行った日:2012.1.9
目的地:腰越城、官ノ倉山、安戸城
コース:パトリア小川(7:50)~榎戸口(7:55)~(8:15)腰越城(9:00)~249m峰(9:15)~(9:50)石尊山(10:10)~(10:20)官ノ倉山(10:40)~在家集落(11:00)~道探し~諦める~安戸・大霊神社~安戸城(12:00)~都沢入り口バス停(12:30)~パトリア小川(13:10)

昨年、小倉城、青山城を訪れた。小倉城(ときがわ町)は、菅谷館(嵐山町)、杉山城(嵐山町)、松山城(吉見町)とともに近年「比企城館跡群」として国指定史跡となった。
小倉城と至近の腰越城に興味を覚え出かけてみた。さらに至近の安戸城にも寄ってみたい。比企城館群と関連があるに違いない。

地図を見ると腰越城の尾根続きで石尊山、官ノ倉山があった。昭文社にも25000図にも城と山の間に道記号が無かったので、磁石を準備し、藪歩きを覚悟した。

何回かイーグルバスに乗っていたので、昭文社で取り付き予定地のそばに「ゆ・パトリアおがわ」の文字を見つけた時にはしめしめと思った。パトリアに着くと入り口に「当館に訪問者以外駐車禁止」の旨が掲げられていた。帰りに一風呂浴びれば良いだろう。


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パトリア小川の駐車場からは、以前登った笠山がドカンと見えた。

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そして、恐らくあの小山が腰越城であろう。槻川の突端に廻り込み緩やかな尾根伝いに登ろうと思っていた。

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駐車場入り口にはなんと腰越城の案内板があった。ムムッ、案内板によれば、ちゃんとした登城口があるようだ。

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駐車場のハズレに道標があるではないか!

道標に従うと、簡単に腰越城に取り付けた。ラッキーだった。

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県道を渡り、民家の脇を通り抜けると、

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榎戸口と書かれていた。

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道は一本道では無かったが、太い道を行った。杉とソテツの妙な組み合わせの森。

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尾根に出たら官の倉山の標識があった。

本郭北側の鞍部であった。尾根には明らかな堀削の跡があり、城跡らしくなってきた。

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二郭。

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本郭。

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腰越城本郭からの眺め。笠山が目立つ。笠山手前の左下がりの尾根の白茶けた突端あたりが安戸城に思われる。

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皇鈴山あたりか?

兎に角、低い割には眺めが良い所だった。順路の矢印があり、それに従い歩き廻る。

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この城の特徴は竪堀にあるらしい。

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西郭には、石祠が。但し、コンクリの補強あり。

矢印に従い、グルグル廻しで歩かされる。なかなかいい感じが出ている。
案内板には、城の成立期は書かれていなかった。永禄五年に当時の城主山田伊賀守が赤浜の原(寄居町)で越後上杉軍と戦い、戦没したとある。天正十八年、山田直安公が城を開城した。戦国期、北条方の支城だったのだろう。

本郭北側の鞍部に戻り、石尊山を目指す。

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道は無いものとして来たのだが、立派な道があった。嬉しい反面、ややガッカリ。
送電鉄塔をくぐり、アッサリと249.4m峰に着いた。

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あれが石尊山か?

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少し下ると荒地が広がっていた。密林だったら困るなぁと思っていた地点。

どうやら、ゴルフ場造成跡地のようだ。困ったもんだねぇ。

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でっかいタイヤが転がっていた。

タイヤの右前方にテープが見えた。ここが、唯一判りづらいところ。タイヤが目印である。目印から、ザレた急坂を少し登るとピークに達し、緩やかな尾根を行く。

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小さな鞍部に石祠が。安政六年巳未五月吉日 武州比企郡飯田村。ちょうどゴルフ場造成跡地の下に飯田地区があるようだ。
石尊山の登りが始まったようだ。結構汗をかかされる。ピークに立つも山頂標識無し。右から子供の声がする。

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ピークから一段下がった展望地に山頂標識があった。

石尊山山頂には、親子三代と思われる3人が居た。子供からチョコレートを頂く。

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赤城山、榛名山が見えた。赤城の左は上州武尊あたりか?

男体山や筑波山が薄っすらと見えた。眺めがいいので、長居をしてしまった。官の倉山に向かおう。

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官ノ倉山には直ぐに着いた。目の前に石尊山。

オッサンが一人佇んでおった。やがてもう一方登ってきた。ここでも長居をしてしまった。官ノ倉峠から在家に下ろう。

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アッサリ在家の集落に到着。笠山は何処からでも見えるんだねぇ~。

さて、ここから安戸城へのルートが問題だった。安戸城は在家西方の239m峰であると踏んでいた。25000図には在家集落の北西から280m圏ピークに登り南下し239m峰に至る小道記号が記載されている。この小道を探すべく、川沿いの舗装道を北進した。地元のオバチャンが歩いていたので、城への道を聞いてみた。「反対方向へ歩き、インド人のやっているカレー屋から城へ行ける」との事。う~ん、多分それは腰越城の事だろうな。お礼を言い、オバサン推薦の方向とは逆方向へ歩いた。オバサンは、そっちは行けるけど駅まで一日がかりだよ、とおっしゃられた。
は~ぃと返事して、歩くしかなかった。
舗装道が砂利道になった。行き過ぎたようだ。戻る。少し戻ると、川へ下る踏み跡が見えた。これか、川の流れは細く簡単に渡れた。踏み跡が沢型に沿って右岸に続いている。25000図では左岸のはずだが・・・。やがて踏み跡を見失った。たそがれオヤジさんなら、こんな程度ではビクリともせず進むのだろうな。そんな思いがよぎるも、小心者のおいらは退却した。里山で迷うとえらい目にあうのである。

さて、お次は車道を戻り安戸地区に廻り込み、これまた25000図にある小道を頼りに239mを目指す事にする。近道などをし、安戸地区に入る。

舗装道の曲がり方や山の様子を伺い、小道を探す。大霊神社脇の舗装された道がその道に見えた。とりあえず登る。幼稚園らしき敷地の上で行き詰る。なにか大きな看板があるので右方向へ強引に進む。植林の看板だった。右下に汚らしい林道が見えた。

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林道に近づくと新しい林道のようでキャタピラ痕だけが目立った。この林道を上がってみた。

どうやら目指す尾根に絡みつくように作られているようだ。

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林道を15分も歩いただろうか、尾根に沿って踏み跡が見えた。ここから僅かで、239m峰安戸城跡に着いた。

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安戸城跡 東秩父村

なんとか安戸城に辿り着けた。杉林の密林で、何も見えない。城跡らしい形跡は少ない。山頂直下に僅かな棚部が2箇所。山頂に石組み?のようなものがあったが、ただの石にも見える。案内板等も無し。少し廻りを歩いてみたがやはり成果はなかった。薄暗い森の中で、握り飯一個を食った。
さて、帰ろうか。その時、あらぬ方向に踏み跡を見つけた。次いで、赤テープも。25000図には無い道であった。これを下ってみよう。どうやら南南東に伸びる尾根筋に沿っているようだ。踏み跡は良く見れば判る。

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次第に道型がはっきりしてきた。
小ピークを越えたあたりからは、先程近道した地区などが見えてきた。そして、踏み固められた道に出た。右手に社が見えた。

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そして鳥居が。良く見ると、腰越城近くの送電鉄塔が見えるではないか。

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またしても鳥居が

二つ目の鳥居で車道に出た。車道を右折すると、材木屋の脇からイーグルバス「都沢入り口」のバス停前に出た。帰りはいとも簡単だった。

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近くの聖岩寺より安戸城239m峰を振り返る。

長い車道歩きを強いられ、パトリア小川に帰着。駐車場は結構な入れ込みだ。風呂はまたの機会にしよう。さっさと車に乗り込んだ。
道の駅小川でざるうどんと天婦羅を食い、大聖寺に向かった。重文「六面板碑」を見ようと思った。が、お宝の御開帳は無かった。境内からは青山城がある仙元山が目の前に見えた。