行った日:2013.2.24
コース:八潮団地バス停(6:50)~八潮水門~元荒川合流点~新方川合流点~大落古利根川合流点~松伏町田島・敗走~松伏町第一保育所バス停(10:30)=北越谷駅

どうやら、強い冬型の気圧配置になりそうだ。風に吹かれたくないし、まして吹雪の洗礼などまっぴらなので山歩きはやめておこう。平地の川歩きに逃げた。取り敢えず、週一の割合で、そこそこの時間を歩かないと腰痛が再発するのである。今日は、中川を北へ辿ってみよう。

いつもの時間に起きて、松原団地の駅から八潮団地行きのバスに乗った。


バスの終点八潮団地から歩きはじめる。


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バス停そばの八條清勝院は1400年代の開山。


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綾瀬川放水路に出る。正面は八潮水門。ここで、旧旧荒川と旧利根川が繋がっている。


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八潮市鶴ヶ曽根飛び地。八潮水門と中川。

対岸は三郷市。ここいらの三郷市の地名には彦の字がつく。三郷市彦江、彦沢、彦倉、彦野、彦川戸、上彦川戸、上彦名、彦成、彦音、彦糸。


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八潮市八條。八條橋。八條橋は、草加・八潮と三郷をつなぐ古い橋。現在補修工事中。


地図を見ると対岸の三郷には、いくつかの香取神社がある事がわかる。
これまで、見沼代用水、綾瀬川、元荒川、大落古利根川・葛西用水と歩いてきたが、神社の分布に特徴がある事が判った。綾瀬川と元荒川の流域には久伊豆神社が多かった。元荒川東岸と古利根川では香取神社が多かった。ネットで調べてみると、神社の分布は見事に河川を境に色分けされていた。

即ち、
綾瀬川以西が氷川神社。
綾瀬川と元荒川間が久伊豆神社。=旧荒川流域。
元荒川以東が香取神社である。

しかし、神社の分布に多少の例外がある。例外は現在の川の流れでの区分から発生しているようにも思える。そもそも、江戸時代以前の河道ははっきりしないそうだ。河川の付け替え、河道の直線化や、自然の河道の変化が影響しているかも。
また、草加市・八潮市以南も例外に入る。草加市・八潮市以南では、氷川神社・久伊豆神社・香取神社が混然としている。

面白い事に久伊豆神社分布地域と武蔵七党の野与党の分布域が一致している。
江戸川管理事務所のホームページに1000年前の河道の位置が示されているが、詳細は判らなかった。武蔵七党の分布と河道の位置関係をもう少し詳しく知りたいねぇ~。

そして、中世、鎌倉から常陸国への通行が、現在の水戸街道筋ではなく、利根川を渡河するために群馬、栃木を経由していた事も今では想像できない事なのだが、その頃の利根川とは、今の中川なのである。

などと、妄想を繰り繰りしながら歩くのはなんとも楽しいのである。


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吉川市高久。この辺り、堤防の工事中。対岸は草加市柿木。対岸には女体神社があるが、もしかして氷川女体神社と関係がありやなしや?


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吉川市高富の導水管。人も渡れる。対岸は越谷市東町。


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吉川市平沼。元荒川合流点。旧荒川(左)と旧利根川(右)が合流。1000年前もここで合流していたのか?


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吉川市吉川。吉川市役所前。新方川合流点。


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松伏町下赤岩。大落古利根川(左)合流点。中川と古利根川はどっちが元祖利根川なのか???
あとで、調べよ~っと。

大落古利根川合流点付近より、景色が開け田園地帯とる。と同時に強風に煽られる。


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松伏町上赤岩。強風で中川の川面が波立つ。


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猛烈な北西風が吹きつけてきた。関東平野低湿地帯のど真ん中。


前かがみで歩く。時折、耐風姿勢を強いられる。
しばらくすると寒気で左腕がしびれてきた。ムムムッ。手がカジカミ手帳への書き込みもできんワサ。向かいからやってきた大型犬に吠えられた。

前方はるか遠くに見える橋の上をバスが通った。
今日はあそこまで。凍死してしまうよ。


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本日の歩き留め。強風で地図も見られないので何処だか判らなかった。


西に向かうと、「第一保育園前」というバス停があった。行き先は北越谷駅。う~ん、たいして歩いていないが、致し方なし。
バスに乗り込み少し体が温まったところで、地図を広げると、本日の歩き留めは松伏町田島のようた゜った。

また、次の機会に歩きましょう。