クレバスとはどのようなものなのだろう。
イメージ的には氷河にできる亀裂。硬く深い青氷の亀裂の底でゴーゴーと水が流れている感じで捕らえているのだが、想像でしかない。

以前、「クレバスのような所」に落ちた事がある。あくまで、「ような所」で、これをクレバスと呼んでよいのか判らない。

場所は、岡山・鳥取の県境・恩原三国山の鳥取県側の尾根直下。雪庇の真下である。
この山、雪が無い季節に登るにはエンジン着きの草刈機と、替え刃3枚ほど無ければ無理である。


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岡山県中津河の集落から中津河川を遡り県境の一つ手前の尾根をスキーで登った。

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途中、巨杉が孤高に聳えている。この尾根を大杉尾根と命名した。最近のネット記事を見ると、巨杉の枝が大分折れ、危機的状態になっているようだ。


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恩原三国山西方のピーク。

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恩原三国山。貧弱なピークであるが、かつて、おいらのアイドルであった。あのピークの向こう側でクレバスのような穴に落ちた。

その日(2001.3.24)、おいらは、恩原三国山(岡山・鳥取県境)の東腹をトラバースし、三国山北嶺(鳥取県)に向かった。早朝はガリガリに雪が凍り付いていたが、気温が上がり雪は柔らかくなっていた。雪ロールが至る所で斜面を転がり落ちており嫌な感じのトラバースであった。スキーを滑らせ一気に通過した。雪庇の小さい所をよじ登り、恩原三国山と三国山北嶺を結ぶ尾根に出た。ここから北嶺には、アッサリ着き、鳥取側の景色を堪能した。
帰りは、恩原三国山との鞍部までスキーを滑らせたが、山腹のトラバースは雪が緩んできたので危険と判断し、恩原三国山に一旦登り、岡山県側に下ることにした。
シールを貼り、やや細い尾根を登る。東側に雪庇が張り出している。すぐに急な斜面となる。前方に岩を抱えた杉が現れた。スキーを履いたままでは通過できない。この当時、山中でスキーを脱ぐ事はまず無かった。なので、一旦、山腹東面に降りて巻こうと考えた(西面は超急斜面)。
幸い雪庇が雪堤状になっており、雪堤の腹にスキーを滑らせた。山腹に着くと同時に、ズドンと体が落ちた。雪庇と山腹の間にできた亀裂に落ちたのだ。亀裂は雪が被っており見えなかった。深さは身長より少し深かったので2m位だった。
狭い亀裂で身動きが取れなかった。足は全く動かないのでスキーが穴の奥で雪に刺さってしまったようだ。おいらの、登山経験上で尤もアセッタ場面であった。アセッタ時は、タバコを吹かせるのだが、この時ばかりはそうもいかなかった。この山で人に出会ったのは、1114m峰という超マイナーなピークを目指すと言っていた人に3年前に会っただけだ。絶対に人は来ない。それだけは間違いない。

自力で脱出するしかない。少しだけ動く腕で穴の側面を少しずつ削った。手袋に水が染みてきた。とりあえず腕は動くようになった。しかし、どうあがいても足は全く動かない。手はビンディングに届かない。ビンディングはジルブレッタ404。前方の開放機能は無い。踵の捻じれのみの開放である。踵をひねった。が、ビンディングが開放されることは無かった。あ~ぁ、このまま、ここでくたばるのか、と、一瞬思ったりもした。
硬い雪ではなかった。まして青氷などではない。根気良く手で雪を掻き、手でビンディングを開放するしかない。1時間以上は経過しただろうか。ようやくビンディングに左手がかかり、左足が開放された。次いで、左足の先で右の踵を押し付け、ついに自由の身になったと思ったが、流れ止め(ヒモ状)が取れない。苦労して流れ止めをはずした。一旦、穴から這い出てタバコを吹かした。助かった。
スキー靴で雪を削り、もう一度穴に入った。意外にもスキーは簡単に回収できた。

スキーを担ぎ、深雪に悩まされながらツボ足で尾根を辿ると、僅かで恩原三国山に達した。

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県境の尾根を逃げるように滑り降りた。

以後、冬に三国山北嶺には行っていない。そして、雪庇恐怖症となった。