山行日:2013.10.27
目的地:五覧田城跡
コース:渡良瀬渓谷鉄道水沼駅(8:45)~関守集落関守住民センター前(9:45)・道無し・戻る~関守口登山道~(10:50)五覧田城跡(11:10)~中山峠~田嶋峠~736m峰(12:55)~784.5m峰・中野山(13:30)~720m下降点(14:00)~法面を下れず・少し戻る~新しい舗装道のトンネル手前(14:40)~舗装道~阿久沢集落~渡良瀬渓谷鉄道小中駅(15:40)


渡良瀬川を歩こうと思い立った当初から五覧田城には立ち寄るつもりだった。「関八州古戦録」には、神梅衆の事が一節に渡って記述されている。また、この地を巡る争いがいく節かに出ている。越後上杉、後北条、太田由良による争奪戦と離合集散のはてしなき闘争。蝦夷より流れて土着した神梅衆・阿久沢氏が巻き込まれていく。
ただ、五覧田城の成立は、おいらにはまだ不詳。

渡良瀬渓谷鉄道の水沼駅に降り立った。桜が狂い咲き。
小黒川を渡って関守集落から五覧田城に登ろうと思った。25000図には関守集落から林道様の道記号があったから。


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関守集落にて。

関守の集落のどん詰まり。ここから北へ延びる道が派生しているはずであったが、いくら探しても無かった。関守住民センターの看板がかかる公民館のような敷地に侵入し、藪を分け入ったが道らしきものは無かった。その他、怪しげな小道を何箇所か辿ってみたが、いずれも民家の庭先で行き詰った。

仕方ない、看板通りに歩こう。国道近くまで戻る。いやはや、1時間近くのタイムロスとなってしまった。


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正規の関守口登山口にあった案内板。


正規の関守口登山道から五覧田城を目指す。



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天気は良いが、風が強い。


結構な登りを強いられる。城跡の感じは全く無い。山頂近くになって、僅かな堀切の跡とおぼしきものがある程度。


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592.9m峰到着。

592.9m峰に五覧田城跡があるのかと思っていたが、無かった。「展望所→」の標識に従い行ってみると、地元の方々が草刈り機で草を刈っていた。おいらが近づくと草刈り機のエンジンを止めた。

地元の方々が、付近の展望について説明してくれた。本来ならば男体山や富士山が見えるそうだ。今日は見えない。



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展望所に五覧田城の案内があった。

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五覧田城跡の石祠。ここにも青岸渡寺の札が。

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渡良瀬川上流部。山襞の奥が草木ダムだそうだ。奥の右の山が三境山との事。


草刈りのオッサン達が去った。おいらは焼きソバパンを食い、タバコを吹かした。

さて、城跡と言うにはその雰囲気は希薄であった。高橋口から登るべきだったか?


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592.9m峰に戻り、北に延びる尾根筋を歩く。国道歩きは排ガス臭くていやだから。

五覧田城跡から北へ延びる尾根を地図で辿ると袈裟丸山に至る。この尾根筋は、その筋の方々が歩かれているようだ。当然たそがれ氏、ハイトス氏の記事も目にしているが、予習する余裕が無く、25000図に鉛筆で薄く筋を引いて出かけてきている。

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おおっ、顕著な堀切跡ではないか。

堀切の底に四角い石祠の胴部分が転がっていた。堀切を登り返すと、ここが中山峠であった。屋根だけになった石祠が転がっていた。

道らしきものはある。そして「界」の字がある赤いポールが乱設されていた。みどり市と桐生市の境界と言う事か?


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栗生山?怪異なこの山がやけに目立つ。その奥に赤城山があるはずだが、僅かに裾野らしきものが見える程度。


ところで、標識らしきものがいくつかあったが、全て地面に転がっていた。まことに奇怪な事である。そして、緑の葉をつけた多くの木々が倒れておった。


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こいつは食えるのか?

ツツジの花が狂い咲きしておった。来春、ツツジは咲くのであろうか?

尾根は上下しながら徐々に高度を上げていく。少し飽きた所で、岩が現れた。岩は簡単に登れた。大きな松の木があった。

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松の木のピーク。

松の木のピークから南へ数十mで784.5m峰に達した。


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784.5m峰には、「中野山」の変わった山名タグがつけられていた。

「山野研」の青いテープがあった。ハイトス氏のお仲間?

⑦のアンパン2個を食う。最近、このアンパンが気に入ってしまった。

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貴重なモミジを見て、松の木のピークに戻る。

少し急な斜面を下り、斜度が落ち着いた所で、山腹でゴソゴソと大きな音がした。「お~いっ」と声をかけたら、「ブフォッ」と言うお返事。至近である。おいらは、一目散に尾根筋を駆け下った。立ち止まり振り返り、もう一度「お~いっ」と声をかけても返事なし。ウヘ~ッ。姿は見ていない。何者か!一度はお姿を見てみたいのだが・・・。


予定では784.5m峰と849m峰の中間付近から阿久沢方面へ伸びる緩く短い尾根を辿るつもりであった。そろそろ近いはずである。石祠があった。緊張して歩いていると、ここだろう、と言う地点に達した。見ると何と僅かではあるが切り開きがあった。喜んで下った。思っていた通り歩きやすい尾根だった。

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少しはモミジがあった。


間もなく右下に地図に無い林道が見えた。阿久沢からの林道が伸びたのかな?と思いつつ下るとすぐに擁壁に出くわした。落差は10m近い。まいったねぇ~。周囲を歩き廻り、下れそうな所を捜したが、全て絶壁。
周囲を見回すが、法面が延々と続いている。何とか脱出しなければ。もう一度周囲を見回す。遥か上方北面の沢筋に活路を見出すしかなさそうである。あ~ぁ、登り返しか~。
一服後、上に向かった。少し登ると尾根の南斜面に踏み跡様を見つけた。ムムッ。しかし、さっきの観察では尾根の南面は完全にコンクリート化されトンネルに至っているように見えた。だけど、成算はないもののこの踏み跡に賭けて見ようじゃないの。と下ったら、ラッキーな事に法面にコンクリの道ががあり、林道におりられるようになっていた。助かった~! 随分遠回りしたが、沢筋を下るよりはるかにましだった。

舗装林道を下り、クダンの尾根の先端に着くと、

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何と、階段があったではないか!くやしーったらありゃしない。


などと、ドキドキの下りとなってしまった。

長い長い林道歩きの末、阿久沢集落に着いた。当初のもくろみではこの辺りをうろつこうと思っておったが、すでに時間が過ぎている。アッサリ通過で「わ鉄」小中駅に向かった。

国道を信号で渡り、すぐの商店で缶コーヒーを飲んでいたら、店のオッサンが「何処行ってきたの」と聞くので、「五覧田城から尾根を辿って阿久沢に下った」と言ったら、「怖いとこ行くねぇ~」と言っていた。確かに最後は怖かったし、途中の獣も怖かった。オッサン曰く、今年の紅葉は全然ダメとの事。先週の台風で近くのゴルフ場の松が100本以上倒れた。舗装林道とトンネルは昨年できた。との事。
少なくとも舗装林道が無ければ、怖さも半分だったと思った。

小中駅は、商店の裏だった。

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最近はやっていると思う。


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「わ鉄」には、今日も美人アテンダントが乗っていた。

相老で、両毛号との接続も良く、思いのほか早く帰れた。