
ふと、左手を見ると、小高い森が見えた。おおっ、森林公園か!森に入ると公園化した森だった。勘で右に進むと若者がこちらに歩いてくるので、「守谷城は知りませんか」と聞くと、「知りません」との事。う~ん、まずいねぇ。所が、そこから1分も進むと、森が終わって駐車場があって、「守谷城」とあった。
つくばエクスプレスの高架下を北上。人影は無い。やっとみつけた親子連れに「森林公園」を聞くと、この道を真っ直ぐいけばいいと言う。しめしめと思うも、すぐに行き止まり。う~ん困った。勘で右に進んで左へ。こんな時に雨が降ってきやがった。それもとびきりの豪雨が。雷も鳴っている。近くの橋下に避難。遠くには薄い青空も見えるので、煙を吹かせていた。15分も橋下にいると、小降りになってきたので再出発。
ふと、左手を見ると、小高い森が見えた。おおっ、森林公園か!森に入ると公園化した森だった。勘で右に進むと若者がこちらに歩いてくるので、「守谷城は知りませんか」と聞くと、「知りません」との事。う~ん、まずいねぇ。所が、そこから1分も進むと、森が終わって駐車場があって、「守谷城」とあった。

いきなり現れた守谷城の案内板。

守谷城。

守谷城中心部の平場。

守谷城。堀切か?

守谷城。
守谷城の成立期は不明だが、下総千葉氏の一族相馬氏の城と考えられている。上杉謙信越山時の「関東幕注文」に古河衆として名を連ねているので、古河公方傘下であったと思われる。が、その後の後北条氏による関宿城攻撃などを受けて北条傘下に入ったものと思われる。
雨は上がった。
蒸し暑い中、守谷駅に向かった。
蒸し暑い中、守谷駅に向かった。
城ブームだそうだが、大宝城の大宝八幡宮以外は、だぁ~れも居なかった。
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