山で人に迷惑をかけたくない。

一度だけ、山で人に助けてもらった事がある。この話、前置きが長い。


1996年夏、お盆休みに有給休暇をくっつけて、11日間北海道を徘徊した。

寝台列車で北海道に行き、初日はニセコアンヌプリに登った。翌日は羊蹄山に登り、移動し新装の十勝岳温泉に泊まった。以前大雪にでくわし敗走していた十勝岳は霧の中ではあったが三段山経由でアッサリ登れた。

十勝岳山頂から下りはじめてすぐに、登ってきた品のいいオッサンに声をかけられた。何処へ下るのか?
明日の予定は?その後の予定は?など、次から次へと質問攻めにあった。
上ホロカメットク山の避難小屋で昼飯を食っていると、クダンのオツサンがやってきた。オツサンはなおも質問してきた。おいらは、旅行の詳細な予定を話すはめになった。。おいらの今後の予定は、明日芦別岳方面へ移動、その後クラブの事務局長殿と斜里駅で合流、斜里岳、羅臼岳に登る事になっていた。オツサンの予定は芦別岳ではなく、阿寒岳であった。後は一緒。オッサンは車移動との事。オッサンから阿寒岳に行かないかと誘われた。初対面ではあるが、今後のバス、列車の乗り継ぎは頭の痛いところであったし、車移動の気楽さを考え合わせ、オッサンと同行する事にした。白金温泉で汗を流し、阿寒岳に向かった。
長距離運転は全てオッサンまかせ。大名旅行に変わった。オッサンは某有名ゼネコンの社員だった。今回の予定の山からして百名山狙いは容易に推察できた。なぜ、おいらに白羽の矢が当たったのか?聞きたいところだったが、やめておいた。ただ、温厚なオッサンであった。
翌日は、霧の雌阿寒岳にアッサリ登り、オンネトウの湯につかった。湖畔のキャンプ場にテントを張った。夕暮れのキャンプ場では、トボラー(徒歩旅行者)・登山者・チャリダー(自転車旅行者)・ライダーが三々五々集まり、静かな時を過ごしていた。なぜかおいらたちのテントに若者が集まり、何かを語り合った。語った内容は全く覚えていない。

摩周湖などを見ながらのドライブ。そして清里町駅到着。クラブの事務局長殿と美人隊員を迎えた。車付きの出迎えに事務局長殿は大いに喜んだ。途中、炎天下の車道を歩くジイサンを拾う。今夜の宿、清岳荘には昼前に着いた。昼飯を食い終わっても、やる事が無い。ここから山頂まで2時間30分。誰からとも無く、今日斜里岳に登っちゃおうと云うことになった。
天気は快晴。出発は13時頃だったと思う。山腹の登山道は沢に降り、沢沿いに登る。小滝が連続する。一般コースではあるが、北海道らしくワイルドな道であった。ワイルドさに男連中は嬉々として喜んでいたが、美人女性隊員には歩きにくいだけの道だったようだ。女性隊員がやや遅れ始め、事務局長殿が付き添う形になる。オツサンとおいらは、馬の背で大分待った。

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予想よりも遅れて、斜里岳に到着。16時に近かった。眺めはよかった。気持ちの良い山頂であった。長居はできないので、すぐに下山。下山は尾根コースとした。ずんずん下る。女性隊員と事務局長殿との距離が離れる。振り返りつつ下った。いつしか二人の姿は見えなくなった。やがて尾根を離れ、沢に下る。
沢に着いて一服する。オッサンと長話となった。時計を見ると18時。まだ、明るいが、オッサンには先に下ってくれと懇願する。渋るオツサンに、事務局長殿は山の大ベテラン、万一の事はあるまいと言い含め、下っていただいた。
18:30頃まで、待った。登り直すかと、歩きかけたところで二人が下ってきた。特にトラブルがあった様子は無い。ただ、疲れたのだろう。一休み後、沢に足を入れジャブジャブと下りはじめた。大分薄暗くなってきた。沢身から登山道へ復帰しなければなせない。右側を見ながらの歩きとなった。沢の石に赤いペンキが塗られていた。右に道は無い。まだ下か。とうとうヘッデンを灯す事になる。不思議とアセリはなかった。辺りは真っ暗になってしまった。こんなに沢を下るはずは無い。おいらは事務局長殿に休憩を懇願し、許された。タバコを吹かせ気を落ち着かせた。時間は20時頃だった。おのおの岩に腰を掛け休んだ。皆に動揺はなかった。天気も良さそうだし気温も低くない。最悪、ビバークしても大事には至らないだろうとの安心感があった。
上流に戻り、偵察でもしてこようかと思ったとき、右岸の山腹にライトの小さな光が見えたような気がした。光は上流側に移動していた。しばらくして、「オーイ、オーイ」と人の声が小さく聞こえた。3人で上流に向かった。
やがて光が見え、こちらも「オーイ」と声をあげた。オッサンが心配して迎えに来てくれたのだった。これで、助かった。途中で見た赤いペンキの石のさらに上流に登山道はあったのだ。オッサンに礼を述べ、清岳荘に向かった。

翌日、オッサンは羅臼岳に登ると言う。我々は本日の一件で意気消沈、羅臼岳登山は延期した。ならばと、オッサンは宇土呂から羅臼岳を横断し羅臼に下りたいので、車を回してくれないかとの要望。ココロヨク引く受けさせて頂いた。

翌日、宇土呂に車を廻しオッサンを見送った我々は、しぶとくもカムイワッカ湯の滝に行き滝壷の湯につかった。午後、羅臼側登山口に車を廻し、オッサンを出迎えた。その夜は、羅臼の町に繰り出し、トド肉、熊肉、鹿肉で、オッサンへの礼を尽くした。

一夜明け、オツサンと握手し、長い道連れの旅に終止符を打った。そして、おいらと、事務局長殿は羅臼岳に向かった。そして、またしてもひどい目にあってしまったのだ・・・。