行った日;2016.9.25
コース:東武岩槻駅=バス=岩槻区裏慈恩寺バス停(8:30)~岩槻区上野5・元荒川、日川推定合流点~岩槻区古ヶ場~蓮田市黒浜・伊豆島自治会館~岩槻区古ヶ場~岩槻区鹿室・県道154~蓮田市江ヶ崎馬場~保福寺~白岡市実ヶ谷~白岡市千駄野・総合運動公園・県道78~白岡市役所~白岡市寺塚~白岡市高岩~白岡市野牛・JR新白岡駅西口~久喜市太田袋~隼人掘川渡る~久喜市下早見備前前掘川渡る~久喜市北青柳・江面一小~久喜市江面・南中~東武久喜駅(14:30)


専門書を見ても、中世の武蔵・下総の国境の記述はまちまちだ。しかし、国境に絞った論述に限れば、おおよそ、古利根川~古隅田川~元荒川~中川説が圧倒しているように思う。

ところで、下総国に隣接する武蔵国埼玉郡は、崎西郡とか騎西郡の記述をしばしば見るのである。崎西郡の呼称は正式名称ではなく、通称らしい。白岡町史などによると、埼玉郡のうち、太田荘を埼玉郡と呼び、現在は消滅してしまった日川以西を崎西郡と呼ぶらしい。日川を境に太田荘・太田氏支配領域と野与党支配領域に分けられるとの説である。

俺は、「日川」を「ひかわ」と読んでいたのだが、前回、騎西領用水=新川を歩いた際、「新川」は「にっかわ」であることを知った、そして「日川」は「にっかわ」であろうと突如的に思いついたのである。白岡町史を読み直すと、日川は、おおよそ現在の新川(にっかわ)に沿って流れていたとの記述を発見したのであった。

そこで、「でっか字まっぷ・埼玉」をながめ、騎西領用水の流れを加須市域から追ってみた。途中、川記号の青線は途切れがちではあるが、行政区画境界などを手掛かりに、なるべく自然に青線を繋ぐ試みを行った結果、日川は岩槻区上野5丁目付近で元荒川と合流しているのではないか、との結論にたっした。

かなり怪しい結論である。
武蔵・下総国境すら確実に決定されていないのに、崎西郡境が素人に判るはずはない。が、まぁ、素人のあつかましさがなせるワザであろう。

ヒマな俺は、自分勝手な「日川」推定流路を辿る旅にでた。



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岩槻区上野5丁目。俺の勝手な日川・元荒川推定合流点。なんか、きったならしなぁ~。



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岩槻区上野5丁目。上の写真の上流側。ほぼドブ川。


推定日川・元荒川合流点の推定日川は、ほとんどドブ川であった。まぁ、古綾瀬川旧流路はもっとワビシイものだったので、この程度の事ではくじけませんワ。


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岩槻区古ケ場。遠くに蓮田市の江ヶ崎の半島状が見えた。江ヶ崎には久伊豆神社があり確実に崎西郡である。あの半島状の微高地の後ろに黒浜沼があるはずである。そこにも黒浜久伊豆神社がある。


近くに居たオッサンに、この流れの名称を聞いたが、「知らん」とのお言葉を頂いた。


一旦、元荒川の堤に出て、蓮田市黒浜の「伊豆島自治会館」を目指す。ここは以前から気になっていた所。名称から同じ敷地内に久伊豆神社があるのではないかとニランでいたのである。が、そこにはそんなものは無く、「土地改良区」の大きな碑があるだけだった。

戻る。

流路に沿った道が途切れ、近くの八幡社を迂回して、再び細い流路に戻る。


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蓮田市江ヶ崎の南部。


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流路を追う道が失せ、岩槻区鹿室付近を徘徊。江ヶ崎の半島は間近だ。


流路を追う道が失せ、岩槻区鹿室から蓮田市江ヶ崎馬場に向かう。



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蓮田市江ヶ崎馬場近くの⑦の裏手に、「江ヶ崎城」の碑が。ここから200mとあったが、今日は向かう余裕はない。



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蓮田市江ヶ崎付近。みー猫さんのようには撮れない。


蓮田市江ヶ崎の保福寺の裏手を大迂回して、推定日川に戻ろうとしたが、これが日川であろうとの流れは発見できず。
ただ、東西に微高地があり、かつてここに明瞭な流れがあってもおかしくはあるまいと、思い込む。


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白岡市実ヶ谷付近。


白岡市千駄野総合運動公園で県道78号線に出る。白岡市役所を左手に見送り、隼人掘川を渡り東北自動車道をくぐると、白岡市寺塚。


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白岡市寺塚付近。東北道をくぐる所に窪地が。流れは無いが、この辺りが怪しい。


再度、東北道をくぐって、白岡市高岩へ。さらに東北本線を渡って、JR新白岡駅西口(白岡市野牛)に出た。このあたり、流路を完全に見失っている。
やや道に迷い気味に久喜市太田袋を出た。


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久喜市太田袋付近。にて。


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久喜市太田袋。ここに、「埼玉郡騎西領下早見村」の石柱があった。


ん、「太田袋」の地名からは「埼玉郡太田荘」を連想していたのだが・・・。
しかも、下早見地区は、俺の想定では崎西郡ではなく、埼玉郡太田荘側だと思っていたのだ。

しかし、目の前に備前前堀川が現れ、さらにその数m先に、勢いの良い流れを発見。


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久喜市太田袋・下早見・北青柳の三町境界。備前前堀川。


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上の写真の数m先にも流れが。


備前前堀川の数m先の流れのそばに、軽トラックが停まっており中にオバサンが居たので、この細い流れの名称を聞いた所、「家の前の川」だそうだ。「ありがとう」と言って去ろうとすると、軽トラから降りてきて、「チョットまってて」と小走りに走り出した。その先にコンバインに乗ったオッサン。
戻って来たオッカサンによると、「ニッカワだって」と。ムフフフ・・・。


ついに、「日川、新川、ニッカワ」を発見。なるべくニッカワに沿って歩く。久喜市江面一小付近で迷う。再び流路を発見し、「騎西領用水」の標示を確認。


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久喜市江面付近の騎西領用水=日川=新川。


久喜市江面の南中前で、もうこの辺でよかろうと。
東武久喜駅に向かった。


今回歩いたルートが日川の流路であるかと言えば、はなはだ怪しい。特に前半は。


しかし、久喜市太田袋・北青柳・下早見の境界で騎西領下早見村の石柱の発見は嬉しかった。ただ、下早見村が騎西領(崎西郡)だとすると、現在の騎西領用水=新川の流路と日川の流路が異なる事になる。
石柱は、おそらく近世のものだろう。近世騎西領と中世崎西郡は同義語なのだろうか。
現代の下早見町と近世下早見村は同じなのだろうか。
またまた、謎が深まってしまった。

まぁ、俺のポンコツ頭では、永久に謎だろうねぇ~。いや、謎そのものを近い内に忘れるのだろうね。