行った日:2016.1.31
目的地:出雲伊波比神社、山根城跡(毛呂氏館跡)、榎堂(毛呂氏館跡)、長栄寺(毛呂氏館跡)、雷電神社(竜ヶ谷城跡・毛呂氏詰城)
コース:東武越生線東毛呂駅(9:40)~出雲伊波比神社~山根城跡石碑~妙玄寺~榎堂?~長栄寺~毛呂氏館跡~石尊山~阿諏訪川畔~雷電神社・竜ヶ谷山城跡~東毛呂駅(13;10)


HP「山登りに行きたい」のHIDEJIさんが毛呂山町の石尊山と毛呂氏館跡をからめて歩かれていた。毛呂山町の石尊山は全くの初耳の山。毛呂氏館跡も何となく聞いた事がある程度だった。
興味を覚え、早速行ってみる事にした。

毛呂氏館はなんとなく、以前目にしたような。「続・埼玉の城址30選」を見てみたら、「毛呂城」としてでていた。以降、もっともらしい記述は、全て「続・埼玉の城址30選」からの引用である。


東武越生線は単線であるが、沿線に私立、公立の高校、大学が多く、多くの学生が乗っている。本数もそこそこあり、不便は感じない。



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おお、昔なつかしいデザインの車両が坂戸駅に停まっていた。現役であったか!


東毛呂駅にて下車。
便所に行ったら掃除中。ムムムッ・・・。

県道に出て歩くと、まもなく、こんもりした森の入口に出雲伊波比神社の鳥居が現れた。


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出雲伊波比神社の参道を登る。毛呂山町岩井西。


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出雲伊波比神社の拝殿。本殿は毛呂顕繁が1528年に再建したもの。埼玉県内最古の神社建築で国の重要文化財。


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呑気なものですなぁ~。出雲伊波比神社にて。


ところで、毛呂氏とは、
藤原北家の出とされている。毛呂郷に来住した経緯については定かではない。武蔵七党丹党との婚姻関係により、12世紀の初めに毛呂の地に来て地頭職となり、毛呂冠者と称した。
武蔵武士にあって、源頼朝から異例の厚遇を受ける。後年、秀吉の小田原征伐では一族の主だった者が八王子城に籠り、戦うも一族は討ち死に。長きに渡った毛呂氏は滅亡した。


出雲伊波比神社入り口のすぐ先で県道を捨て、右の車道を進む。



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山根城跡(毛呂氏館跡)付近。毛呂山町岩井西。



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JR八高線の踏み切付近に、「山根城跡」の石碑があった。城跡の形跡は無い。


踏み切を渡ると、


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妙玄寺。毛呂氏の供養塔などがあった。この寺も城域だったようだ。毛呂山町毛呂本郷。
車道をなおも直進。県道に出た所で、左折。


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榎堂(毛呂氏館跡)。案内板はあるものの、榎堂は発見できず。伝承によると、当初この地に毛呂氏が館を構えたとされる。毛呂山町毛呂本郷。


県道をなおも進む。埼玉医大を通過。長栄寺の案内で右折。坂道を登る。



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長栄寺に到着。毛呂氏館跡でもある。毛呂山町小田谷。

1363年、鎌倉街道苦林(埼玉県毛呂山町)野で合戦があり、毛呂季兼は平城では心もとなく長栄寺の裏手に城砦を築いた。なお、長栄寺は1515年創建で、城砦築城時には存在しない。



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長栄寺裏手。この案内は毛呂氏の歴史を簡潔かつ、判り易く解説してくれている。



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長栄寺。毛呂氏供養塔。


毛呂氏供養塔を少し上がると、石尊山←と毛呂氏館跡→が現れ、毛呂館跡に向かう。


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毛呂氏館跡。残念ながら、明瞭な城館跡の様子は窺われなかった。毛呂山町小田谷。


多少、歩き廻ってみた。


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長栄寺・毛呂氏館跡より、毛呂山町の街並み。


削平地の藪化した木段が見えたので、登ってみた。別段変った様子も無く山道に合流した。もう少し登ったら城跡らしい遺構があるかもしれないと思い、山道を登った。そういったものは現れなかった。ここまで来たら、予定変更で石尊山まで行ってみよう。




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こんな感じの僅かな登りで、



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石尊山(224.9m峰)に到着。石尊山山頂はゴルフ場敷地内にあるらしく、金網の扉を開けて出入りするようになっていた。


登ってきた道を引き返そうと思っていたが、毛呂山病院→の標識を見つける。地図を見ると、毛呂山病院はみつからないものの、うまくすると竜ヶ谷山への近道となる可能性が高かった。
取り敢えず、鎖手すりの懸かる山道を下ってみた。磁石の方向は良い。


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石尊山からこんな道を下った。


短時間の下りで、地図通りに幾つかの巨大建物が現れ、舗装道に達した。


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舗装道からすぐに左に分岐する小道記号の起点より。中央が午頭山か?手前の丸いのが、これから行く竜ヶ谷山か?


小道記号の道は舗装されていた。クネッと曲がって、阿諏訪川畔に降り立った。阿諏訪川を上流に向かおう。


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雷電神社入り口の標識付近より。典型的な中世的谷戸地に見えるのぉ~。毛呂山町阿諏訪。


雷電神社入り口は大きな看板があり、すぐに分かった。振り返ると、阿諏訪川畔に農地が広がっていた。
ここより、町道に入り、やや急傾斜の舗装道を登る。



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フェンスがあった。



フェンスの扉は簡単に開けられた。中はゴルフ場だった。ゴルフ場のカート道に雷電神社→がある。カート道に便所があったので遠慮なく使わせていただく。その先に階段の坂道となりカート道と別れる。



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竜ヶ谷山に到着。毛呂山町を俯瞰する。中央の細長い森が出雲伊波比神社かな?


竜ヶ谷山城は、毛呂氏の詰城と言われている。



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竜ヶ谷城本郭。奥に雷電神社。



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一段下に社務所(無人)と神楽殿。ここが二郭らしい。案内板等は皆無。


三郭、帯郭などもあるらしいが、素人目には後世の工事跡との区別がつかず判らなかった。


さて、帰りましょ。来た道を下る。パッコーン、パッコーンと軽快な音がノベツ聞こえてくる。



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こんな感じの下り。



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ゴルフ場に出た。石尊山が正面に見えた。


何を隠そう、俺はゴルフとテニスが大嫌い。そんな訳で、ゴルフ場に入るのは初めての経験なのである。これみよがしに、芝生の上に上がってみた。なかなかの足裏感であった。イカン、イカン、俺はゴルフが大嫌いなのだ!

阿諏訪川畔に出て、東毛呂駅に向かった。途中、ラーメン屋でラーメンと餃子を食う。



毛呂山町は、まさに歴史の町であった。本記事では割愛した史跡がいくつもあった。案内、標識も完備していた。石尊山と竜ヶ谷山は、ゴルフ場に囲まれてしまった史跡ではあったが、お気楽で、楽しい歩きができた。HIDEJIさん、ありがとうございました。

JR八高線、東武東上線沿線は、有力な中世武士団がごろごろ割拠している。武蔵国においては一等地であったに違いない。興味の尽きない地域である。