行った日:2012.9.22と9.30
コース:9/22草加市谷塚駅~毛長川水神橋~見沼代用水~川口市江戸袋北バス停  9/30川口市江戸袋北バス停(7:00)~見沼代用水東縁~東武野田線七里駅(12:20)

「埼玉の川を歩く」という本を買った。土日の天候がはっきりしない中、早速触発されて川歩きにいそしむ事になった。

埼玉県の東部は古来より水害が多く、特に東南部などは人が住めるような所ではなかったようだ。利根川、荒川は、現在とはまるで違う所で埼玉東部を貫流していたようだ。中世より小規模な治水が行われてきたようだ。荒川は近所の綾瀬川・古綾瀬川が本流だったらしい。江戸時代に大規模な治水工事が行われ、利根川は現在位置に東遷。荒川は現在の元荒川に東遷後、さらに西遷し現在位置に付け替えられた。同時に幕領の新田開発も盛んに行われた。
さいたま市にあった見沼は干拓され新田となったが、見沼を水源としていた下流域での水不足が深刻化した。河川の付け替えと見沼の干拓でかつての沼沢地帯は水不足になったのだ。
そこで、見沼の代わりに「見沼代用水」が作られた。用水路の規模は関東最大で、利根川から84km。東京都足立区まで流化している(東縁)。周辺はさらに新田開発が進み、現在でも「~新田」の地名を各所に残す。

そんな、見沼代用水を行ける所まで行ってみようと歩きだした。



9/22
東武伊勢崎線(東京スカイツリーライン:好きな命名ではないなぁ)谷塚駅から歩きだした。

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草加市水神橋 左東京都足立区西保木間・右埼玉県谷塚。境界の毛長川のほとりを遡る。

途中、川向こうに、お相撲さんがいた。

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境川部屋があった。東京と埼玉の境の川べりに建つ。あまりにでき過ぎた部屋名であった。

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川の十字路。毛長川、見沼代用水の交差点。ここより毛長川と分かれて見沼代用水東縁(ひがしべり)を辿る。

川口市本蓮で首都高川口線をくぐる。このあたりで雨が降り出す。川口市江戸袋で豪雨に見舞われる。

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川口市江戸袋北バス停で豪雨のため撤退。バスを待つ間、自転車に乗っていた婆さんが転倒。凄い雨だった。


9/30
今日は、台風が来る。雨が降りだすまで歩こう。草加駅から国際興業バス「鳩ヶ谷行き」始発に乗り、先週の撤退地江戸袋北バス停に向かった。

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上々の天気である。

見沼代用水は各地で川や用水路と十字交差する。地下交差もあり、川筋を失ったりしながらも鳩ヶ谷市域に入る。
見沼代用水沿いの鳩ヶ谷はまるで高級住宅街のようであった。

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鳩ヶ谷市本町付近。カエデ並木。秋が楽しみな所。他にも桜並木があったりする。

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鳩ヶ谷市は綺麗な街だった。

国道122号をくぐると、川筋は蛇行し始める。
再び川口市に入り、川口グリーンセンターの脇を通過。川口市安行領根岸では大蛇行。安行の微高地を迂回しているようだ。

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外環道をくぐる。

広大な平野が左手に現れる。何面もある野球場の向こうには、芝川が流れているはずた。さらにその向こうには見沼代用水西縁(にしべり)が流れているはずである。

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川口市木曾呂付近。木曾とは、坂を指すそうである。安行~木曾呂の微高地の西端に見沼代用水東縁は流れている。

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だいぶ鄙びてきた。

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さいたま市下山口新田。新田というよりも現在は畑作地帯。赤い花が多く植えられていた。

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武蔵野線が見えてきた。

ここで、国指定史跡富士塚に寄る事を失念。あつさり武蔵野線をくぐってしまった。

再び川筋の蛇行により川口市行衛に入る。

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川口自然公園。ここで休憩。

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少し進むと東沼神社。ここにも富士塚があった。

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比高8mの富士山。

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富士山頂。久しぶりの登山だった。

再びさいたま市間宮に入る。

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花畑。

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浦和養護学校付近。

大崎公園を過ぎ、

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彼岸花の道となる。


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見沼田んぼのナショナルトラスト1号地を通過。

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さいたま市南部領辻

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見沼自然公園。

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彼岸花の道は何処までも続く。

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さいたま市膝子。見沼代用水を振り返る。微高地沿いの中段に水路が伸びていた。

さいたま市東宮下に入ると住宅地。ラーメン屋を見つけ冷やし中華を食う。
一休み後、歩行再開。風が急速に強くなってきた。

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台風が心配になり、さいたま市小深作で歩行を中止。最寄りの東武野田線七里駅から自宅に戻った。

NHK杯囲碁トーナメントを見て、昼寝となった。