行った日:2013.10.19
目的地:深沢城
コース:東武桐生線相老駅(8:15)~赤岩橋~相川橋(9:10)~要害山参道入り口(9:35)~要害神社・高津戸城跡(9:50)~高津戸橋~浅川大橋(10:30)~福岡大橋(10:50)~穴原薬師堂(11:15)~貴船橋(11:25)~深沢川(12:15)~深沢城跡・正円寺付近徘徊~渡良瀬渓谷鉄道水沼駅


天気予報は、芳しくない。ならば、渡良瀬川歩きの続きに行ってみよう。

相老駅を出ると、僅かな霧雨。傘をさすほどではない。桐生合同庁舎交差点のコンビニでカルピスウォーターを購入。


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赤岩橋を渡る。

渡良瀬川左岸に沿った車道を歩く。
霧雨はいつしかあがっていた。

相川橋を見送ると車道は渡良瀬川から離れた。みどり市の標識を見る。送電線手前で「要害神社参道」の標識を見て、これに入る。無責任にも、その後道路の分岐に参道の標識が無く、勘で左折してみた。


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要害神社の石柱があった。


石柱脇に民家があり、車に乗ったオバサンがいたので、ここから要害神社に行けるのか利いた所、「行けますけど、道はグチャグチャよ」との返事。お礼を言って、参道を登ったら、かなりの藪道。蔓草などを掻き分けるはめに陥った。


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ヤヤッ、こんなのが、一匹や二匹どころでは無く・・・。


踏み跡が二分した。取り敢えず踏み跡の濃い右に行ったら送電鉄塔に出て、行き止まり。小便をツッタレテ戻る。とんでもない左の藪を掻き分けると、明瞭だがグチャグチャの道に出た。
おっ、なんだか城跡っぽい、削平地などが点在している。グチャグチャ道を捨て左の高みへと上がってみると舗装道路に出た。「要害山遊歩道」なる案内もあった。先へ進むと一台も車がいない駐車場に出た。ここから要害神社はすぐだった。


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要害山山頂の要害神社・高津戸城跡


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悲しい歴史を秘めていた高津戸城であった。


要害山からは、尾根伝いに進むつもりであったが、「高津戸峡遊歩道」の案内がありこれに向かった。チャンとした山道で要害山を下り、高津戸橋のたもとから遊歩道が派生していた。
しかし、「倒木の為侵入禁止」とあった。ムムッ、倒木程度で、何事か!侵入してみたが、その先の橋の所で厳重なバリゲートがあり諦めた。
遊歩道の一段上の車道にあがり、歩行を続けた。残念ながら高津戸峡は全然見えなかった。

小平川を浅川大橋で渡り大間々町塩原で道が分岐。小道の方に「史跡・穴原薬師堂」の案内がありここに向かう。


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穴原薬師堂。


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門を見張る。金網越しに。


その先で、貴船神社の案内があり、いくかどうか迷ったが、本日のメインを優先して貴船神社は諦めた。貴船橋を渡って渡良瀬川右岸の国道に移った。ちょうど上神梅駅の所。
「関八州古戦録」によると神梅衆が上杉謙信軍を迎え撃って戦っている記事があったりする。

深沢川を渡ると、再び桐生市に入った。桐生市の中央部にみどり市が貫入し二分した形になっているが、異常事態であろう。どうなってんのヨ!


さて、腹が減っては戦はできぬ!うどん屋をみつけ「オロシうどん」を食う。オロシが辛過ぎるワ。

本宿駅の所からおかしな歩道橋があり、ここから深沢城を目指した。かなり迷って、


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正円寺に着いた。神梅衆・阿久沢氏累代のお墓がある。


正円寺と道路を挟んで、


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深沢城、またの名を阿久沢城の跡。

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深沢城や正円寺のあたりを徘徊する。


深沢城を下り、再び国道に出る。排ガスが浴びる。


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ツツジが淡く紅葉していた。あくまで、淡く。


そして、中途半端な時間に水沼駅に着いた。
さ~て、どうしよう。


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次回のコースを頭に描いてみると、今日はここでやめておいた方がよさそうである。

結構混んでいる渡良瀬渓谷鉄道に乗って、帰路に着いた。