山行日:2013.12.23
目的地:横瀬根小屋城跡
コース:西武鉄道横瀬駅:(7:45)~根小屋城本郭(8:45)~町道に下る(9:00)~石灰工場手前のお墓(9:10)~623m峰三角山(10:10)~登山道合流(11:15)~焼山(11:25)~1004m峰・休憩~(12:50)武川岳(13:30)~前武川岳~天狗岩~車道(14:50)~名郷バス停(15:10)


本ブログに時折訪れてくれる長永さんの書き込みに、「根小屋城から二子山に登れる」とあった。さっそく根小屋城を調べて見た。折りよく、平成24年12月に「続・埼玉の城址めぐり」が出版され、横瀬根小屋城も紹介されていた。

根小屋城は平安時代に成立し、後に武蔵七党丹党の中村一族が横瀬氏を名乗り在城。その後山内上杉氏の支配下に入り、川越の夜戦を経て北条氏の勢力下に入った。北条氏邦は元服後一時期根小屋城に入り、おって鉢形城へ入城している。妻坂峠道、正丸峠道を東西に見下ろす要衝の地である。

そして、つい先日HP「山登りに行きたい!」のHIDEJIさんが、西隣の古御岳城跡から三角山に登られてた。よくぞそんなコースを発見し歩かれたものだと感心してしまった。



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西武鉄道横瀬駅から国道299号線に出ると、アイガー北壁がよく見えた。


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西武鉄道をくぐると、さっそく根小屋城の案内板があった。


西口から入城。


民家の脇から尾根筋を登る。


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根小屋城。僅かな登りで西郭跡。ちょうど西武鉄道のトンネルの上あたりか?


中世の城跡らしい趣が濃厚な所だった。25000図の「二番」の「番」の字辺りか。
小沢を巻くように遊歩道がある。東の尾根に移り、ひとしきり登ると本郭跡であった。実際は石灰鉱山によりかなり破壊されているそうだ。


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本郭付近からのアイガー北壁。



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同じく両神山


本郭跡から三角山に繋がる尾根があるのだが、石灰会社により厳重にロープが張られ「危険・侵入禁止」とある。ヤレヤレ、当初の目論みは早くも挫折してしまった。
次善の策は用意してあった。根小屋城の下の舗装道に下った。そこから車道を上がり城域の西側の尾根に取り着いた。取り付き地点は25000図の「横瀬町」の「横」の字の僅か北西の地点。



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取り付き地点。お墓に通じる橋を渡り、お墓の裏から藪入り。


すぐに尾根筋に到達した。



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いきなり、社が現れた。この後も何か出てきそうな気配があったが、結局何も無かった。


雛壇状に急斜面が現れるが、掴む木に事欠かず、何とかなる。一部細尾根もあるが、特に問題無し。道も無し。藪も無し。テープ類もほとんど無し。


少し飽きた所で、


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三角山に到着。まことに小さな三角形の木片に「三角山」の標示。


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三角山の少し先に展望地があった。


三角山からは道らしきものが断続的ではあるが散見された。テープ類も目にする。


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700m付近より雪がでてきた。


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だいぶ雪が増えた。ケモノの足跡を辿ると歩きやすい。


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待望の一般登山道(二子山~武川岳)に出た。


登山道はボブスレーコースの様相を呈していた。踏み跡がカタマリ加減で歩き難い。変な所に力が入っているのか股関節が痛む。


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焼山からのアイガー北壁。現在、アイガー北壁になる以前の姿を見た方は生存しているのだろうか?


1004m付近で⑦のアンパン3個に食らいついた。何を隠そう、バテていたのである。


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いい感じの森。


いい感じの森の先には林道があった。以前ここを歩いた時には無かったと思う。奥武蔵は自然破壊のデパートである。時折「森を大切にしましょう」などと看板が設置されているが、設置したヤツは恥ずかしくないのだろうか。余りにも白々しくて。



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ようやく、と言った感じで武川岳に到着。丹沢の大山、奥多摩の大岳山・棒の折れ、奥武蔵の蕨山が見える。


武川岳山頂は何組かの人々で賑わっていた。「富士山が見えない」とお嘆きの方もいる。そんな方はアイガー北壁を見て頂きたいものである。人間が作った超巨大なオブジェを。

カップラーメンを食って、タバコを吹かし、のんびりした。

さ~て、何処を下ろうか。聞き耳を立てるに、山伏峠、もしくは妻坂峠に下る方が多そうである。
人はいない方がいい。天狗岩へ下ろう。


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下りルートの美しい森。


踏み跡はあるが、激減。歩きやすい。



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樹間からおいらのアイドル三つドッケが見えた! 手前の窪みはウノタワか!いや鳥首峠かな。



などと、はしゃぎつつ、のんびりと名郷に下った。