山行日:2013.10.13
目的地:男体山、大多和宿
コース:志津小屋(5:40)~五合目(6:25)~(7:40)男体山(8:30)~(10:00)志津小屋(10:30)~大多和宿()~裏男体林道分岐(11:30)

4:00起床。ドライカレー、ナスの味噌汁を食って、5:00に出発しようとしたが、暗くて目が見えん。おいらは目が悪いのだ。結局出発は5:40。

寒いのぉ~。

何を隠そう、おいらは男体山に登ったのは15年以上前で、後にも先にも登ったのは1回だけ。以来、眺める山であった。しかも正面から登った経験無し。
しかし、考えて見れば、古来男体山は夏峯も秋峯(五禅頂)も大多和宿からの登りであった。近世になり峰修行が大幅に縮小し、現在の中禅寺湖二荒山神社から登られるようになったんじゃねーの。と勝手に解釈し、今回も裏口(いや、古来からの表口)から登る事にした。


やたらとエグラレタ道をノソノソと歩く。最初の薙で朝日が射し、白樺が美しく輝いていた。


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二つ目の薙。


途中に1合目とか、2合目とかの柱あり。


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女峰山の山頂付近に雲がかかる。


上を見上げると、男体山の山頂付近にも雲がかかっているようだ。晴れてくんねーかな。
とにかく、風が強い上にやたらに寒い。
8合目あたりから霜柱が目立ち始めた。


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おや、霧氷じゃぁないの。


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おおっ、霧氷だ、霧氷だ!


9合目から霧氷の山となった。しかも、晴れている!


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しつこく霧氷。なんせ、嬉しかったもので。


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霧氷の向こうに、女峰山様と大真名子山。


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コンチクショー(何がコンチクショーなのか判らない?)。


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ヤケクソだー。


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男体山山頂に到着。口惜しくも、本日2番手であった。


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呆れるほどの晴天であった。


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備前楯山の上に富士山が見えた。


アンパンを食って、見飽きるほど山々を眺めた。

神社の鳥居をくぐって、次々に人々が登ってきた。

男体山山頂西端にあると言う、男体山山上遺跡を見に行った。山頂を西に下り僅かで新しそうな太郎山神社があった。そのすぐ先は絶壁となっていた。残念ながら男体山山上遺跡を発見する事はできなかった。

山頂に戻り、鐘を一発ぶっ放してオサラバ。

木にシガミつきながら荒れた登山道を下った。


志津小屋に戻ると、小屋の中は大賑わい。若者達が、大荷物でタムロしていた。唐沢宿からだそうだ。もう2名到着。こちらも唐沢宿から尾根伝いに来たそうだ、皆様これから男体山だそうだ。凄い人たちは、大勢いらっしゃる。次いでオバチャンが小屋の中を覗いて「ここ、泊まれるんですか?」と言うので、「タダで泊まれるけど、飯なし、水なし、便所なし、だよ~。」と答えると戸をパチンと締めて行っちゃった。

アンパンを1個食って、荷造りして、オサラバ。本日のメイン、大多和宿へ向かう。

大多和宿は、アキ爺氏のブログで知った。次いで、たそがれオヤジさん、ハイトスさんが出向いている。ハイトス氏のHPにGPS軌跡が出ていたのを覚えていたので、確認しておいた。25000図に鉛筆で丸印をつけておいた。

林道屈曲点で、磁石をセット。歩きだそうとすると、足元に踏み跡発見。シメシメ。一つ目の谷を渡った所で踏み跡を失う。2つ目の谷を渡る時点で、多分あの高みだろうと思われ行ってみた。


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大多和宿到着。林道から、僅か5分の位置にあった。

今は唐松林に覆われている。往年はどうであったのだろう。両サイドの谷は涸れ沢である。石像群の左側にヌタ場様の小さい窪みがあるが水は溜まっていない。
護摩壇があったが、囲いの石はやや新し目。最近燃やしたのか、黒い炭化物が溜まっていた。

ハイトス氏のGPS軌跡のおかげ以外の何物でもないのだが、余りにアッサリ見つかると有難味も薄れてしまう、という贅沢且つ不謹慎な悩みを感じつつこの場を去る。

とか言って、帰りの林道に向かうも、なにやら迷い加減。あわてて磁石を見る始末。



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余り紅葉の進んでいない(というか、紅葉する木が少ない)森を見ながら呑気に下った。